眼科にて

相変わらずの2時間缶詰状態で本も読めずただただ座っているだけって
ほんま無駄な時間の待合室。
眼底検査でなければ本も読めようが
毎回、眼底を開いて網膜の状態を診るという診察では
目をつぶって
周りのおばちゃん達の病気暦やらに耳を傾けるしかない。

しゃべってはるおばちゃん達の顔は当然見えずなので
声としゃべり方で
そのお方の性格やらを判断してしまう。

今日のおばちゃん。
庭にお花を植えて楽しんではるおばちゃんに
「わてはあかんわぁ〜そんなんしてるよりテレビ観てるほうがええわ」と
ガラガラ声で言うたはる。
おばちゃん、テレビばっかり観てたらあかんし、
花を植えたりするのがええって思うんやったら
それやってみたらいいのにと心の中でつぶやく。

日々、向上しようとする意気で生きやな。
別に大層なことをせんかて、花を植える。
小さいことでも日々向上やで。
花の名前一つ新しいのを覚える。それでええやんって。

高齢やからと老いて行くのを黙ってみてたらあきませんと
介護認定が4から3になった父を思うわけです。
4から3になるというのは
介護度が軽くなったのという認定で有難いと思うのか
使えるポイントが少なくなったと嘆くのか
どうなん?ってところ。

私は2になったらかなんなぁとは思っていたが
3は妥当な線やと思うねんけど。
この半年ほどの4はちょっと甘いという判断。
本人もいつか治ると思ってるふしがあり
(これ以上、ひどくなるのを遅くすることはできても治ることはありえない)
その前向きさ。
80歳であと10年は頑張るという意気込み。
正直、ええような悪いような・・・

前向きっていう点だけは、
お父ちゃんナイスやでとは思うが
ただいまの私にとっては
子供が5人いてるようなものは結構と大変です。
我が子3人+実家の両親

しょうもない夫婦喧嘩をして
両方で私に我がの意見が正しいと主張するとこは
まるで子供の喧嘩。
思わず「あ〜〜もぅうるさい!」と怒鳴る私。
実家に行くたびにこれもどうなんって思うが、
年を重ねるということは切ないものだと、
眼科外待合でよその高齢者を見つつ
我が親をそこに重ねた本日。

私の右目網膜はとりあえず落ち着いているそうだ。
これもまぁ、今落ち着いていてもいつはがれるかわからん話やん。
実際そうやったし。
網膜に限らず、網膜がはがれんでも他の箇所が突然機能せんようになったり
感度悪くなることもありよな。
そう思うと、
高齢であろうとなかろうと日々向上する気持ちで生きるべきよな[キラキラ]

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