認知症の嚥下障害と今後について

プチ介護

日中、寝ることが多くなってきている義母との会話はすでにままならなくなっています。
起きているときにご機嫌なら笑顔を見ることができます。
それが唯一の意思疎通の証です。
最近、どうも嚥下障害が顕著になってきているようです。
水分はトロミをつけ、ご飯もペースト状になっているとのこと。

今日、義母の様子を見に行ったとき、ワーカーさんが水分補給のためとトロミをつけたお茶を持ってこられました。
寝ている義母を起こして口に含ませようとしますがなかなか覚醒せず、口に含ませることができません。
それでも少し開いた口に流し込むとそれに反射してモグモグと口を動かします。
それを4、5回繰り返したら疲れてしまったのか、また口を固く閉じてしまいます。

普段の食事でも途中で寝てしまうときがあるようで無理に口に入れることはしないとか。
無理に口に入れると嚥下障害を起こして咳き込んでしまうようです。
口からの食事を摂ることがだんだんと厳しくなりつつある状況に突入したようです。

認知症の義母のプチ介護が始まったとき、いずれ口からご飯を食べられなくなるときが来る。
そのときに胃ろうにする等の延命処置の選択を迫られます。
そのとき、どうする?という会話を夫婦でしました。

すでに私は実父の延命処置の選択を経験しています。
有馬の病院に入院するとき、脳梗塞なのでいずれ口から食べられなくなるであろう、また心筋梗塞を起こすこともあるだろうと、胃ろうや電気ショックなどの処置についての意思確認が行われました。

こういうときに決断力(こういうときに限らず普段でも決断力はある)のある私は、どれもNOと即答をしました。
「本人の意思は確認していないけれど、そんなものはいらん!というはずなので必要ないです」と妹の私が即答しているのに、介護どころか見舞いにもほとんどこない兄は即答できないでいます。
なんでやねん!?あんたが面倒を見るのか?と私は思います。
最終的には「妹がそういうなら」と、兄は逃げました。

そして今、義母の嚥下障害の話を伝え、近い将来、胃ろうにする等の話になるかもしれない。
そのときあなたはどう回答する?と聞いてみました。
血は繋がっていないとはいえ戸籍上は養子縁組した母と息子です。
とは言いつつも、実父である義父の様子は見に行っても階下にいる義母の様子を見に行くことはしない息子です。
そのくせに即答はしません。

大阪に来た当初、義母と散歩しているとき「もし私が癌になったら治療はせんでいいから」と私に言っていた義母です。
癌保険をかけているのにそう言った義母は保険や自分のお金はみっちゃんの好きにしたらいいからとまで言いました。
いわゆる、口約束っていうやつです。

「お母さんは癌になっても手術や治療はせんでいいって言ってはったで」と伝えましたが、まだ答えを出せないでいます。
「自分なら胃ろう等延命処置をしてほしい?」と反対に尋ねてみます。
それには「いらん」と即答です。
「胃ろうとかせえへんかったら死ぬってことやろ?」
「いずれは・・・」

男性の方がこういう決断は苦手なのでしょうか。

実際、胃ろう等延命処置はNO!と即答した私でさえも実父には大腿部からの中心静脈栄養点滴はお願いしました。
嚥下障害による肺炎の恐れを危惧して口からご飯をやめることになった実父は大腿部からの中心静脈栄養点滴で3ヶ月ほど命を繋ぎました。
中心静脈栄養点滴にするとどれぐらい命を繋げるのかを主治医に確認しました。
「だいたいの人は3、4ヶ月で長い人で半年ぐらいでしょうか」と言われ、夏頃に中心静脈栄養点滴の処置をお願いしました。
私は、実父は年を越せないだろうと直感し覚悟を決めます。
実父の最期、2日ほど前までは喋る元気こそなかったけれど、初孫である娘の花嫁姿の写真を見て涙を流していました。
それはじいちゃん孝行であり親孝行だったと思っています。
実父の最期は嚥下による肺炎が死因となっていましたが、口からモノを食べられなくなり、だんだんと全体の力が尽きていく様子は老衰であり、人生を全うした感じを受けました。
私の選択は何も間違えていなかったと確信しています。

口からものを食べられなくなるのは人生の終わりの真っ当な最期だと思っている私は義母についてもそれは変わりません。

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