思い出収集の旅~2012.10.25~

毎回、思うが、山陽新幹線はおもしろくない!といっても福山以西は1,2回しか行ったことがないんやけれど。福山まではトンネルばっかり。外の景色を楽しめない。1時間ちょいっていうのもあるけれど、加古川、高砂あたりの景色と岡山の景色。田園風景やったり、海がちらっと見えたりするぐらい。そう、その田園風景を見たときに大将がボソッと言う。

「こんなところに住みたいわぁ。」
えっ・・・(--〆)
「夜は真っ暗やで!」と私。
てか、今から向かう、義父母の家も夜は真っ暗。
夜の真っ暗は慣れてはります。ちぇっ・・・
どっちにしても、住みたければどうぞおひとりで(^^)/~~~


義母の作品(左は鞆の浦の仙酔島)と船乗りやった義父が乗っていた船の写真。

今後の生活に必要である大切なものはすでに持って帰っているので、あとは義父母が大切に思っていたであろうもの。いつか空の上に旅立つときに一緒に持っていけるものを持って帰るのが今回の目的。
生活に必要なもの(洋服とか靴とか)を持って帰ると里心がついてしまうので、それらはあえて手はつけない。今年のお正月明けに大阪に来て、冬、春、夏、秋を迎えた。この間に生活に必要なものはこちらで買い揃え、それでこと足りている。福山を思い出すようなものは極力さけて、大阪で穏やかな生活を過ごせるようにするのが一番。

義母はいろいろ記録を残しておくのが好きな人で、贈答品の記録のノートを発見。それが平成19年分まではキチンと記されているのに平成20年以降が白紙。このあたりにわけのわからん電話があったことを思い出し、このあたりから認知症が始まっていたことを知る。こうやって今まで知らなかった義父母の人生をかいま見るのは、人の日記を盗み見するようでなんだか落ち着かない。

義父母は思い出の写真をとても大切にする。義父の口癖は「思い出は大事なんじゃ。」。そう言って、大阪に持ってきたポケットアルバムを大切にしている。よりすぐりの写真の入ったポケットアルバムなんやけれど、あんなにも義母を大切に思っているのに、そこに義母との写真はない。老人会で頑張っている自分と大将の子どもの頃の写真。申し訳程度にみんなの中に姿見える義母という写真。夫婦の不思議よなぁ・・・

そのポケットアルバムを見ると「元気が出るんじゃ。」と義父。
そんな思い出の詰まったフエルアルバムはあちらこちらの部屋にあって全部で20冊以上。それら全部を持って帰ることはできない。
外国船(主に東南アジア)に乗っていた義父は木の置物が大好きで、応接間のマントルピースの中に象やら原住民やらの置物がびっしり。その中からひとつだけ、持って帰ってくる。

人様の人生に土足でお邪魔するようで、どこまでっていう線引きが難しく、やり残したことがあるような気持ちを残しつつ、日暮れてとともに作業を終える。
前回とそう変わらない思い出収集の旅となる。

例えば、これがすでの義父母が居ない状況での整理とならばまたちがった思いがあるのやろうけれど、今は元気に笑ってはるのでどういう風に選別したらいいのか?これでいいの?と自問自答。大将に委ねてみたら、委ね返される( ̄▽ ̄;)

自分のものならケリのつけようもあるけれど、人様のものだけに本当に難しい。このあと、この家の中のものはリサイクルショップに行くか廃棄処分となる。本来ならその作業はこちらがするべきなのを、買い手の方のご好意でお任せする。そして、この事実は義父母には言えない。いつまでも帰るべき家がそこに存在することを確認しながら、生きる望みを残しておくため。

成年後見人申立の審判も下され、あとは流れに乗って作業を進めて行かなければならず、そこに感情を入れて立ち止まるわけにはいかない。ん〜〜〜なんだかなぁ・・・

バラの街”福山”の駅前で見つけた薔薇。