1959年ものPENTAX Camera

お盆に行ってきた義父母の家で見つけてきた。

家を処分するにあたり大切なものを探しに2階に上がる。っが、私が義母の認知症ぶりを気づいた昨年の夏以前からその兆候があったであろうという部屋の中。モノがあふれ、モノが散乱している。

とりあえず、和ダンスの鍵のかかった引出を開けてみることにする。1階の台所から栓抜きを持ってきた大将がこじ開ける。リングやネックレスのアクセサリーケースが5,6個。たぶん、ダイヤモンドリングであろうの鑑定書。でも、ケースの中身は空っぽ。どれもこれも空っぽ。

ん~~いったいどこにしまったいるのか?この散乱する荷物の中から探し出すには何日かかるかわからない。

ふと、上の棚を見ると、バカチョンカメラがいくつかあり、その下にカメラの箱が見える。

大将にそれを取ってもらう。出てきたのがこのPENTAXのCamera。昭和34年、1959年もの。

 

「うわ!これ、もらっぴ!!ええやろ?」っと私。

「これ、もらって、どうするねん?」

「えっ、写真撮るに決まっているやん!これカメラやで!」

「わかってる!これ、重たいやん・・・」

「へへっ・・・私、自分の鞄あるしなぁ~あんまり重たいものは持ったらあかんって眼科医に言われているしなぁ~~」と・・・託す。

 

義父がこのカメラを首からぶら下げて、香港やらタイやら北海道やら沖縄やらあちらこちら2人で旅した写真がある。

「カメラをぶら下げて、この写真はいったい誰が撮ったん?」って持って帰った思い出の写真を見て、娘が突っ込んでいたが、そんなん添乗員さんやろ・・・

そのあちらこちら旅したカメラを私は勝手に頂戴した。ええよな・・・

しかし、使えるのやろか・・・

 

そこで日が暮れてきて、電気もガスも水道もストップの家ではそれ以上の作業は無理とタイムアップ!

空のケースが入った引出はもとに戻す。

「この中身はまた来て探そう。」となる。運よく見つかったならば、それは義母が空の上に行くときに一緒に持って行ってもらおう。

義父のその時にはこのカメラを入れやなあかんのやろか?ん~~それはちょっと・・・・

このカメラで撮った義母や大将の赤ん坊の写真を入れておこう^^;

「思い出は大事なんじゃ・・・」と大将の赤ん坊の写真のアルバムを大切にしている義父やもんな。

 

福山港が見える堤防から。この反対側、堤防の下にある市営墓地に大将の実母は眠る。実母が生きていたころにご近所さんやった大将より3ツ上のお姉さんがお盆前に持ってきてくれたのか綺麗な花があった。

超ハードな夏の思い出^^;

 

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