介護療養型医療施設としては平成23年3月末で終わりだと
父を入院させた日に聞かされる。
通常、父の現状であれば
脳梗塞が再発したわけもないので治療を要する状況の入院は不可。
リハビリも発症から時間がたちすぎていて
回復期リハビリは終えた中で
なんら進展を期待できるものでもない。
が、以前この有馬温泉病院でヘルパー勤めをしていた叔母の手引きで
なかなか入れないところをぽこっと入れてもらえたのはラッキーというもの。
その間に介護疲れの母は療養と検査をかねての入院となったのだが、
今後の課題を
父に関してはすべて私に・・とさじを投げられてしまい
ん〜困った・・・なのだ。
冒頭の介護療養型医療施設というシステムでの存続ができなくなるというのは
ここが終の棲家になるのかな〜という話は
ありえないってことだと
病院の介護担当者に聞かされた。
というか、病院サイドはこちらの終の棲家にするつもりで入院させたという趣旨に
かなりの驚きを示されて
私も困った。
と同時にその数日前にすべては私に任せるとさじを投げられた身として
めまいがする。
叔母がヘルパー勤めをしていたときとは
いろいろとシステムが変わり
叔母が思っていたような状況ではなく、
叔母の話に
物理的に考えてそれもいたしかないのかと
嫌々納得させられた私は
この先、どうすればいいのでしょうか?という状況。
おりしも南田洋子さんの訃報とともに
老老介護が取りざたされている。
その老老介護のしんどさは母の状況を見れば一目瞭然で
療養先の病院に様子を見に行くと
少しずつだが回復しているのをみても明らか。
なので、元気になったからといって
また老老介護をさせるのは酷な話。
私はそれを強行させることはできない。
よ〜しない。
となると父の行く末なのだ。
出来ることなら私が面倒みてやりたいが
物理的に考えてもそれはちょっと無理がある。
どないもこないも方法がなくての最終手段として
それもありかと頭に入れつつ
とりあえず別の方法を模索する。
これらすべて私のさじ加減というのは
なんともこの重責にめまいどころの話ではない。
ん〜父にかかりっきりの状況になれたら
なんぼでも動くが
受験生を2人抱えている今、
私も病院通いをしている身でもあるのになぁ。
というても
云うたらなんとかするやろうって頼られている空気感を肌で感じ
ほっとからへんやんという気持ちで動く。
とりあえずの方向を見い出さな落ち着かない気持ちで
有馬くんだりまで足を運ぶ。
「しゃ〜ない、有馬くんだりまで行ってくるわ」という私に
子どもらは
「有馬くんだりって変わった名前やなぁ」と地名だと思った様子。
「ちゃうやん。
くんだりってよ〜こんな遠くまでっていう意味で使うねん。」と
一人いてる兄は優しいだけで
まったくもって頼りにならない。
この点に関しては、
「お父ちゃん、お母ちゃんがしっかりした兄ちゃんになるように育てへんかった
そのつけを私に回すな」と密かに怒りはするが
いまさら50手前の兄と妹。
兄ぶって偉そうなことは一切云わない点は人の良さと思わなしゃ〜ない。
云うてもしゃ〜ないことはもうええ。
こうなることは子どものときから覚悟していたと・・・心決めるが、
しっかりものの妹って図式は
ほんまいらんで。
え〜私、そんなん無理・・・よ〜せんわぁって云えたらいいのに。
私の口からは
どこを押してもそんな言葉は出てこない。
てか出せない。
わかった。適当になんとかすると云うてしまう。
「母さんにはもう頼る人はおらんようになってしまった」とつぶやく私に
娘が
「何いうてるん。私ら3人がいてるやん」というてくれる。
その言葉を胸に有馬くんだりまで足を運ぶ私なのだ。
ちなみに有馬くんだりまでの道程は幾とおりかあり
これはこれでちょっとこれぐらい遊びもないとなぁと
寄り道しつつをもくろむ。
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