異色の会と私の魂胆

家族

昨夜は高校時代のおっさん(高校時代は喋ったことがない)とオバハン親子(同じく喋ったことがない)と長男と私という、異色5人による会が開催された。
夜ということで、晩ご飯にハンバーグ弁当(単に、ご飯をおにぎりにしただけでお皿仕様)を作って出かけた。
普段、平日、ほぼほぼ晩ご飯を作っていないという状況なので、土日は作ることにしている。
ご飯を作るのはある種のボケ防止なので侮れない。

二十歳過ぎて早々に家を出た娘と長男は、家のことはひと通りできる。
私の魂胆として、早々に家を出すというのがあったので、家のことができるように育てた。
加えて、あれこれ手出しして居心地を良くするというのはせず、あれこれルールを守れとこと細かく煩くした。

例えば、
自分が使ったときにティッシュの箱が空になったら、そのままにしない。
“次の人のことを考えて”新しいのを出しておくこと。
空になったティッシュの箱はそのままゴミ箱に入れるな。
可能な限り小さく折りたたむこと。
と、折りたたみ方も伝授した。
ゴミを捨てるときも気をつかえということ。

この”次の人のことを考える”というのは家の中のあちらこちらに出てくる。
幼少期から散々口うるさかくしたので、我が家の3人はよく気がつく。
頭の出来は置いといても、三者共通して学校で褒められたことのひとつである。

昨夜、私が帰宅したとき、テーブルの上が綺麗に片付いていた。
ふきんで拭いたあとがある。
最後、テーブルをふきんで拭くという思考があるのは、今、我が家に現存する中で私以外はおトンボのみ。
流しを見ると食べ終わったお皿もない。
水切りかごに並べられているお皿の、その整列ぶりを見て、ああ、これはおトンボやなと確信する。
念のため、聞いてみた。
「洗い物、してくれたん、あんた?」
「うん、ボクやで」
「ありがとう」
お礼を言っておく。

我ながら、上手いこと育てたなと内心、拍手👏
子どもが散らかした紙クズをせっせと拾い集める義父母の元で育った人にはない思考である。
それは別にいいねん。。
私のお子と違うので構わない。
まったく構わない。
とりあえず、夕方、家に居てる者が洗濯物をたたむというルールは定着した。

夕方、家に居てる者が洗濯物を畳んでなかったときの、母さんのキレ様が半端ない、と言った長男は家を出たあと、
「二度と家には戻らない」と宣言しよった。
私の魂胆通りに育っている(笑)
決して、仲が悪いわけではない。

コメント

  1. マミー より:

    うちは子育て失敗やと思います。
    自立できるようにそだてるのが親の役目だが、実の親が好きでない私はそういう風にはならないと考え、失敗したような気がします。
    でも、子育ての成功って何だろうか。

    • petitpie より:

      子育ての成功って何なんでしょう。

      ここはうまくいってるって思う部分もありますけど、ここはあかんなぁと反省する部分も大ありです。
      3人いてるので、兄弟間とかは特に思います。

      今でこそ、寝込むことがあまりない日々ですが、結構、あれこれ手術したりしてきた身なので。
      子どもたちは、何があってもひとりでも生きていけるように育てなあかんなぁとは思ってきました。

      子育てに成功とか失敗とかあるのでしょうか。

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