長らく続いた反抗期も終息を迎えたのか?

家族

昨日、長男からLINEで業務連絡がありました。
だいたい、家を出た息子からのコンタクトは業務連絡がほとんどです。
先月のスイス旅行でクレジットカード支払いした分、それを父さんの口座に振り込んだ、という内容です。
まだ、学生の身分なので手持ちのカードは家族カードです。
毎回、律儀に返してきます。
自分のお金で行く分には、文句どころか何の意見も言えません。
いや、最初から物申す気などさらさらざいません。
「出世払いの倍返しでよかったのに」と返しておくだけです。

すると、思い出したように、先週、末っ子(彼からすると弟)のところに行ったと送ってきました。
さいたまスーパーアリーナで行われたNBAの試合を観に行ったようです。
そのときに泊めてもらった、と言うのです。

あらぁ・・・

2歳離れの息子2人です。
小さい頃は年子に間違われるほど並んで歩いていました。
単体で扱ってくれても全く問題はないのに、長男の友だちの親御さんは弟くんも一緒にと末っ子も混じえて遊園地に連れて行ってくれたりしていました。
見かけによらずビビりの弟を頼りなげな兄がいつも庇っていたことなど、すっかり忘れてしまった2人です。
思春期を迎える頃から喋らなくなりました。
厳密には反抗期に突入した末っ子が喋らなくなったのです。

私とは業務連絡があるので喋ります。
兄とは業務連絡の必要もなく喋る機会などありません。
そうこうして、長男は大学に受かり、浮かれながら家を出ていきます。
一緒に暮らさなくなったら余計に距離が開き、ますます喋らなくなっていきました。

ある日、末っ子に長男と喋らなくなった理由を尋ねてみました。
「俺が細かいねんけど」と前置きしながら
「兄ちゃん、押し入れのフスマ、いつもちょっとだけ開けてるやん。ちゃんと閉めへん。一回、ちゃんと閉めろって言うたのに、やっぱりちゃんと閉めへん。それで話すの嫌になってん」

(あぁ、わかる。
あんたのその気持ち、ようわかる。
ほんま、ちゃんと閉めへんよな。
あの2人、父さんと兄ちゃん笑
そら喋るの嫌になるわ)
これは心の内にしまっておきます。

私に似ていて、いや私以上にそのあたりの特性が顕著な末っ子です。
痛いほど共感します。
しかし。

「気持ちはわかるで。ただ、母さんの気持ちとしては3人しかおらへん姉弟やん。仲良うして欲しいのはあるな」
とだけ伝えます。

大人になったら・・
結婚でもしたら・・
共通の話題ができて喋るようになるのでないでしょうか。
私はそんな淡い期待を胸にそのときが来るのを楽しみに待つことにしました。
生まれたときから姉と兄がいた末っ子は長男が家を出てから、天下晴れて親を独り占めできるようになりました。
いやはや、親を独り占めするほどの可愛らしい年代はとうに終えています。
つまりは、家の中で好き放題できるようになったというわけです。
私も
(冷蔵庫のチョコレートは母さんのんや、勝手に食べるなよ!)
なんて思いつつも口には出さず、
チョコレートなんて別にええのよ。
好きなだけお食べとなります。
末っ子に限らず、最後に残ったのが娘でも長男でも同じ状況になったことでしょう。

ただですね。
仕事を終えて帰った私の目の前に洗濯ものが干したまま残っていたなら、これでもかという勢いでぶち切れてしまいます。
「夕方、家におるもんが洗濯もん、畳むことになってるやろ!!(私が独断で決めたルールです)片付けてへんってどういうことやねん!!」
「俺も今、帰ってきたとこやし」
「帰ってきたらさっさと片付けぇや!」
荷物置いたらすぐに洗濯もん畳めや!の勢いです。
かつて、長男に
「母さん、切れたら半端ないもんな」と言わしめたのが、この洗濯もの畳んでへんやないか?!案件です。
家にいたら家族分、家を出たら1人分の洗濯ものです。
我が家のお子たちは洗濯ものを畳むのが嫌で早々に家を出ていったのかもしれません。

そんな折、私の父がお空に旅立っていきます。
夜中にかかってきた病院からの呼び出しの電話。
そして、喪主の私の傍にいるのは長男です。
せっかくなので、これもええ経験と喪主代理を任命しました。
葬儀屋さんとの打ち合わせに同席させ、私がいないときは私の代わりに対応するよう命じます。
いったん大学に行った末っ子からは、「何か手伝うことがあったら帰るけど」と連絡が入ります。
せっかくなので帰ってきてもらいます。
娘を筆頭にこんなときに頼りになるのは子どもたちです。
いろいろ手伝ってもらう中で、当然、息子2人は喋る機会が巡ってきます。
あとで、娘が教えてくれました。
「じぃちゃんのお葬式のとき、2人、喋ってたで」と。
そうです。
本人たちより周りが2人のしゃべらなさぶりにやきもきしています。

高校からそれぞれの道に分かれた2人です。
同じ屋根の下で育ったのにも関わらず、全く別々な方向にベクトルが向き、共通言語を持たなくなりました。
といいつつも、今年の春。
大人になった彼らは姉弟3人だけで、外で食事会を設けたようです。
そういう誘いを嫌がることも断ることもなく参加する末っ子です。
3人の中で一番感受性豊かな彼は『家族の一員』であることをちゃんと認識しています。

ひと月ほど前、とうとう末っ子も家を出ていきました。
それも一番遠く、東京です。
これでますます兄弟の縁が遠ざかるでは、と思っていました。
そんな折に、長男が末っ子のとこに泊まってきたと言うのです。
驚きです。
我が家は娘、長男、末っ子という順番ですが、図式的には姉ちゃん、弟その一、弟その二です。
長男と末っ子は横並びのイメージです。
長男は弟であり兄ですが、あまり兄っぷりを発揮しません。
あまりどころからほとんどしません。
家族の誰もが長男の立ち位置を認識しながらも、兄という認識を持っていないように思います。
長男は単純にホテル代節約のために「泊めて」であり、それを受け「ええよ」やったのでしょう。
新宿に出て2人でご飯を食べたと聞き、長らく続いた末っ子の反抗期も終息を迎えたと確信しました。
親としてはそれは非常に嬉しい出来事です。

実際のところ、本人たちは喋る、喋らないなど大して何も感じていないのかもしれません。
そんな気がします。

コメント

  1. 英雄故事 より:

    こんにちは
    ランキングから来ました
    反抗期は大変ですよね。
    うちの息子も・・・

タイトルとURLをコピーしました