私の人生で一番暑い夏

家族

結婚する前に卵巣嚢腫の手術をしたのもあり、そのときの主治医に診てもらいたいと娘と長男のお産は実家の近くの病院に通っていた。
定期検診のたびに実家に帰るわけで、娘の陣痛も定期検診を終えた夜に始まった。

長男のときは2歳の娘を連れて実家に行き定期検診を受けていた。
お産で入院の1週間は娘の面倒をお願いすることになる。
あと何日かで臨月に入るという定期検診を終えた夜。
2回目の陣痛の前兆がきた。
お腹がしくしくし出した。
夏に臨月なんて2人分の暑さ満喫し過ぎる。
ええ加減にしてくれよーと思っていた。

初産の娘のときも分娩室に入って1時間もせんうちに産んだという安産だった。
病院に電話した。
しくしくが定期的になったら病院に来てくださいと言われる。
しくしくが10分間隔になった。
やった!これでこの暑さから解放される!と私は実家から7、8分の病院に歩いて行った。
娘がいてるので私はひとりで荷物を持って歩いて行った。
産む気満々で行ったわけだ。

病院に着く頃にはしくしくが7、8分間隔になっていた。
完璧、陣痛である。
痛みに強い私は3、4分間隔の陣痛になるまではしくしくするぐらいの痛みにしか感じないというタチ。
病院に着いた時点ですでに子宮口が開いていた。
が、しかし、お腹の赤ちゃんの頭の大きさか「産むにはまだ小さい」と言われ、「まだ、産んだらあかん」と診断される。

えっ!うっそー

そこから私の地獄の日々が始まる。
陣痛を抑える24時間点滴。
お腹に力を入れると陣痛が始まるからベッドに座ることも許されない。
トイレもご飯も寝たまま。
個室ならまだしも6人部屋の真ん中。
まぁ、子宮筋腫とかで入院したはるおばちゃんたちの中やから、気は楽。
真夏の病院というのに、夜にはエアコンは切れ、朝につくというシステム。
病院自体がそういう空調システムなので仕方ない。
毎朝、汗だくで目覚める。
連れてこんでいいのにじぃちゃんに連れられてきた娘は帰りしに大泣き。
大泣きの娘の手を引いて帰る父。
婦長さんに「上のお子さん、連れてきたらあかん!」と叱られている声が廊下から聞こえる。
そんなわやくちゃな日々を過ごす。
とにかく、暑い。
シャワーを浴びたい。
早よ産みたい。
産まさせてくれ!

「まだ、あきません?」
毎日のように聞く。
「まだ、あかん」
を繰り返し、やっとギリギリ、頭の大きさがそれに達したという朝。
点滴を外してもらう。
それでもトイレはベッドの横。
「トイレ以外は立ち上がるな」と言われる。

その日の夕方、しくしくが始まった。
お腹の遠く奥の奥の方から始まったしくしくであったが、すぐには言わず、明らかなしくしくになってから看護婦さんに告げた。
遅かったようである。
すでに子宮口が開き始めていた。
再び、陣痛である。
すぐに陣痛を抑える点滴が再開される。
が、内心、多分、もう無理やと密かに確信した。
外見に全然普通の私なので、見た感じはまだまだ余裕に見える。
陣痛は止まらない。
5、6分間隔になった。
大して痛くなく、全く痛がらない様子の私に安心していた看護婦さん。
子宮口を確認する。

「あかん、子宮口、開いてる、ストッレッチャー」とバタバタと分娩室に運ばれる。
分娩台に乗せられた直後、いきなり最後の段階を迎える。
「すみません、いきみたくなりました」
「あかん、まだ、あかん、先生、もうすぐ来るから我慢して」

先生が入ってきてエプロンの袖に手を通したのを見て、軽くいきんでしまう。
ヌルっと何かが出た。
「うわ」
と、生まれた長男。

慌てた先生、「女の子ですよ」
横の助産婦さん「先生、ついてる」
「あっ、男の子や」
が泣かない。
へその緒を切って、向こうでペチペチされてやっと弱々しい「ホニャアー」という声を聞いて安心する。

助産婦さんには、
「こんなに軽いお産なら野球チーム作れるぐらい産めるね」というありがたいお言葉を頂戴した。
あまりにあっけなく終わったお産ゆえ、私はもう1人産もうと決めた。

ちょうどPLの花火が上がっている時間のこと。

そんなひと騒動して生まれた長男。
今年もまた授業料半額免除になったというLINEが夜中に入っていた。
飄々と努力する子に育った。
本日、めでたく24歳!

今年の酷暑より暑い夏であった。

コメント

  1. ゆきぴ より:

    こんばんは。
    出産おめでとうございます。
    記事読んでて感動しました。
    また拝見させていただきます。

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