人生の終い方

月曜日の仕事中。
義母が入院する病院から電話で、今から食事を開始するのでトロミ剤を持ってくるよう要請があった。
仕事しているので、よほどのことがない限り今言うて今はなかなか無理なわけで、「明日でいいですか?」となった。

トロミ剤ってどこで買うねん?!と、取り急ぎ、職場の近所の薬局(結構、大きい)に行ってみた。
「介護食で使うトロミ剤、ありますか?」
「介護食は置いてないわぁ」

紀伊國屋書店でも本町店は学生向け参考書等品揃えが薄い、まぁ、ターゲットを狙った品揃えになるわよね。

そんなわけで、ここは御用達のAmazonさんにお尋ねする。
翌日午前中配達可能のトロミ剤が出てきたのでポチッとし、翌日の文化の日に届けた。

そして、届けた翌日のこと。
意思疎通が出来ないから食事を食べさせられないと病院から連絡があった。
意思疎通はでけへんって言うたやないか。
食べる指令が脳からでえへんようになってはんねん。

ていうか、義母の緊急入院で私が一番危惧していたのがこれやったんよね。
ホームと違って病院、特に救急車で搬送される病院やと、なおさら、義母の食事は無理やろなぁと危惧していた。

どうします?
他の方法で栄養摂りますか?
入院した原因は落ち着いてるので退院しますか?
一般的な病院は治療をしないのであれば退院となる。

義父母ホームは日中、看護師さんがいてはるので義母のことを相談し、ホームで対応してもらうことになった。
今日、退院する。
看護師さんがいても医療行為には限度があり、胃ろうも胃管も中心静脈栄養もできない。
かろうじて可能な末梢静脈の点滴も看護師さんが出勤している時間帯だけとのこと。

実父の場合。
父が入院していたのは療養型の病院やったので最期、末梢静脈栄養から中心静脈栄養に切り替える対応をしてもらった。

父が亡くなるその年の夏。
口からの食事では誤嚥性肺炎を繰り返すので経口摂取が困難となり、末梢静脈点滴だけで命を繋ぐか、他の手立てを講じるかの相談があった。
9月にハワイでの娘の挙式を控えていた私は太ももを切開して静脈に直接栄養を入れる、中心静脈点滴を選択した。

胃ろうはしないと決めていたので、その状況で1年も2年も命を繋ぐ選択はなかった。
「その中心静脈点滴やとどれぐらいもちますか?」
「長い人で8ヶ月とかの人もいてるけれど、だいたい4、5ヶ月。そんなにもたない人もいてます。こればっかりはこうですとお約束はできません」
「そうですよね。9月に娘の挙式があるのでそれが済むまではと思うんですが」
「私の感覚やとそれぐらいは問題ないかと思いますが年は越せないと思います」

結局、父は11月最初に行われた娘の1.5次会と自身の誕生日を終え88歳になった。
だいぶんと秋が深まるまで頑張った。
亡くなる2日前の父は娘がウェディングドレス姿の写真を見せたとき、嬉しそうな顔を見せ涙を零した。
すでに話す元気がなくなっている父の最後の意思表示だった。
その2日後、仕事を早退して父のところに行った私はベッド脇のTVで父と2人で最後の相撲を見た。
その年の初めに亡くなった千代の富士の特番が流れていたのだ。
父の様子を見に来た主治医が「好きな相撲、やってるよ」と声をかけてくれたが父は寝ているのか起きてるのか反応はなかった。
私が父の主治医に会ったのはそれが最後になった。
その日の夜中、病院から電話が鳴り、夜勤の医師に
「血圧が下がってきてるのですぐに来てください。どれぐらいで来れますか?」と言われる。
「1時間半ぐらいはかかると思います」

病院に着く手前、有料道路の料金所あたりで再度、医師から切羽詰まった声の電話があった。
「あとどれぐらいで着きますか?」
「今、料金所を出るのであと10分ほどで着きます」

次男と私が父の元に着いたとき、電話をくれた夜勤の医師は神妙に時刻を読み父の最期を明確にした。
私は生まれて初めてTVドラマでよく見る場面の中の人になった。
どうも私は感情と理性が確立して平行に進むタチなようで、父の最期を泣きながら、不謹慎ながらTVドラマと同じや、と思った。
父の最期は、正確には10分前の料金所辺りの医師からの電話のときに違いないと冷静に認識もした。
夜勤の医師にそのことを確かめることはせず、先生の気持ちを素直に受け取った。
泣きながらも、一方で私が次にすべきことを考えていた。

娘として、父親の人生の最期はすごく良かったと思っていて、本人も満足してるに違いないと確信している。
死亡届には夜勤の医師が私に告げた時刻が書かれていて、死因は誤嚥性肺炎となっている。
トリガーは誤嚥性肺炎であろうが最期は老衰がぴったりの終わり方やったのよね。

それぞれの両親の対応を迫られる中、最初に父でいろいろ経験できたことが私には非常にありがたいと思っている。
介護にしても、延命措置の対応や介護タクシーで移動するとか、ストレッチャー外来とか、経験を積むと人は強くなる。
一度経験した感情はより冷静に対応できる。

父を見送ったあと、高齢者対応についてはつつがなく時間が過ぎていた。
当分、こんな感じでいくのかと思っていたら義母の番が巡ってきた。
父の次は義母かなと想像はしていた。
口から栄養を摂ることが難しくなりつつあるのは知っていたし、この次にどんな選択を迫られるかもすでに経験済みである。

それでも迷うよね。