アルツハイマーの義母の最期

2月の最初とは思えない暖かな日に義母はお空に舞い上がって行きました。
昨年11月末に嘔吐により救急車で病院に運ばれ、1週間ほど入院しました。
コロナ禍でホームへの面会制限が続く中、久しぶりに会った義母は痩せています。
コロナウイルスが巷を賑わす前から、アルツハイマーの後期を迎え、日中はほぼベッドに横たわり、食事のときだけ車椅子に座る状況の義母でした。
その頃から嚥下障害もあり、熱を出すことも頻繁になってきていたようです。
食事量も徐々に少なくなってきていたのでしょう。久しぶりに会った義母は痩せていました。

栄養補給で飲んだものの嘔吐を繰り返したため、緊急で救急車で運ばれたのです。
その嘔吐は加齢により胃があがる「食道裂孔ヘルニア」と診断されます。
嘔吐の症状が緩和されたため、食事を再開するようになったようですが、アルツハイマーの義母は意思疎通ができません。
看護師さんが食事介助をするのでしょうか、義母が口を開けないと病院から連絡があります。

この入院で一番危惧していたことです。
義母が暮らすホームのワーカーさんなら根気よく食べさせてくれるのでしょうが、多忙な看護師さんはそこまで手をかけて貰えないのは容易に想像がつきます。
入院した当初、主治医となる医師には、胃ろう等延命治療はしないことを伝えていました。
病院は治療をするところです。
胃ろう等、医療行為をしない義母を入院させておくわけにはいきません。
ホームにその旨、連絡し、退院させることにしました。

1週間ほどで退院した義母は入院時より、また痩せていました。
ホームでは1日、5、6回に分けて食事を摂る工夫をし、なんとか口から栄養を摂る対応をしてもらうことになります。
内科医が経営しているホームということもあるのか、平日の日中は看護師さんが常勤しています。また、入居以来、定期的に状況を診てくださっている主治医もいます。
同じホームに義父も暮らしています。
義母はこのホームで看取りをお願いすることにします。
ホームなので施せる医療行為に限りがあるとの説明を受けます。
口から栄養を摂ることができなくなったとき、胃ろうはもちろん、中心静脈点滴での栄養補給もできないとのこと、一般的な点滴のみになるとのこと。
点滴のみになったら、その状態で命を繋げられるのは1ヶ月ほどだとも言われます。

退院してからしばらくはホームのワーカーさんの手厚い対応で1日数回に分けて口から栄養を摂ることができていたようです。
年が明け、しばらくすると今度は義父が入院しました。嚥下による肺炎です。
義父の入院中、義母のワーカーさんから連絡が入ります。
水さえ嘔吐するので口からの栄養はストップすることと酸素投与を開始したことを告げられます。
ホームの主治医と義母のターミナルケアについて意思確認が行われます。
痛みを伴う医療行為はしない、穏やかに暮らしてもらう等書かれた書面に署名をしました。
その後、入院中の義父の病院に連絡し、義母の状況がよくないことを伝え、退院できないか打診します。義父の肺炎の数値もなんとか落ち着いているとのことで退院許可をもらい、義母のいるホームへ連れて帰りました。

それから1週間ほどして、ホームの主治医から連絡が入ります。
義母の状態が思わしくないので会わせたい人がいれば連絡して会わせてください、と。
コロナ禍の中、本来なら面会はできないホームですが、状況が状況なのでいつでも義母に会いにいける待遇となり、私は毎日、仕事終わりに義母に会いに行きます。

会わせたい人がいれば・・・との連絡を受けた日、仕事帰りに義母の顔を見に行きましたが、もともと色白で血色の良い義母は相変わらず血色の良い顔色で、本当にそんな状況なのか?と疑うほどでした。
順番に義母に会いにきた子ども達も、義母の顔色の良さにそんな重々しさを感じることがなく、まだまだ大丈夫そうと思ったようです。

義母が亡くなる前日の夜、私はいつものように仕事のあと、義母に会いに行きました。
この日の義母は前日よりワントーン顔色が悪くなっていました。
その姿を見たとき、ああ、もうそろそろなんだ・・・と実感したのを覚えています。
その日の夜中、ホームから電話がありました。2時40分ごろです。
夜勤の顔馴染みの男性のワーカーさんです。
「血圧が下がってきています。主治医に連絡すると家族さんに連絡をとのことで電話しています」と。

そこから準備して車でホームに向かいます。夜中ですので15分ほどで到着し、それからずっと義母の側に座っていました。
1時間半ほど座っていました。
最期のときは寝ていたであろう義父を連れてきてもらい、大好きな義父に見守られながら義母は息を引き取りました。
心拍数が0を示しているのに心電図のグラフは最後の最後まで綺麗な形をしていたのが記憶に残っています。

その日の夜勤のワーカーさん、二人とも義父母が入居して間もない頃からお世話してもらっている、7、8年来の顔馴染みの方で、その二人に最期のお世話をしてもらえたのも、よかったという思いと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
それから1時間ほどして主治医が来られ、義母の状況を確認してもらいます。
義母の死亡診断書に書かれた時刻は実際に義母が息を引き取った時刻ではなく、主治医が認めた時刻でした。死亡時刻はそんなに厳密でないのでしょうか。医師が認めたときがそれになるのでしょうか。
そして、死因欄は老衰と書かれています。
82歳の義母には老衰は似合わない気がしたのですが、最後、口からモノを食べれなくなりフェードアウトしていく様子はやはり老衰なのでしょう。

その後、ワーカーさんに義母の身体を綺麗に拭いてもらい、私が買った洋服を着せてもらいました。
最後まで義母に話しかけながら、義母の思い出話をしながら、着替えをしてもらえたのでホームで看取りをお願いしてよかったとほっとしました。

延命治療をしないこと、入院せずホームで看取ってもらうこと、義母の意思を確認したわけではありません。
10年近く住み慣れたホームで、義父のそばで、顔馴染みのワーカーさんに看取られるのが義母にとっては幸せなことではと考えたのはこちらの勝手な思いです。
義母のお通夜のとき、何人ものワーカーさんが最後のお別れに来て下さったことが本当に嬉しく、ホームの方々には感謝しかない気持ちです。

義母は多分70歳ごろにアルツハイマーを発症しています。
いろんなエピソードを繰り返し、アルツハイマーと診断されたのは72歳だったと記憶しています。
そのときにはすでに今日が何月何日かもわからなくなっていて、今が夏なのか冬なのかもわからず、アルツハイマー中期で要介護2と診断されました。
義母のお茶目なエピソードを思い出しながら、ボチボチと綴っていきましょう。