2021 | 5月 | 4月 | 3月 | 1月 | ||||||||
2020 | 11月 06 | 5月 | 3月 | 1月 | ||||||||
2019 | 12月 | 11月 | 10月 | 8月 | 4月 | 2月 | ||||||
2018 | 11月 | 9月 | 8月 | 7月 | 6月 | 5月 | 3月 | 2月 | 1月 | |||
2017 | 6月 | |||||||||||
2015 | 12月 19 後見制度信託支援(誰を支援?)も無事終了〜(^O^)/ “弁護士に預けていた義母の通帳も無事に返却される。
解約された通帳と新しく契約された信託銀行の通帳と契約書のコピー。
義母の生活を支える通帳は、年金が振り込まれ、ホーム代やデイサービス等、義母にかかる費用が引き落とされる、幾ばくかのお金が残されている。
入ってくる年金より出ていく費用が多い分、その補填用に半年に一度、信託銀行から振替られるシステムになっている。
これについては毎月でも3か月ごとでも希望をいえた。
5月末に2人めの成年後見人として任命された弁護士が11月末に辞任するまでの費用、3万円にプラス消費税カケルことの6カ月分が弁護士報酬、その他交通費等実費4000円強はすでに引き出し済み。
とまぁ、成年被後見人信託銀行契約は無事に完了。
今後も成年後見人として業務を行うことになる。 これ、今回を機に、この親族はやっぱりお金を使い込む恐れ有りと弁護士が判断したら、監督人が選任され、永遠に毎月の報酬が発生するという流れもあった。
それを阻止できたから、半年分の弁護士報酬には目をつむろう。 成年後見人になると年1回の事務報告書を提出しなければならない。
収支報告と成年被後見人の生活状況などを報告する。
うちは11月に成年後見人として法務局に登記された。
その翌年の11月に裁判所から、事務報告書の用紙とともに提出期日・提出指示が送られきた。
その次の年である昨年は11月が終わっても、裁判所から何も音沙汰がない。
年末の忙しいときに何しとんねん!としびれを切らした私は、自主的に事務報告書を仕上げて送りつけた。
裁判所に質問等があるときは、『連絡票』という書式に従えという最初の指示通りに、
『今回は事務報告書提出指示はないが、これは1年に1回の提出やないのか?』という、『連絡票』も添付する。
書類一式が届いた頃に、電話がある。
「忙しくて事務報告書の指示が遅れた。」と。
いやいや、忙しいのはこっちも同じやし。
ていうか、うちは成年後見人業務に関しては無料奉仕や。
あんたら、これ、仕事とちゃうかい?!
と、家の中でシャウトする。
裁判所と関わると、私の機嫌が悪くなり、あんたらに言うてもしゃあないねんけどと、家族相手にクソ腹立つ!とぶちまける。 っで、今回。
裁判所強制の信託銀行との契約も、大きい組織相手に小市民が抗っても、時間とエネルギーの無駄と、大人の対応で気持ちよく、言いなりなった。
超協力的に、弁護士の要求には即時回答、どんだけ仕事速いねんのスピードで対応した。
あっちはノロノロ半年かけよったけれど。
今回は、信託銀行契約というイレギュラー発生。
12月になっても、相変わらず、裁判所から事務報告書の用紙も提出指示も届かない。
通帳を返却されるついでに、弁護士に、
「事務報告書、昨年は自主的に(⇦シツコイけれど、ココ大事!)この時期に提出したんですが、今回も出すんですよね?」
「今回は信託銀行の契約完了の報告とともに、僕が11月に事務報告書を提出しているんで12月はいいでしょう。誕生月でいいと思いますよ。」
「母の誕生月ですね?」
「確か、裁判所のホームページ(ウェブサイトと言え!)に事務報告書は誕生月に提出とか書いてあったはずですわ。」
と、奥に引っ込んでそのコピーを持ってきた。 それによると、
事務報告書の方式が変わったと。
成年被後見人の誕生月に自主的に報告しろと。
裁判所からは提出しろという指示は送らんと。
自主的に事務報告書を提出せんかったら、調査人を付すると。
その調査人には成年被後見人から報酬を支払うことになると、
調査人の報告によっては成年後見人を退任、専門職の成年後見人を任命することになると。 いつ、そんなこと決まったんですか?
書面で知らせてこいよ!
昨年みたいに裁判所も忙しいみたいやからと、事務報告書の指示がくるを待ってたら、えらいことになりましたやん!
またいらんお金を巻き上げられるとこですやん!
ワナかよ?! 弁護士から通帳を受理したという書面提出を命じられたので、それに『連絡票』を添付する。
「弁護士に事務報告書は誕生月に提出と聞いたが、それで間違いないのか?」と。
この『連絡票』も、裁判所は電話での対応はしません、書面で寄越せという『連絡票』なんやけれど、回答は電話ですませる。
書面で返せよ。
エビデンスは大事やろ?! 話はもとい、事務報告書の方式変えの連絡なし。
やっぱりワナやな。
こうやって、素人の親族の成年後見人を締めつけて仕事のない弁護士を成年後見人にし、お金儲けをさせたろという魂胆やな。
ちまたでは、年々増殖される認知症。
金融機関や保険会社、介護施設の契約、不動産売買等、認知症の親に代わって親族がそれらとの交渉をするとき、「成年後見人やないと・・・」と拒否される。
なので、親族の成年後見人が増える。
親族の成年後見人は手書きの事務報告書やったりする。
手書きの事務報告書は見にくいねん。
細かいことチェックすんのも面倒やし。
と、裁判所の仕事が増える。
せや、俺らの仕事を弁護士や司法書士にふったらええねん。
費用は認知症本人に出させたらいいやろ。
親族が成年後見人やとお金を使い込むのを理由にし、認知症のお金を信託銀行に集めよう。
タンス預金も何もかも集めたら、ようさん集まるやろ。
認知症の財産は国の財産として把握できるな。
この手続きにも専門職を充てたら、彼らも潤い、信託銀行も潤い、いずれ相続税が発生するときに取りこぼしもなくなるわな。
成年後見人である弁護士が使い込み?
まぁ、そこは専門職やから、性善説で使い込まないであろうを全面に出し、親族が成年後見人は性悪説で使い込む前提でことを進めようぜ(笑) (笑)ってあんた!
私のこの見識、結構ええ線いってる? 何度もいうけれど、
認知症の人の生活を守るためならば、
弁護士も奉仕の精神でもって、後見業務をする。
無料はあんまりやから、もう少し安価な価格でいいんちゃいますの?
その分、認知症の人のシモのお世話をしてくれてはるワーカーさんたちに還元するのが筋とちゃいますの?
ワーカーさんの就業状況がよくなれば、人手も増える。
認知症の人にも温かく接してくれはる。
認知症に人も気持ちよく暮らせる。
ココ、忘れてません?
本末転倒もええとこや。 なんか、方向性がおかしくなってる成年後見人制度!!
こんなことをいう私は、やっぱり非国民(笑)” 11 マイナンバーについて。 “正直申し上げたら、あんなもん無くなってしまえばいいのにと思っています。
ですが、だからといって、受け取りを拒否したりという荒業にはでず、私なりに納得のいく対応を行っています。
我が家にもマイナンバーが届きました。 世帯主も私も留守で、受け取ったのは次男です。
仕事から帰ったらテーブルの上に放り投げられていました。
世帯主宛、そこに住民登録している家族分が入っています。 現在、私の実家に居候している長男は住民票の異動を行っていないので、彼の分も同封されています。
私でもようせん、アジの三枚おろしを嬉々としてやる、趣味は料理と豪語する苦学生です。
バイト先からマイナンバーの提示を求められたからと、コピーを取りにきました。 「あんたなぁ、わかってるか。マイナンバーの取り扱い方。」と懇々と説教を垂れます。
「バイト先やからって言いなりにマイナンバーを提示して、ええ加減な対応を取られたらな、ちゃんと意見しやなあかんで!」で締めます。
面倒くさいオカンですw 彼が居候する私の実家に住民票があるのは父ですが、長いこと入院していて不在。
居候の長男は大学生にて日中は不在。
父のマイナンバーは郵便局の不在連絡票が入り、父の代理である私が受け取りに行くのか?
私でも受け取れるのか?と危惧していたのですが。
居候の身分の、そこに住民票もない長男が、難なく簡単に受け取ってしまいます。 「じぃちゃんのマイナンバー、きたで。」とLINEで知らせてきます。
呆気にとられます。
なんなんですか?
その軽いノリの配達!
ええねんけどね、私がわざわざ受け取りに出向く手間が省けたから。 別のところにいる母のところにも届いたようです。
こちらは自分で受け取ります。
「ココ(胸の辺りに手を置き)から上の写真、撮りに行かなあかんわ。」とか言うてはります。
「写真なんか撮ってどうすんの?」
「個人番号カードにいるんやろ?」
「しょうもないこと考えんでええねん。この先、あと何十年も生きるん?いらんやろ!個人番号カードなんか、ややこしいもん作らんでいいねん!」と一刀両断です。
すでに立場は逆転し、母の身元引受け人は私です。
私には責任がございます。 昨夜は娘夫婦がお寿司を食しにお腹を減らしてやってきました。
嬉しそうに個人番号カードを手に入れようとしているから、
「いやいや、な、ゴールドカードとちゃうねん、あんなもん、急ぐ必要はない。
バグったらどうすんの?
まずは様子見ぃやな!」
と、iOSのバージョンアップのノリで阻止です。
娘婿からしたら義母です。
怖い姑ですw
ちなみにiOSのバージョンアップはバグるの想定内でいそいそと行います。
そんなこんなで住基カードのようにフェードアウトしていってくれんかと、
ここだけの話、切に願っています。
ハイ、私は非国民です(笑)” | 11月 28 27 介護負担割合2割は大きい(*´°`*) “長らく引きずっている、成年後見人の信託銀行制度の手続き。
前回の投稿を小耳に挟んだのか?というぐらいのタイミングで、弁護士からメールが届いた。 それも仕事を終えて帰宅した日。
ここ数ヶ月の施設利用代の引落額がそれまでに比べて4万円ほど多い
と。
信託銀行との契約も済み、裁判所に最後の報告をするにあたって、その増加した4万円の説明がいると。
施設代の近々の請求書・領収書を送れと。
仕事から帰って今からご飯を作るのにってときよ。
これだけ時間かかって、最後にまだ資料請求かい? 義母の通帳一切合切が手元にない私は、施設利用代の請求書と領収書と通帳の引落金額のチェックなんかでけへんから、
ここ数ヶ月はノータッチやし。
請求書の封筒すら開封してへん。
ていうか、理由はわかってるねん。
夏から介護度が5になったし、介護負担割合も1割から2割になってる。
ただ、それで、トータル4万も上がってるのには驚き(°0°)‼ クソ腹立つから、ご飯が済んだらPCを開けて、近々の請求書と領収書をPDFにする。
施設ごとにフォルダに入れる。
介護負担割合2割、介護度5のお知らせもPDFにする。
全部のファイルをまとめて圧縮してメール添付。
理由も書く。 昨年の不動産売却による譲渡所得によって介護負担割合が2割。
来年は1割には戻るとは思うが、今年は大赤字です!
おまけに先月から車椅子リースも始まってこちらも2割負担。
オムツなどの雑費負担も増加。
費用がかさみます!!!
と書く。
暗にあんたに支払う報酬がもったいない!を匂わす。 私が頼んだ話なら文句も言わへん。
国の方針か裁判所の指示か知らんけれど、意に反したものに、最初の話と違う日数がかかって、いったいいくら払うねん!?
そんな折、一昨日、裁判所から審判書が届いた。
弁護士解任のお知らせ。
手続き費用は成年被後見人が負担すること。
やって。
これでやっと『後見支援信託銀行制度』も終結を迎えるのであろうと思われる。 いや、通帳の返却はまだやし。
何しとんねん。
私からコンタクトとらなあかんのんかい?!
ていうか、手続き費用は弁護士の言い値?
そこは裁判所は関与しいひんのんか?” 16 胃カメラを飲む・・記憶がない(;゚Д゚) “先月、某ラーメン屋さんのラーメンがトリガーとなった胃痛。
「念のため、胃カメラ飲んどきます?」に
「せっかくやから飲んどきます。」で予約をした。
そのときの胃痛は「たぶん、胃が荒れているのでしょう。」で胃酸過多の薬を2週間もらう。
それで、症状は治まる。 本日、胃カメラを飲んできた。
10年ほど前に別の病院で胃カメラを飲んだことがあるけれど、オエオエした記憶しかないというもの。
今回は「オエオエは感じません。しんどくないようにします。」と前振りがあった。 病院につき、外来から消化器内科の受付へ。
外待合に設置してある血圧計で血圧測定。
106と69。
平常心やな。よしよし。 しばらくすると中待合に呼ばれる。
いくつかのカーテンで分けられている胃カメラブース。
「胃をキレイにするお水です。飲んでください。」と紙コップに入ったお水を渡される。
一気飲みする。 私の隣にはすでにお水を飲み終えた様子のおばさん。
胃カメラブースの中から聞こえる看護師さんの声。
奥のカーテンの中から女性が出てきて、紙コップをおいてある洗面台でぺっとブツを出す。
なんやろ?なんやろ?と気になる私。 注射器を持った看護師さんが私の前に来て、
「お口を開けてください。喉の奥にゼリーを入れます。5分ほどしたら、吐き出すか飲み込んでくださいね。うがいは絶対しなでください。」と、
言われるままに口開ける。
時計で時間を確認する。 トロ~リ感が広がる。
なんだか喉の感覚が鈍くなってきた。
喉の感覚を麻痺させるものなんや。
ならば、喉の奥にそのトロ~リが確実に届くよう少々上向きになってみたりする。
隣のおばちゃんも洗面台でぺっと何やら吐き出す。
あぁ、さっきの女性のはこれか・・と思う。
看護師さんは吐き出すか飲み込むかっていわはった。
さぁ、私はどうしょう~。
飲み込んだほうが麻痺が確実かもしれないと勝手な解釈で、味を確かめる。
ごっくんできそう。
5分経ったのを確認して飲み込む。 しばらくすると目の前のカーテンが開き、名前を呼ばれる。
ベッドに横になるように言われる。
ブーツがなかなか脱げない。
横になった私に
「注射をします。どちらの腕がいいですか?」と聞かれる。
「どちらでも。」
「今まで、注射で気分悪くなったことはありますか?」
「ありません。」
注射で気分、悪くなる人がいてるん?と聞きたいのを堪え、
「これって何の注射ですか?」と聞く。
「検査をしやすいように、頭がボーとして眠くなる薬が入っています。」
といわれ、針を刺され、
「じゃ、薬が入ります。検査が始まって胃カメラが入っているときはつばは飲み込まないでください。口から出てきてもそのままで、これで受けますので。くれぐれも飲み込まないように。」
を聞いて、
気が付いたら外待合に座っていた。 やたら眠たい。
胃カメラが入れてはる。
先生が、「これで終わります。胃カメラを抜きますね。」
夢なのか、現実なのか・・・・ 時計を見る。
あれかれ小一時間。
前に座っているおばちゃんに話しかけられる。
中待合で隣にすわっていたおばちゃん。
「このあと、診察はあるの?」と聞かれる。
「はい、診察があるって言われましたので。」とはっきり答えたが、そんなん言われたんやろか?
握っている紙をみると、赤マジックで囲まれた診察あり。
おばちゃんに、
「ほら、ここに赤く記されていますわ。」という。
「あら、私はそのまま会計へやわ。じゃ、会計に行けばいいんやわ。」
「そうみたいですね。」と
また眠けに誘われる。 うつらうつらしながら、自分でちゃんとブーツを履いて、荷物を持って外待合のベンチに座ったのか?
そこの記憶が全くない。
怖っ・・・ だんだんと眠気がましになってきたころ、診察室から呼ばれる。
「良性のポリープがあるけれど、心配はいりません。まあ、年1回ぐらいは検査すればいいでしょう。あと、ピロリ菌検査とかありますけれど、どうしますか?」
「せっかくやから、受けます。」
「じゃ、採血して帰ってください。1週間か10日したら結果だけ聞きに来てください。」
「はい。」
「もしピロリ菌が見つかったら治療します。」
「それってどんな治療ですか?」
「薬を飲むだけです。じゃ、これで今日はこれで終わりです。」
「はい、ありがとうございました。」で採血ブースに向かう。 本日二回目の注射針。
おっちゃん下手やし。
刺してから血管探すなよ! 帰宅後、爆睡。 身体を横にするといつでもどこでも爆睡する性質やからか、麻酔が効きやすいのか、胃カメラを飲んだ記憶すらあやふやな状況がなんだかなぁ。
ほんまに検査をしたんやろか?
あの良性ポリープの写真は私のんやろか? 次回の検査のときはなんとかして検査を受けた実感を味わいたいものやわ。
ということで、先月の胃痛はあのラーメンが原因ということで一件落着。” 15 いつまでかかっとんねん!信託銀行の手続き( ̄^ ̄)ゞ “あれは9月半ばのこと。
義母の通帳の一切合切を弁護士に預けた。
弁護士といえ、人間やから信用でけへんし、前日に通帳中身を集計しておく。
当日、提示された弁護士作の預かり書と照らし合わせる。
当たり前やわな。
これがあるから、義母は優雅に暮らせてはるし、私も在宅でお世話せずにすんでる。
これがなくなったらえらいことやし。 弁護士事務所では、今後、通帳名義が成年後見人弁護士○○と、一旦は弁護士名義になって、信託銀行と契約するという説明を受ける。
えっ、それって超不安。
成年後見人としてとはいえ、義母の通帳名義が弁護士名義になるって怖っ。
世間では、新聞沙汰になっているのは、弁護士の使い込み事件やし。
そんなことになったら、裁判所にも責任を取ってもらわなあかんよな! 信託銀行との契約にあたって、まずは裁判所にこの数ヶ月の結果を報告するらしい。
月々のお金の管理をちゃんとしているか?という結果を踏まえて、今後もうちが義母の成年後見人として適当かどうかの弁護士の見解を提出し、裁判所が審判を下すという流れらしい。
なんども言うが、義母の生活しているホーム代もデイーサービス代もホームで受ける往診代もすべて引落しやから、どこをどうごまかすねん!綺麗なもんや!
超~~~シンプル!!
お金のことはシンプルにするのが鉄則や。
それでもその管理状況を3か月間チェックされた。
時間稼ぎとしか思われへん。
そんなもん、今までの一枚40円でコピーした資料で判断できるやろ!! っで、10月の最初に「裁判所の審判が下りた。」と。
引き続き、うちが成年後見人でOKだそうで、今から信託銀行との契約に入る弁護士から連絡が入った。
それからひと月以上、月日は流れた。
音沙汰なし。
どないなってんねん!! 2月の裁判所での説明会では、信託銀行の契約(預けている口座を解約して信託銀行に口座を開く)は、ご家族さんと弁護士さんが二手分かれて対応すれば、弁護士費用を抑えられるという話やった。
だが、実際は弁護士に全ての預貯金通帳を預けて、弁護士がひとりで処理する流れよ。
あの説明会では、弁護士を通帳を預けることになるんてひと言もなかった。 話は戻る。
現時点では義母の口座名義は、「義母の名前 成年後見人弁護士の名前」となっているはず。
なんか、これも納得でけへんねんけど、しかたなく飲んだ。
信託銀行との契約が済めば、弁護士は成年後見人を解任される。
当然、義母の口座名義から弁護士の名前は消える。
いや、消す作業をこちらがするわけやけど。
そのことを通帳を一切合切預けたときに確認した。 「そうです。僕が解任されたら成年後見人はご主人だけになるので口座名義の変更をしてください。
但し、そのあとは口座名義には成年後見人としてご主人の名前はつきません。
信託銀行に預けるのは成年後見人が勝手にお金を出さないためですから。」やて。
出た!この疑われようよ、気分悪いったらない。 2月の裁判所の説明会では、
「ご家族さんの負担を軽くするためにシステム。」ときれいごとを言うていた裁判所のこれが本音か。
わかっていたけれど、言葉にして聞くとめちゃ気分悪い! 通帳の名義が持ち主の名前になるならそれでOKやろ。
ていうか、この信託銀行に預けるシステムは裁判所の承諾がないとお金を引き出せないっていうものやろ?!
まぁ、弁護士って言う職権を悪用したら出せるかもしれんけど、うちには出されへんってことですやん。
私は、弁護士を疑うわ!
これだけ最初の話と違う状況になってきたら、裁判所とグルかよ?とさえ思えて仕方がない、この信託制度。 現時点ででは、義母の成年後見人は弁護士とうち。
成年後見人は定期的に被成年後見人の様子を確認するのも仕事。
なので、弁護士は一度だけ、義母の様子を確認にホームにきた。
いやあれは、うちが成年後見人としてちゃんと義母のお世話しているのか?というチェック。
それも裁判所に報告しなあかんしな。
ちゃんと報告してくれたんやろか?
週一の訪問は欠かしてないってこと。
ホームでは週一ペースで会いにくる家族はそうおらんと、ケアマネさんにもワーカーさんにも感心してもらっているねんけれど、そのあたりも調査したんかい?
ていうか、弁護士さんよ、帰りしな、「お母さん、また、来ますね。」って調子のええこというて、それっきりですやん。
口だけかよ。 歩くという行為もかなり忘却の彼方になっている最近の義母はとうとう車椅子のリース契約をした。
口だけは達者やから、同じフロアの利用者さんの気分を害することを発して、喧嘩勃発。
トラブルメーカーとなっている。
私は「迷惑かけてすみません。」と謝る日々やし。
高いお金を払っているから、自室に閉じ込められることもなく、ワーカーさんたちはいろいろ工夫をして、他の利用者さんとの揉め事が起こらんようにしてくれてはる。
これも義父が自分の預貯金を義母名義に変えて、義母の預貯金を増やしてくれたおかげ。
大事なお金や!
そう思ったら、ますます、いつまでかかってるねん。
信託銀行との契約。
1カ月以上もなんでかかるねん!! マジで一抹の不安をかくされへん。
私の危惧がマジになったら、弁護士を指名してきた裁判所に責任とってもらうしかないよな。 世間では認知症が増える一方らしい。
今後の注目される、認知症産業のひとつとして、この支援信託銀行のシステムは、それに関わる弁護士と信託銀行四行を潤すであろう・・・・ということで認知症産業の展望を語ってみた。
オワリ。” | 9月 06 成年後見人~信託銀行制度~話が違う(´・_・`) “成年後見人信託支援制度、なかなか進まない。結局、弁護士のご希望通り半年かかって、半年分請求される感じか…
いや、それ以上、かかりそうな流れになってきている。 ほんま、家裁のあの女性の話はアテにならん。
弁護士に気持ちよく協力したら半年もかからず費用を抑えられるという説明は、その場限りの出まかせってことがよくわかった。 先週末、義母名義の金融機関に行って、預けている定期の現時点での利子の明細書を発行してもらった。
この作業にも成年後見人登記事項証明書と思い、東京の法務局に請求した。 その数日前、弁護士から利子の明細書交付指示の電話があった。仕事中に。
登記事項証明書が必要になるというから、
「東京の法務局から取り寄せる。」という私。
「谷四の法務局に行けばすぐですよ。」
「谷四は成年後見人本人が行かないともらえませんやん。」
「あっ、僕やったらもらえるねんけど。なんやったら僕がしよか?」
「いえ、結構です。東京の法務局に郵送で請求します。」というやりとりがあった。 そら、そうやろ!
貴方は高いお金と手間をかけて弁護士になりはったんでしょ。
私はただとおばちゃん。
私と違うのは当たり前ですやん。
そんなこといちいち言うなよ。 ていうか、あなたが動くと高いお金がかかる。
私は無償でやっとねん!!
私は小銭を稼ぐのに忙しいねん! そんなことがあって、明細書を発行してもらいに金融機関に行った。
明細書の発行には成年後見人登記事項証明書は必要はなかったらしい。
っで、顔なじみの窓口のにいちゃん相手に、今後、このお金はよその信託銀行に移ることになりまんねんとか、愚痴る。
「国の陰謀としか思えん。」と超辛口なことも口走る。 窓口のにいちゃん、成年後見人登記事項証明書を見ながら、「口座の登録をしなあきませんわ。」とおっしゃる。口座名義◯◯ 成年後見人△△としな出金できませんとか。 現時点、信託支援制度の真っ只中、成年後見人はうちと弁護士と連名。
「弁護士の先生とご主人と2人の名前にしやなあきません。こればっかりはご本人に出向いてもらわなあきませんねん。」とおっしゃる。
(なんで、先生と呼ぶん?とツッコミそうになる。陳腐すぎる。)
そら、しゃあないなあ〜と今後の流れを説明する。
「信託銀行にお金を預けたら弁護士は成年後見人を退任して義母の成年後見人はひとりに戻るんやけど…」
「現時点で2人なら2人のお名前。変更があれば変更してからまた手続きをしてもらわないとあかんのですわ。」
「そうですの?そら、しゃあないわなぁ。」
と、帰宅し、弁護士にその旨と明細書の交付済みをメールで知らせる。 即、電話がかかってくる。暇なんか? 「口座名義の登録は僕ひとりでもいけるはずなんやけどなぁ。いっぺん近所の金融機関に聞いてみますわ。」やて。
自分の事務所の行きつけの金融機関なら・・・ってニュアンスが気に食わない。
弁護士の職権利用?
結局、弁護士の名前だけ登録することになる。 フーーーン。別にええねんけれど。
このあとや。 「来週、こちらに来てもらえますか?そのときに全ての通帳とキャッシュカードを持ってきてください。
信託銀行の手続きに入るよう裁判所に書類を出して審判が下りれば僕が信託銀行と契約をします。
その間、通帳を預かります。」
「それはひと月ぐらいですか?」
「いえ、だいたい3ヶ月ぐらいはみておいてください。」
「はぁ。」と気乗りしない了承の私。 3ヶ月も預けるんですかぁ!! 「お金が必要なら僕に言ってください。お渡しします。」やて。
義母に係る費用は基本引き落とし。
のっぴきならない出来事、入院するたらそんなことがない限りは、現金を引き出す必要もない。
ていうか、あんたのお金とちゃうやろ?
ていうか、この人、自分のこと、僕っていう。
一般的に社会人は男女関係なく自分のことは「私」やないのか? キャッシュカードも持ってこいと言う。
そこまで疑うのか?
キャッシュカードで引き出すと疑われているとしか思えない。
超気分悪い(一一") とりあえず、了承して電話を切ってからふつふつの沸き起こる不安。
別に疑うわけやないけれど、人間というのはお金に弱い。
自分のお金でないけれど自由に扱えるお金が目の前にあると、魔がさしたりする。
たとえ、それが弁護士であろうとも。
魔がさすやろ、人間やしな。
なっ、新聞沙汰になっているのは、成年後見人の弁護士の使い込み事件やん。 まっ、家裁は成年後見人になってる家族がお金を使い込むテイで信託支援制度とかいうてるわけで。
家裁や弁護士は家族が魔がさすと思っているわけの信託支援制度なわけよな。
その義母の通帳が弁護士の手に渡れば、今度はその弁護士が魔がさすかもって考えるのは至極当然な話。
はい、今度は私が疑う番ですわ(笑) よくよく考えてみ。
義母のお金がなくなったら困るのはうちよ。
ホーム代が払えなくなったら在宅介護をせんならんようになる。
そういうことも考えぇの、毎月のマイナスを補う貯金はあと何年もつかしらん?と計算するわけで。
使い込むわけないやろ!! 裁判所は手間とお金をかけてなった弁護士はそのステータスを失うようなことはせんやろうというので、弁護士を信じているのかもしれないが、それは甘い。
それに、弁護士が使い込みをしなくても、事務員が使い込むかもしれん。
弁護士事務所に泥棒が入るかもしれん。
弁護士に預けたあと自然災害が起こったらどうなる?
通帳が見当たらない、
今までの流れからも裁判所は弁護士の味方をする。
弁護士が通帳を預かっていないと言う。
やっぱり家族が使い込んだのかってなるんやないの?
ちゃんと時系列になったエビデンスは必要やな。 一抹の不安を隠せない私は弁護士にメールする。 確認したいことがある。
通帳を預けるのは構わないが、その際、額面記載の預かり証なりを発行してもらえるのか?
いや、当然、発行するとは思うけれど。
お金がなくなると困るのはうちでその所在を明確にしておきたい。
と書く。 ほんまはもっとイヤミっぽく書きがったが遠慮した。 家裁も信用できない。
説明会のときに、信託銀行契約時には通帳をすべて弁護士に預けるなんてことはひとこともなかった。
それどころか、「弁護士に動いてもらったらお金がかかるからなるべく動いてもらわんようご家族さんがすれば費用を抑えられる。たとえば、現時点の金融機関から送金するのはご家族がして、受け手の信託銀行は弁護士に対応してもらうとか。」という説明やった。 家裁と弁護士の認識の違いなのか?
個々の弁護士によって対応が違うのか?
家裁も弁護士も成年後見人の家族をなめてるとしか思えない。
だから、その場限りの適当な説明会、あとは弁護士に任せたという姿勢。 そして、私は再認識する。
大きな組織に逆らえない無力な小市民。 小市民の心得。
事が起こったときに身の潔白を証明するためのエビデンスは必須。 それと引換でないと通帳は渡さない!
弁護士のことを先生なんて呼ぶか!
と決意を新たに、今週の弁護士との面会に臨もう(^O^)/” | 8月 02 介護保険負担割合証3人分届く。 “2000年に介護保険制度が始まってから、いろいろ試行錯誤されているのであろう。
介護保険制度のおかげで、認知症2人(要介護3と4)、脳梗塞1人(要介護4)、老人性鬱1人(要支援1)を抱えても、やっていけてる私。
介護保険制度がなかったときなら、大変やったであろうと容易に想像できる。 私のプチ介護元年は2008年。あれから7年。
同時進行で仕事にしながらも子どもたちの高校及び大学受験を終えられた。
ひとえに介護保険制度のおかげやわ。 介護保険制度が始まって15年。介護保険を利用する高齢者も増加したらしい。
いや、周りを見る限り確かに増えている。
介護保険制度は要介護度によって使える点数が決まっていて、その点数内でうけるサービスを実質かかる費用の1割負担で利用できるというもの。
どの人も1割負担で利用できていたが、この8月(2015年8月)から、一定以上の収入のある人は2割負担になる。 その負担割合が記されたものが送られてきた。
ある一定金額。
義父がぎりぎりオーバーの2割かなと思っていたら、なんと義母までも2割。
義母単独の年金なら非課税なので1割負担のはず。今までなら。
ん~考えられるのは、昨年の不動産売買による譲渡所得(当然、義母名義で確定申告をしている)がプラスされて、今回は2割ってことなんやろうなぁ。
住民税も今回は非課税ではなかったし。 譲渡所得申告のとき、契約書に記されている額面金額しかわからず、実際にその家を買った金額(領収書)がなく、その時の相場で計算をしてもらった。
そのときの税務署相談コーナーでの税理士さん(たぶん)曰くには、「実際はこの金額より高くで買っているとは思うねんけれど、この相場の金額でいい?この金額にしても所得税はかからんから問題ないと思うよ。」と。
「それやったら別にそれでいいですわ!」で済ませた義母の確定申告。 そしたら、年間5,000円やけれど、住民税の納付書が届いた。
えぇ~非課税ちゃうんやん!
ま、5,000円一回だけならええやと軽く考えていたら、ここにきて介護保険負担割合が2割って!
これは大きいやん。
今年の8月から1年間、2割ってことはえらい大きいやん。 実父は脳梗塞後遺症による左半身マヒという状態なので病院に入院。医療費控除扱いが年間で100万円を超える。
認知症である義父母の場合、生活をしている場所が有料老人ホーム。往診やリハビリ等の医療部分だけが控除対象なので二人で年間20万円ほど。
認知症も脳梗塞も人の手を借りなければ生活ができない状況は同じやのに・・・・ そういえば、隣のおばちゃんは足が不自由。人の手を借りなければ買い物には行けないし、病院も郵便局にも行けない。ご主人もお子さんも先に他界されてひとり暮らし。
こんな状況でもやっと要介護1。
手が普通に使えるという点で介護認定が軽く済まされているらしい。
手が動くから時間がかかっても、食べることはできるから。生きていけるから。 在宅介護推奨のため特別養護老人ホームの入所は要介護3からとなった。在宅で介護をしたことがないので在宅介護をしてはる人には申し訳ないが、要介護2であったときに認知症の義母を在宅で介護しろといわれたらと想像してみる。
子どもの受験どころの話ではなかったであろうし、仕事も辞めなければいけなかったであろう。 これからまずます高齢者が増えていくであろう。介護保険制度もまたいろいろ手直しがされていくのであろうが、改悪制度にならないことを願う。” | 7月 31 17 弁護士もただのにいちゃんww “家族が成年後見人をしている場合、被成年後見人の財産を横領するに違いない思考での国が決めた制度。
後見制度支援信託。
昨日、義父母ホームの帰りに、義母の成年後見人申立に付き合っていただいた社会福祉士さんに会い、今回の支援信託の詳細を説明する。
社会福祉士さんですら、この支援信託制度の詳細を熟知しておらず、1月の説明会の様子から弁護士選出およびその費用などなど、説明する。
お金を預けなさいという信託銀行が四行に指定されている点に、「えぇ~なんか策略を感じるなぁ。それ!」と真っ当な感想をもらしはる。 高齢化社会となり、認知症の高齢者が増えた。現在の80代の高齢者は転職することなく同じ会社で30年、40年勤め上げるという世代。戦後の動乱の中、高度成長期の日本を支えた世代。物資のない時代を過ごしたその世代はモノを大切にする。無駄遣いをしない。ゆえにそこそこの預貯金を保持し、年金もそこそこ受給。
少しでも利息を増やそうと定期預金に預ける。
年齢を重ね、認知症を発症。施設にはいるとか、介護施設と契約するとか、入院するとか、で固まったお金が必要となる。家族が本人の通帳から引き出そうとするが定期預金は本人でないと解約できない。 あぁ、困った・・・・金融機関は言う、「成年後見人制度を利用されては?」
介護施設は言う、「社会福祉士さんに相談したら成年後見の申立もご家族でできるのでは?」 そして、自分が死んだら家族に譲ろうと思っていた認知症の方の財産は、国に吸い取られるというワナにはめられる。 そのワナにまんまとはめられた我が家は、本日、弁護士が義母に会いにやってきた。
10時半の約束ではあったけれど、絶対早めに来て、探りをいれよるに違いないと思った私は弁護士より早く行っといたろとホームに向かう。
ホーム事務所の人には来訪する弁護士名を伝え、来たら義母のところに案内してくれるようにお願いする。 ホームの管理者には前日、
「いよいよ明日来はるねん、弁護士。」
「何しにくるん?」
「えぇ~最初はおかーさんの財産を信託銀行に預けることを確認するとか言うてたけれど、そんな話、理解できるわけないし。」
「ほんまやねぇ。」
「あとは、あれちゃう、成年後見人としてちゃんとおかーさんの面倒をみてるかどうか?を確認しにきよるんやろ。それで成年後見人として認められんかったら、成年後見人を辞めさせて弁護士の成年後見人を選出しようと思っているんやない。」
「どこの家族よりしょっちゅう来るし、ちゃんとしているって言うとくわ。」
「頼むわ。」
と話済み。 また、弁護士面会時に義父が義母のところに下りてきたらややこしいので、義父の階のスタッフさんに義母のところに弁護士がくること、その間、義父が下りてこないようしてほしいと頼む。
スタッフのお兄ちゃんは、「えっ?弁護士!!」と弁護士にビビるから
「あぁ~ただのおっちゃんや、どっちゅうことあらへん。」と言うとく。 当然、義母の階のスタッフさんにも、弁護士来訪のことを告げる。
「おかーさんはいつも通り、ここに座ってもらっていいし、ここで弁護士に会ってもらうから。別室で面会なんかしたらおかーさんが精神的に不安になるし、そんなことは必要ないと思う。」で、本日を迎える。 そして、予想通りに10時過ぎにやってきた。
第一声が「僕がくることをおかあさんには説明されました?」と。
「いえ、していません。」
してもわからんし。
ていうか、どう説明するねん。
ていうか、したところで数秒前のことも忘れているしな。 義母の前にいる弁護士のことを、
「この方は弁護士の〇〇さんやで、おかーさん。」という紹介すらしたれへん私。
いらんやろ、必要ないやろ。
「にいちゃ~ん。」と紹介の必要なく、弁護士を兄ちゃん呼ばわりする義母。
行け!行け!!行ってまえ!!
「にいちゃん、ほっぺたがまるぅって可愛いのぉ~。」
にいちゃん、自分のぽっぺったを撫でて苦笑い。 にいちゃんを連発する。
おもろい!
「・・・・、なぁ、みっちゃん。あれ、みっちゃんじゃったのぉ?」
と私に確認する。
そしたらここぞとばかりににいちゃん、
「みっちゃんってわからないの?みっちゃんはよく会いにくるの?よく来ないからわからないの?」とか聞きよる。
出た!成年後見人としてちゃんと面会しているかどうかの確認。 意味プ~の義母は話が転々とする。
そしたら、また、弁護士が食らいつくワードを発する義母。
「銭が・・・・。」の銭に食らいつき、
「おかあさんのお金は誰が持っているの?」とか聞きよる。
わかるかぁ!
義母が何って答えるか、私は無言。
「誰ってか、あそこにいてる人じゃ。」と前を歩くワーカーさんを指す。(笑) 「ほんま、にいちゃん、まんまるぅて可愛いのぉ。」と小太り弁護士をいじる義母。(大笑)
義母の前であの12,000円の金粉入りか?のコピーの綴りを広げるし。
「にいちゃん、分厚いもん、もっとるのぉ~。」
「おかーさん、勉強しはるみたいやわ。」と言うといたる。
そんなこんなで、15分ほでお暇するかと思っていたら、30分もいてるし。
その間、普段通りに仕事をするワーカーさんたちは、私と目が合うと目配せしはる。
明らか、弁護士ひとりアウェイ状況ですやん。
いつもはお茶をいれてくれるワーカーさんやのに、お茶すら出てこない。 「それじゃ、おかーさん、また来ます。」
えぇ~また、来るんかい?何しに来るねん?この空気読めんのか?
と、顔で笑って心で毒づくわたくし。 「じゃ、ちょっと・・・」と私に話があるそぶりを見せるから、
「おかーさん、ちょっと待っててな。」と1階まで下り、面会室を借りる。
「おかーさん、かなり進んでますねぇ。」
だから、言うたやろ?!信託銀行のことなんか聞いたところでわかりません。ってこの前いうたやろ?!
「状況の変化は怖いんですわ。怖いとやたらしゃべって紛らわすところもあるし、だから今日もよぅしゃべってはりましたわ。」と
案にあんたが来て、いったいこの人はなに?って不安がっているねん、二度とくるなよ!と心の中で言う。 ほんま、何がしたいねん。
あんたは認知症の何がわかっているねん?
という思いで、
「私はまたおかーさんのところに戻りますので。」と面会室の前で別れる。
義母のところに戻るとワーカーさんが
「お疲れさんやったね、冷たいお茶でいい?」とお茶を入れてくれはる。 介護に必死の家族の気持ちを逆なでする、この成年後見人制度、及び、支援信託銀行制度。
ほんま、ない(一一")” 13 ガン保険の解約。 “もっと早くに手続きをすればよかった。実父のガン保険の解約。
保険の解約にて、契約者本人でないと解約できないのではと危惧し放置していたが、毎月引き落とされる9,000円近い掛け金。
微妙に下がる年金と微妙に上がる入院代。
ガン保険の契約書をよくよく眺める。 黄金週間前、突然の下血でここ数日の命かも?と危機的状況から脱出した父は細々と命を繋いでいる。
どう考えても今後ガンになったからとその治療をする体力はないし、またしない。
仮にガンが原因で昇天したところで、65歳を超えると死亡保険金が下がる。
半年分の掛け金程度。
ていうか、今の状況なら最期は老衰で片付けられる気がする。
別にそれでいいねんけれど。
ならば、このガン保険は掛けている意味が全くない。
毎月の掛け金のほうが惜しい。もったいない。 解約の電話をしてみることにする。
事情を話す。脳梗塞にて意思確認はできるが字はかけない。私は実の娘。
解約の手続きをしたい。 本人の意思確認ができること、成年後見人がついていないか?の確認。(ついているなら成年後見人でないと手続きができない。)
本人の介護状況が確認できるものの提示ができるかどうか?
すべてがクリアにて解約に必要な書類を送ってもらう。 結構、あっさりと話が進んだ。
これはきっと解約したところで解約金(?)というのか、保険会社が1円たりとも出すことのない保険契約だからなんだと決めつける。
父と私の関係を証明するために戸籍謄本を取り寄せる。
私の身分証明書(運転免許書)と父の介護保険証をコピーする。 本籍地である町から戸籍謄本が届く。
んっ、戸籍抄本でもよかったみたいやね。
謄本には、先々月結婚した娘の除籍及び婚姻の履歴も書かれている。
記念のコピーを取る。なんでやねん(笑) 届いた書類は解約届と念書。
念書は私が手続きしたことに、あとから誰か文句を言ってきても保険会社は受け付けないと理解する。
ちゃうかも?いや、そんなところやろう。 そして小さく書かれている解約金。
あらっ、お金、返ってくるのや。
というても、掛け金3ヶ月分ぐらいやから大したことはないのやけれど。 いやはや、自分の保険契約さえ100%理解できているかというと少々不安なところに、保険契約書だけ預かっても、毎月引き落とされる掛け金がこの契約書とリンクするのか?を認識するにも時間が必要。
日常のバタバタでじっくり理解することもできず、とにかく引き落とされる残高確認と年金の入る様子確認だけで時間が経過。早7年。 ある日突然に始まる親の介護。
そのときに、年老いた親の通帳やら保険契約書やら年金手帳やら一手に預かっても、介護に時間が取られるだけで、とりあえず放置。
この辺りはやはりキチンと整理整頓して引継ぎ書を作っておくべきやな。
自分はまだまだ大丈夫と思わず、ある一定の年齢になるとそれらを用意しておくのは親の務めと思う今日この頃。 しかし、やっぱり、ボケたらあかんわ。
意思確認ができないという点でいろいろ面倒なだけ。
さて、成年後見人がついている義母もガン保険かけている。それも二つ!
えぇ〜いるん?いらんのんちゃうの?
年払いと月払いで年間10万円を超える。
ガンになるんやろか?もうならんやろ?
ガンより認知症のほうが重症やし。認知症保険はないんかい?” | 6月 23 成年後見人制度のこちら側とあちら側、攻防戦 www “弁護士と面談が行われた。
成年後見人が勝手にお金を使わないための支援信託銀行の手続きを進めるべきか、
成年後見人が悪さしないように監督人をつけるべきか、
悪さをする可能性がある成年後見人を解任しプロの成年後見人を選出すべきか。
その判断をするために裁判所選出の弁護士と面談。 はっきりいうて気分悪い話やね。
成年後見人の申立をするときにも確認されたこと。
「借金はありませんか?家のローンとか。」
借金があると横領する可能性ありと赤丸でもつくのか? 成年後見人制度を利用したいと申立をするときには、こちらの預貯金額も提示しなければならない。
そして、その情報をこちらに確認もせずコピーして、今回のこの弁護士に渡している。
個人情報云々は裁判所は関係ないのか?
成年後見人はそんなことをうだうだいう権利はないのか? そして、今回発生する費用を説明しはる。
「裁判所の説明で聞いたとは思うが、信託銀行と契約することになればその費用(20万円)と私の弁護士代が月3万円とあとは実費です。」
成年後見人申立から現在までこちらが提出した資料等のコピー318枚分12720円と、
この弁護士を選出した手続きにかかった費用、合わせて15000円なにがし。
その請求書を提示し、
「これはうちが立替えて裁判所に支払った分なので、まずはこの金額を振り込んでください。」と言われる。 義母のお金で支払うからええねんけどな。
私のお金やないからええねんけどな。
意味わからんし、ぼったくりとしか思われへん。
裁判所のコピー、1枚40円もするのか?!
コピー用紙は和紙か?金粉入り? 「義母もね、77歳で若いし、年金だけやと足りないので毎月10万ちょい貯金を崩してるんですわ。
資料をみてもらったらわかると思うけれど。この状況やと、義母は何歳まで現状維持できるかなと計算するんですわ。」と、
あんたらにお金、払いたくないねんをアピールする。 ちなみに今回の毎月3万の仕事内容。
6月~8月の義母の収支を見て今後の対応を判断するらしい。
義母の収支、私が立替える以外は口座引き落とし。
ひと月たった5、6行。
通帳コピーをFaxして確認。
それで問題のあるなしを判断。
その後、裁判所に結果を報告して、審判を待つ。
今までの資料は何のためにコピーしてん。
それで判断できるやろ?! んー、できんわなぁ。
義母の介護度が3から4になったことをちゃんと報告しているのに。
「お義母さんは要介護3やね?」
「いえ、4です。」
「えっ、裁判所からの連絡には3とあるんですが。」
「いえ、おとどしの報告書提出のときには4になったので、その旨ちゃんと報告していますけど。」
私が出した報告書のコピーを繰る弁護士。
「あっ、25年度分で4になってますねぇ。いや、裁判所からは3と書かれた資料がきてたので。」
誰や?仕事でけへんのは?! 「裁判所は、私が作った報告書、ちゃんと見てはるんでしょうかね?」
「そら、見てますよ。」
「いえね、前年は11月になったらすぐに報告書を提出して下さいってお手紙がきたのに、昨年はいつまで経ってもこなかったんですわ。
私も年が明けると確定申告があるし、ほっといたら年末になるし。最初の話では年1回報告書の提出やったので、裁判所からの催促の前に送ったんですわ。ほんまにちゃんと見てはるんでしょうかねぇ(¬_¬)」
「裁判所もその時期は忙しいんですわ。」
手が遅いから忙しいんとちゃうんかい?
裁判所だけが忙しいんとちゃうわ!! 「こんなんいうたら、ちょっと口が悪いみたいやけど、成年後見人の申立も奥さんがしはったん?この不動産の売買案も?しっかりとキッチリ綺麗にしてはるなぁ。」やて。
今回みたいに無駄なお金を使いたくないねん。な、自分でやったから4、50万は節約できてる。成年後見人として被成年後見人の財産をキチンと管理して守ってるのに、何があかんの? 弁護士事務所を出たとき、
人さまの文言をそのまま受け取る素直でひとの良い相方(義母の成年後見人)は、
「お前のこと褒めてたやん。」と。
「ちゃうやん。あれは嫌みやん。こんなことやられたら、わしらの仕事なくなるやんけ!っていう言い方やったやん。」
資料を繰りながら品定めするような目つき、気がつかんかったんか?
嫌みにしか聞こえへん私は相当ひねくれてるな(笑) そして、私は、えっ、なんのために?と目が点になる。
「一度、お義母さんに会いに行きます。信託銀行の説明をしてもわかりますかね?」
「もうお金の概念はありませんわ。自分の名前も旧姓ですし、年齢を尋ねたら二十歳ですし。」
分からんようになったから被成年後見人になってはるねん。
信託銀行の説明がわかったら成年後見人いらんやろ?
っで、義母に会ってどんな話をしはるん?
どういう設定で会いに来はるん?
まっ、この期間、この弁護士は義母の専門職後見人と任命されているから被成年後見人の様子を見る責務はあるんやろうけれど。 そして、義父の話をふってくる。
義父も認知症ってのに食らいついて、
「お義父さんも成年後見人が必要かな。」
と言わはるからスルーする。
何いうてんねん!必要ないし( ̄^ ̄)ーз
てか、仕事ないんか?ププッ 成年後見人制度は被成年後見人(認知症とか統合失調症とか)の財産を管理し守るという目的ではなかったのか? 小金持ちの認知症が増えると成年後見人にお金の管理をさせなければならない。
家族が成年後見人になると、きちんとお金の管理が出来ない。
悪さをする危険性がある。
いや、悪さをするに違いない。
法律を勉強した弁護士なら間違いない。
弁護士が悪さをしたら職を失う。
そんなリスクを背負うことはせんやろ。
弁護士も借金救済の仕事だけでは足らん。
認知症産業、ぼろ口やな(笑) 同じお金なら、
義母をトイレに連れていくのに汗だくになって奮闘してくれてはる、ワーカーさんに使ったほうが意味がある。 なんどもいうが成年後見人制度を利用しないで済むように親子間で風通しよくしとくべし。
金融期間や生命保険会社などなど、「成年後見人でないと・・・」と拒否しはるので、そんなことがないように準備しておくべし。 そんな折、ごねたら費用が下がるという記事を見つける。→ ココ
てか、ごねたら費用が下がるってのはどうなん?
この記事をよく読むと、信託銀行に預けなさいは『強制』ではなく『提案』とある。いや、2月の説明会では『強制』やったんやけどなぁ。
ちなみにこの信託銀行も裁判所指定の四行限定。国はこの四行を儲けさせたいのか?とさえ、勘ぐってしまうわなぁ。
このあたり、大人の事情が絡み合って、そのしわ寄せが認知症とその家族って感が否めない成年後見人制度やな。
ほんまないわ。
おちおちボケてられへん(T^T)” 14 | ||||||
2014 | 10月 | 8月 29 成年被後見人の不動産売買の続き。 “5月の最初に家裁に提出した義母名義の不動産売買のお伺い書類。家裁の成年後見人ハンドブックによると、申し立てから審判がくだされるまで2週間から3週間らしい。が書類が到着したであろう(簡易書留で送付したので受理が把握できる)その翌日に、家裁から電話。固定資産税の納付用紙に同封されている不動産評価額記載部分のコピーの提示を指示される。
成年後見人ハンドブック記載の不動産売買に必要なもののなかに、不動産の査定書というのはあったけれど、評価額云々はなかったのになぁ〜と思いつつ、もしかしてわざわざ不動産屋さんに査定してもらわんでも、役所から送られてくる納付書付随の評価額云々でよかったのか?と頭をよぎる。 正直、成年後見人になってから(私やないけれど、後見人は家人)、金融機関や生命保険会社とのやり取りの中で、成年後見人が対応するという機会がまだまだ少ないようで、対応の仕方が確定されていないような手探りのような印象を受けている。
この不動産の査定書云々も家裁からいただいた成年後見人としての仕事云々のハンドブックの中に記載されているのに、これも手探りなのか? ま、それはさておき、その評価額記載ページをコピーして送る。よくよく、その額を見ると、家裁にお伺いをたてる売買代金とほぼ同額の評価額になっていることに、このとき気づく。これなら、別段問題なく審判はくだされるであろうと確信する。
そして、2週間から3週間という期日より早く、1週間で審判がくだされた。 裁判所なので案件やなくて事件なわけで、タイトルは審判で、主文もあるわけです。そないたいそうに書かんかて・・・と、こそっと突っ込む重々しい書類。そんなこんなでここからトントンと話が進むかと思いきや、家裁から許可が下りた趣旨を買い主さんに連絡してから3ヶ月音沙汰なし。もういらんのんやろか・・・と言いつつも、こちらも日常のばたばたに放置。数日前にやっと買い主さんから連絡がはいる。予定通り、家裁の審判通り買っていただけるということで、その件で司法書士さんから連絡が入るので今後のことは司法書士さんと・・・ということになった。 あら〜私が作った売買契約書(案)で家裁も許可審判をくだしはったので、当然、これの(案)を外して使うわけやし。私は自分たちでするつもりやったのになぁ。法務局のサイトに行けば、不動産売買による所有者移転申請書の注意事項があるしそれを参考にしたら、なんら問題なく出来るやんと思っていた私。司法書士さんが仲介することで契約に信頼度が増すのは否めないよな。その辺りで、高いお金を出して買う立場からしたらキチンと形を作っておきたいというところなんやろうか?
まぁ、こちらが司法書士さんにお願いしたわけやないし、この際やからプロはどうするのかを勉強させてもらうことにする。 ということで、昨夜、その司法書士さんとお話した。成年後見人である家人はこの手の話は苦手。なので、話が混み入ってくると、タッチ交代。義母所有の不動産についてはなんら問題なく進められるが、家が建っている区画、何十軒かで共同で所有する土地は義父名義。こちらも私たちは手放したいが、ここに関しては義父の承諾がいる。義父に正直に話すのはなかなか難しい。本人は義母のアルツハイマーが治ったらそこに帰るつもりでいてるので、その気持ちを無碍にはできない。今回は義母名義の不動産のみ契約を交わすことになる。 あちらの司法書士さんに今後の流れを確認する。この司法書士さん、ネットで調べると40歳手前。成年被後見人所有の不動産の売買契約は初めてのケースの様子。私は不動産売買は初めてなんだけれど。とても人の良さそうな話し方で好感が持てる。 以前、ちょっとしたことで対峙したことのある弁護士さんがあまりに品がなく、弁護士やからって偉そうにすなよ!と思ったことがある。
今回の不動産買主さんが司法書士さんのことを司法書士の先生と呼ぶのが、どうも解せない。というか、一般的に弁護士や政治家のことを先生と呼ぶことの意味がわからんのよ。あんまり関わりがないからいいんやけれど。 そして、今後、あちらの司法書士さんとのやり取りは、私が窓口ということで携帯番号を渡す。最終、契約を交わす段には、成年後見人が動かなければならないけれど。当然、私も便乗して新幹線に乗って出向く。 義母所有の不動産は田舎やし固定資産税もそない高くはないけれど、いずれ手放すなら継続的に固定資産税を支払うよりかは売買した方が賢明。私たちが元気ならいいけれど、義父母より早くどないかなることがあるかもしれない。その時に後を引き継ぐことになる我が家の子ども達が分かりいいよう、面倒でないように、預貯金資産に変えるのがより賢明。 ということで、年内に契約完了したいものやわo(*^ー^*)o” | 5月 | 1月 | ||||||||
2013 | 12月 30 アホほど集中力があるのに、アホほど注意力がないヤツ(ーー;) “ 朝から罵倒する! 昨日の68000円を振り込みに行ったボンボン。
大学指定の銀行なら、どの支店からでも手数料不要。
だから、わざわざ花園まで行くわと言う話で、家を出たのに。 「母さん、手数料、いってん。しかも、100円足りんかったから、俺が出した。」
70000万円持たした。 どういうことやねん!
と、銀行の振込控えをひったくる。 と、同時に、
「あっ!昨年と同じ失敗してもうた。」とボンボン。 はぁ?
ちゃうやん!
銀行がちゃう!! 「あんたな、何のために花園まで行ったん!母さん、何回言うた?UFJからやと手数料、かからんなあ~って。意味がわかってなかったんか!!」
「わかってたわ。思い込んでたんや。花園で銀行っていうたら、ここしか思い浮かばんかってんや。」
「昨年も同じ失敗したなあ。昨年は、ええわ。初めての経験や。今回はちゃうやろ!同じ失敗すな!」
「思い違いしてただけやんか!」
「アホか!そんなもん、社会に出て通用せえへん!勉強だけが出来たらええっていうもんやない!」
と、ヤツの一番痛いとこをつく。 ヤツは勉強ができる=勉強しかでけへんと思われるのが不服。 「しっかりせぇよ!!」
で締める。
ほんま、バランスの悪いヤツ(* ̄ー ̄) センターまで3週間切り、ナーバスな受験生に罵倒する母って、虐待かしらん…” wordpressのサーバーお引越しをやってみた♪ “トータル5日かかった。大仕事やん。
師走の忙しいときに、思い立ったらやるしかないという行動にでた。
これら(petit*note と petit* とcafe*petit )を置いていたサーバーがいまいち動作が遅い。
そこがどうも気に入らなかったが、大体、MySqlもデーターベースもよくも理解できていないので、wordpressを設置してあれこれカスタマイズするという恐れ多いことをしている私。
さすがに、静的サイトの引っ越しのようにファイルデータの移行で済むとは思えず、いまいち、一歩がでず放置。 が、ふと、スイッチが入ってしまった。
職場のサイトをwordpressで一からリニューアルしたっていうのがキッカケ。 とりあえず、まずは、ネットであれこれ調べる。
一番簡単で一番失敗がないのを選びたい。 とまぁ、まずはFTPでwordpressをごっそりローカルに保存。
だが、たぶん、画像データーはもれがあるのではと、適当にランダムにフォルダの中身チェック。
その後、新しいサーバーにごっそり転送。 新しいサーバーにドメイン登録。
このアドレスにアクセスしたがなしのつぶて。 参考サイトにはデーターベースの移行もある。それをやっていないから?と思いつつ、ふと思い出す。
あぁ~そうそう、ドメインのネームサーバーの変更やん。
と、それ、やってみる。 データーベース接続エラー。
やっぱりデーターベースの移行をしてからやなと旧サイトにアクセス。
データーベースをエクスポートする。
ローカルの保存したそれをエディタで開ける。文字化けしている。
えっ、このまま新サイトのデーターベースに転送していいんか?という不安と、すでにその新サイトで別のwordpressとMTを動かしている。データーベースが存在する。そこにインポートして上書き保存されるとどうなん?
このあたりは、まったく素人にてどうなん?どうなん?状況。 ふと、みると新しくデーターをインポートしようとするサイトはデーターベースが20個作れるとか記載。
おっ、なら、ここで新しいデーターベースを作って、そこにインポートしましょ。
で、ここでたぶん、気づかんうちにやらかす。
新しくデーターベースを作ったはいいが、パスワードが違うといわれ、ログインできない。
まちがっていないはずがログインできず、あれこれ試す。そのあれこれ試す段階で、すでにあるデーターベースのログインパスワードをかえってしまったのか、両方ともログインできない。 既存のデーターベースで動いているwordpressサイトを確認する。
あちゃ~~データーベースの接続が確立できないエラー。
MTサイトは動いている。 データーベースが壊れているのか? 取り急ぎ、wordpressのお引越よりこちらの処理が先と、引越予定を変更。ネームサーバーをもとに戻して、旧サイトにドメインを登録しなおして、旧サイトに戻す。
サーバーのコントロールパネルからデーターベースにログインできない。ログイン不可のエラーはパスワード違い。バスワードの確認ができない。ここはパスワードを再設定しなおすしかないよなぁ。さて、パスワードを変更した場合(すでにこの状況でパスワード変更がされている。)wordpress、MT、EC CUBEはどうすればいいのか?をまたまたググる。
各config.phpの中のパスワード記述を書き換えるだけでよさそう。そのconfig.phpの居場所を探す。変更予定のパスワードの書き換え保存。サーバーに転送しておく。そして、いよいよデーターベースのパスワードの再設定作業。 再設定後ログイン。おっ、うまくデーターベースに入れた。壊れていなかったということで、既存サイトの確認。おぉ~~、ちゃんと動いている。 そして、本来の目的に戻る。
取り急ぎ、旧サイトからデーターベースを再度エクスポートする。私が今回移行しようとしているのはWordpressで3つのサイト。なので、一サイトずつエクスポートする。今度はうまくいく予感。文字化けしていない。何がどうしてこうなったのか不明。
すでにWordpressのデーターはごそっと新サイトのサーバーに移行済。そこで新サイトの新データーベースの情報書き換え(config.php)をしておく。
このあたり、参考サイト記載の順番とはテレコ。まっいいや・・・でエクスポートしたデーターベースを新サイトにインポートする。うまくインポートできた模様。 新サイトでドメインを登録。ドメイン管理サイトでネームサーバーを変更。 30分ほどしたら、新サイトで表示されている模様。おぉ~~ばっちり!
リンク切れやプラグインの不具合をチェック。数か所、不具合を見つける。プラグインを入れ直ししてクリア。 と無事に3サイト移行完了!(^^)!” 29 携帯が壊れた!の巻 “ 朝、6時前に大将の携帯がなる。
早朝の電話=義父
のはずが着信音が違う。 起きる気配がない大将。
誰やねん?!と携帯を見る。
電話帳に登録されていない番号。 仕事のオファーか?クレームか?
とお弁当を詰めながら思考する。
したら、自宅のFAX兼用電話が鳴る。
同じ番号。 「めっちゃ、しつこいねんけど。心当たりがあるなら対応してくれへん?」
と大将を起こす。 大将、折電する。 「あっ!o-yaさん。」
と、
義父母のご近所(同じホーム在住)のo-yaさんらしい。 義父にかわった様子。
携帯が壊れた!
と。
えらいことじゃ!
と。
「まだ、寝てんねん。早よから電話してくるな!」とつれない息子。
はよ、言わないけんと思ったんじゃ。
と。 「今度、行ったときに携帯、見るから。」と切る。 見るからって、見るのは私やん(~_~;) 義父の性格では、壊れた携帯が気になって何もできないやろう。
「今日、行ってくるわ。」と私。 そこに義父からの着信音が鳴る。
o-yaさんが何かボタンを押したら直ったんじゃ!
と。
「あちこち、いらうな!」と、息子シャウト。
o-yaさんにお詫びを言うて電話を切る。 一件落着(^-^) おとついは、
「みっちゃん、お金持ってきてくれたか?」
と、お小遣いを所望。
義父の立場では
嫁からお小遣いを受け取るより息子からの方がいいやろと気を使っていたが、
そんな心配はご無用。
いつの頃からか息子の前でも私に所望する。
なんというか、申し訳ない気分になる。 とりあえず、うちの高齢者4人は、
しょうもないプライドを振り回すことなく、
頼りにしてまっせ!オーラ全開なので、助かる(*^^*)” 26 今年最後の有馬のお父ちゃん(*'▽') “ あいさつ代わりにいつも今日は何日かを聞く。
ボケてへんか確認のため。
が、今日は土曜日やないので曜日を聞くことにする。 「なぁ、今日、何曜日?」
「26日。」
「ちゃうやん、何曜日?」
「だから、26日やろ!!」 なめとんか・・・このジジィ( 一一) おっ、先週、お願いした散髪、寒そうなおつむになっているやん。
「髪の毛、切ってもうてんなぁ。火曜日に切ってもうたん?」
「24日や。」
「だから、火曜やろ?」
「24日か!!」 もう、ええわ・・・・ のどかな病院。
TVではお正月のお餅の話題。 「いつまでもこんなところにいてられへん。早よ、いんで餅を食べなあかん。」とお父ちゃん。
「餅は食べれんやろ。」
「お前が入れ歯を治してくれたら食べれる。」 ちゃうやん!
ここに往診に来てくれはる歯科医師ともめたんはあんたや!
歯医者の先生に嫌われるようなことを言うたあんたが悪い( ̄ー ̄) 「入れ歯を治しても飲み込まれへん。」
「いや、飲み込める。」
「無理、ここにいてはる人はみなお餅は食べられへんの!」
「だから、いんで食べるんや。」
「だから、飲み込まれへんやろ!」」 有馬の病院で迎える4回目のお正月。
半年でボケると思っていたのに、今だ脳はイケイケ(^▽^;)
イケイケすぎてくそ生意気( 一一)” 24 どうする?クリスマス♪( ´θ`)ノ “ クリスマスを挟んで5日間ほど
化学の講習を取った長男。
それも夜7時からたっぷり2時間。 昨日のこと。
「なぁ、クリスマスケーキ、どうする?」
「クリスマスなんや…」
「今年はケーキ、いらん?」
「どっちでもいいわ。」
「母さん、そないケーキは好きちゃうしなぁ。24も25も仕事やし…。」
「母さん、プリンにしたらいいやん!」
「プリンなぁ。」
「プリン、好きやろ?」
「うん、大好きやけどプリンはええわ。」 実は昨年からプリンも食べてへん。 そして、その化学のネタを披露してくれる。
食品添加物の化学物質のネタ。
その辺においてある食品パッケージの裏を見て、
「あぁ、これは○○が入ってるわ!」
とか、抜かしよる。 「あんたな、そんなん言うてたら、大きくなられへんで(ーー;)」 ていうか、そんなん言うてたら、彼女でけへんで! かたや超文系のひらがなでしゃべる次男坊は、
毎日、髪の毛のセットに余念なく出かける。
「どこ、行くん?」
「学校。」
ほんまか( ̄◇ ̄;)” 22 おもろすぎ!認知症夫婦って・・・(*'▽') “ 仕事の帰りに義父母のホームに寄ってきた大将。 「今日、○○おじさん(義母の弟)が来てくれたらしいねんけれど、オヤジ、わかってない。」
「えっ?」 「今日、夫婦で誰か来たんじゃ。だれじゃったかわからんのんじゃ・・」と
「こいつはぺらぺら、しゃべってた・・・」と義母を指す。 義母に聞いたが
「誰じゃったかなぁ。」 で帰り際、事務所にいてたケアマネさんに確認。
たぶん、義母の下の弟さんかと… 大将、おじさんにお礼の電話する。
そのときの二人の様子を尋ねる。
義母は爆裂おしゃべり。
義父は言葉少なめ。 「あぁ、オヤジ、たぶん、誰かわかってなかったからですわ。」と電話を切った大将。 義父に電話する。
「今日、来てくれはったんは○○おじさんやで。」
「○○なんておったかのぉ~」
「なんでぇ、よぅうちにも来てくれてたやん。」
「そうじゃったかのぉ。」
「そう。○○おじさんやで。」
「いっぺん、◇◇(義母)に聞いてみる。」
と切った。 大将と私、爆笑。
いや~義母に聞いてもわからんと思うでぇ。 こんなオヤジも、
自分のことはあっちに置いといて、
一人息子を残して旅立つのが心残りのご様子。
時々、息子に兄弟がいてないことを嘆く。 大丈夫やで~~~しっかりした嫁としっかりした子ども3人いてる\(^o^)/” 19 長男と私が好きなオアシス^ ^ “https://youtu.be/vmybmVNjfbI 兄弟喧嘩で解散。
弟が悪いねん(ーー;) 「うちに限らず、イギリスの兄弟も弟がクセもんなんかなあ。」とオアシスと我が家を比べる。
長男、苦笑い。 「あんたの弟、今日、帰ってくるで。」
「今日なん?俺らの修学旅行も3泊やったっけ?」
知らんがな… すでにおっさん化している長男ゆえ、次男坊がいない我が家は超大人な雰囲気で落ち着いていた。 何でも食べる長男ゆえ、
これでもか!ってぐらい大人な食事。
お初続々登場〜。 staub鍋で作った筑前煮が超美味で、三人で絶賛。 筑前煮の日は、小学生の居残り給食ですか?状況で、誰もいなくなったテーブルで一人レンコンをつついている、お子ちゃま次男坊( ̄▽ ̄) さぞかし台湾料理が辛かったことでしょうε-(´∀`; )” パピ〜ブチ切れで、マミ〜紙パンツデビュー( ̄□ ̄;) “ 小雨降る中、義父母のホーム。
外に出たくてうずうずしている義父。 「おとーさん、小雨やし下で傘借りて行く?」と天使の声。
そそくさと外出用意の義父。 部屋の中で外靴を履いているのに、
外に行く時は部屋用靴を持って下りる。
散歩から帰って来たら履き替えるために。
深く追求すると意味不明やけど、それが正論の義父。 義母の部屋用靴が見当たらない。
「白い靴、どこやったんじゃ?!」と義父。
「どこじゃろか〜〜〜ぁ。」と義母。
「決まったところにしまえと云うてるじゃろ!!どこやったんじゃ!白い靴。」
白い靴に反応した義母。 「白い靴ぅ〜〜履いてたぁ〜〜♪」と唄いだす。 「ふざけるな!!真面目に探せ!!」と義父、ブチ切れ(`ヘ´) 「もう、ええやん。なくても大丈夫やで〜〜〜」と天使の声。 かなりイラついているのか、いつもは神社のあとにビールやのに、
神社素通り、ビール自販機に直行しはる。
お気持ち、お察しいたします。
四六時中、一緒ならそりゃ〜イラつくでしょう。
でも、貴方もボケてまっせ・・・と天使の声。 ちょっとご機嫌が直ったか、
「みっちゃん、缶ビール1本でふらふらするようになってきたんじゃ。」
「おとーさん、週一のビールやから弱くなったんかなぁ。」
「そうじゃろか・・・」 そんなこんなのハラハラどきどきの散歩でも汗だくの義母。
帰ってお着替えタイムのときに見てしまう。
義母のパンツ、私が買った4Lパンツやなくて紙やし( ̄▽ ̄;) えぇ〜〜いつ紙パンツデビュー、しはったんやろ? 1週間ぶりの義父母。
一気に寒くなったからか、脳の反応が鈍くなったような気がする。
ボケは冬場に進むのか・・・( ̄▽ ̄;A すごい発見をしたかも・・・私。” 16 親として・・・(*´з`) “ 本日は図書館籠りの長男。
お昼ご飯は帰ってくるっていうので
約束の13時に食べれるようパスタを作った。 15分遅れて帰ってくるから、カサ増えたし( 一一) パスタだけやと足らんみたいで
昨夜の残りのごはんをおにぎりにするとか。 「ノリ、持ってきたろか?」
「ええわ。自分で取る。」
「いうと思った。」
「いうと思ったこと、なんであえて言うん?」
「親としてやな、気を使ってんやん。」
「その親としてとか、しょうもない気を使わんとってくれへん?」 ほんま可愛くない・・・ 修学旅行前の昨日の次男坊もや。 その前日、有馬から帰ってご飯支度で忙しくヤツのシャツのアイロンがけが後回しになっていた。
そのしわくちゃのシャツを修学旅行の荷造りの中に入れようとする。
「ちょっと、待ち。アイロンかけたるわ。」
「ええわ。」
「ええってあんた、それしわくちゃやで。」
「かまへん!」
って、拒否るから
「あっ、そう・・・」と引き下がった私。 昨日、荷造り再点検の次男坊。
おもむろにアイロンとアイロン台を持ってきた。
前日のあのシャツにアイロンをかけ始めた。 うちの息子二人は何なん(一一") そして、嫁として・・・
一方、
息子が出来るのに、洋服一つもまともにたためない我が家の大黒柱。
箪笥の中から服を出したはいいが、やっぱりこれはやめとこ・・ってなると
くしゃくしゃに丸めて箪笥に戻す。 過保護にしたらあかんと、
そのままにしてたら、そのまま着る。
そして、義母に
「一くんのシャツ、しわくちゃじゃのぉ~」と言われる。
「ほんまやなぁ。しわくちゃやなぁ~。お嫁さん、何してんねんやろなぁ~」って言うとく。
私はお嫁さんやなくてみっちゃんやから・・・(*'▽')” 15 いよいよ明日から台湾修学旅行^o^ “ 一週間前の晩ご飯のとき。
「なあ、やっぱり、関空までバスで行くん?」
と、次男坊に聞く。
「前の日から友だちン家に泊まる。」
「どこの?」
「熊取。」
「なんていう子?」
「母さんに言うても知らんやろ?」
「知らんやろなあ。っで、なんて名前?」
「○○。」 知らん。
ってか、すでに今、忘れてしまっている。 「あんただけなん?」
「他にも何人か。」
''何が''が抜けても通じる会話。 「へえ、そこのおうち、大きいねんなあ。」
「熊取やもん。」
熊取の人はみな、家デカイんか?! 「ほんで、いつ、荷造りするん?」
「土曜。」
「いるもんないよな?パンツと靴下はようさんあるもんな!」
「うん。」
「なあ、その子のお家、熊取のなんて駅?」
「知らん。」
「えっ、あんた、行くんやろ?なんで知らんの?」 うっとおしいそうに、
「熊取市やから、熊取って駅やろ!」
「あんたな、東大阪に東大阪って駅はないで!」
で、カンバセーション終わり。
てか、熊取は市やったっけ? その間、苦笑いしていた長男に
翌朝、苦言される。
「ほんま、母さん、くどいなぁ。」
「何がやねん。」
「昨日のシュンとの会話。ほっといたらええやん。」
「あんな、修学旅行の準備の確認をしただけや。」
「それがくどいねん。」
「いうけど、母さんは手も口もよそのお母さんより出してへんと思うで。修学旅行の一週間前まで何も言うてへんがな。」
「もっと何も言わへんお母さんもいてる。」
「それは、放置というねん!」
( *`ω´) その土曜である昨日。
有馬から帰ってきたら、
ちゃんと荷造りしてる次男坊。 「知っていると思うけど、パスポートは命より大事やで。失くしたらあかんで!」
「わかってる。」 やっぱり、くどいか…♪(´ε` )” 13 えぇ~~~(;゚Д゚) “ 卒業した高校に願書と一緒に出す調査書をもらいに行った長男が帰ってきた。
「母さん、びっくりするで!」
「何が?」
「俺なぁ、大学に行ってることになってた。」
「はぁ?」
「調査書の依頼用紙を出したら、なんでお前が?って。国公立に受かったから、まさか浪人してるとは思ってなかったらしい。ていうか、俺がちゃんと連絡せんかったからやねんけど・・・」
「えぇ~ほんだら、昨年度の進学状況であんたは大学に進学した数に入っているん?」
「そう。去年の調査書に赤で二重丸してあった。」
「ほんで先生はなんて?」
「どうしても行きたかってんなぁ~やて。」 「先生、早く教師やめて趣味のピアノに没頭したいらしい・・・。教師を目指すやつに、ちゃんと趣味を持っとかなあかんって力説してた。」
「まずは教師を全うすることを力説しようや。」
と、昨年、三者懇談で、風で飛びそうな髪の毛が気になって仕方なかった先生に思いをはせるわたくし。 まぁ、ええやん。高校の先生なんてこんなもんよ(*'▽') ていうか、わが息子、お前もしっかりしろよ( 一一)” 被成年後見人の不動産売買にまつわるアレコレ “しばし、放置していた義母の不動産売買の件。
そのために成年後見の申立をしたようなものやということを、成年後見の報告書を作成しながら思い出す。
「あれから、どうなったか?いっぺん確認したほうがいいで。」と私。 被成年後見人の財産を守るというのが成年後見人の使命で、その意思を持って管理しなければならない。
よって、50万円以上の物品を買ったり、契約をする場合、また、不動産の売買や賃貸についても、まずは家裁にお伺いをたてなければならない。そうすべき理由を述べて許可をもらわなければ、執行したあとでも取り消しされてしまう。 てなことで、義母の田舎の不動産。
ご近所のお知り合いが買ってくださるということでこちらと値段の交渉済み。こちらの状況も理解してもらい、本来ならこちらが新幹線に乗って行ってしなければならないことも代行してくださっている。
が、まずは不動産の査定をしてもらってそれを持って家裁に許可申請をしようという、その査定を取るというところでストップしたまま。
3月から。 その間、家の様子を見に行くこともせずなので、草ぼうぼうでとんでもない形相になっているであろうと危惧する。ほったらかしの空き家というのはご近所さんにも物騒でかなんやろうなぁ~とも思う。 ようよう、その買主になるかもしれない人に電話した、大将。
「査定額が俺らが言っていた金額より高くて、向こうさんも躊躇してはる。遠慮してはるみたい。とりあえず、査定書を送ってもらう。」と。
届いた査定書、売買しようと思っている金額より300万ほど高い。2,000万が2,300万ならまだしも、1,000万切る額での300万の差は大きい。これは家裁が許可しないのでは・・・と思案する。 とりあえず、一般的にこの査定金額で売れるものなのかどうか?ということで、田舎の家のご近所の不動産屋さんに電話をする。不動産屋さん曰くに、「家の価値は8万ほどやけれど、20軒ほどの固まりの一つ、開拓した土地に同時期に家を建てているのでご近所さんとの繋がりが強く付き合いも古い、そういう土地に更地にして新しい家を建てるというのではなかなか売れない。現状のまま家付きでの売買をすすめる」とのこと。
「ただ、駐車場に車が入れにくい、あれをどないかしないといけない。」らしい。
駐車場の上に義母の仕事用プレハブを増設している。それを取っ払わないと売れにくいということらしい。 家の中も大事なのものを持ってきただけで、家財道具一切合財そのままの状況。これらを片付けに行って処分先を探して、プレハブを取っ払ってという作業をするために新幹線で通う時間はない。
そんなこんなを一切合財、不動産屋さんにお任せして、当然売買に係る手数料や書類作成費なども含めて、査定額で売れたとしたらいくら残るのか?
また、このご時世、その市場で査定額通りに売れるものなのかどうか?などなど、合わせて見積もりを出してもらうことにする。 それと査定書を見比べて、今後どうするのかを検討するという段階。 この査定書は、正式なものやから作ってもらうのに何万円かかかったと思う。それをまだ立て替えてもらっている状況やし、私としては、知った人に買ってもらうほうが有難いと思うねんけどなぁ。確かにお金の面だけで見たら10万円でも高いほうがいいとは思うけれども、あれやこれやトータルで考えたら、多少安くなっても知った人に買ってもらうほうが安心。それに、売りに出して、いつ売れるかもわからんものを管理するのも大変やし。
というても、強行に進めてあとで家裁に却下されてもかなんしなぁ。 今後の流れとしてはお伺いを立てて、売買契約書を交わす前に売買契約書(案)を家裁に提出して、それで問題なければ契約を執行できるということらしい。 昨今、成年後見の制度が出来てきて、なかなか皆が利用しないと新聞に書いてあったけれど、正直、成年後見の任務は面倒くさい。小口現金で管理すると面倒くさいので、私は口座管理。皮膚科受診の立替分は固めて1円単位までATM で引き出す。通帳が現金出納帳の役割もする。義母の場合、その他もろもろ費用はすべてホームからの口座引き落としとなっている。よりわかりやすくより簡潔にしていても、面倒くさい。 我が行く末の老後を考えたら、いつ何があってもスムーズに事が回るよう、わかりやすくまとめておくのが親切やなぁ~と実感する。” 今年は近大(^-^) “ 昨日、お待ちかねのセンター受験票が届く。
試験会場は近大。
おっ、近いやん!ラッキー!! 前回、国語の失点に泣いたセンター。
国語であと4点取ってればのリベンジ。 来年からは新課程導入で二浪はリスクが大きい。
先日の保護者会でも
「新課程を考慮しているのか現役生も安全思考なのか、浪人しても第一志望というのがないのか、私大も厳しいです。」とか。 我がボンも二浪はない。
今回は、私大は一般入試一つとセンター利用二つ。
「あんたなあ、前回、受かってるとこに落ちたら、国立もヤバイで!」とシビアなことを言う母親。 国公立も今年は中期もぶっこむ。
問題は後期。
合格を蹴ったとこは「何か受け辛い。」とか。
ていうか、
「結局、そこか!」ってなるのもかなん。
とか。 ここで浮上してきたのが、九州。
「思わず、北海道のほうが楽しそうやん!」
と母。
「あんな、母さんは何を企んでるん?」
「えっ!あんたの様子、見がてら北海道にいけるやん!とか…」 「北海道より九州に興味ある勉強ができそうやねん。」
「あっ、そう。」
「ほんで、受けるならホテルを取らなあかん。」
「ふーん、それ、キャンセルできるよなあ?」
「そりゃ、受験の宿みたいな、予備校でもらえるパンフレットやし、いけるやろ。」
「そこまで引っ張らんと前期で決めたらいいんちゃうの!とりあえず、22日の三者懇談まで保留にしとこ。」 母さんな、この前、チョコレートを食べてしまった夢を見てん。
うわー、食べてもうた…と真っ青になって目が覚めた。
胸がドキドキした。 頼むで、すけちゃん\(//∇//)\” 12 潮時やなXPと思った件 “ 昨日、仕事から帰宅の私。
火曜と水曜だけ10時-17時のフルタイムパートの私。
仕事から帰ってご飯作りをするというのを、毎日やってはるフルで働く主婦を心より尊敬する。
週二日でもしんどいねん! そんな私に追い討ちをかけるのか?!という事案。 自営業の大将。
仕事から帰ったらPCで事務処理をする。
優秀な営業マン(私作のwebサイト)による問い合わせメールの対応やら。 大将の使うPCは、使えんVistaをXPにダウンし、
バックアップもNASとクラウドに自動で行うという設定。
その他もろもろ、なるべく手をかけず使えるようにカスタマイズした、のは私。
具合が悪くなるとご飯を作っていようと呼ばれる、のも私。 昨夜も例にもれず、
「PCが動かへん。」
とかいいだす。 イラチの私が使うPCなら、
とうの昔に買い換えているであろう動作が遅くなっちまったXP。
ガスの火を消し、見に行く。
強制終了もでけへんし。
「ほんま、イラつくヤツやで、このXP!」
と、毒づく(*`へ´*) XPと格闘しながら、
晩ご飯を作る。
「俺が作ろうか?」とは、言わない大将。
作られへんもんな(ーー;) 腰軽くご飯を作れる男子。
息子二人の目標にする!! そんなこんなで、
XPと向き合いつつ、
ご飯の後片付け、お風呂とこなし、
12時まで奮闘。 「あかん!こんな使えんPCはない!買い換える!!」と宣言して寝る。 明けて今朝。
買い換えるのはかまへん。
データーの移行をして、大将が難なく使えるようにカスタマイズする、のん私やん( ̄◇ ̄;)
ってことに、気づく。 ほんま、師走は忙しいε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘” 09 07 映画館でこの『彼女』を聴くために映画『スペック』を観る(^^) “ ラジオでは
「テレビを見てへんかったらわからん映画」と言うていた。
私、ここ3年ほどテレビを視聴していない。 スペックのサイトで「40秒でわかるスペック」の動画で予習。 午前中、すけちゃん予備校の保護者会に出席したあと、
天王寺から難波に移動。
予定より長引いた保護者会のおかげで、
アセアセで5分前に席につく。 細かいところは置いといて大筋で
なんとなくわかった気がして十分楽しんだ。 そして、最後に、
ピアノの音から始まる『彼女』。 映画の場面とマッチして、感動的・・・(*'▽') 天王寺から必死のパッチで難波に移動して大満足。
帰り道のiPodは当然、『彼女』のヘビロテ♪ 余談、昨日読み終えた『おひとりさまの老後』の中で
「独身者も既婚者も子持ちも女性はいずれおひとりさまになる可能性がある。
おひとりさまの老後を楽しむためには、ひとり遊びも大事」と書いてあった。 老後を楽しむため、
ひとりで映画を観に行ける?
OK~~~\(^o^)/” 05 そのうち、けんか売っとんか!とどやされるかも・・・と危惧する件。 “ 超ビール日和の本日、義父母との穏やか~な散歩道。 前から自転車に乗った若い女の子(20代前半)が二人、向かってきた。
その後ろから乗用車。
乗用車が女の子に向かってクラクションを鳴らす。
女の子、びっくりして端による。 「みっちゃん、ピッて鳴ったらびっくりしたなぁ。」
「ほんまやなぁ。」
「私もピッていうたろ!」 えっ・・ 自転車の女の子とすれ違いざま
「ピッ~~」
と叫ぶ義母。 女の子、びっくりしてこっちを見る。 うっそ~~~
あかん。笑ってごまかそ・・・ 「おかーさん、めっちゃおもろい!ハッハッハ・・・」 ここは山道ですか?って具合にすれ違う人に
「こんにちは~」とあいさつする義母。 まぁ、挨拶やからええやん。 でも、必ず、そのあとにいらんことを言う。
「みっちゃん、ちょっと言うただけやのに、こんにちは~やて・・・」
とか
「みっちゃん、見た?今のおっさんの顔。ぶさいくじゃぁ~」
とか
「みっちゃん、今の女の人、まん丸子じゃぁ~~」
(あんたもやぁ!)
とか、とか、とか・・・・ 「おかーさん」
「おかぁーさん」
「声が大きい、聞こえる・・・」 好き放題ぶちまけて、まん丸い体で歩くから汗だくの義母。
ホームに戻ってお着換えタイムも終わってえらいモンを見つけてしまう。
部屋の端っこにあるコートかけ。
一番上のポールに義母の4Lのパンツ。 「あっ、みっちゃん、あそこにパンツがある。」
(あるって、あんたがかけたんやん( 一一))
「ほんまやなぁ。」
「ちょっと汚れているなぁ。」
(ん・・・ちょっとというより普通に汚れているやん。)
「おかーさん、あれ、洗濯してもらおうか?ワーカーさんのところに持って行っていい?」
「みっちゃんが持っていってくれるんか?」
「うん、私が持っていくわ~」
と、私の頭より上のパンツをひっさらいワーカーさんのところに持って行く。 やれやれ・・・・ そんな義母の神社でのお願いごと。
「みっちゃんが元気でいつまでも一緒にいられますように・・・」
と大きい声で言わはる。 ちょっと前までは
「お父さんが元気でいつまでも一緒にいられますように・・・」
やったのに・・・ ふふっ・・・・” そして、想像力が欠如しているのか?!と、ちょっと切れかけた件 “ やっとこさ、義母の成年後見の報告書完了。
通帳のコピー(表紙も)から、
年金額記載のはがきやら、
入出金の証拠となるものをA4サイズにコピー。
左端3cm空けるがルール。 エビデンス番号をふって整合させる。 完璧やなぁ~私。 っで、郵送するのに、
裁判所が用意してきた封筒は長形3号。
宛名印刷済み。 入るかぁl!!!!! 長形3号ってA4サイズ3つ折りで10枚ちょっとが精いっぱいやろ。
何枚あると思ってんねん!! くそ腹立つから、
角型2号の封筒に
その宛名印刷ずみの封筒を切って貼り付ける。 電話したろか?
ふっとぼけて、
「ええ~これに入る分だけでいいんですか?」って( 一一) 思うに、
使える使えんは別として
宛名記載(ここには事件番号も書いてある)の返信用封筒を入れておかないと、
自分たちの返ってきてほしい部署に届きにくいということ?
返信用封筒を同封するっていう単なる親切心? 使えん封筒はいらんねん・・・( ̄ー ̄)” | 10月 | 9月 02 あぁ、ハードディスクが故障・・・(*´з`) “早朝のメール。
NASからエラーメッセージ。ディスク利用不可とか。 NASにUSBで外付けハードディスクを増設。定期的に自動でNASのデータをバックアップする設定。
その作業でエラーが出たと思った私は、故障というのはNASなのか外付けハードディスクなのか。
私的には外付けハードディスクであってくれたら楽やのに・・・ 朝の用事や生協やら終えて、作業にかかる。
PC系(スマホもやけど)、調子が悪かったらいったん電源を落として再起動したらうまくいくなんてことがあったりする。
ネットワーク関係はとくにその傾向にあるようで、モデムやルーターの不具合でサポーターに電話すると、たいていは「すべての電源を落としてインターネット網に近い方から電源をON してください。」と言われる。 てなことで、まずはNASも再起動させてみた。
そして、PCを起動させる。
いつもなら、NASのフォルダと同期させているデスクトップ上のフォルダに共有マークが出るのにでない。【同期できません。】とエラーメッセージになる。 NASのアプリケーションから状況確認。
【NASと通信エラー】。
最初はNASの設定画面すらアクセスできなかったが、時間をおくと設定画面にはアクセスできた。
NASのフォルダにはアクセスできない。
ここですねぇ、不具合は。 ん~どうもこれは増設のハードディスクやなくてNASの故障やなぁ~って思ったら、エラータブが登場。
【e30ハードディスクの故障です。】やと。
試しに、NASのデーターをバックアップしている増設ハードディスクの中を見れるか確認する。
このフォルダにはアクセス可能。
やっぱりNASのハードディスクが故障なんや。 PCを含めて、ハードディスクの故障は初めて。
PCは用が済めば電源を落とすが、NASは電源をつけっぱなし。家中のPCと繋がっていてデータのやり取りという状況やし、月一で各フォルダを増設のハードディスクに自動でバックアップ設定もしているので、それは夜中に作業しはる。
四六時中、働きっぱなしのハードワークやから壊れやすいのかも・・・ とにかく、NASから月一に自動でパックアップしているデータは生きている。
私のPCに関してはPCの中にはデータは保存せず、NASと同期or作業終了後NASに保存。
念のため、USBメモリにもその都度保存。
なのでNASのデータがなくなったところでそない痛手はないが、面倒くさい。
いろいろ自動でバックアップやバックアップのバックアップという設定をまた一から作らないといけないっというのが面倒くさい。 とまぁ、面倒くさがっていても始まらない。
【ハードディスクが故障です。修理に出してください。】というはっきりとしたメッセージが出ている以上、どないあがいても無理やろうと、修理に出すか新しく購入かを思案する。 メーカーサイトの修理代金の目安を確認する。それによると、18,000円~とか。あらら・・・それなら新しいのを買えるやん!
ちなみにデータは修理時に真っ白にするので復旧不可だそうで、なおさら新しいのやわなぁ。
てなことで、Amazonさんに行く。 なるべくなら今の設定を引き継ぎたいと、新しく設定を考えるのが邪魔くさいと、結局、同じメーカーの最新のNASを注文。
NAS設定画面で今の設定をスクリーンショットで保存しておく。 PCデータというものは、本来なら定期的にDVDにでも保存しておくのがいいのかもしれないけれど、面倒くさいし場所を取るので自動バックアップで勝手にウィ~~ンと動いてもらっている。
これが、最近、やたらとうるさかったのが調子が悪かったってことなんかしらん。 だいたい、きちんとデータをおいとかなければならない大将の仕事、本来なら自分で定期的にバックアップを取るべきをそんなことをする気もないとういか、そういう思考がないから、私の苦肉の策のNASやん。
彼には一応、この黒い箱はPCデータを自動でバックアップを取る賢いヤツ、なので、保存すべきデータはこのフォルダに入れることと説明しといたが、わかっていない様子。
「やたら後ろのん、音がうるさい。」と文句言うてたし。
「バックアップ取ってくれてはるねん。自分でせぇへんやろ?」と私。 本日、こんな突発的な状況に私が時間を取られていることも知らず、いつでも快適なPC環境に身を置いてはる。ほんま極楽やなぁ~
おかげで、私は今日の予定がパ~ですやん。 あっ・・・
どうせ買うならMacのタイムカプセルにすればよかったかも・・・と今頃、思う私。
最新のんやと、+¥10,000か・・・
タイムカプセル一台でWifi接続が出来て、データ保存も出来るってのは魅力やなぁ(*'▽')
次回はMacのタイムカプセルにしたろ・・・と、Appleさんに傾倒していく私。
でも、スマホはandroid携帯を固守する。Googleさんも好きやし(*^^*) こんなことを何の相談もなしに独断で買える&替えるのは、この手のことに全く無頓着の大将やからということで、逆に言うとラッキー(^^)v” | 8月 26 成年後見人のお仕事 “義母の生命保険が来月に満期になる。満期時の保険金請求申請書類が送られてきた。
後見人の印鑑証明書類と後見人である証拠(登記証明)を添付しなけらばならない。 ということで、東京の法務局に郵送で後見人登記書類を送ってもらう手続きをする。
我が家にとっては大きいお金やけれど、世間的にはそない大した金額でない請求額で、振り込んでもらう口座は義母名義のものであっても、関係書類が必要なわけです。 私は生命保険にはイマイチ疎いので、証書を見たところでどういう保険かはよくわからない。満期でいくら支払いますっていうから、そうなんやろう。自分のお金でもないからなおさら。とりあえず、こういう書類は後見人としてはすべて証拠となるので、スキャンしてデジタル保存もしておく。 住所変更等に後見人が必要ということで、成年後見人の申立て等、ややこしいことをした。その効力を発揮するのが今回のコレです。
請求申請書は後見人が書かなければならないということで、我が家の大将の出番。私がこの枠にコレコレと書いてという指示をする。その通り、記入して完了。
いいのかなぁ~一応、本人にこういう書類という説明をしたが、わかっているのかなぁ~~こういうことがとても苦手ゆえ、何もわかっていないやろうなぁ~という超のんきなお気楽後見人。 11月になると、後見人になって1回目の報告書作成なんて作業もある。エビデンスをそろえなければならないので、義母の洋服を買ったり、皮膚科に連れていったりの領収書はその都度コピー。金額がある程度になると、小銭も引き出せるATM できっちり引き出して通帳に記載する。小口現金として手元に置いておくという手もあるが、現金出納帳までつけてられへんし。公に記載されているモノはエビデンスとしては効力大やろうし。 わが親も義父母のような生命保険はないけれど、火災保険や損害保険やらの更新やらがあって、あっちの保険、こっちの保険とわけわからん状況。家にいてるとそれらの関係各所に電話で確認したり、何かと送られてくる書類の整理やらに時間を取られる。我が家を含めて三軒分のそれら書類等の管理はなかなかの手間。 人が生きていくということは、目に見えへんところでいろいろと繋がっていて、整理整頓されていないそれらの書類をポンと渡された日には、あらら・・・という感じ。 あぁ~一日30時間、あればなぁ~なんて思う今日この頃。
いやいや、寝っ転がって本を読んでいる暇があるやないの?との声。
ん~あれは心のビタミン剤やから必要不可欠なんよな。 とりあえず、ひとつ完了・・・ふぅ・・・” 05 | 7月 | 6月 | 4月 | 3月 20 そして、スマホ、初期不良( 一一) “私仕様にカスタマイズも完了。翌朝、目覚めのアラームのU2の「One」で起きた。ここまでは完璧やった。この直後に流れたメール着信のお知らせ音が、設定したのと違う。えっ? 設定画面を開けると、プリセットのファイルもSDカードのファイルも読み込めない状況。あれこれカスタマイズしたときにいらんことをしてしまったか?と設定を見直すが、それらしい箇所をいらった覚えがない。 仕方ないのでまずは初期化やなと、買ったときの状況に戻す。結局、これも一から設定しなおすというはめに陥る。こんなんばっかりか・・・( 一一) 初期化前の私仕様に戻す。そして、翌朝を迎える。U2の「One」で目覚める。しばらくすると、メールが届く。着信のお知らせ音が鳴る。うっそ~~~~また、おかしくなっている!!設定画面を開く。やっぱりプリセットのファイルもSDカードのファイルも認識されていない。あれこれ調べる。 インスコしたカメラアプリからはSDカード内の画像は認識できるがメーカーの画像閲覧ソフトからは認識されない。
スクリーンショットを撮ってみても保存ができない。これはSDカードに保存する設定になっている。
メーカーのカメラで写真を撮るが空き容量不足で保存できない。空き容量は不足していない。
ミュージックメディアもファイルの読み込みができない。
当然、アラーム音も設定したファイルが見つからないというエラー ということで、アラームが鳴ることによってメーカーのアプリと画像・音データの関連付けが外れてしまうって初期不良やなと私の独断で近所のドコモショップに出向く。交換してもらう心づもりでおサイフケータイのデータお預け済み。 ドコモショップのお姉ちゃんに状況を説明する。初期化したことも伝える。私の見解を述べる。
お姉ちゃん、あれこれ調べる。
(いや、それは全部、私がやった!) メーカーに電話しはる。
「お客様が新たに落とされたアプリによって引き起こされている可能性もあるので、アプリを浮かして調べてもいいでしょうか?」
「どうぞ!」 状況は変わらず。 お姉ちゃん、しつこい。まだあれこれ調べる。カメラを撮る。保存できない。
(だから、それらは全部、私がやったっちゅうのに!!) 「購入されてまだ数日ということなので交換ということで対応させていただきます。」
「はい。」
(そのつもりで来とんねん!!) 「データーのバックアップは電話帳と画像だけになります。」
「電話帳はgoogleで同期しているので必要ありません。画像はすべてSDカードなのでこれも必要ありません。」 「おサイフケータイは?」
「家で済ませてきました。」
「googleのアカウントは覚えておられますか?」
「はい。」 と新しい本体を持って来て、UMIカードとSDカードを差し替え、
「googleのアカウント設定、されますか?」と言われ
「はい!」と自分でする。 家に帰って、またも私仕様にカスタマイズ。当然、アラームも設定。今度は翌朝まで待たず、3分先にアラームを鳴らす。不具合があった箇所を確認する。とりあえず、問題なし。これで翌朝、不具合が生じなければOK。翌朝を迎える。「One」で目覚める。設定を確認する。不具合なし\(^o^)/ これでひと段落・・・ そして、今晩、仕事から帰ってきた大将の付き添いでドコモショップに行く。今度は、大将のスマホ機種変。ドコモ契約者は私なので家族の機種変は私が必須となる。昨年末、スマホの調子がよろしくないから機種変したら?とパンフレットももらってきたのに、なかなか機種を決定できない。さっさと決めたらいいのに、あれこれ迷う。 「あんな、優先順位をつけたらいいねん。何が一番必要か、何に一番重点を置くか。それで決めよ!」と言うが、その優先順位が付けれない。結局、季節は変わり、冬バージョンが春バージョンになり、また一からの選択。長男と私の新しいスマホを見て、快適ぶりに自分も欲しくなった模様で今晩、ドコモに行く。 「ほんで、機種は決めたん?」
「ん・・・だいたい・・・」
え~まだ、迷っとんか・・・( 一一)” | 2月 25 高齢者の確定申告完了!~介護サービス料の医療費控除~ “昨年だったか、年金オンリー400万以下の人は確定申告はしなくてもいいとかって税務署からのふれこみ。これの意味が私によくわからない。どこから400万という数字が出てくるのか・・・今までサラリーマン生活で確定申告なんて無縁やった父も年金生活者になってから毎年律儀に確定申告に出向いていたらしい。私が引き継いだ資料の中に父の字の申告書がある。いくばくかの還付金があった様子。わけのわからん年寄りが税務署もしくは行政の税務相談にわんさか押し寄せられても困るのか?年金生活者400万以下は確定申告不要になったとしか思えない。父が脳梗塞になってからは私が確定申告をしている。したら、e-Taxでしませんか?って税務署からハガキが届く。父の年齢を見て言えよ~と毎年、そのハガキに突っ込む。ハガキ代、無駄やろ! 最初の年は医療費も100万円を超えることもなく、還付金少々。それでも還付金はありがたい。有馬の温泉病院に入院してからは毎年100万を超える医療費で障碍者控除や生命保険控除を入れなくても、年金からひかれた所得税は全て還付される。おおかた4万やもん。これは大きい。 昨年から義父の確定申告もするようになった。こちらは父より年金も多い。が、400万以上。義父はここ何年も確定申告なんてしていないと豪語していた。が、やたらかけている生命保険。これの申請だけでもいくらかは戻ってくるはずと昨年は1万円ほど還付してもらう。400万円以下の人は確定申告は不要という税務署のふれこみを信じていたら、1万円損していたやん。っていうか、そんなことも関係なく確定申告をせずのこの数年、損していたんとちゃうん?おとーさんって思う。5年間はさかのぼって医療費控除ができるらしいが、証明書類がないので無理。 まっ、ここは私がかかわっていないからええや・・・ っで、今回。
昨年、1月から有料老人ホームに入居。そこから通所介護(デイサービス)に通ったり訪問介護を受けている日々。認知症という病気になったための対応。広い意味で医療行為なら、医療費控除が使えるんやないの?と国税庁のサイトを見る。 通常の医療費控除は病院に行くための交通費も申請できますとか、そのあたりは認識しているが介護サービス料については無知。父が入院している有馬の病院の毎月の領収書には支払った金額と控除金額の二つの項目。今まではそこの違いの意味するところを気にせず、控除金額の合計を申請していた。今回、この差額は何なのかを確認。洗濯代とテレビ代以外の金額が控除金額となっていることに気づく。 介護サービス料で医療費控除として計上できるのは、父のような療養型医療施設の施設代=入院代で、義父母のような有料老人ホーム代はNG。認知症高齢者グループホームもNGと施設の形態によって介護サービス料の医療費控除が異なることを知る。基本、医療に携わったことに医療費控除が該当するというものなんやろうけれど。広い意味で認知症という病気で老人ホームに入っているのに・・・NGなんだと(*´з`) 常々思うこと。要介護度の認定も認知症の人は外からみて明らかな点がなかなか見えにくくちょっとしたことで認定が変わったり、厳しかったりする。父のような脳梗塞の後遺症による左半身マヒとなれば障碍者手帳ももらえるし明らかに人の手がいるという点で認定の判断がしやすかったりする。でも、義母は明らかに一人では生活は無理。身体は丈夫やけれど、一人で外にも行けない。部屋の中のトイレでさえ迷子になったりする。でも、有料老人ホームは医療費控除NGらしい。義母が有馬に入院していたら医療費控除になるんやろうか? そんなルールに目くじらをたてても事は進まないので、少しでも控除にならないかと熟読する。義父母の領収書類を確認する。病院代は問題なく医療費控除に分類。通所介護はNG。国税庁のサイトによると介護サービス料の医療費控除は医療施設や事業所等が控除対象金額を明記しているという記載がある。それに基づくと通所介護はNG。訪問介護は一部NGでだいたい控除対象。通所介護と訪問介護でこの区別の意味がイマイチ理解できないが、まぁ、はっきりと控除額が記載されているのでこれを医療費控除に分類。すると、二人で27万円ほどになった。還付金は昨年より8,000円増加。 ということで、高齢者二人の確定申告完了。還付金はそれぞれの口座に入るが達成感に満足の私\(^o^)/” 17 11 | 1月 30 カサイの兄ちゃん・・・(一一") “カサイに電話をした。
50万以上のお金を動かすとき、不動産を売買するとき、などなど、まずは連絡票でそれを行っていいかどうかをご連絡ください!と説明会でもくどいぐらいに言われ、取説にも書いてある。
取説にはその連絡票の参考文面もある。
それにのっとって、「不動産売買の話を進めてもよろしいでしょうか?」で〆た。
ここの回答をはっきりさせたくて電話をした。 電話に出た、兄ちゃん。
「不動産に関しては申立書と必要書類を提出してもらっても売買不可ということもあります。」
「それは認識しております。ですから、説明会でも何度もおっしゃられていましたが、まずは連絡票の提出をということでしたので送りました。そのあと、申立書が送られてきました。これは連絡票の段階はクリアしたという認識でよろしいんでしょうか?」
「ですから、不動産の場合、申立書を出してもらってもそこで認められないということがあります。」 (人の話、聞いとんか(一一")) 「だから、それは認識しております。説明会でもそのときにいただいたハンドブックも熟読して電話しているんですわ。申立書を提出しても却下されることがあることも認識しております。今のこの段階で話を進めてもいいってことですか?と聞いているんですわ!!」
「とりあえずは話を進めてもいいということですが、ただ、申立書を出してもらっても・・・・」
「だから、それは十分理解しています。とりあえず、本契約の前にそちらに申し立てをするってことですよね!!」
「そういうことです。」
(なめとんか・・・(`´)) 以前も別件で簡易裁判所のおばちゃんと電話でやりとりしたことがあった。
私はネットで書式をダウンロードできるっていうてるのに、自分からFAXで送るっていうから
「じゃ、お願いします」ってお願いした。
ら、
「通常はFAXで流すとかはやっていないんですよ!」と偉そうに言われる。
知らんがな・・・あんたから言うたんとちがうんか!
って思ったけれど、
「すみません・・・」って言った私。あと味、悪いったらない( 一一) ていうか、連絡票の意味がないから、そこの手順は省いたらどないですのん?ってマジで思う私。
成年後見人も大変やわ。
我が家の成年後見人は気楽やけど・・・・(*´з`)” 20 18 13 07 | ||
2012 | 12月 31 あぁ~タイムアップ\(^o^)/ “ 受験生がこのテーブルで勉強するから
静かに過ごさなければならない(^^)
ゆえに、大掃除はトイレとかお風呂とか玄関だけでええやろ?今年は...と自分に言い聞かせた(^^)v
そして、ヤツは雪が舞う中、塾の冬期講習に向かった。そのあと自習室で21時まで勉強するらしい。 「年が明けるって気がせえへんわ。」って言う長男。
「母さんもそんな気がする!まぁ、心配せんかて年は勝手に明けていく。センターに向けて頑張ろうぜ~~」と能天気に言う。 暮れゆく2012年を振り返ってみようかぁ。
福山から義父母を呼び寄せるところから始まり、今年で4年目を迎える父のいてる有馬通いでしめた私の2012年。
高齢者に引く手あまたやなぁということでめでたしやな(*'▽') そんな中、FBで深める旧友との繋がり。
おっちゃん&おばちゃんになった高校の同級生と一緒に50代に突入していくことが嬉しくってたまりません(^^)v おっちゃんもおばちゃんも更年期なんてぶっ飛ばせ~~!!
そんな気分で私の2013年はますます発展しそうな気がする。 毎回毎回、私のくだらないpostにいいねを付けてくださった方々に感謝しております。ありがとうございました(^O^)/” 29 切ない親父たち+息子と娘\(//∇//)\ “昨日の有馬。
文句たれジジィのお父ちゃんがやたら大人しい。
思わず、
「あんた、しんどいん?」と聞く。
父親に向かって''あんた''って言う娘もどうなん?って自分で思うが。50前になって面と向かって''お父ちゃん''ってのも小っ恥ずかしい。 顔色が良すぎるから熱でもあるのか?とおでこをさわる。普通や(⌒-⌒; )
40分かけておかゆ定食も完食(^-^) 「まだ12月か?」をやたら聞いてくる。お正月、帰りたいのか?と心が痛むからサラ〜と流す。 別件。
前夜、大将が言う。
「親父、家に帰りたそうなことを言うてた。家に帰っておかんと二人で暮らせるんか?って聞いたら、首振ってた。」
「おとーさん、わかってるんやなぁ。」 年の瀬、TVでやたら年末年始ネタが流れるのが恨めしくなる。
TVをつけない我が家はカレンダーが新しくなる程度の年末年始。
夫婦してそれぞれの父親の切ない思いに打ちのめされる。 なので、大掃除なんて糞食らえ( ̄ー ̄) と、大掃除せんとこ理由を模索する往生際の悪い主婦は私ですヽ(;▽;)ノ” 28 今年最後の有馬行き*\(^o^)/* “こういう療養型病院や義父母のいてるホームは、年末年始はさみしくなるんよなぁ。 お正月ぐらいは家でとか、子どものもとでとか。
一ヶ月ほど前に義父母のホームでも聞かれた。
「お正月は息子さんのところで過ごされますか?」 我が家は5人だけでもキュウキュウ。受験生も図書館で勉強している有り様。 仮にお正月だけでもとなるなら、どちらか一方というわけにはいかない。両方の両親を呼ぶことになる。 全員介護のお世話になっている。我が家はにわか介護施設となるやん!あかん!あかん! 私の介護スタンスは自分の生活スタイルは固守するなのだ!
誠に勝手ながらこれだけは譲れません(⌒-⌒; )
その代わり、呼ばれればいつでも参上いたします!台風でも行きます。アイスも食べます! てなことで、行ってとヽ(;▽;)” 27 こたつ敷布団の行方(´▽`) “こたつ敷布団の行方(´▽`) 超さぶさぶの散歩の前、実は私は身の毛もよだつ光景を見ていた。 義父の部屋のこたつ。
敷布団がない。
夏場に使っていた井草ラグに変わっている。 えっ・・・うっそ・・・( ゚Д゚) 義母の部屋のとんでもない光景ならいいのよ。
おかーさん、ははは~~暇に任せてまたお片付けをしたのや!と思える。
そういう状況が多発するのでって義母の部屋をがらんどうにして義父の部屋にこたつから箪笥から冷蔵庫から置いている。 なのに、なぜ?誰の仕業? とりあえず、
散歩に行く準備に義母の着替えをさせ、毎回行方不明になっている上着と靴探しに専念する。 ベッドのみのがらんどうの義母の部屋。やたら盛り上がっているベッドの上の掛布団。
ここか?とめくる。 あっ!こたつ敷布団( 一一)
綺麗にたたんでいる。
その横に義母の上着と靴。 義母の上着と靴はまあええ。見慣れた光景や。
義父の部屋のこたつの敷布団よ。
二人で仲良く井草ラグに入れ替えた?
義父の認知症ぶりの悪化を見せつけられたようで、大将に成り代わってショックする、私・・・(ーー;) そして、いつも一人で散歩の準備をする義父。
頭には麦わら帽・・・(^▽^;) え~~~~
もう、
小さいことは気にしない!!
大きいことも気にしない!!
全てを受け入れよう(^O^)/ ” 26 あんた、だれヽ(;▽;)ノ “先日、義父母のところに義父の妹さんが来てくれた。
我が妹に向かって義父、「あんた、だれ?」と言ったらしい(ーー;) 「おかんも時々俺に向かって、冗談であんた、だれ?って言いよるねん。」と大将。
「んー、それは冗談やなくて、ほんまにわからへんのをごまかすために冗談っぽくいうてるねんで。」
「そやろか…」 「私にも時々顔をじっと見て、みっちゃんじゃのぉ?って確認しはるで。頼りになるのはみっちゃんってのはインプットされてるけど、私とみっちゃんが結びつかんようになるわ。」 我が親のボケぶりに苦悩する大将。
「それよりな、私らよりずっとそばにいてるおとーさんに向かって、あんただれ?やで。おとーさんは切ない思うで。」
っとだけ言ってお風呂場に向かう。 その後ろで
「俺が親父みたいに(ボケた私に)言われたら、しばく!」やって( ̄▽ ̄) 湯船に浸かりながらほくそ笑む私。
いやいや、今現在のそれぞれの親の状況及び日々の態度等々、総合的に判断して、ボケる確率が高いのは私よりあなたで〜す*\(^o^)/*” 21 18 あぁ~珍道中・・・(´▽`) “義父母を連れて皮膚科に行ってきた。 小さい皮膚科やけれど超人気みたいで満席。
その中でず~としゃべり倒す義母。
それも次から次へと入ってくる人の外見的特徴に食らいつき、
「みっちゃん、あの兄ちゃん、金髪じゃ~」
「みっちゃん、大きい人じゃの~」
などなど、とりあえず、
「あのおばはん、不細工じゃ~」はなかったけれど
ハラハラドキドキの私。 義父はといえば、
一人、別のところに涼しい顔で座っている。
他人のふりしてるし( 一一) 認知症ぶりを発揮の義母を危惧してかどうかわからんけれど、
20番の番号札をもらっているのに
10番めぐらいに呼んでもらう。 帰り際には
「次の診察のときはワーカーさんに先に診察券だけでも出してもらったら待ち時間が少ないですよ。」って。
「なら、私が父と母を迎えに行く前に診察券出しに来ますわ。」と。 よくよく考えると要介護3と要介護2の認知症二人をひとりで病院に連れて行くなんて、ちょっと無謀? ふふっ・・・チャレンジャーみっちゃんやな(*'▽')” 17 珍しく義父から私に電話があった(*'▽') “ たいていは大将のところに電話するのに・・ 何の用かと思ったら、
明後日の水曜日、義父母を連れて皮膚科に行く、その件。
さっき、ケアマネさんに聞いたらしく、確認の電話。 「みっちゃんが来てくれるんじゃな!」
「そやで~9時前に行くから。」
「保険証を持って来てな。」
「うん、おとーさんとおかーさん、二人診てもらうから二人分持っていくよ。」
「初めて行くところじゃけ、予約はしているんじゃろか?」
「うん、ケアマネさんがしてくれてはるよ。」
「タクシーで行くんじゃろ?」
「そうよ。私がそこに着いたら事務所の人が呼んでくれはることになっているねん。お昼頃には帰れると思うのでお昼ご飯を食べたらデイに行ってね。」
「さっき、そう聞いたんじゃ。忙しい日じゃ。」
「ほんまやね。ほんだら、水曜日に行くからね。」
「みっちゃんに電話してよかった・・・じゃ、頼みます。」 てな、超まともな会話を繰り広げた義父と私。 真面目できっちりしている義父は、出来ることは自分でしたい性質なんよな。義母のことも出来ることなら自分が100%世話したいぐらいなんよな。
それがなかなかままならないんやけれど・・・
人に迷惑かけずちゃんと生きたい昭和ひとけた生まれやから、いろいろジレンマに陥る。 こうやって可愛げを見せてくれるから、私もせっせと通える。
やっぱり、年取ったら可愛げやで・・・(´▽`)” 不動産売買にまつわるエトセトラ(*'▽') “このままおいていてもいずれは売買することになる義母名義の不動産。ご近所の方のお知り合いが買って下さることになっているが、義母名義のものを勝手に売ることはできない。このたび、めでたく大将が後見人になり法務局にも登記されたので、当初の目的の生命保険の住所変更と口座変更の手続き書類は申請した。私が!! ここでちょっと小休止をとった私はすっかり忘れていた。不動産売買の最初の一歩。家裁へのお伺い書作成。
私が忘れる以前にまるっきり自分でする気がない大将はまったくもって動く気配なし。ほっといたらいつまでたっても処理でけへんよな~と昨日やっと動き出す私。後見人っていうのはかなり縛りがきつい。特に昨今世間を賑わしている横領事件なんてのがあるからか、被後見人の財産を適切に使うというのが一番の目的で、そのために50万以上のお金が動く場合はまずは家裁にお金を動かしてもいいか?という確認をとって承諾をもらわなければいけない。特に不動産売買や被後見人が相続人になった場合などはチェックが厳しい。 てなことで、まずは家裁に承諾してもうらための書面作成をしなければならない。ん~~~とりあえず、買主さんとは売買金額は決まっている。これが世間的に妥当な額だという証明が必要。役所で評定金額の証明をもらってそれをもとに不動産屋さんに査定書を書いてもらわなければならない。こちらはなるべく専門家を使わず書類作成をして不要な手数料を使わずに終えたいのに、こんなところでお金を使わなあかんのか!矛盾してへんか?と思う私。 固定資産税の金額は尼崎の実家のマンションより安い。分譲マンションの固定資産税は戸建ての家より高いらしい。ネットで調べた土地価格(更地にして売るわけではないのでそれを引いても)からも双方合意の金額は妥当な線やと思うが、それを客観的に証明しやなあかん。加えて、ご近所のさんの知り合いということで、不要な家財道具の処分方法等、また役所に出向く用事等も本来なら売主であるこちらがすべきことを買主が動いてくれはる。そのあたりも最終的には差し引いてもらうつもりやけれど、これらを証明する書面も必要になってくる。 性悪説に基づいているのね、家裁ってところは・・・と、辛口なことを言ってみたくもなる。
買主さんは家のリフォームを終え、年内には新居でお正月を迎えたかったんよな。最初の話では・・・それが大幅に遅れて申し訳ない。 先日、義父母のところに行ったとき、後見人申し立ての面談に便乗しはった社会福祉士さんが来られた。「ちょっと教えてほしいことがある。」ってので、義母に「ちょっとこの兄ちゃんと話しに行ってくるからね。待っててね。」って言って階下に降りた。申し立ての書類(私が作成したのをすべてコピーをとってはる。今後の参考のために・・・とのことで)で、不明な点を聞かれた。別段、大したことがない箇所を説明すると「頭いいっすねぇ!」って絶賛。ん~~これは、普通に日本語を理解できて段取り良く物事を考えられたら誰でもわかるようなものですやん。私が頭いいのではなくて、あなたの理解力が足らないということでっせ!とそっと心で辛口なことをほざいた私。 ほほほ~~~、ほんま、ただただボランティア精神にのっとり正々堂々と生きているだけ。どこぞにぼろ口な話はおまへんか?
絶賛してくれんでもいいから、ぼろ口な話を持ってきておくんなはれ・・・と思う、小心者の私。 そして、社会福祉士さんとの話を終えて義父母の部屋に戻る途中、顔なじみの利用者さんに「みっちゃん、お父さんが探してたで!みっちゃんがおらんようになった!!大騒ぎや!」っといわれる。
ふふっ、義母は私がどこに行ったかを説明するなんて高等技術がない。そんなことをすっかり忘れていた。てか、おらんようになったと必死になって探してくれる義父の存在に救われた私。 文句言わんと、この後も引き続き、頑張らさせてもらいます\(^o^)/でもね、おとーさん、あの土地、おとーさんが思っていた額の半分にもなりませんのよ。ごめんね・・・” 15 親父の苦悩 “ 昨夜、大将が言う。
「親父に電話したら、えらい悩んでた。」
とな。 義母は思ったことをすぐ口にする。
昨日は散髪の日。
一番に終えてもらい部屋に戻った義父母。
散髪場所は二人の部屋の横。
他の人が散髪している声が「うるさい!」と
文句を言いに行ったらしい義母。 「わし、あとでみんなに謝りにいったんじゃぁ…」と義父。 義父母と仲良くしてもらっている60代の入居者さん。
脳梗塞らしく頭はしっかりしてはる。
でも、薄い(^_^*) 義母は大きい声で
「○○さん(その60代の人)はアタマが光ってまぶしいんじゃぁ!」と言うらしい(ーー;) 「わし、かなんのんじゃ…。」と親父に訴えられて大将も
「オレもかなん…。」 当の本人は言ったことなんて忘却の彼方。 オモロイやないか…と一人ほくそ笑む私。
「そんなんしゃ〜ないやん。病気やねんし。」とホローする。
ホローになってない? 私もお手てつないで散歩中。
「みっちゃん、見たか!今のおばはん、ブサイクじゃー。」
にハラハラどきどきしつつ、
笑ってごまかしているヽ(;▽;)ノ” そして、誰もいなくなった\(^o^)/ “大将は仕事。娘はデート。次男坊は部活。 長男はセンター試験場となる大教大へ。
当日の交通手段確認のため友だちと向かう。
「門まで行くん?」
「うん、そのつもり。」
「門まで行って"デン"ついてくるんやろ?」
「”デン”はつかへん・・・」
おもろないヤツ(ーー;) 朝から大将が
「スマホがデータいっぱいで動かへん、見て・・・」
とな。
android携帯はデータをSDカードに移動させやなあかんで!って10回以上言うてる。
具合悪くなると「見て・・・」って手渡されるスマホ。
「ガラケーに戻すか?」というのをグッと飲み込む。 日曜日も仕事しているねんからそれで良し!!
ええ嫁や・・・(*'▽') おかげで、私は独りぼっち♪
嬉しくて仕方がない。こんな日曜日はサイコー\(^o^)/” 13 あぁ無情~こんないいお天気やのに・・・ by義父 “ 義父母のところに行くと、いつも通り義母はベッドイン。
「おかーさん、しんどいん?」
「そうなんじゃ・・・しんどいんじゃ・・・」 義父曰く
「朝ご飯はぺろっと全部食べたんじゃ!それから吐き気がするとかで、体温を測ってもらってもなんともない!!血圧もなんともないんじゃ(ーー゛)」 ということで、こんないいお天気やのに散歩はなし・・・ん~残念。 「おかーさん、手見せてぇ~」
「みっちゃん、手相、わかるんか?」
「ん・・・わからんで~。なぁ~おかーさん、これって何線やった?」と生命線あたりを指す。
「みっちゃん、それ福塩線(福山から出ているローカル線)じゃ!」
「く~~おかーさん、それおもろい!ほんだらこの長い(運命線)のは新幹線?」
「そうじゃ!」と二人で爆笑。 ちょっと横見ると一人寂しそうな義父。
「おとーさんも手見せて~」 「あっ!おとーさん、生命線、長いわぁ!!」
「お父さん、長生きじゃ、みっちゃん、どうするんじゃぁ?」と義母。
「おかーさん、どうしょう~~~(´▽`)ていうか、おかーさんも長いでぇ~~~」 したら、義父がぼそっと・・・
「わしは1月で終わりじゃと思っとるんじゃ・・・」という。
「おとーさん、大丈夫!この中で生命線が一番短いのん、私や(ーー;)」
” 10 あぁ・・・とうとう、おやつ規制(^-^; “あぁ・・・とうとう、おやつ規制(^-^; 昨日、看護師さんの話。
2,3週間前からの義母の不調。
食事のあと、2,3時間後に不調になる・・・それ。 「血糖値ですわ!」と。
この1年弱で8キロの体重増加。
食後に一気に血糖値が上がり、2,3時間後に一気に血糖値が下がるという状況らしい、おそらく・・・ 「膵臓に異常がないか検査してなければ、血糖値と考えて間違いないですわ。」と。 っで、買い物のたびに6個は籠にいれるスーパーカップ。
あれがよろしくないということで、
アイスクリームは厳禁という指令が発令された(^^ゞ 「みっちゃん、アイスクリームはもういけんのんじゃ・・・これ、持って帰ってくれんかのぉ。」と
冷凍室のアイス4ツほど、ビニール袋に入れてきた義父。 「おとーさん、電車の中は暖房がきいているし持って帰るまでに溶けてわやになるかもしれんわ。私が来たときに私が食べるから置いといて。」
「そうかのぉ、持って帰れんかのぉ・・・」 「食べたらいけんのんか?」とイラン口をはさむ義母。
「いけんのんじゃ!このせいでぶくぶく肥えて、そんな腹になったんじゃ!!」と責める義父。 オオハラさん、ショック・・・・(ーー゛) おかーさん、おおはらしょうすけさんじゃ~ってお腹さすっている場合やおまへんで・・・(´▽`*)” 07 さすが京大卒と思った件。 “さすが京大卒と思った件。 今日は朝から長男高校PTAの広報誌の作業に奮闘。
卒業生のひとこと集。
子どもたちが手書きしているのを文字データにする。 子どもたちのはおかしい文言もスルーで原文のままでOK。 各クラス担任からのメッセージ。
長男が1年2年のときの担任、京大卒の先生。
ひっかかる箇所もなくきれいな読みやすい文章を書いてはる。
漢字とひらがなのバランスもいい。 そして何より、「事」と「下さい」の扱いが適切。
形式名刺の場合、漢字で「事」やなくてひらがなで「こと」ってのをちゃんと認識してはる。
さすが、京大卒やわ。国語の先生でもないのに。 別の先生。
「事」と「下さい」の連発。
めちゃ引っかかった私はぜ~んぶひらがなに修正ですわね。
ほほほ~~~(*'▽') じゃ、残り1/3、やっつけましょう!(^^)!” オオハラさん(´▽`) “オオハラさん(´▽`) 昨日の義父母との時間。
散歩に行くのに上着を着せた義母。
お腹のところのボタンがきつい。 「オオハラさんになってもんたんじゃ。」と義母。
「オオハラさん?」
「ほれ」とお腹を前に突き出す。
「あ~大腹さんね。おかーさん、大原麗子さんになったん?」
「みっちゃ~ん、それは大原麗子さんに失礼じゃ・・」 ほほ~~よくわかっていらっしゃる(^^;) 散歩から戻り、炬燵ででくつろぐ。
義父がいう。
「みっちゃん、尼崎のお父さんはどうなんじゃ?」
「んー、左半身がマヒしていて一人で歩かれへんから車いすやで。」
「ほぅか・・・それは治らんのんか?」
「うん、治らんわ。だからおとーさん、自分の足で歩けるうちは3人で散歩に行こうね。」
「そうじゃなぁ・・・」
と二人でしんみりする。 したら、最近はいつ行ってもベッドに寝ているオオハラさんが言う。
「みっちゃん、寝てばっかりじゃとオオハラさんになってまうんじゃ。へへっ・・」
オオハラさんたら・・・・(ーー゛)” そして、今日の有馬。 “ 最近はいつも「お前、風邪ひいてたんか?」と聞かれる。
まぁ、心配してくれているということなのでしょう、お父ちゃん。 二人で勘三郎さんの話で盛り上がる。
「なぁ、57歳って若過ぎよなぁ。」
「ほんまや。歌舞伎界がわやになる。」
えっ、歌舞伎のことがわかっているのか? 「京都にあるやろ。歌舞伎座。あそこに名前が出るのは大変なんや。」
「へぇ~、ようそんなん知っているなぁ。」
「中村家に生まれたから3つから修行をせんならん。」
「嫌でも継がなあかんもんなぁ。」
「嫌でもしなあかん。お前はよかったなぁ。」 いやいや、そこで比べんでよろしいやん。 義父母に比べたら頭はイケテいるお父ちゃん。
身体はイケテません。
世の中、なかなかうまいこと行きません( ̄ー ̄) 最近の私を取り巻くあれこれを深く考えると身動きがとれなくなるので
まっ、この辺で手打っといたるやん!が処世術。 そして明日はPTA会議。
私は走り続ける・・・ダッシュ(*'▽')” 01 散髪したての頭、はったおしたろか!と思った件。 “ 頭から風邪ひくんちゃうか?ってぐらいさっぱりしたお父ちゃん。いきなり、うちの大将に聞きたいことがあると言い出す。 「なんでお前なんかと結婚したんか聞きたいねん。前からずっと聞きたいと思ってた。」 はぁ・・・( 一一)
お前なんかってどういう意味や? 「お前のどこが良くて一緒になったのかわからん。細ぉ~て病気ばっかりするし、どこがええねんやろ?」 どついたろか・・・( ̄ー ̄) 「あんな、これで子ども3人産んで、3人ともまともに育っている。なんか文句あるん?」
「なんでなぁ~お前なんかと・・・」 しつこいねん(-_-メ)
しばらく、スルーしたる。
ことの重大性に気付いたのか、
「今度、いつ、来る?」って聞いてくる。 来てほしかったらイランこというな!ちゅうねん。” | 11月 30 私のいい人。 “昨日の義父母との散歩のあと。
部屋に戻ると上着を脱いで、よっこらしょ!とコタツに座る義母と私。
超マメ夫の義父は外出着から部屋着に着替え、冷蔵庫から牛乳を出してお盆に乗せて持ってくる。三人分用意して、「まぁ、飲んでください。」とふるまう。
(さっき酒盛りしたからもうええのに…と思うが、義父の気持ちを無碍には出来ない) 甲斐甲斐しく動く義父を見ながら義母が言う。
「みっちゃん、ええじゃろぉ〜。」
「おかーさん、なんもせんかていいなあ。楽チンやなあ。」
「な〜んも考えんでもいいんじゃ!おかげで脳みそ空っぽじゃ*\(^o^)/*」 うっ!自分の病状を理解しているのか?あまりに真理をついているから、
「へへっ…」と
笑ってごまかす(⌒-⌒; ) 「みっちゃんも早くいい人見つけないけん!」
「おかーさん、誰かいてない?」
「んー、おらんなぁ〜」 えー!
お宅のご子息は? そのご子息、義母との会話が聞こえたのか、いつもより早く帰宅した昨夜、「何か手伝おか?」と来た。
ん〜、手伝おかやなくて、「俺がするわ!」って、キムタクみたいにちゃっちゃっと美味しいご飯を作ってくれたら…。 そしたら、義母に「いい人いてるで!」って言ったのにヽ(;▽;)ノ ” 29 憧れのハワイ航路♪~あぁ、元船乗りの儚い願い。 “義母の部屋、西向きの窓のずっとずっと先は大阪港。
今日、行くと、義父がその窓の先を見ていた。 開口一番に
「みっちゃんに会いたかったんじゃ。」とえらい可愛いことをいう。
(魂胆はわかってまっせ!)と思う私。
しゃ~ないなぁ~と
「おとーさん、散歩に行く?」とふると
尻尾をふる義父(のように喜んでいる)。 相も変わらずの神社からの酒盛りコース。
いつまで冷たいビールを飲むつもりなんじゃ?と聞きたいのをぐっと堪える。 「みっちゃん、今日は窓から見える学校(その向こうに船が行き来ししているのが見えるらしい。)の向こうまで行きたいんじゃ、いいじゃろか?」
「ええよ~」 「ここじゃの~窓から見える学校。」
「そやで~」
「あの、向こうに船が見えてたんじゃが、ここから港までは歩いてはいけんのぉ。」
「ん~おとーさん、ごめん。方向は合っているねんけれど、歩いては行かれへんわぁ。」
「そうじゃろなぁ・・・」 どこかの外国の船着き場での義父のモノクロ写真はなかなか趣きがある。
一番ええ時代じゃったんじゃのぉ・・・と義父が不憫になる。 やのに、義母。思ったことがすぐ口にでる。
体格のええおばちゃんとすれ違う。
「みっちゃん、見たか?えらいまん丸子じゃ!」
おかーさん、声がデカい!( 一一)” 24 老兄妹の再会。 “老兄妹の再会。 昨日は高校の学年同窓会で30年ぶりに旧友と再会。
今日はお父ちゃんの妹を連れて有馬に行く。
80オーバーの兄妹が半年ぶりに再会。 脳梗塞後遺症にて舌が上手く使えず何を言っているかわからんお父ちゃん。
血が繋がっていても理解が出来ない叔母。
私は二人の間で通訳をする。
(私ってバイリンガル?) 80を越えると人の話を聞くという項目が削除されるのか?
言葉のキャッチボールが出来ない 仕方ないので通訳する時に色をつける。直訳しない。気使うわ〜(⌒-⌒; ) 道中もトイレのある場所での「トイレ大丈夫?」確認。
駅の階段のサポート。
まあ、これらはいい。 病気の話、お葬式の話、親戚の愚痴etc.は正直辟易とするんよなあ。
聞いてもしゃ〜ない親戚の愚痴は、(私、知らんし、関係あらへんし、どうでもいいし)で、軽く「もう、ええやん!」って言うてまう( ̄◇ ̄;) 昨日の楽しい同窓会からストンと現実の世界に戻された私は、老人パワーにエネルギーを吸い取られヘトヘトちんε-(´∀`; ) 昨日、会場で流れた''ガラスのジェネレーション''でも聴いて景気づけよ*\(^o^)/* ” 23 嗚呼、受験生。 “昨夜、ご飯作り中に長男がぼそぼそと話をし出す。
いろいろ不安なんよなぁ。 兄弟一緒の部屋加えて、親父と弟はエレキギターを唸らすという住環境で、文句ひとつ言わず淡々と勉強している長男が、私は不憫なんよなぁ。
だから、昨夜はじっくり話を聞き、晩御飯が大幅に遅れる。
誰にも文句言わせへん( ̄^ ̄)ゞ 国公立を目指していた友だちがここにきて私大1本に変更したのも、心揺らぐんやろうなぁ。 「勉強したいと思うとこに行くのが一番。気の迷いはいい結果をもたらせへんで。思い込みはエネルギーになるからそれも大事やで。」としか言えない。 そして、本日、私はそんな不憫な長男を置いて高校の同窓会に行く。んー、ごめんよ(⌒-⌒; )
とりあえず、カレー作っておくし\(//∇//)\” 20 長男の高校のPTAの広報誌。 “来年、卒業式前に発行の号。
卒業生のひと言集がある。 長男が言う。
「PTAの母さんがやっているやつ、なんか書かなあかんねんて。昨年の3年生、どんなん書いてた?」
「お〜、ちゃんと先生、プリント配布してくれてんな。ちゃんと書いてや!」
と昨年の広報誌を渡す。 パラパラめくっていた長男。
「えっ!」
(うっ・・・気づきよったか?)
「これ、全員、書いてへんやん!」 そして、各クラスの人数を数える。 PTA広報誌なので任意。
全員が全員書かなくてもいいってものなので、
担任の先生、クラスの具合によって差が出る。 そして
思わず、「母さん、代わりに書いたろか〜」って言いそうになるが、あかん!あかん!私もこの号にひと言集やった(^-^;
3年生の広報誌担当役員は全員、編集後記にひと言集を載せる。 あ〜いよいよ、私の長かったPTA役員生活にピリオドか(^-^;” 16 瞳孔を開く! “眼科、定期検査の日。
今日は両眼の瞳孔を開く。 帰り道、お日様が眩しい。
裸眼視力が0.1も満たないから、車が来ているかどうかも見えない。 お昼に何か食べるものをとスーパーに寄る。 商品が見えない。
いちいち商品に顔を10センチ近づけている、不審なオバハンと化す。
レジでお釣りの100円を受け取り損ね、カゴの中に落とす。 あー、何も見えない。 レジのお姉さん
「大丈夫ですか?」
(大丈夫ちゃう!)と、
でも、探すフリはする。
「ハイ!お釣りの100
円です!」と見つけて、目の前に突き出される。 「あっ、すみません…」
そそくさと店を出る。 昨日と違って晴天の正午。
あぁ……撃沈_| ̄|○” そして、盗難防止ガードにビビる。 “眼科の受付をして郵便局に行く。
義母の生命保険料をペイジーで処理するため。 ATMで機嫌よく操作。
最後の段で「取扱できない!」と拒否られる。再チャレンジする。
また、拒否られる。カードが戻らない(ーー;) そしたら、局員が来る。
「ご本人の通帳ですか?」
「いえ、義母のんです。」
「身分証明はお持ちですか?」
運転免許証を渡しながら窓口に行く。 局長、登場。
「あ〜ぁ、馬詰さん。」と挨拶。
盗難防止ガードが作動した模様。 「大阪に来る前にしょっちゅう、通帳やカードを義母がどこかにしまって大騒ぎしてたから、それで盗難防止ガードなんかも」と私。 うちの事情を知ってはるので、機械を操作して、ペイジー払いができるようにしてくれはる。 それならそうと、義父も教えてくれたらいいのにと頭をかすめるが、そんなこと覚えてないわなぁ。 行きつけの郵便局でよかった。
レアな苗字でよかった。 しかし、義父母にはいろいろと経験させてもらえるわ。またも私の経験値はレベルアップ♪( ´θ`)ノ” 15 14 後見人の説明会からの大人買い! “家裁の駐車場は満車。成年後見人の説明会やからか・・・とエレベーターで一緒になった親子。ちょい悪風息子と昔ヤンキーか?おかん。ふ~ん、この人たちも説明会なんやと思い込んで自分が降りるエレベーターの階を押さずにいたら、4階でチ~ンとドアが開く。 えっ!ちゃうやん!私たち2階やし。仕方ないので4階をぐるりと回って階段を探す。4階は少年なんたら・・・って書いてある。あの息子、悪さしよってんなと納得しながら2階へ。
受付を済ませちょっと大きい部屋に通される。係りのお兄ちゃんが「自由席です!」って言わはるから、当然、一番前のど真ん中に陣取る。たいてい、こういう場面では一番前の列って空いているんよなぁ。みんな遠慮しいなんよ。 家裁作成のハンドブックをいただく。
成年後見人ってなかなか大変ですわ。50万円以上のお金を動かすときはまずは家裁にお尋ねをしないといけないとか、不動産売買も事後承諾ではNGでまずは家裁に相談してそれが妥当だと認められたらGOとか。仮に義父が亡くなったときに遺産相続が発生した場合、被後見人の義母と後見人の大将は利益を得る点で対立する立場にあるから、別に新たに後見監督人の申立をしないといけないとか。当然、財産の収支報告と後見状況報告の提出も必要。
なににおいても書面でやり取りです。エビデンスです。このあたりは体質的にOKなのでいいんやけれど、とりあえず、義母より大将は長生きしないといけないなぁ~と思った次第ですわね。でないと、新たに後見人選出ってなことになる。私は後見人にはなれないから子どもらにかかってくる。こんな面倒なことはさせられない。 この説明会、私らみたいな夫婦もんや兄弟のペアを入れて、50名ほどいてはった。
大将が言う。
「結構、ようさん、成年後見人を利用しはるねんなぁ。」
「ほんまやなぁ、それだけ認知症が多いってことやで^^;」
(まぁ、あなたは名義貸しみたいなもので、実質横の嫁はんがやるからよろしいやん!)と心の中でつぶいておく。
本日から10日後ぐらいには後見人として法務局に登録が完了するので、それから後見人として契約等の作業ができるってことで義母の生命保険の住所変更と引落口座変更も年内にケリがつく(^^)v
そして、それとは別に今日から1カ月以内に提出しないといけないという宿題も出た。 そんなこんなでお昼前に会場をあとにする。帰りのエレベーターは上の階から乗ってきた人で満員。そして、こんなとこでしゃべっていいのか?ということを言うてはる。私が知らない世間ではいろいろと事件が起きているんや~。さすが家裁!!とちょっとワクワク(^^)
"さすがの家裁"をあとにして、義父母の下着を買うために堺筋本町の寺内に向かう。パーキングに駐車してさてお昼。ちょうど、12時を回ったところ、ここはビジネス街。あちらこちらのビルから出てきたサラリーマンであふれかえっている。一番、てっとり早いであろう船場センター街の地下に行くことにする。
先に歩く私に「お前、どっかアテがあるんか?」
「センター街に行ったら何か食べれるで。」っで、
結局、二人やとセルフサービスのうどん屋さん。大将はきつねうどんに別皿に玉ねぎと海老となんやもう1品天ぷら、私はかけうどん小に海老とお芋さんの天ぷら。二人で1,060円也\(^o^)/ ここから寺内1号館、下着売り場へ。
「私はおかーさんのんを探すからのんちゃん(義父)のパッチと長袖の下着を探しといて。」と別れる。
女物の下着売り場にはいくらなんでも足を踏み入れられないだろうと思って。今まではMサイズにしようかLサイズにしようか?何がいるやろか?と人様の着用するものって全くわからず、考えるだけで疲れてしまったが、今日はLサイズで買うものも大体決まっているのでちゃっちゃと袋に入れていく。満杯になった袋を持って大将のところに行く。
「のんちゃんのん、あった?」って一応聞く。
「わからん・・・」 え~~~~わからんって。今まで何してたん?と心の中で雄たけびを上げるがここは街のど真ん中、大人な私はとりあえず、その「わからん・・・」はスルーする。
「これ、持って!」と義母の下着山盛りの袋を渡す。女物スペースに比べたら男物スペースはあほほど小さい。なので迷うほどのこともなく、長袖の下着とパッチ、いわゆるズボン下ってやつを選ぶ。ことのついでに、パジャマSサイズってのもあったので、義父の分と有馬のお父ちゃんの分も選ぶ。 「さぁ次は靴下やわ。」と階を変えて、靴下売り場へ。ついでに息子二人のと娘と私のも選ぶ。「俺もいる。」っていうから「自分で選んで。」と私。
大将は靴下の好みが難しい。好みったってただただ履き心地なだけで、そこのこだわりは半端やないので私は手を出せない。私なんて家の中では息子のお下がりの靴下をはいているっていうのに・・・結局、好みのがなくて会計をするために地下へ降りる。
「お前、買いすぎとちゃうん?」って軽く非難される。
「どこにしまうかわからんし多めにお願いしますってワーカーさんに言われたし、ええねん。もしかしたら4万円ぐらい行くかも?」って脅す。結局、お支払は3万で3,000円ほどお釣をいただく。すっごい大人買い。こんな買い方、自分のものではよぅしません^^; その流れのままホームに行って(義父母はデイサービスにて不在)、買ったばかりの下着に名前を書いて、空っぽの箪笥にしまう。古い下着は処分するために持ち帰る。ついでに炬燵もセットする。せっかくなので義父母がいてるデイに寄るがなにやら楽しげなお遊び中で義父はつれない。下着等を買ってきたことだけ伝える。さっさと自分の席に戻る義父。かわいい一人息子より面白いお遊びなんや・・・まぁ、楽しいならそれでOK!よかったよかった!先日からの懸案事項(義母のLサイズの下着一式を買うということ)が片付いてやれやれ(^^)v” 高校生のマフラーの巻き方。 “標準服の高校に通う次男坊。
今日はその標準服のズボンに、ヒートテックの長T&チェックシャツ&厚手のニットカーディガン。
襟元にヒートテックのチェック&無地のリバーシブルマフラー。 「巻き方、わからん!」ってくる。
「何が?」
「マフラー!」
「えー、知らんしぃ〜(ーー;)」 娘を呼ぶ。
「巻き方、わからんねんて、やったって!」 自分で処理できんモン買ってくな!
通学電車の中で、カッコいいよその兄ちゃんがどうしているか?とか、研究しろよ!
と、言いそうになるが、家の中で一番偉そうな態度のくせに、まだまだ可愛い16才(#^.^#)” 12 11 怖がりマスク小僧。 “10月のいつだったか、次男坊の机の上にマスクの残骸。
数年前、夏場に流行った新型インフルエンザ以来、
インフルエンザの季節にはとりあえずマスクを常備している。
電車通学の私は自分が風邪で咳がでるときはマスクをするが
それ以外は面倒くさくてしない。 この春から高校生になって電車通学の次男坊。
自らマスク着用の様子。 高校合格と同時に私の行きつけの眼科で
2weekのコンタクトレンズを処方してもらった。
最初の1週間はつけ方外し方の練習に通う。
私の診察のときに「息子を頼みます!」とお願いし、1人で通わす。 「お兄ちゃんに比べたら怖がりのようでうまく装着ができないようであればコンタクトレンズはあきらめてもらいます。」と先生。
「愛想がなく偉そうにしているくせに怖がりなんですわ~~」って私。 その怖がり、
毎日、学校から帰ってくるとコンタクトレンズを外すのに洗面所に行く。
先生の言いつけどおり、石鹸で手をゴシゴシ洗ってから作業にかかっているのを先日発見する。 肩で風切って偉そうにしてても
怖がりは怖がり。
今日もギター背たろうてマスクをして帰ってきた。
まだまだお尻の青いヤツ^^;” 08 1週間のご無沙汰です(*^o^*) “義父母に会いにいく。
今日は外反母趾の義父(男の人でもなるのや・・・)のため
業者さんに来てもらって介護靴を注文する。
義父だけやと、義母はおもしろないやろと義母の靴もお願いする。
なんせ乳幼児並やから、同じようにしないといけない( ̄▽ ̄;A
介護靴っていってもいろいろ工夫がしてあるだけで、一般の靴とそう変わらない。 あっ!義母の靴下、親指がこんにちは!している。
業者さんが去んでから
「おかーさん、靴下、穴開いているわ。また、買ってくるわ!」って言う。
いやいや、この前、新しいのを持ってきたばっかり。
あれはどこにやったん? 「靴下、右と左を替えて履いたらいいんじゃ!」と義父。
「おとうさん、ええこと言うなぁ。とりあえず、そうしとこか。」と靴下を脱がせる。
靴下を脱いだ義母。
「この親指が悪いんじゃ。」
ハッハッハ・・・・ 「みっちゃん、っで、この靴下、どうするんじゃ?」と義母。
えっ!5分も持たへんようになったのか?
1分前の話も覚えられへんようになっているヾ(-_-;)オイオイ... 「おかーさん、冷え性やし寒いから靴下、履いとこか?」と私
「そうじゃな・・・」とまた元通りに履こうとするから
「おかーさん、左足はこっちを履いてぇ〜〜」と
義父の指示どおり左右逆にさせる。 「どうじゃ。それで2倍もつじゃろ!!」とドヤ顔の義父。
恐れ入りました。戦後を生きた昭和一桁生まれにはかないません(;^_^)” 01 午前中、義父母のところ。 “10時に到着。それぞれの部屋で別々に寝ているのか?
とりあえず、義母の部屋に入って声をかける。
ベッドに横たわりながら話し続ける義母。 コタツテーブルの上に座布団が3枚。
コタツテーブルの下(コタツ布団はまだ出していない)に義母の外靴がちょこんと置いてある。 昨日、仕事の帰りに寄ってきた大将が言うには
コタツの天板と義母の靴やら服やらを入れたAmazonさんの段ボールを
トイレの中に入れていたらしい。
押し入れのつもり? その名残りを感じさせるセッティグに笑いそうになる。 小一時間ほどして登場の義父。
「お〜みっちゃん、来てたんか?」とベランダの外を見る。
ふふん・・・散歩ですね?
「おとーさん、散歩に行く?」 で、散歩。 この前の酒屋さんに向かいつつ、
「ジュース飲むじゃろ?」って義父。 ビールを飲みたいのか?
ちょっとイケズ心の私は今日はビール飲む?って言わない。
えっ・・・さっさと缶ビール1本もっているし( ̄▽ ̄;A
「二人はジュースじゃろ?」やて・・・ 鼻歌まじりで帰路につく義父。
シアワセそうで何よりです(^-^;” 子離れ考。 “ この春から社会人になった二十歳の娘が家を出たいらしい。
付き合って5年越しの彼氏と一緒に住むらしい。
結婚はお金を貯めてからだとか。 「お父さん、何ていうやろ?」って言うから、さっき、大将だけってひと時があったので、軽くふる。 第一声が
「考えられへん。」
「いや、ちゃんと考えたって!」 「何でそんなことするのかわからん…」
何を野暮なこというかなぁ。
「一緒にいたいんやろ!」 最後、
「お前はどう思うん?」
えーそこぉ〜(ーー;) 「真面目に将来のことも考えているし、反対する理由ないしなあ。いずれ出て行くねんし、いつまでもいてもろても困る。」 そこに、次男坊帰宅。
一時休戦となる。 いつまでも5人仲良く暮らせるわけがない。
てか、自分も18で親元離れて大阪に出てきているやん( ̄O ̄;)” | 10月 31 29 あぁ、たかが散歩、されど散歩。 “義父母がこちらの来たときは真冬やったので、寒い中、連れ出して風邪でもひかしてはいけないと、外に出るのは控えていた。2月終わり、3月の声を聞くころから、義父がやたらと外に出たがるようになり、私が行くと散歩というのが定番になって半年以上。
いつも決まったコースなんよな。神社に行って3人でお賽銭を入れて二拍二礼して、そのあと帰り道の自販機でオロナミンCを義父におごってもらう。3人で立飲みして帰る。
夏前からはオロナミンCが缶ビールになり、神社の北隣にあるお寺の境内で3人で酒盛り。 酒盛りをした日は、お昼ご飯のときに帰る私に
「みっちゃん、今日はええ一日じゃった!」と義父は言う。
ん~~今日はまだ半分終わっただけで後半はまだまだ長いでっせ!と思ったもの。 今日、散歩から帰ったら大将から電話。ちょっとしゃべって義父に電話を渡す。
「今日はみっちゃんが来てくれてなぁ。散歩に行ったんじゃ。楽しかった!」と息子に報告する義父。 義母は、外に出ると不安で仕方がないので私の手を離さない。ずっと手をつないでちんたらちんたら歩く。その5メートルほど先を一人歩くのが義父。今日は鼻歌を歌いながら歩いてはったから、それが楽しかったのか、別段、いつもと変わらない散歩。
やのに、楽しかったらしい・・・ 時々、思い出したように
「みっちゃんと散歩するのは久しぶりじゃのぉ。」って義母。
ん~~ここ数カ月は少なくての1週間に1回はお手々繋いで散歩してまっせ・・・と思うが、
「ほんまっ・・・」っていうとおく。 散歩の間じゅう、義母とはとりとめない話をする。どっちゅうことない話がほとんどやけれど、時々、度胆を抜くことを言う。私はえ~~~と思って、早く大将に電話してその内容の確認及び報告をしたくなる。今まで知らなかったことの数々。 散歩というのは、心がふとゆるんでしまうものなのかもしれない・・・” 朝、ちゃっちゃと用事を済ませて義父母のところに行ってきた。 “
いつも通りの散歩を終え、ホームに戻るとお風呂の時間。
義父についで義母が行く。 義父に最近の義母の様子を聞く。
「『わしに向かって●●さん(義父の名前)はどこに行ったんじゃろか?』っていうんじゃ・・・(>_” 28 そして、義父母のところ。 “お待ちかねのみっちゃん登場に浮き足立つ義父。
「みっちゃん、雨、降っとらんじゃろ?」
「ん〜ちょっと降っているねん。」 窓から外を見る義父。
「帽子をかぶれば行けるじゃろ!」
(え〜〜〜帽子じゃ間に合わん( ̄▽ ̄;)) といって、そそくさと自分の部屋にいき、服を着替えて靴下をはいて戻ってくる。
マジで行くんっすか?! 「おとーさん、ほんだら、下に下りて雨が降ってたら事務所で傘借りようねぇ」
「帽子でいけるじゃろ。」
(いや〜だから、いかれへんねんって・・・) 私の顔には散歩って書いてあるのか?
すごい条件反射やし。 「おかーさん、ちょっと肌寒いし、一枚上から羽織ろうかぁ〜〜」と
タンスの引き出しを開ける。
ギョ!空っぽやし〜〜( ̄▽ ̄;A
テレビの下のAmazonさんの段ボールを開ける。
トイレットペーパーと一緒に居てる上着発見! 「おかーさん、これ!これ!これ着てぇ〜」
「みっちゃん、よう知っとるのぉ〜だから、みっちゃん、好きなんじゃぁ。」 義父、帽子かぶってドアのところで待機中。
「おかーさん、はい、腕通して〜」
と連れて下りる。 雨の様子を見て、神社行きをやめてコンビニのみに変更した義父。
ここはさすがやね(⌒-⌒) 今日のお役目、終了〜〜〜\(⌒▽⌒)/” そして、タガが外れてしまったか?義父の件。 “そして、タガが外れてしまったか?義父の件。 昨夜、仕事の帰りに義父母のところに寄ってきた大将が言う。
「思い出話から親父、すごいことを言いよった。」
「何を言うたん?」
「『●●(大将の実母)が死んだからお前(義母)と結婚したんじゃ。』と言いよってん!」
「うっそ!」
「おかん、『はぁ?』って言うたで。俺、どうしょうかと思った。」 いや、事実は事実やねんけれど、
今まで、そんなデリケートな話は胸にしまっていたはず。 「親父も人に気を使うっていう神経がいかれてきたんかなぁ。」
「ん〜〜そういうことやなぁ。」
「考えたら、おかんの人生もなかなか辛かったやろうと思うわ。」としみじみ言う。
「せやなぁ、一くんもおかーさんのこと、『おかあちゃん』って呼んだってへんもんなぁ( ̄  ̄メ)」って軽く責めたる。
傷口にマキロン、ふきかけたった( ̄▽ ̄;) まっ、義母は5分前のことは"なかったこと"やからええねんけれど・・・ 「っで、有馬のおとうさんはどうやった?」って今日は気が回る大将。
「ん〜〜昔話のオンパレードやったわ。」
「昔話のオンパレードってだいぶボケてきているんか?」
「まだらボケやな。」 ボケ両親ネタで盛り上がる。なんか切ない・・・( ̄▽ ̄;A” 27 有馬にて。 “今日のお父ちゃんは昔話のオンパレード。 自分の父親(私の祖父)は「明治生まれで字も書かれへんかったから、わしも勉強嫌いやった!」
(関係あらへんがな!)
とか、
「明治生まれの堅物でパーマかけたかったのにかけられへんかった。」
(知らんがな!)
とか… 締めは、
「これからの時代は昆布茶や!」 「は?昆布茶なん?」 「ちゃう!コンピューターや!おまえ、耳悪いんか?」 「あんたがもっとちゃんとしゃべれ!」 「おまえもコンピューター、使えるようになれ!」やと。 誰に向かって言うとんや!!ってシャウトしそうになるがぐっとこらえる。 さぁ、次は尼のお母ちゃんとこや。
自分の親はなんか可愛げないと思うのは、お互いに甘えがあるから?” 26 無事に後見人審判が下りた・・・ので、iPad mini予約する\(^o^)/ “昨日、福山に居てるときに家裁から特別送達が送られてきていたが、留守にて不在通知。本日、義父母のところにいくと、こちらには義母宛に普通郵便。事務所で受け取った(義父母の郵便物は事務所預かりで大将か私が受け取る)私はその場で開封。申立を相当と認め、後見の開始と後見人に申立人を選任の審判書面。 懸案事案も無事にクリアで家裁面談から1カ月未満で審判が下りるのはなかなか優秀らしい。ホームの管理責任者のおっちゃん(といってたぶん、私と同年代)にも、私が作った提出書類一式をほめられる。
「●●(家裁に同行した社会福祉士さん)から聞きましたで~。奥さん、すごい!って言うてたわ。専門家に頼むと結構な値段しまっせ。」(河内やからコテコテ^^;)
「へへっ、しやから、私、iPadが欲しいから買ってもらうことになっているねん!」
「ほぅ~なら、3台ぐらい買ってもらい~」と。 なので、64GBのを予約注文したもんね~~~\(^o^)/ さっき、我が家には特別送達で封書が届いた。審判書面と説明会通知と面談の時に添付した切手のあまり1,780円分。たぶん、事件によったら、あちらこちらの親族にコンタクトを取る必要が生じるかもしれないので、最初に多めに切手を添付するシステムなのか。200円切手を返してもらっても使い用があらへんやん!って話やねんけどな(--〆) そして、その説明会は当然、私も出席する。今後、義母の財産の収支記録をつけ、定期的に家裁に提出という仕事をするのは私。誰が考えても私よなぁ。大将ははなからする気ない。
後見人になったら法務局に登記される。登記されるのは当然大将。それが証明となって代理で手続きができるらしい。責任の重さをひしと感じる。ん・・・そう感じているのは私で当該者である大将はイマイチ実感がなさそう。そうよなぁ~はっきりいって名前だけやもん。
まぁ、それが我が家では自然な形なのでええねんけれど。近々には不動産売買の手続きもあったりで、それらも全部、私が対応するということは、大将と私の間で暗黙の了解となっている。 いやいや、ほんま、自分でいうけれど、なかなかこんな嫁はいてまへんで!iPad mini1台では割があわへんような気がする。すごくする・・・” 散歩日和でビール日和(^-^) “私の姿を見て開口一番に義父。
「みっちゃんが来てくれんかのぉと思ってたんじゃ。」 うまいこというなぁ、そんなん言われて調子に乗った私は
「おとーさん、天気もええし、散歩に行く?」とふる。
「よし、散歩に連れて行ったろかぁ。」と義父。
え〜〜私が連れて行かれるんですか? いつものコースから離れ、酒屋にふら〜と足を踏み入れる義父。
「ジュースでも飲むじゃろ?」って。
ジュースってここ酒屋やし・・・
もぉ〜〜しゃ〜ないなぁ〜と思う私は、
「おとーさん、ビールでも飲む?」と優しい言葉。
ていうかこの時点でビールの前に立ってるやん、おとーさん( ̄▽ ̄;) 「そうしようかのぉ〜」って。
そして
「みっちゃんはジュースじゃろ?」
「うん、みっちゃんはジュースにするわ!」で三人で酒盛り。
お寺の境内では珍しくお坊さんがうろうろ。
そのたびに缶ビールを隠す義父。 このあと、いつもコンビニで買物。
「みっちゃん、女の人が顔を洗ったあとに塗るやつ、どれじゃろか?」
と。
義母は歯磨き粉を顔に塗ったりする。
「おとーさん、これやわ。」と化粧水と乳液を渡す。
「どっちが先じゃ?」
「このピンクが先で次が青いほうやで。」
「ピンクで青じゃな。」 ん〜〜おかーさんの洗顔後のお肌のお手入れまで心配する義父。
「私はおとーさんに"おんぶに抱っこ"なんじゃ。」が口癖の義母。
"おんぶに抱っこ"か・・・よろしいなぁ〜〜。
ご子息は私に"おんぶに抱っこ"でっせ〜〜〜( ̄▽ ̄;A” 22 2回めの思い出収集の旅。 “25日に大将と二人で広島に行く。義父母の家の整理をしに行く。 義母の成年後見人申立も終え、あとは結果の通知を待つのみ。
その後、家を売却することになる。 今いるホームが広島の家やと思っている義母は、
「みっちゃん、私らがおらんようになったらこの家は好きにしたらいいんじゃ。」と言う。 正直ものの私は胸がキューと痛くなる。 ここが大阪だと認識している義父は、
「家にカメラがよぅさんあるんじゃ、あれらはもう、使わんけぇいらんのんじゃ。」と言う。 気の小さい私はドキドキする。
(おとーさん、その、カメラのひとつ、私、もらったよ。)と心の中で言う。 お盆に大将と二人で広島に行ったことは、大将は今だ親父に言えずにいる。
私も言えないでいる。 「嘘つきは泥棒のはじまりやで!」って子どもらを叱咤した私。
すみません、泥棒にはなりたくありませーん\(//∇//)\
編集
10月20日” 21 冬支度と日だまりと心ブルブル。 “フローリンング仕立ての居間にホットカーペットを出す。さすがに朝夕は板の上は寒い。ついでに夏の風物詩、扇風機とガスストーブを入れ替える。
南向きの部屋は冬場は半分ぐらいお日様が入ってきて、今日みたいないいお天気の日はホットカーペットのスイッチをいれずとも、日だまりに座るだけで暖かい。ニャンコの気持ちがよくわかる。そこに寝っころがりながら本を読むという時間に幸せを感じる。安上がりやわぁ〜〜 いやいや、私は毎晩、至極のときを過ごしている。
睡魔ギリギリの身体を横にしてiPodのイヤホンを耳に突っ込み、読みかけの本を広げる。この瞬間が一日の中で一番幸せなときでその次が冬の日だまり。毎晩のそれは1頁も読み進めることができず、1フレーズも聴き終わることもできない。速攻、撃沈する。最近は夢をみることもできない。もったいない。以前は時々、映画のような感動の嵐の夢を観ることがあったのになぁ。目が覚めても続きが観たくて、もっかい目をつむって寝ようとするがそういう感動の夢ほど続きが観れない。くそ・・・( ̄  ̄メ)
最近はあっという間に朝の5時を迎える、一瞬の出来事。おかげで読みかけの本が足踏み状態。 この季節の変わり目の出したり入れたりは正直、面倒くさいんやけれど、気分一新され、来るべき季節に妙に期待感を抱く。我ながらめでたい体質。学生のころは春になって進級、進学で新しい友だちができるやろうか?なんて心をブルブルさせていたが、学生でなくなるとそういう心配ごとからは遠ざかり、まして、主婦になると心ブルブルがほとんどない。 ということで、季節の入れ替えで新しい季節に心ブルブルを期待してみる。大抵が毎年さしてなんら変わりなく過ぎ去っているし、心ブルブルがあったとして、それはあまり嬉しくない、しんどかったり大変やったりするものなんよな。特にここ数年。それでも何もなくてのっぺりとした時間よりええかなと納得する。
新手の作業に奮闘することで、おかげさまで私もまたひとつ大きくなりました!と嬉しがる。ドラクエのように私の経験値がアップされワンランク上のステージにコマを進めたということやん!となる。 ん〜こういう心ブルブルもええねんけれど、もっと可愛らしい心ブルブルを探してみようか〜と思う今日この頃。ということで月末に娘と二人で陶芸一日体験っていうのに行く(^-^)死ぬまで心ブルブルしていないと認知症になるからね・・・”心ブルブルの旅”推進委員会でも発足しようか〜〜(^-^;” 20 大人げないと思った件。 “昨日の有馬。担当者会議での場面。
言語療法の24歳のお姉さん先生の所見。 舌の動きに不安があること
一文字ずつゆっくり発っする練習をしていること
などなど。
そして、最近、感情に不安定なところが見られる。
戦争のときの話や思い出話で涙ぐまれたり、
家に帰るのでいろいろお世話になりましたと挨拶されたり、
と、おっしゃる。 お父ちゃんはこの先生がとても気に入っていて
尼センデパートで売っているらしい、たい焼きを買ってきてこの先生に渡してくれと言う。
お気に入りの人にはこのたい焼きをプレゼントしたいと思うお父ちゃん。
私は食べたことがない。 そして、大人げない私は
この先生の話で涙目になる。
一通り先生方の所見のあと
婦長さんに
「おつらいでしょうが、娘さんからも何か。」とふられる。 涙もろい私は
こういう優しい言葉をかけられると目の中が涙でいっぱいになる。 ちょっとでも大人ぶりたい私は
「すみません、涙もろいもんで・・・」っていいつつ
とりあえず、しゃべる。
感動の一場面を作ってしまう。 感情が高ぶると涙があふれるタチで
これは"つらい"というものなのか。
"つらい"という感情がイマイチ実感できない。
"かなしい"でもない。 50前のおばはんがこういう場面で涙するのは
大人げなさ過ぎると恥ずかしくなる。
感情の高ぶりは自分で分かっているが
頭の中もちゃんと冷静に動いていて、
あかん!あかん!って思うのに、
そう思えば思うほど、涙はあふれるという悪循環。 あ〜〜年相応の大人になりたい・・・
そして、あれは
"つらい"でなかったら何やったんやろか?
散々考えて、山を下りるバスの中でやっと気づく。
あれは”たまらん”やと・・・” 18 てるてる坊主を作ろうかと思う件。 “今日は義父母のところに行く。
9月までは月曜と木か金のどちらか、週2回足を運んで三人で散歩していた。 10月から義父母は月曜もデイサービスに行くことになり、私のスケジュールと上手く合わず、週一ペースが続く。 足腰も五臓六腑も元気な義父はお外に行きたくて仕方がない。
大将は仕事の帰りに寄るので散歩は無理。
散歩どころか、そのひとり息子…
「いつもそこに寝とるんじゃっ」と嬉しそうに義父。
「何もしゃべらんけぇ〜おもろないんじゃ!」と避難する義母。 義父母の頭の中は、ものを頼むのはみっちゃん(^-^)
思い出したように、その可愛いひとり息子のことも「今後もよろしく頼むわなぁ」とおっしゃる(⌒-⌒; ) いくつになっても子どもは子どもなんですねぇ。
ええよ〜出来ることはなんでもするよ〜(^.^)
出来へんことはせぇへんけど。 私は義父母のところに行く日の空模様が気になって仕方がないのに、そこになんの気持ちも動かん大将。
っで、私のことは誰が面倒みてくれるん( ̄ー ̄)” 出掛けの電話。 “義父母のところに行く用意をしていたら母から電話。
なんや泣きそうな声やし。 「どないしたん?」
「この前、言うてた虫。床から出てくるねん。それもいっぱい・・・」
「わかった。明日行くから不動産屋さんにみてもらう段取りするわ。」 先週、行ったときに蚊みたいな虫が出るとか言うてたあれか・・ 脳梗塞のお父ちゃんの介護疲れで鬱になりかけた母は
マンションがあるというのに
「ここに居たら介護のしんどさを思い出す」とか言う。
仕方がないのでほん近くにハイツを借りて住まわせている。
要支援1がついている80歳。 ハイツの連帯保証人は大将と私。
何か不具合が生じると私から不動産屋さんにコンタクトを取る。
そして立ち会う。
父名義のマンションはただいま無人で維持費はうちやし( ̄  ̄メ) あっちもこっちも手がかかる。 明日は有馬のお父ちゃんのところに行く。
担当者会議で主治医、リハビリの先生3名、婦長さん、栄養士さん、ヘルパーさんとソーシャルワーカーさんという構成の会議。
半年に1回、開催される。
明日はたぶん、先週聞いた例の意識喪失事件のその後の話。
毎回、食事が食べれなくなったときに"胃ろう"をするかどうか?
心臓が止まりそうになったときに"電気ショック"をするかどうか?
の家族の意思確認がある。
私はすべてNO!とサイン。
「お気持ちは変わりませんか?」
「はい、変わりません!」と、キッパリ!
ここでは私はキーパーソンという立場。 私、母のところでも義父母のところでもキーパーソンやん。
やるなぁ〜私・・・( ̄▽ ̄;A” 16 昨日、次男坊が学校行事で大学見学会に行ってきた。 “高校1年から大学進学に向けてモチベーションを高めていこうという学校の企み。 普通科のお子さま8クラスは国立"京阪神"+関関同立の組み合わせ2大学。
普通科でない次男坊のクラスのみ、京都造形芸術大学。
あの秋元康氏が副校長の大学。 そこにやたら食らいつく次男坊。 先月は大阪芸大のオープンキャンパスに足を運んでいた。 大将と娘が危惧して言う。
「芸大に行って就職出来るん?」
私を責めているかのごとく。 知らんやん|( ̄3 ̄)|
ほんだら、どこに行ったら100%就職出来るん? この時代、世間でいうところのええ大学でてもわからんやん!
仮に就職出来てもリストラされるかもしれんやん。
先のことなんて誰もわからん。 何があっても、
どんな状況に置かれても、
柔軟に対応できる精神力を養おう。
柔軟に対応できる知識を身につけよう。
知識はきちんとした使い方をして初めて教養になる。
教養のある大人になろう! それしかないと思う今日この頃。
わが身も含めて… ” 14 昨夜は大将と二人でCAVERN CLUB。 “先に腹ごしらえに立ち寄ったホワイティ梅田の串カツ屋さん。
串カツを間に夫婦二人で向かい合わせに座る。 20年経過した夫婦がしゃべるネタって可愛くない( ̄▽ ̄;) 「●○(次男坊)は試験前やのにギターばっかりやったで。」
「俺は試験前はちゃんと勉強してた!」 (なら、父親として注意してくれよ〜〜)と私の心の中。 「家庭科の試験、欠点やったで。」
「欠点やったらどうなるん?」 (え〜〜そんなことも知らんの?) 「欠点ばっかり取ってたら2年に上がられへん( ̄  ̄メ)」
・・・・・・大将無言。 (なんとか言えよ!) 「っで、今日はのんちゃん(義父のこと)から電話あった?」
「ないわ。」
「何もないってことは問題は発生してへんってことやなぁ。」
「あとでするわ。」 (はぁ、別にええねんけれど・・・) 「串カツ、美味しいなぁ〜」
「美味しいなぁ・・・」 終わり( ̄▽ ̄;A” 13 義父のもう一つの懸念ごと。 “義父のもう一つの懸念ごと。 TVリモコン携帯電話騒ぎも一段落した木曜日。
「みっちゃん、悪いんじゃがこれを持って帰って捨ててもらえんかのぉ?」」と
スーパーのビニール袋を出す。 10センチほどのプラスチックのS字フックが入っている。 「いいけど、なんで?」
「これ、デイで椅子に鞄をかけるのに使うんじゃ。10個ある。
●●(義母)に聞いたら、広島から持ってきたって言うんじゃがの、買った証拠のレシートもないんじゃ。
ここの職員に見つかると大事になるじゃろ?
見つからんように持って帰って欲しいんじゃ。」 「うん、わかった!見つからんように持って帰るわ。
これ、いつ見つけたん?」
「2、3日前じゃ。」
「そしたらそれからずっと気に病んでたん?」
「そうじゃ、みっちゃんが来るのを待ってた。」
「そうなんや、もっと早くくればよかったなぁ。
わからんように持って帰るから安心して。」 と、ここで義母がかんでくる。 「お父さんも大変じゃのぉ〜」 あの〜持ち出し犯はおかーさんですやん( ̄▽ ̄;A っで、当然、帰りにケアマネさんに事情を説明し返却する。
可愛い嫁(義母)が泥棒扱いされるのが耐えられない義父。
その深い愛情のひとかけら、
お宅のご子息にお分けいただけたらわたくしは幸せでございます(^-^;” 08 義父、大将に叱られた件。 “木曜日、私が行ったとき、義父がメモ書きを見せながら言う。 「みっちゃん、エレベーターの番号は□△□△じゃろ?」
「えっ、おとーさん、何で知っているん?」 エレベーターは認知症の人が一人で乗らないよう暗証番号でロックされている。
健康やけど一人暮らしに不安な方も入居していて、自由に外出できる。その人に暗証番号を教えてもらった義父。 私は義父には「一人でエレベーターに乗ったらあかんよ!」なんて言わない。 「自由に外に出たいよね〜」なんて、義父に同調したことを言う。嫁やもん、当然♪( ´θ`)ノ
そして、
ケアマネさんにチクる。
大将にチクる。 翌日、一人で1階まで下りた義父は事務所の人に
「息子さんの許可がないからエレベーターには一人で乗らないように!」と注意され、
息子さんに電話をかけてきて
許可申請をする。
そして、大将に叱られる(。-_-。) 息子に叱られるってことがちょっと嬉しかったりする義父はすんなり引き下がる。 ふふっ、でも認知症やからそんなことすぐに忘れるのよ(ーー;)” 長男のパンツ(アンダーウェアのパンツ)をネットで注文した。 “大将と息子二人、ほぼ同じ体型。
ややこしい〜てかなん( ̄▽ ̄;) 洗濯物を畳んで分類するときにいつも悩む。
覚えられへん。 パンツの分類方法を私なりに考えた。
それぞれのイメージと願望を込めて。
大将→トランクス(色・柄まで考える必要なし)
長男→ボクサーパンツで赤やらオレンジやら派手系
次男坊→ボクサーパンツで黒やら紫やら渋め系 長男から
「体育で着替えるときにな、パンツ、意外と派手やなぁ〜って毎回言われるねん。なんとかならへん?」
とクレーム( ̄▽ ̄;A 超真面目なヤツがはきそうでないド派手なのをわざと選んでいる。
その意外性がオモロいやん!って思うが
パンツに面白さを追求する親心がわからんらしい・・・ 「なんなら、パンツに名前を書こか?マイネームペンで!」と私。 高校3年で名前入りパンツ、けっこうイケるんちゃうん\(⌒▽⌒)/” 06 上申書とか陳述書とかなるものを作ってみた(^-^; “水曜日、家庭裁判所から命じられた宿題。役所に請求した書類は昨日、役所から「この内容のものでいいでしょうか?」と確認の電話があった。参与人のおっちゃんが個人ではなかなか厳しいかも、ここは司法書士さんに頼んだほうがいいかも・・・と提出期限は1ヶ月としてくれた宿題。
別段、難しいこともなく素人でも簡単にこなせるやん!ってことで10日ぐらいで提出できそう。 役所からの資料が届いたら、今度は家裁に向けて上申書を提出しなければならない。ネットで調べてみる。ドンピシャの上申書は見つからなかったが、アレンジしたら使えそうなのを参考にWordで作成する。裁判所が扱う案件はすべて事件という括りで事件番号が発行される。その事件番号、家裁担当者名もしくは担当係、こちらの情報、日付は必須。あとは適当に色を付けたらええ感じの上申書が出来上がる。 参与人のおっちゃんは「家族の心情を陳述書で訴えるのも手かもな」なんてヒントをくれたから、この際やから陳述書も添付することにする。陳述書も上記のポイントを抑え、あとは切々とこちらの心情を綴ればいい。これがまた我ながら絶品の出来。印刷して校正作業もする。そこに大将帰宅。私が作った陳述書は、大将の気持ちを代弁しているというものなので、中身の確認、この心情に間違いないか読んでもらう。 「お前、よぅ、こんな文章考えられるよな〜」と言っていただく。
「せやろ?自分でも天才ちゃうか〜〜って思うで!」と調子こく私。 私の前で数Ⅲやら数Cやら物理やら訳の分からん勉強をしている長男がいてるが、こいつは文章を書くというのが苦手なのだ。文章としての作りはちゃんとしているんやけど自分の心情を綴るという作業が苦手ときている。心の中で「あんたにはこんな文章書けんやろ?!」と長男に喧嘩を売る。心の中なので長男は何も応えない。しつこい私はまだ心の中で喧嘩をふっかける。「あんたには負けてないからな!!」と。何も知らない長男は涼しい顔で訳の分からん式を解いている。くそ、わからん・・・( ̄  ̄メ) 水曜日、同行しはった社会福祉士のお兄ちゃんは宿題が出たことを嘆いていたけれど、「すんなりいくより手間があったほうが今後の勉強になるで!」と励ました私。なんで私が励ますねん( ̄▽ ̄;A
このお兄ちゃんは社会福祉士として成年後見人申立の流れを知識として得たいということで同行しはった。司法書士さんには申し訳ないが個人でそう難しくなくこなせる作業やということがわかっただけでもええ勉強になったやん。今後、資料作成の仕事を回してくれたら手伝うし、その代わりいくばくかの報酬は頼むで!なんやったら成年後見人申立アドバイザーという名目でもええし(*^o^*)なんてことを考える・・・・” 05 04 しばらくは死ねない( ̄▽ ̄;A “昨日の家裁。しまい支度のときに参与人のおっちゃんが言う。
「書類がすべて提出されたら、それらを確認して裁判官がどの人が後見人になるのがふさわしいかどうかを判断します。わしはご主人を後見人の候補と推薦はしておくけれど、裁判官がどう判断するかはわからん。その連絡が封書で届けられる。そやな、1ヶ月もかからんと思う。後見人としての仕事の内容の説明会がある。それには必ず出席せんならんで。」 「はい。」と私。 「そやな、たぶん、奥さんがすることになると思うからその説明会には奥さんも一緒に出席してもいいから。」 「はい。」と私。
(よくわかっていらっしゃる!当然ですやん。大将が出んでも私は出る。いや、大将が出えへんわけにはいかへんねんけれど) ひとさま(今回は義母)の財産を預かるわけやから、きちんと記録を取って、定期的にそれを裁判所に提出しやなあかんとか、そんな詳しいことの説明会があるらしい。
大将に「後見人になったらいろいろややこしいそうよなぁ〜」って言うてみた。
「ほんま、ややこしいそうやなぁ〜〜」って人ごと。私がすると思っているからまるっきりの人ごと。 裁判官が後見人に大将やなくて弁護士や社会福祉士さんなど専門家を選任すると、毎月、報酬(裁判官がその額を決めるらしい)を支払わないといけない。それもあほらしいから、私は昨日、必死になって資料を作成し質問に答え、人のお金を預かるにふさわしい人物であるっていうのをアピールしたちゅうねん(^-^; 義母がホームで生活する分に関しては明瞭な収支なのでそない大変なことはないから、どっちゅうこともないねんけれど。なんせ、今74歳の義母。脳以外はなんら問題がない健康体。下手したら大将や私のほうが先にイテまう可能性もなきにしもあらず。そうなると今度はうちの子どもが面倒みることになる。なるべく簡潔にしといてやらな・・・という親心。てか、義母より先に逝くことがないようにすればいいねんけれど、こればっかりどうなるかわからん。明日のことなんて誰もわかららない。 どちらにしても当分、死ねない・・・( ̄▽ ̄;)” 昨日の行程。 “家裁→讃岐製麺で昼食→役所→義父母訪問→家裁。 義父母はデイサービスの日やったので、ホームのすぐそばのデイに様子を見に行ってみた。 10月になったとはいえ、昼間は暑かった昨日、義母はタートルのニットをお召しになってはる(^^;;
昨年の冬にUNIQLOで買ったヒートテック。暑っ… 壁に貼ってある"お習字クラブ"の作品を二人で見ていた。 「おかーさん、あの"秋日和"、上手いこと書いてはるなぁ。」
「ほんまじゃのぉ、みっちゃん、こっちの"栗"も元気のある字じゃ。」
「うんうん、ほんま、みんな、上手いなぁ〜。秋がテーマやねんやぁ。」 「みっちゃん、これは"ザ 秋"って書いてある!」 えー、ザ 秋って、そんなん書かんやろ?
って義母の指さすのを見る。 "萩"です。
草冠と"秋"の間に微妙な空気が漂う字です。
掲示板に貼っている、丸くて大きい画鋲が"ザ"の濁点に見えんこともない。 義母の発言は、否定してはいけません。
「ほんまや!"ザ 秋"やぁ〜。
すごいなぁ。」と私。 闘いの最中、平和なひとときo(^▽^)o” スマートフォンと言われた件。 “午前中、義父母のホーム。
7つ下の義母のことが可愛くて仕方がない心配性の義父。 「○○(義母の名前、私たちの前でも名前で呼ぶ)は癌でないじゃろか?」と義父が心配そうに言う。
「おとーさん、癌になると痩せるやん。おかーさんはほら・・・」と
1月に大阪に来てから5キロ太った義母のお腹に目をやる。 「そうじゃな。ようこえとる!!」と義父の一言。
と同時に
「みっちゃんっ(`´メ)」って義母の声とともに
私、頭どつかれる。 認知症は力加減が出来ません。
思いっきりどつかれます。 痛っ・・・ 「みっちゃんはスマートフォンじゃけぇのぉ〜。
スマートフォン、知っとるじゃろ?」と義母。 スマートフォン・・・って( ̄▽ ̄;A 「おケツも小さいし。」とおケツも叩かれる。 すみませ〜ん、二度と言いませ〜ん。太ったなんて・・・(^o^;) 新しいコトが覚えられないはずやのにスマートフォンを覚えていることにびっくり!
恐るべし認知症( ̄▽ ̄;)” 03 成年後見人申立のご褒美はiPadかもかも~~\(^o^)/ “9時前の家庭裁判所は節電もあって薄暗い。9時15分予約。先に受付をしてもうら。受付のお兄ちゃんがざっくり添付書類を確認している間に裁判所の地下にある食堂兼売店・家裁食堂(そのまんまやんけ!というベタな名前)で収入印紙と郵便切手、合計7,100円分購入。受付の兄ちゃんに住民票の不備を指摘される。義母と申立人の住民票が必要やと。申立書類説明にはそんな記載はなかったし・・・と思うが、しゃ~ない、「今日中に持ってきます。」で処理。 別室の個室に通され成年後見人申立についてのDVDを見せられる。その間、参与人と呼ばれるおっちゃんが私の力作に目を通しはる。DVD終了後、おっちゃん登場。付箋を付けた箇所の質問確認作業に入る。とりあえず、申立人は大将ということで私はおとなしくしておこうと思っていた。参与人のおっちゃんも申立人である大将に向かって質問する。が、大将がすっと答えを返さない。そりゃそうよなぁ、資料作ったん、私やもんなぁ~で思わず、私が答える。 義母の1ケ月の収支報告書の段。
「この資料はいったいどっちが作ったん?」って参与人のおっちゃん。
後ろにいた同行者の社会福祉士さんの
「奥さんですわ。」っていう声にかぶせて、
「私です!」って言うてまう。ん~~~もうちょっと謙虚にならなあかんなぁ~と一瞬頭をよぎる。 ここで参与人のおっちゃんが
「綺麗にきっちり作ってるなぁ。気持ちいいなぁ。」と。
私、ドヤ顔(^^)v
義母の収支の数字もぴったりと合う。
「いや、たいてい、みんなここでやっさもっさするんやけど、こんなにきれいにぴたっと合うし見やすいし、ほんま気持ちがいいわ。」と絶賛していただく。
義母の財産を預かる後見人候補としてはここの加算点は大きい。 後見人候補の大将一家の照会の段。
ここは私はおとなしくすべきと一応、黙っておく。
大将の職業等々聞かれ、大将答える。
家族構成のところで参与人のおっちゃんは長男の高校に食らいつく。
「えらい優秀な高校に行っているねんなぁ。」と言われ、
正直者の私は
「はい!優秀なんですわ。」って言うてまう^^;
学歴や職歴で人を判断したらあかんねんで!と世間では言うが、学校名で心動くのは明らかなことで、水戸黄門の印籠ごとくの高校名のおかげで近所では私も賢いお母様と評判。これは利用しやないけません。子どもが優秀なら親も優秀という色眼鏡を利用させてもらう。子ども3人が3人ともこうならば私も優秀となるがなんせ真ん中の一人だけなので突然変異という類のものやけど(--〆) っと、ここまでは順調。 したら、ここでどんでん返し。正直者の私は嘘はつけない。成年後見人の申立をするのにちょっと、いやかなり大きな事実を正直に言う。作成した資料にはそれを記載するような項目はなかったので記載しなかっただけで、聞かれたらやっぱり正直に言うてまうわなぁ。ていうか、大将も固まってたし、うしろの社会福祉士さんも固まっていたし、結局、私が正直に言うしかない状況。 詳細はちょっとここでは書けないが、参与人のおっちゃんには家族としての心情を訴えてみた。かなり食い下がって訴えてみた。
「ん~~わしとしてはなしでもいいとは思うけれど、調停員と相談してからやな。ちょっと待ってて・・・」ということで20分待つ。社会福祉士さんは「裁判所ってこちらの心情とかそんなことは一切考慮してくれへんからなぁ。」と。そんなもんなんすか~~? 結局、調停員がNGと判断したらしく、参与人のおっちゃんは
「この先は司法書士に頼むとかかなぁ。今は個人情報云々で個人でやるのは難しいかも。いっぺん役所に聞いてみるかやわ。」と。
みなさん、他人事なんです。誰も助けてはくれません。大将もひとごとの顔で座っとぉ~し。かまへん、ここまで自分でやってんし自分でするしな!と向かい風に立ち向かうと意気揚々となる私はモチベーションがぐっと上がる。
あっちとこっちの役所に電話して相談してみる。事情を説明したらすんなり行きそうな感じ(^^♪ ということで、その処理を終えて大将に言う。ちょっと大げさに言う。
「最初の戸籍を集めるとこもその手の人に頼むと3万やろ?今日のこれも仮に頼んだらそれぐらいやで。この一連の作業、トータルしたら20万円ぐらいの仕事、私したで!!」と大きく言う。
今日もほとんど私任せの大将、いたって気はいいし、私のいうことをそのまま信じるので
「そやなあ、ほんだら何か買う?何がいる?」
「ん~~~今ならiPadやなぁ。10月に出るって噂のmini iPadが欲しいなぁ。あっそれでも20万はせんで!!」と他にも企む私。 ギャハハハ~~~、今日したのんの処理が完璧やったらiPadや~~\(^o^)/
おまけに今晩の夕餉は大将作やし・・・(^^)v
” 02 我が家において嫁と姑が仲良くなる法則。 “認知症が進んだのか?タガが緩んでしまった義母。
今まで遠慮していた言葉が出てくる。9才から育てているという義理の仲ゆえの不満か? 冬の寒い夜のシチュエーション。
「お父さん(義父)は私のかわりに洗い物をしてくれるんじゃ。優しいんじゃ〜。」
「ええなぁ〜。」 「それに比べて一くんは何もせんのんじゃ!」
「うん!うん!」と大きくうなづく私。 「みっちゃんも大変じゃのぉ。一くんを生んだお母さんがどう育てたのか私は知らんのんじゃ。一くんはほんま何もせんのんじゃ!」
と、大将への不満に結託する義母と私。 女のサガ?
人の悪口を言うことで結託する。
何も知らない人のいい大将は「みっちゃん、みっちゃんってオカンはみっちゃんがおらなあかんみたいやわぁ」と言う。
私の胸のずっと奥が一瞬だけチクリと痛む。
一瞬だけ… 世界平和の永遠のテーマ。
"嫁姑の確執"がクリア出来ている今、めでたしめでたし♪( ´θ`)ノ” ビビリばびでぶ〜〜( ̄▽ ̄;) “明日はいよいよ家庭裁判所に行く。
義母の成年後見人申立。
先日の私の力作、資料を大将に渡す。 「これ、一切合切、責任者はおとうさんやで〜〜
私は相続権もなけりゃ〜責任もないねん。
よう目を通しておいてや!知らんで!
書いてあることちゃんと認識しとかな知らんで!
すべての責任はあなたよ〜」
と脅かしてやる。 こういう行政関係のこと超苦手ときているから
少々ビビっている様子。 「これってどういう意味?」と質問してきはる。
書いてあるとおりや!って言いたいのをぐっとこらえ
心優しい私は噛み砕いて説明する。
てか、それ私が書いた文章やし。
意志は共有しとかなあかん。
共有というか私の意志に右になれ!の大将なのである(⌒▽⌒)アハハ! 私はお初の体験で超ワクワク、嬉し楽しや裁判所〜\(⌒▽⌒)/” | 9月 29 26 24 20 成年後見人申立書作りで使える女アピールする! “義母の生命保険の住所変更がでけへんやん・・・のため、成年後見人申立をする羽目になった私。申立人は義母の息子なので相続権もない私は何もしりません、何もできませんでもOK。 そやけど、こんな機会をみすみす指をくわえてみているような私ではございません。とりあえず、ケアマネさんのご厚意でホーム併設の地域包括センターの社会福祉士さんに相談させてもらう。申立手引書と申請書一式を貰う。 社会福祉士さんは成年後見人申立に立ち会ったことがないという。たいていのご家族さんは行政書士さんや司法書士さんに依頼されるのでこの申請書一式を手渡して終わりとのこと。 私が自分でします!と言ったら、今後のために家庭裁判所での面談も立ち会いたいし、完了するまで関わらせてほしいとおっしゃる。 人の土俵で相撲を取りたいとおっしゃるのだ!そこは心広い私。いいですよ~~~と快諾する。 ということで、PCでの資料作成、領収書等証拠書類のコピー等、ほぼ完ぺきと自負する状況で本日、義父母のところに行く前に社会福祉士さんのところに持っていく。家庭裁判所提出書類は今回が初めてやけども、以前、簡易裁判所提出書類を作成したことがある。裁判所に提出する書類って左側3センチほど空白を作らないとだめという決まりがある。何に置いても証拠書類が必要やったりするわけです。 そのあたりもきっちりこなすあたり、自分でいうけど、結構使える女やで! そしてそんな私がPCで作成した申立書一式、社会福祉士さんは手にしただけで賞賛のまなざし。 あ~~これぞ、やった感を味わえる瞬間! そして、 「これ、どうやってするのかやり方を教えてもらえません?」っておっしゃる。 「家庭裁判所のサイトからPDFをダウンロードしてあとはAdobeでテキストフィールドを作成して打ち込むだけですよ。あ~~ただ、アドビはプロやないと編集でけへんから、それ、PCに入っています?」 「ないわ~それやとでけへんなぁ。しかし、この完璧さ。ほんますごいっすねぇ。これ、副業にしはったらどうです?」 「仕事、回してもらえます?」 「もしあれば安くでやってもらえます?」 「いくらぐらい?」 「1万円」 「ちょっと考えさせてもらいま~す」 ということで、10月の最初に家庭裁判所の面談予約を取ってもらい、いざ出陣となる。” | 8月 | 7月 | 6月 | 5月 | 4月 28 26 19 エレキギターを背たろうて登校。 “昨日の次男坊。 夕方、また背たろうて帰って来た。それも思っていたより早い時間。もしかして練習してない? 「なぁ、ギター持って行って練習したん?」「そのつもりやってんけどできんかった。」「重たい目だけしたんや。それどこに置いておくん?」「教室やで。」「自分の席?」「そう・・・」 ふ~~~~ん。 洗濯機の中に次男坊の体操服が入っている。 「なぁ、体育って男女別?」「そう。」「他のクラスと一緒にするん?」「ううん、俺らだけ。」「え~~~俺らだけって8人でするん?」「うん。」 次男坊のクラス。40人中男子8人。ハーレムやん! 学校名が書かれた浴衣を持って帰ってきた。 「なぁ、それ着たん?」「うん、おれ、着方がうまいって褒められた!」「そう、よかったなぁ。」「これ、たたみ方もあるんやで。」「できるん?」「できる!」って披露してくれる。ちゃんと正座して。 ここだけの話。 そんな次男坊。眉毛を剃っている。私はずっと気づかず。なんやいかつい顔しとんなとは思っていたが、眉毛を剃るという思考がない(私は面倒くさくて・・・ナチュラル眉毛!)私は、まったく気づかない。旦那が「あいつ、眉毛剃っとる」っていうから「うそ!」って見に行くとほんまや剃っている。 「なぁ、その眉毛、いつ剃ったん?」横に居てた娘に「えっ今頃気づいたん?」って突っ込まれる。「うん、なぁ、それ失敗?」「どうでもええやん!」って次男坊。「どうせ剃るなら、さわやかな感じにしたら?」というて立ち去る。 こっちで旦那は「そんな高校か?」て聞いてくる。「え~~普通科はそこそこのレベルの高校やで。今年も阪大と神大に1名ずつやけど入ったっていうたはった。○○(長男の高校)よりかは落ちるけど、そんなに悪い高校やない。」入学式の様子は、長男の高校より真面目な子であふれていた。 「エスカレートしたら高校辞めさせる!」って。「エスカレートって何したら?それ具体的に示して本人に言うてきて」というが、音沙汰なし。 私に似て強情やけど私に似ず根性ないから、旦那が考えているようなことはせぇへん。密かに、毎日、10分間正座の宿題もやっているしな。浴衣もちゃんと畳んでた。 そして1人っ子の旦那に、「あんなぁ、どんだけ勉強を頑張っても、○○(長男)には勝てん。同じ普通科に行くと高校のレベルを比べられる。それが嫌やったんやと思うで。今んとこ選んだん。○○とは違うとこで自分をアピールしやなあかんねん。複雑やねん、同性の兄弟は!」と同性の兄弟がいてない私がいう。 世間様は絶対比べはるしな。実際、「僕はずっと兄ちゃんと比べられてた。」と言うてたしな。 そして、ヤツは今朝もエレキギターを背たろうて、ゴミの日のゴミを持って降りてくれた。 頑張れ!次男坊!!” 16 運転免許証更新に行く(えっ講習ひとり?)の巻 “来月11日で、晴れてン歳になる私。あと1年で片手って言う年。そんなことで運転免許証の更新のお知らせハガキが届く。先週の土曜日、谷九の改札口前の証明写真ブースでえらい左右の目の大きさが違う写真を撮ったので、これを持って近くの警察署に行く。 なんや次からICチップ対応の免許証とかで暗唱番号4桁+4桁を書けと言われる。しゃ〜ないので子ども3人の高校入試のときの受験番号を書いておく。たぶん、子どもらは自分の受験番号なんてすっかり忘れているであろう。人にいうたらあかんっていわれたのにここでこんなん書いていいんやろか? 視力検査の段になると、左目が少々不安な感じながらもなんとかクリア。新しいのは5月31日に取りにくるか郵送するか、郵送ならこれから30分の講習と云われる。一回で済ませたい私は郵送を選択。警察署の隣の安全協会に行き郵送用の封筒に住所を書いていると受付のおばちゃんが「11時からのにしよ。ちょっと急いで書いて!」と云う。 えっ次の講習って11時半とちゃうん?と思いつつ云われるまま書く。っで隣の部屋に連れて行かれるが誰もいてない。「えっもしかして私ひとり?」「せやで、ひとりでもちゃんとするで」って「そうなん」って一番前に座る。受付のおばちゃんは首からネームプレートを付け、「さぁ、そしたら始めます!」とさっきまで河内のコテコテのおばちゃんやったのが改まった口調で講習を始めはる。マンツーマンやん。ずっと目を見ながらしゃべりはるから、私も目そらされへん。声に出してうなづいてまう。 「さぁ、ではここからはビデオです。」ってテレビをつけはったが、一番前に座ったもんやからテレビの真ん前で近すぎ。首しんどい・・・ビデオが始まったら、おばちゃんはそっと部屋を出て受付のおばちゃんに戻りはった。真面目な私は運転もせぇへんのに必死になってビデオを観る。一番興味深かかったのは、高齢者の運転。半年前、認知症と診断される直前の義父が運転する車に乗ったのを思い出す。信号が青になった途端の加速の仕方は尋常でなかったのを思い出す。思い出すと怖い。やいのやいのいうて免許証を返還してよかったと今さらながら思う。てか、どこに行っても高齢者から離れられない私に切なくなる。 とまぁ、生協を終えて家を出てから講習終了まで小一時間という最速で済ませられたことにさい先のいい1週間の始まりを予感する。どないやねん!” 15 SNSのあれこれ同期設定 “このwordpressからはプラグインでFacebookとTwitterに同期設定をしていたが、それだとスマホでFacebookにポストしてもTwitterにはツイートされない。なのでプラグインでのTwitter同期設定を解除し、これからFacebook → Twitterと流れるようにしてみた。昨日、駅のホームでFacebookにポストしてみた。スマホのついっぷるでTwitterのツイート状況を確認したが見えない。ツイート全部が表示されない。もう~~どないやねん!その前にTwitterでのFacebookの同期設定をいらったりしてそれが問題やったのかどうかわからんが・・・・ Twitterで拡散させたいのでTwitter始まりではなく、あれやこれやからTwitterでツイートという流れを作りたい私は、Twitterでの設定を解除する。 Twitterの自分のプロフィール画面での自分のツイートが表示されないという状況だけど、Twitterからログアウトすれば見れるのでもうこれはええ!と次に進む。 先日、スマホに落としたInstagramからはFacebookとTwitterとTumblrに同期設定をした。それ以前、スマホで撮った写真はLigthboxからFlickr!とTumblrとFacebookとTwitterにポストという設定にしていたので、Instagram始まりになるとLigthboxとFlickr!が抜ける。うまいこといかん! どうもこのSNSに踊らされている?とは思うが、あれこれやってみたいと思う私は、なんや新しいものを見つけるとこれとこれを同期させることはできのかと手を染める。 スマホのアプリによっては昨日設定したFacebookからTwitterの流れが途絶えたりする。そして、スマホでGoogle+からFacebookとTwitterへ同期というのをPlusistで試みたが、Plusistが容量オーバーで新規アカウントを受け付けてもらえず断念。 先日、Facebookで友達申請をもらって友達になった方のポストがフィールドに流れてこないので不思議に思っていたら、これも微妙な設定違いが原因と判明。なかなか手ごわいFacebookということで朝からアカウントなんかの設定をチェック。 そんなことをしていると、PCに明るくない友達から電話。 「CDってどうやって聴くん?」って。 「音楽を聴くためのソフトを開けやなあかんで。」ということでほぼ入っているであろうWindows Media Playerをプログラム一覧から探してもらう。 CDを入れたら音楽が流れると思っていたのに何も変わらんから・・・という友達。PCはPCであって、CDプレーヤーとちゃうから、アプリケーションで動かさな・・・・てなことで、PCに取り込んでCDに焼く手順も一応電話で説明しとく。 「最初に、めっちゃしょうもないことやねん。」という断りがあった。確かに・・・とは思うが友達はマジやし、CDを聴きたくて困ってはるので、「頼むでぇ~」と突っ込みつつ説明する。おかげで、私はものごっついPCに詳しいおばはんと思われている。ちゃうで~~私はそこそこやで。ぼちぼちってとこ。そんなんで、いっこうに増えないFacebookのお友達。おもいつくままフルネームで検索してみるが昔からのお友達たちはいっこうにひっかからへん。50を目前の年代のおばはんにはFacebookは視界にない。 私はここ数年であほほど増えて頭の白いメッシュ(平たくいうと白髪?)がなけりゃ~、平均的50目前のおばはんより若いと思うのに・・・残念(>_<)” 12 Wordpress.comでサイトを作る! “職場の人の趣味の集まりのサイトをwordpress.comで作る。継続的費用がかからず、メンバーがそれぞれ投稿できて、固定のページがあればなお良しというリクエストなので、wordpress.comよなと作る。作るというても、セッティングしてちょっと体裁を整えただけ。無料で広告もなく3GBの容量。テンプレートやカスタマイズに縛りがあるのは仕方が無い。ブログ投稿だけなら既存のブログサービスを利用するのが手っ取り早いけれど、多少のオリジナリティも出したいとのことやし、何いうても固定ページの設置が出来る点は捨て難い。ただ、ダッシュボードが英語表示やったりするのがどうかと思ったけれど、単語の意味さえわかったら想像はつくので、これぐらいの英語はたぶんOKやと踏む。 ページ内容等、何ももらっていない状況でのサイト作りやったので入れ物だけで渡す。ページ内容をもらったらそれぞれのページ作成もしますと云うが、ご自分でされるというので引き下がる。なので、本当に大したことはしていない。翌週、メンバーから集めたということでお小遣いをいただく。いや〜〜そんな大したことしていないのでと遠慮するが、いやいや・・・といわれ、ほな、何かわからんことあったら云うてくださいとありがたく頂戴する。ちょっと前、長男PTAの進捗状況確認、意見交換の場として非公開サイト(これは私が借りているレンタルサーバーにWordPressをインスコ)を作った。ん〜〜これも作るってほどのこともなく、セッティングして携帯やスマホから閲覧のプラグインを入れたぐらい。いろいろ試してみたいので、こういう機会はありがたい。” 09 08 週休二日の私。 “昨日の友だちとの会話。 週2日仕事、有馬(実家の父)1日、ホーム(義父母)2日の私、 「残りの2日も子どもの学校やPTAとか入るんやろ?ほんまよ〜やっていると思うわ!」と云われる。 ん〜〜、そういう流れやから。 高齢者対応は同居していないから楽チン。電車に乗っているときにギア入れ直している。 その合間にライブなんぞも行っている。 朝は5時起きなので、夜は23時から24時の間には寝ることにしている。横になった途端、爆睡やし。友だちの中には寝るときに導眠剤や精神安定剤を服用している子もいてるが、私は健やかな眠りに落ちて行く(_ _)...zzzZZZ乙乙乙 結構、うだうだしている時間もある。今日なんて文庫本抱えてゴロゴロで2時間。 主婦が必ずする食料品や日用品の買い出しはすべてネットで済ますという技のおかげ。 出ずっぱりの私の稼ぎはPiTaPa支払いに消えて行くので、なんのこちゃあらへんっていう状況やけど。 昨日の帰り道、娘と同じ年と二つ上のご息女2人の母に会う。ベビーカーを押しているし。 「え〜〜誰の子?」と聞く私に 「私」っていう彼女は私より5つほど若いし、離婚していて彼氏がいてるって話やったからあり得ん話ではなく 「うっそ!」といちおう云うとく。 「○○(上のお姉ちゃん)の子」 「え〜孫ができてもうたん?」っていう話をする。 私はと云えば、この春次男が高校生になり義務教育が終わった開放感に浸っているのに、彼女は40ちょいでお婆ちゃんとなり孫のお守り・アレルギーの心配をしている。 私は当分、孫はええわ。少しずつ手のかかるものから解放されつつあると思っていたら、一気に高齢者4人がどっと押し寄せてきている今、孫まで手まわらんし。 私が若い頃は20歳前後で母親になる子というのは身近に1人いてるかぐらい。娘の同級生(というても別段仲がいいわけやなくて、同じ中学やった程度、幼稚園時代いっしょに遊んでいても成長するに従って、個々の個性による選別でつながりが変わる)は、携帯のおかげで横のつながりで情報は入手できる。20歳前後で母親、いや高校中退で母親とか、結構いてる。 地域性?と思ってみたり、今どきの日本はどこでもこんなもん? まぁ、私には関係あらへんからどうでもええねんけど、普通って概念はどこにも見当たらない。 冒頭の友だちは長男と同じ年の男の子の母。子どもはその子だけ。私より子育て期間が短い。高齢者も実家のお母様だけ。ひとつひとつに存分に手をかけれる状況ではある分、私の状況を自分に置き換えるとしんどくなるのやろうなぁ。 私はサイボーグみたいな目で高齢者4人と子ども3人と旦那に目を向けやなあかんので、必然的に適当に手を抜くというか、当人に任せなければ私の身が持たへん。自分の信念にはこだわるけど、ほかは別にどうでもええねん!なので抱えるものが多いが、手も抜くってことで そないしんどくもない\(⌒▽⌒)/ ” 06 絶対座る女^^; “ここだけの話。私が乗る通勤電車でのこと。通勤電車っていうのはほぼ同じ時間のに乗るので同じ駅から同じメンバーとなる。たいてい、私は私が乗る電車のひとつ前のがホームから出発しかけたときに駅の階段を上る。なのでホームで4,5分待つ。その女性は、私が乗る電車がホームに入ってくる直前にホームに上ってくる。私のほうが先にホームにいて足元の丸い印のところに立っているにもかかわらず、あとから来た女性はいつも先に車両に入って、そして必ず座る。 年のころなら30代前半で独身。働きだして数年といういでたちではなく、ええもんをお召になってはる。私みたいに主婦っぽさもない。でもすでにトウがたって図々しさが見え隠れする。でも、そこそこきれいな人。 席が空いていないと、車両の中を歩いて空いている席を探して座る。空いている席がないと、空くのを期待して座っている人の前に立つ。なんでか次の駅でその人が立っている付近の人が下りる。そして彼女は空いた席にすかさず座る。獲物をねらったタカのごとくの顔立ちをしてはる。ベタにいうと、きっつい顔してはる。 私が乗る電車は一つ二つ空いているという時間帯なので、その人が座ったあとでも座れる可能性がある。私は乗った駅で座れるなら座るがなければドアのところに立つ。そのあと空いたからと行って体の向きを変えて座りに行くのも面倒やしそのままドアのところに居てる。 っでいつも、私よりあとに来て絶対座りはるのに気付いた私は、あるときその彼女と席の争奪戦を繰り広げた。あとから来て同じドアから先に車両内に足を踏み入れられるのがなんや無償に腹立つというかおもろないので同じ車両の違うドアのところで待機。ホームに入ってきた車内ではサラリーマンが一人席を立ってドアに向かっている様子が見える。私のドアのほうが近い席。おまけにそのサラリーマンは一人で余裕しゃくしゃくで座っていた様子で空いた席は私のふたり分。それを見つけた私だが、隣のドアの彼女もそれを見逃してはおらず、その席の方を見ている。 ここで私の闘志がむらむらと湧き起こる。ぜったい、あの席に座ったるねん!私の方が近いし!ってドアが開く。その席に向かう。したらやっぱり向こうから彼女もやってくる。てか、私より距離があるのにすぐそこにおるし。普段ならここであきらめる私が、このときは絶対座ったるねん!!って気持ちで、彼女より数秒早く腰を下ろす。その彼女も私ぐらいの体格なので私の横にすっと腰を下ろす。気持ち私のほうが速かったが外から見たらほぼ同時。ていうか、他のおばはんやとお尻が入らんほどの空き具合に腰を下ろした彼女。なんかくそ~~って気持ちになる。座りよった!!と。 それ以後、席争奪戦はあほらしいって止めたが、密かにその彼女のことを"絶対座る女"と名付けて、彼女が座るまでドアのところに立ちながらちらちらと見てしまう私。ほんま見事やからなぁ。いうても、乗車駅から20分ほどの本町で下車するねんし、そない必死になって座らんでもええやんと密かに心ん中で突っ込んだりもするが私の通勤電車での密かの楽しみではある。絶対座る女の動向・・・・・今日も来たで鋭い目をして席を探している・・・と頭の中で実況中継しながら楽しむ。おかげで、彼女が座るまでは読みかけの本もiPodからの音楽も頭の中を素通り(>_<) ” 01 | 2月 28 19 09 06 03 雪ん子になる。 “昨日はほんま寒かった。夕方、仕事からの帰り、駅からの道。あまりの寒さにダウンジャケットの前のジッパーを首まで上げ、後ろのフードをすっぽりかぶって歩く。耳にはiPodを突っ込む。外の世界が遮断される。脳内ケツメイシワールドで歩く。こんなん、後ろからナイフで刺されてもわからんやろな・・・と思いつつ、道路を横断するときはフードをずらし左右前後の確認をして渡るところがまだ死にたくないねんな・・・と自分に突っ込みつつ。 その勢いでそのまま、家の中に入る。我がのお弁当箱を洗い中の長男と目が合う。口元がぷっとゆるんだ。フードとiPodを外しながら「あんた、今、笑ったな!」「だって母さん・・・・」って。「だってもくそもない!雪ん子みたいやろ?かわいいやろ?こんな可愛らしい48歳のおかんはそうおらん!そう思うやろ!!」と詰問。にやけながら私がもっているPAULの袋に手を伸ばそうとする長男。「そう思うっていわな、あげへん!!!」と私。「思う!思う!」と長男。 そのあと、802でジェットが流れる。昨年、ヘビロテでさんざんラジオから流れていたあれや。「うわっ懐かしいなぁ」と私。「ほんま」と長男。「これ誰やった?」の問いに「ジェットやん」と長男。「なんちゅう曲やった?」「××××」となんかいう長男。え~~ちゃうやろ?って思うが自信がないのでふ~~んっていうとく。 曲が終わってDJが「ジェットのAre You Gonna Be My Girl」っていう。ちゃうやんけぇ~~~と私、シャウト! 最初はバックストリートボーイズなんてポップ路線を愛聴していた長男だが、ジェットとかリンキンパークとかちょっとマニアック的路線に走りつつある昨今、そのくせ頭ん中は四角四面ぎみを残しつつある。ゆえに可愛らしい雪ん子おかんを笑いよる。あんなぁ、あんたに洋楽を手ほどきしたのは私や!YouTubeのU2のコメント欄に子どもにも勧められるロックバンドって書かれてあるのを見た。その子どもにお勧めのU2を手ほどきしたのが最初や!コールドプレイなんてU2か?って間違うほどの路線で、そのコールドプレイがお好みの長男。なぁ、雪ん子を舐めたらあかん。そのおかげで今の洋楽好きがあるってことを忘れたらあかん!四角四面のキミの人生にちょいと彩りをつけるツールを与えたのはほかでもないこの私や(*^^) ” | 1月 26 予備校だとか塾だとか・・・と、私の教育方針なるもの。 “義父母のことでばたばたしていた年明け早々、長男宛に電話。次男が出て長男に受話器を渡したらしい。正直な長男は聞かれるまま、在籍している高校名、所属している部活、目指している大学と学部を答えたらしい。っで予備校だか塾だかわからない勧誘にあれこれ答えたもんやから、結局、「お母さんにきかないと」で逃げた。っで私の帰りを待ちわびてそのおっさんは電話してきた。 話のネタに数日後そこの営業マンがやってくるのを許可。2時間ほどしゃべって帰りはる。内容はDVDで家庭学習をして現役合格をめざす。もし浪人したらその1年分は無料というもの。その営業マンおよび電話をかけてきたおっさんがいう、その会社の方針はまぁ私の教育方針と酷似しているので、「お母さんと話せば話すほど息子さんをスカウトしたくなる」とかぬかしはる。なら、例外的に無料でやらさせてくれよ。ほんだら、親の立場の体験談も1000文字でも2000文字でも書きまっせ!という話。 今まで塾に行ったことがないにはやたら食らいつく営業マンとおっさん。小学生のときからどういう勉強をしてたんですか?と聞かれる。授業を真面目に聞いて宿題をキチンをしてただけですわ。中学になったら予習復習を欠かさず、テスト勉強をしてこの高校に受かりましたという。それこそがうちの教育方針なんですわ!とおっさん。なら別におたくを利用せんでもいいやんって思う私。 机の上を整理整頓することからはじめさせますという営業マン。それ、私が子どもにいうていることですわ。机の上が整理整頓できないと頭の中が整理できない。勉強したことがらをキチンと整理しやな必要な時に取り出せない。そのためにはまずは机の上をきれいにしろ!というてます。その通りなんです、お母さん! 塾に行っても勉強した気になるだけで、自宅学習が身についていない子は伸びないんですわとおっさん。それも私が子どもいうてきたことですわ。だから塾には行くかせへんでと自分で能動的に勉強に向き合えと。お母さんの教育方針は間違っていません。はい、自信もっています!と大きい声でいうてやる。 そして、苦手やった国語を克服するのに選んだ参考書の話をしたら、そこにも食らいつくおっさん。ぜひともうちでがんばらせてくださいと言わはる。 本人はといえば、未知の世界なので友達にいろいろ聞いて部活引退したあとぐらいからで・・・と。なぁ、塾とか予備校とか行かなあかんか?と私。かあさん、高校受験とは違うねんでと長男。まぁ、あんたがどうしても大学行くために予備校とかに行きたいというなら行かせてやるけど、わかっているやろな!お金をかけた以上はあんた現役合格やでとプレッシャーを与える。 一旦、電話をきったおっさんはとりあえず体験だけでも・・・とうちは東進には負けたくないんですわ!としつこい。長男は辟易している。ん~本人、今は部活と両立させるのに必死で学校の課題もちゃんとやっていて、5月の連休明け部活引退までは現状を維持したいんですわ。こういうことは本人がしっかりやる気になって向きあわんと成果もでませんし、今はその時期ではないのでというと、おっさん、いやにあっさり引き下がる。そうですね、その時期になるとぐっと力を発揮する子やと思うので一端電話を切りますわと。まぁ、その時期になるとかかってくるであろうが、私がゆるぎない教育方針(そんなかっこええもんではない、当たり前のことばっかりやねんけど)をもっているので、今はいったんは引き下がろうと思ったんやろ?おっさんと思う私。 しかし、高いねん。そのシステム。高校Pで塾やら予備校やらの話を聞いて料金も教えてもらったが、それより高い。てか、ここまで塾なしできてんからこの先もそうはいかんのか?とマジで思う私。高校受験とは違うのも重々承知で、塾もしくは予備校の価値は大学入試のテクニックを教えてくれるという点だけ。情報を獲る手段としか考えていない。あくまで勉強は自分でするもの。二宮金次郎さんを拝め。薪を担いでも勉強してはる、あの精神。あれを見習え。簡単に考えたら、学校で習ったことを着実に身に付けたらいいだけの話とちがうんやろか?それ以上でもそれ以下でもないなら塾も予備校も必要ない。わからないところは学校の先生に聞けばいい。公立高校とはいえ、それぐらいのサポートやホローはすべきやろとも思う。 ” 22 04 | |
2011 | 12月 | 11月 29 27 25 23 google+からfacebookとtwitter “ずいぶん前から使っている、ブログの更新をTwitterに流す、twitterfeed。今はwordpressを使えるようになったけれど、それまではSereneBachを愛用。(いまでも使っているけれど、新たにblog構築ならwordpress)そのSereneBachの更新をTwitterにpostするのにtwitterfeedを使っているが、これを使えば、google+に投稿したらfacebookとTwitterに同時にpostできるというのを、昨夜、スマホでネットサーフィン中に見つけた。 で、さっそくやってみた。ええやん!とほくそえむ。 ことのついでに、Flickr!にpostしたらTumblrにもpostされるようにした。Tumblrからfacebookは連携させていたので、その前にFlickr!という流れになる。Flickr!に写真をpostしたらTumblrとfacebookにもpostされる。 これだけ、SNSがあれこれあると、いっちょかみの私はとりあえずあれこれ手を出したくなる。Twitterで140文字つぶやくというのはしゃべりんな私には字数が足らず、ときどき使う程度。大体はこうやってBlogでちんたらしゃべる。これが基本。なのでgoogle+もそんなに使うということがないような気がせんでもないが・・・・と思いつつの作業。 ふと右を見るとgoogle+ページを作成するなんて文字が。またもいっちょかみの私は今度はこれやなと新たなおもちゃに心オドル。が、来月は師走。やらなければならいことがてんこもりなので優先順位をつけて順番に・・・を自分に言い聞かせる。でないと、やりたいことに手を出してしまって、やらなければならいことが後回しになってしまうもんね。 しかし、あれこれおもろいことが次から次へと出てくるもんやねぇ。” 16 05 03 01 | 10月 31 広報誌、無事に発行! “長男の高校で発行される広報誌は冊子になっていてボリュームがある。1年、2年の間は担当ページが決まっていて(見開き2ページ)、その持ち分だけしていたらいい。3年(一度引き受けると3年間役員任期)になると、担当ページ+広報誌全体の構成など仕事が広がる。 2年の私は、2ページだけでいいので、とりあえず、その担当ページをillustratorで作成。版下まで仕上げる。2ページだけなので1日で形にしてあとは同じ学年のほかの委員さんに確認作業をしてもらって、3年の委員長さんに提出する。そこまではすんなりと進んだ。 が、そのあとは3年の委員長さんからヘルプ要請。というのも、今年度は今までお願いしていた印刷屋さんから別のところに変わり、その印刷屋さんがはっきりいうて、仕事ができない。次男の中学の広報委員もしているがそこの10倍の予算で(中学はお金がないので版下まで作ったものを学校で印刷)そこそこの値段で印刷屋さんと契約しているのに、この仕事ぶりはないやろ?!という状況。 それで、別の記事、3ページを私が作成することになる。内容が難いだけにちょっと色をつけやな素通りやろうということで(ここは同じ学年の方と相談)横書きでレイアウト。が、難いないようだけに縦書きのほうがいいのでは?という3年の委員さんから意見が出る。ん~~~読んでもうてナンボやし、英語も混ざっている記事なので横書きのほうがいいと思いますよぉ~~とやんわり委員長さんにいうてみる。委員長さんからはええわ、任せるわ!との回答で無事横書き3ページ、版下まで作ってメール添付で提出。 そう、この頼まれたほうの印刷具合が気になっていたので、長男が持ち帰ったのでまずはそのページを確認。その3ページのあとに学年担当記事2ページが続いている。なかなかええ感じ。” 28 23 20 03 | 9月 22 21 とりあえず、Google+ “Google+が一般公開っていうから、とりあえずいっちょかみの私はかむ。
しかし、よ〜わからない。そのくせ、WordPressのプラグインにソーシャルボタン簡単設置のプラグインがあったからつけみた。
FacebookとTwitterとGoogle+のボタンをめでたく設置。 GoogleはAndroid携帯に替える前からGmailやPicasaはもちろんサイト運営上必要なものを使っていたが、スマホにしてからはカレンダーも活用で、Googleアカウントも2,3運用中。で、Google+やけど、とりあえずFacebookのいいねボタンと同じようなもの?というところからでいいでしょう。おいおい・・・ですわ。なんせ、Facebookもやっとこさやし。 Facebookはリアルな友達に「Facebookって知っている?」って聞くと「それはどんな本?」って返されたというのは別ブログで書いたけれど、そういう年代なのだ。 おかげで一向に増えない私の友達。まぁ別にええねんけど。懐かしい高校の同級生でもいてるかしら・・・と見るが見当たらない。こういうものが面倒くさくて仕方がない旦那はFacebookで高校時代の仲間と再会しているというのに、あまりにメールが頻繁にくるから疲れている様子。うまいこといかない。 いちおうウェブ系も扱う会社に所属しているので、Facebookも使えやな〜とやっているし、表示される友達かも?は仕事関係の人も結構いてはるが、ここはあえて触れないでおこう。 そんなこんなで日々、なんか新しいものが出たか?って思うといろいろやってみる。昨日、EVERNOTEのSite Memoryボタンを設置したこのブログ。なぜだかここだけうまいこと行かない。ん〜〜なんでやろ? 昨日は旦那の仕事用で作っているFacebookページのウォールにサイト更新記事を流すのにあれこれ手をこまねく。あれだけ手をこまねいてなんだかなぁ〜って結果やったのが、今朝、出勤前にやってみるとすんなり行った。嬉しくって暴風警報発令中の中会社に向かったわたくし。できたりできなかったりを繰り返しながら、地道にコツコツをやっていくしかないよね。 新しいことにチャレンジする気持ち、直感力、ここらあたりを鍛えた置かないとボケるらしいから。” 20 18 11 | 8月 31 近況報告 “すっかりとご無沙汰です。 4人健在の両親たち。
すでに脳梗塞を発症し有馬の温泉病院に入院中の父(要介護4)。
介護うつらしきものになったようなならんような、メンタル面で
弱々しくなってしまった母はこのたび要支援1。 遠く広島在住の義母は
2年ほど前のおかしな電話がだんだんと頻繁になり、
とうとう外出先から自宅戻れず警察沙汰を引き起こしアルツハイマーと診断。
頼みの綱の義父は御年80歳。
義母と一緒に撮ったCTで脳に血栓がみつかり、脳梗塞予備軍となる。
こちらの2名はただいま介護申請中。 とまぁ、73歳(義母)から83歳(父)までの高齢者対応に奮闘の日々を過ごしております。 合間に講習のお仕事をちょこちょことさせてもらっているぐらいの状況です。
末っ子はただいま中3。受験勉強真っただ中というのに
高齢者に手がかかりほったらかし状態。申し訳ない。
長男は高校生活を満喫。
先日の一斗缶事件の公園を横切り、学校へ向かう日々。
長女は就活活動と最後の学生生活満喫で多忙。 私は外勤もしつつ、
兵庫県は有馬から
広島県は福山まで
長距離移動の日々。 私の更年期はいずこへ・・・と言わんばかりの忙しさ。
40代も残すところ2年弱となった体にムチ打っての日々。
愛と勇気と気力と責任感だけで動いている。” 28 12 こだま指定席往復切符の払い戻し “本日乗車予定やった福山往復のこだまのチケット。先週末に急遽、福山行きとなったので不要になる。予約時の応対ではチケット変更等はできないと念押しされたので無駄になるかと思っていたが、チケットと一緒に入っていた注意事項をよくよく読むと、購入手続きをした窓口に限り手数料差し引きで払い戻しが可能と記されている。 手数料がいくらかわからないがこのまま没にするのはもったいないので、母の病院付き添いのあと海老江のみどりの窓口で払い戻し手続きをする。夏休み限定のこだま限定のややこしい切符なのだろう、本社から通達の資料を見ながら払い戻し手続きをする係の人。私の後ろには2人ほど待ってはる。申し訳ない・・ 1人850円の手数料で払い戻し手続きは完了。カード決済だったので一旦決済額を支払って、手数料を差し引いた金額が入金されるという段取りらしい。カード決済でも返金って作業ができるのやと初めて知る。まぁ、天下のJRさんやから、その辺のシステムは構築されているのでしょう。 新幹線チケットを払い戻したのも束の間、また新幹線に乗って福山に行くことになりそうな私。しばらく新幹線に乗っていなかったのに乗り出すと頻繁になる。乗るのはいいのだけれども、支払いが怖いっ。” 05 | 7月 31 こだま指定席往復切符 “12日に日帰り、とんぼ返りで旦那の実家に行く。子どもたちも一緒に遊びに行くならいいのだけれども今回は違う。 様子がおかしい義母。行政にサポートしてもらう必要がある、それを説得するために行く。 新幹線で大人二人となると、福山は近いとはいえ、 往復で一人15,000円ちょいかかる。二人で3万超える。 まぁ、それもいたしかたないかと思っていたが、たまたま朝刊の折り込みに入っていたJR西日本のチラシ。 何気に見ていると、山陽新幹線、こだま指定席往復の格安チケットの企画。 さっそくJR西日本のおでかけネットで確認。 新大阪~福山間が往復で8,780円。半分ちかい金額。これを使わん手はない。 地域包括センターの方との面会時間に合わせて、スケジュールを組む。 観光学科卒の私はこういう作業が大好きなので、行きと帰りの時間を設定してJR西日本に予約センターへ電話する。 行きと帰りの時間を言う。滞在時間があまりに短いのでオペレーターのお姉さんが不思議に思ったのが再度時間を確認される。 旅行ではない趣旨を説明し、発券手配へと進む。 一連の電話予約作業は実家のマンションからかけていたので 帰り道、海老江のみどりの窓口によって切符を受け取る。 私たちはちょうどお盆シーズンということで該当からはずれるが 11日から20日以外なら1日2,000円でレンタカーが借りれるというサービスもついている。 夏休み期間の企画らしいが、通年でこういうチケットがあれば助かるのにと切に思う私。 たぶん、今回きりで話がスムーズに進むとは思えないかたくなな義父。 ここが状況を理解して柔軟に対応する器量があればいいのだが、今までの流れでそれはまったくない。 なので、またも新幹線の切符を手配することになるかもしれないという我が家。大散財 この年になって、在来線を乗り継いで福山まで行くのもしんどいし、夜行バスってのもあるが、これは早朝に福山駅に着く。福山駅からバスで2,30分走ったところにある旦那の実家。厳しいものがある。 しかし、安いとはいえ、二人で約18,000円のチケットを用意したというのに、義父はいまさらながら私たちが行くのを拒む言葉を発する。 わが親なら、ええ加減にせぇや!とシャウトするが相手は舅なのでぐっとこらえる。私の堪忍袋の緒はいつまで持つかしらん・・・?だいぶん、ほつれているねんけど。 ” 18 17 | 5月 18 総会も終わりPTA活動開始か? “今週は立て続けにPTA行事、講習のお問い合わせ。 かくいう私も中学・高校とPTA活動に参加しているので
今年度が始動した今日この頃。
どこともそうなんや・・・という感じなのか、
文化的行事を企画しはる委員会の長さんであろう方から
お電話やメール。 自宅での講習のお問い合わせもあり、
スケジュールが合わない。
募集をかけて集まれば、
来月から月一でカルチャースクールも始まる。
集まればの話なので今は全く白紙。
明日、チラシが配布される予定。
これが決まればサンプル品作成等で忙しくなるので、
商売っ気のない私は
集まらんかったら集まらんでも・・・という気持ちになったり。 こんなん、いうたらエージェントの担当者に叱られるわ。
ずいぶん昔に一度、新大阪駅でお会いした、
静岡のクラフトバンドの方から、声をかけていただき、
関東の方(場所は忘れた)でイベントを企画。
そこで、震災の方のためのチャリティー販売をするとかで
参加要請をいただく。 こういう形のチャリティーもいいかと
参加させていただくのやけど、
そこに出すバスケットも今から製作というので
かなりハードな状況になっている私。 ふぅ・・・・” 09 | 4月 | 3月 29 経歴書を書く。 “まだ、正式ではないのだけども、講習のオファーを頂いたので
経歴書を提出することになった。
とりあえず、サイト(petit*pie)には、今までの活動を書いているので
それを経歴として記入する。
書類作りは、最近はPC専門なので
決まった書類に記入すると、字のまずさに自己嫌悪に陥る。
もう少し、こましに書いていた時代もあったが
ペンを持つことが少なくなってきてだんだんとまずさが顕著になってきたようで・・・・
” 26 私はSafari! “
職場では、Firefoxやけど自宅はSafari。
そんなにユーザーが増えているならなおさら自宅ではSafari。
念のため、FirefoxもIEもchromeもいれているけれど、
Safariのブックマークバーが気に入っている。 Firefoxの起動は私のPCでは遅いような気がする。
職場のPCはSafariを使いつつ、
IE6(古っ~~~)がデフォルトブラウザ。
私が担当しているクライアントのPCがどうもIE6なので
ここは外せない。
が、IE6はやっかいで仕方がない。” 21 20 アンジェリーナ by佐野元春 “3月6日に大阪城ホールで行われた佐野さんの30周年ライブ。 今頃、行けばよかった・・・・と後悔。 1日のイーグルス、28日のケツメイシのライブチケットを入手したあとだったので 一か月に3つもライブって贅沢すぎると佐野さんを断念した。 あ~~~行けばよかった。という思いがつのって これを観て慰める。 radioから流れてきたアンジェリーナを衝撃を受けてからの元春フリークだったけれど 90年代に入って 結婚、子育てと距離があき いま、また戻ってきたというわけだ。
” 18 ふんばりどころ、がんばりどころ。 “昨日、朝10時にJR大阪駅アクティ前に行く。
カルチャースクールの渉外担当の方と落ち合う。 待ち合わせ場所だったお店は満席で少し場所を移動して
ホテル内のレストランに行く。 東京から2泊3日で来られると聞いていたので
地震のことを尋ねる。
ちょうどそのとき、小田急デパートのエレベーターに乗っていたとのこと。
TVで観た帰宅困難者の一人となり
デパートで一夜を過ごしたとのこと。
その方がいたはった階でも100名以上の方が帰宅困難者だったが
デパート側は椅子を提供してくれパンも配ってくれたらしい。
下手に駅に向かって
駅の構内で一晩過ごすことを考えたら
デパートに残って正解やったと。
大阪にいてはる間に私も含めて20名近い人と
講座開催の打ち合わせスケジュールがあるようで
その地震のあと、予定通り東京から大阪に来られている。 正式には震度3と発表の大阪。
建物によってはその揺れはさまざまだったであろうが、
日常の業務は普段と変わりなく行われている。 とんでもない事態で
国をあげて向き合っていかなければならない状況ではあるけれど
普段と変わりなく淡々と日常のことをこなしていくことができる人は
そうすべきなんよな。 てなことで、
私は宿泊客が朝食を摂っているレストランで
とても美味しい(やっぱりホテルのレストランのコーヒーは美味しい)珈琲を
いただきつつ、
小一時間ほど過ごす。 以前にも別のカルチャースクールの方からお話をいただき
打ち合わせに出向いたことがある。
そんときは講習会場となる場所が遠いのもあって
結局はお断りした。
今回は、八尾駅前ということ、
自由度の具合で、
引き受ける方向で回答をする。 とあとは担当の方との相性もあるかも。
前回の担当者に対してとりたててなんら負の感情はないけれども
今回、昨日お会いした方はそしたらお願いしますという雰囲気にさせる方。
これは年齢的なこともあるのかもしれないのと
あとは仕事の話とはいえそこに見える個人の考えが明確で
そこに共感を得たというところが大きいなぁ〜と。 打ち合わせのあとは
駅前の大手銀行に寄ったが
そこで行員のお譲さんが必死になって
セールスをする。
この大手銀行はあちらこちらの支店窓口でお姉さんと接するが
こんなセールスをされたのは初めて。
支店によっていろいろなんやろうか?と思いつつ断る。
てか、文系大学生に1番か2番ぐらいで人気の某メガバンクやねんけど。 日本の北の方では大変なことになっているのに
阪神デパートの壁際には
ケーキだかなんだかわからんけど
それを買うための長蛇の列。 上に上がると正午だというのに
大きな雪が舞っている。
えっゴミが舞ってる?と思うほどの雪。
用事だけ済ませてお昼すぎには帰宅。
夕刊では原発3号機に放水の記事。
小さくニュージーランド地震の被害者の記事。
次から次へと起こることに気を取られて
忘れられてしまう。
今回の東北の地震で大切な人を亡くされた方も
ニュージーランドの地震で大切な人を亡くされた方も
そこに差異はない。 複雑極まりない世の中。 今朝の新聞に
佐野元春氏が発した被災者へのメッセージがあった。
そして、月末に楽しみにしているケツメイシの大阪ライブ。
今週末予定やったツアー初日になる静岡公演の延期を発表し
日本を元気にする道を選ぶというメンバーからのメッセージ。
プロ野球のセリーグオープン戦を巡ってのいろんな意見。
高校野球選抜開催の有無。
いろんな立場でいろんな考え方、感じ方がある。
感情論でものをいうのはやめたほうがいいかもしれないとは思うが
難しい。 今夜、3週間の留学を終えオーストラリアから娘が帰国する。
ニュージーランドの地震のあとで
オーストラリアは大丈夫と心配したが
彼女が日本にいない間、日本が地震に見舞われた。
人生というのはそういうものなのかもしれないな。 結局のところ、今、自分の置かれている状況で精一杯生きるしかないということで
やっぱりここは笑う門には福来たる精神でしょうかねぇ・・・・ 我が家の丸坊主くんは
丸坊主ゆえ天パのクルリンに悩まされることがなく
お風呂上りにガスストーブに頭を近づけ乾かす。
四つんばいになっておしりを突出し
頭をガスストーブの温かい風を
ドライヤー替わりに近づけている。
そのおしりに浣腸〜〜〜!をしてやる私。 このしょうもないシアワセをひしとかみしめよう。 枝野さんが私よかひとつ年下で
白髪がないやん・・・・ってことに納得がいかず、
でも、いつみてもTVにでてはる、仮眠しかとってはらへんで・・・と
少々その頑張りに敬意を表してたら
twitterの
枝野寝ろ!
菅起きろ!というネタに一人受ける。 が、菅さんも見えへんところで頑張ってはるんやないかと
とりあえず思ってみたりする。 でもそれより
原発に真摯に向き合っている
自衛官や警察官や東電の社員もいてはることも忘れてはいけない。 日本全国、ふんばりどころ。がんばりどころ。
私もあれこれいろいろふんばりどころ、がんばりどころなのだ! そうこうしたら娘の大学から電話。
予定ではもうすぐ飛行機に乗るであろう時刻だというのに
なかなかフライトができないと。
大幅に遅れて夕方に出発。
関空には24時着という連絡。
もしかしたらそれも遅れるかも・・・と。
「地震の影響ですか?」と聞いてみると
「ん〜定かではないですが、あちらの飛行場がどうのとかはないようなのでたぶん・・・」と
「そしたら今、彼女たちは空港で待機ですか?」
「そうです。」
「まぁ、若いからな・・・」と私。 なんせ、お嬢様大学ゆえ、
私みたいに若いからそれぐらい耐えろという保護者に安心したのか
そこで一気に打ち解ける、大学の兄ちゃん(か、おっちゃんか知らんけど。) 迎えに行けなければホテルを用意してくれるという手もあるらしく
なので、迎えに行く予定の彼氏に連絡を取ってみる。
私は行けんやろ・・・
私が行っても2人で空港泊になる。
ここの最寄駅最終は23時半やしな。 ほんま人生、いろいろあるものです。
ケアンズの空港で待機しているご息女(入学式で連呼されていた)たちよ、
ふんばりどころ、がんばりどころよ!” 09 06 カスタマイズ~絵文字~ “今日の天気は・・・・ プラグイン"Tiny MCE Advanced"で絵文字使用になる。 でもこのプラグイン、最新版だとスマイリーの絵文字しか使えないので ちょっと古いバージョンを使うことにする。 絵文字だけでじゃなくて、フォンとの色を変えてみたり、いろいろ遊べる?からいいかも。” | 2月 20 阪急岡本を散策。 “昨日は有馬の帰り、病院のバスを阪急芦屋川で降り、 岡本まで足を延ばしてみる。 14時前だったので、ランチタイムを過ぎてはいるが とにかくお昼ご飯と・・・・とカフェを探す。 駅前の通りを少し南に下がって左(東)に入ったところで お野菜を売っている可愛らしいお店。 その脇にドアがあり、黒板にメニューも書かれていて、 どうもカフェらしい・・・と入ってみることする。 そこがメルカートカフェ。 店内はシンプルで明るい雰囲気。 さっそく、遅いランチタイムが可能か伺ってみた。 っでランチをオーダー。 そのあと、メルカートがある筋の雑貨屋さん"hanger"に入ってみる。 阪急岡本駅からJR摂津本山間は カフェやパン屋さんや雑貨屋さんがいっぱいで、 なおかつとてもおしゃれ。 神戸らしい異国を感じるものもあふれていて 同じところを行ったり来たりしては その雰囲気を楽しめる。 こんな町に住みたいなぁ~と娘といいつつ、 阪急電車に乗って梅田経由で帰宅。 この阪急電車が小豆色の車体。 車内は木目と緑色の座席シートで レトロでおしゃれな電車。 小説になるのもうなずける雰囲気の電車だと実感しながら その雰囲気を楽しむ。 ひとつ残念なことに、 岡本にはる生活雑貨のキッチンキッチンが3月いっぱいで閉店する。 キッチンキッチンやその姉妹店ナチュラルキッチンは 阪急三番街や天王寺にもあり、そちらは行ったことがあった。 今回、初めて岡本店(こちらが第一号店らしい)に足を運んだのに あと41日で閉店と書かれていてとても残念になる。 そういえば、阪神西宮のエビスタにあったキッチンキッチンも閉店してしまって それも残念だったのに。 そんなこんなで岡本にはまたまた行ってみたいなぁ。 映画"阪急電車"はぜひ観たいし、 やっぱり住むなら阪神間と思った昨日でした。” 18 カスタマイズ~カウンター表示~ “カウンターのプラグインをサイトに表示したいと思っていて ふと、今日やってみる。 っで、ちゃんと表示されて嬉しくて 調子に乗って、 cafe*petit とpetit* もやってみる。 設置したはいいが、更新もせずの状態ではいかなぁ~と反省。” 01 | 1月 | |
2010 | 12月 31 良い年をお迎えください “生きています 年の瀬です。 2010年はとてもハードな1年でしたが、
小さい体で頑張っています。
2011年、卯年の私は前進あるのみ ” 16 別件のお問い合わせ “先日、カルチャースクールを運営する会社からのお問い合わせがあった同じ日、
ほん近所、
わが中学校区の南隣にある小学校PTAからも講習会の打診。 いままでPTAでの講習会は
北摂地域か奈良ばっかり。
こんなに近いのは初めて。 近いのもあって
実際にいくつか見てみたいとおっしゃられ、
午後から我が家に来られる。 よくまぁ、さして綺麗に片づいてもいないのに、
どうぞいらしてください
なんていうよなぁ〜と我ながらあきれる。
最初はヨーカドーででも・・といわれたが
ヨーカドーまでえっちらこっちらといくつか持っていくのも、
出向くのも
ほんで、
それをどこで広げる?って話で、
どうぞいらしてくださいと云う。 なので飾りのようなスリッパの埃をはらって
少々、
ほんまに少々、
昨日より掃除に時間をかける。 実際の講習は
年明け2月だそうで。 そんな時期にPTA行事をするもんなんや・・・
と思う。 近隣の小学校でも
ずいぶんと違うもんなんやと思うわけで。 てか、こういう文化的行事なんてしてたか?
中学校はやってはるけど
小学校にはなかったよなぁ。 そんなことをして
参加者を募っても集まらんやろうけど。 てか2月ってそろそろ委員会活動も〆にはいろうという時期やないのかしらん?と
来はったら聞いてみよ。 学校によって
委員会の名称もいろいろなのも
あちこちのPTAにお邪魔しておもろ〜〜〜と思う。 一番違うのはPTA活動が活発な学校は
雰囲気が違うということ。
学校の質の違いを肌で感じる。 まぁ、学校の質を上げるには
その上にある教育委員会の質を上げる必要があるわけやねんけど。
はっきりいうてここが質の悪さの根源やからどうしょうもないわ。” 09 先生と呼ばれても・・・ “長期の講師の話があって打ち合わせに行ってきた。
詳細を聞かなわからんし・・・ なんせ、基本出不精の私は、
それゆえ、子どものときの習い事も憂鬱で
(お習字と教会でのオルガン)
ゆえに塾なんてもってのほかで行かず。 なので、電話で話をもらったときに
長期ってことで
躊躇はしていたがとりあえず話だけと打ち合わせに出向いたみた。 っで正直、場所が遠い。
ここから遠い。
なんせ実家の近くやもん。
そこがネックとなる。
そして長期というのもやっぱりネック。 来年は次男坊主が高校受験やしなぁ〜〜
お父ちゃん、いつ有馬から呼び出しがかかるかわからんって状況やしなぁ〜〜 3日考えて
断ることにする。 もうちょっと近かったら
面白そうやし
多少の無理はしても・・・と思ったけれど。
単発ならそれぐらいの距離は問題ならんが
月2回はちょっときびしいもんなぁ。 そして
その打ち合わせ中、ずっと私は先生と呼ばれる。
犬も歩けば棒に当たるごとく
犬も歩けば先生に当たるってことやん。 そこら中に先生って呼ばれる人種は転がっているってことですわ。
これは一つの呼び名ぐらいなもんかも。
○○さんや○○くんと同じ。 先生なんてくそくらえとさえ(まるで尾崎豊)思ってしまう私。 わが家のお子達はどうもインパクトのある苗字が気に入らんらしい。
私の旧姓はそこらじゅうに転がっている苗字で
それがよかったとかいう。 そうか〜〜私はこのインパクトのある名前は気に入っているねんけど。
なので先生というより名前で呼んでもらいたい。 インパクトのある名前でインパクトのあることをした日にゃ〜〜
名前が一人歩きして大騒ぎ。
良きも悪きもインパクトのある名前ってええと思うねんけど。 ここを脱して、
長男の高校PTAでもこのインパクトのある名前がじわじわと浸透しつつある状況に
私はひそかにほくそえんでるのに。
なるべくならば、ひそかにに目立たず暮らしたいと思う長男には
頼むから学校で目立つことせんといてと言われている。
別に高校では目立つこともしてへんけど、
地味〜にええ仕事してるだけやし・・・・” | 11月 | 10月 11 小歩危ハピィと大歩危マミィ(*^o^*) “義父母のところから帰ってきた。
今日は私の顔を見た途端、義父が喜ぶ。 えっ?なんじゃろか?って思う嫁。 とりあえず、いつものとおりの三人で散歩に行く。
帰ってきて義父に入れてもらった牛乳で義母と乾杯をする(^-^)
おもむろにTVリモコンを手にする義父。 超真面目な顔で
「みっちゃん、これで電話はかけれるんじゃろか?」
えっ・・・・( ̄▽ ̄;A 「ん〜〜おとーさん、それテレビのリモコンやから電話はかけられへんわ。」
「そうじゃろ〜なぁ。でも○○(義母の名)がこれで電話したっていうんじゃぁ。ほんまにかけれんのんじゃろか?」
「うん、ほんまに電話はかけられへんわ・・・・( ̄▽ ̄;)」 なんだか雲行きが怪しくなる。
義父が義母のボケぶりを責める空気が流れる。
あかん!あかん! 「あ〜〜〜この牛乳、ほんま美味しいなぁ、おかーさん」
と話を変える。
「ほんまじゃ、みっちゃん、この辺(胸)がキュ〜〜となるなぁ。」
「ほんま!ほんまキュ〜〜となる。」 いまだ、義母の大歩危ぶりが認識できていない小歩危の義父。
いつだって真面目に義母の言動を受け止める義父は
「気になって寝れんかったんじゃ。」と・・・ おとーさん・・・ヾ(^o^;)” | 9月 19 09 ネタ提供 “別にええねん・・・と
近所のおばちゃんたち(手芸のサークルみたいなん・・)へ
ネタ提供は惜しみなくする。 ネタというてもバスケットのレシピ。
材料も商売抜きでお分けする。
近所のいわゆる高齢者という年齢のおばちゃんたちなので
そこで商売をする気はなく、
かまへんでぇ〜と。 来月にある自治会の文化祭でそれらを展示するらしい。
作ったものは見てもらいたいやろうし
ええやんと思うが
「あんたもなんやったら出したってぇ」
と誘われる。 ん〜〜〜今の自治会は好かんおっさんばっかりが仕切ってるので、
せっかくのお誘いではあるけれど、
やんわりとお断りする。 心ん中では
「好かんおっさんらが退いたら、なんぼでも協力する」とシャウトする。 最近、心ん中でよ〜シャウトするよなぁ。
それだけ忍の一字ってわけやん。
偉いわぁ。われながら偉い!” | 7月 25 20 クックパッド “右サイドバーのクックパッドのブログパーツが
昨年、終了していたのを気付かず・・・・ これはいけないと
クックパッドにいき検索窓のリンクバナーをゲット。 クックパッドはわが娘があれこれ利用しているサイトで
ここでタルトやら作っている。
時に失敗しながらではあるけど
作ろうというその気持ちだけで充分ってもん” 19 16 三者懇談♪ “去年は授業中の態度や提出物忘れなどなど、
ほとんどの教科担当の先生からのイエローカード続出だった次男。
とりあえず、当たり前のことはきちんとしようや
ということで2年生を迎える。 2年生を迎えるこの春、
長男の合格を得てたのもあり、
次はキミやでと。
2年後に控えた高校受験を成功させるプロジェクトを発足
家族一丸となって
高校受験を成功させる協力をすべしと
娘と長男にも指令。 まずはと、毎日、朝練に行く前に
漢字か英単語を5ツ×5回練習する。
勝手に漢字を作ってみたりする癖があるので
必ず、私に見せることを約束させる。
その成果が徐々に現れてきている先日の定期試験。
日々の小さな努力は大切やでっということを
本人がすこしでも実感できたらしめたもの。 難しいことをやらしているわけでもなく、
基本中の基本をしっかりおさえることで
結果がでるとそれが自信へと繋がる。 とりあえず、今はこのレベルをしっかりとが形になりつつあるようで、
それに比例して
あれだけイエローカード続出だったのが
今回は
2年生になって頑張っているお子さんの一人ですというお褒めの言葉をいただく。 成績自体は
すぐに反映されないから
そう変わらず。
まぁ、ここは別によしとする。 本人が勉強に前向きになってきていることだけで今はよしなのだ ただ、ヤツは持続性に欠ける。
気持ちにムラがある。
なので、目を離さず、せっつかず(せっつくとヘソを曲げる。)
その辺のさじ加減を調整しつつと誓う” 15 14 TwitterにRTを送るボタンを設置。 “asterisk*を参考にTwitterにRTを送るボタンを設置してみましたの。
コレ
{entry_title} あれこれ試行錯誤しながら・・・・
いや〜これを設置したところで
TwitterにRTしてもらうほどのネタもない私やけど。 ちょっとしたアクセントというか、
見栄というか・・・ 設置したかっただけというか・・・
まぁ、無事に設置できてよかった ” 13 100点あげるは無謀やろ! “2年生になっての1回目の定期試験は
そこそこ頑張って、
400点にあと10点ほど足らんという
ヤツにしては好成績を持ち帰った次男。 2回目の定期試験は
運悪く、
ワールドカップ最中ということで
気もそぞろ、心ここにあらず状態。 ていうか、あんたの専門はバスケやん。
なんでサッカーやねんと思うが
夜中3時におきてサムライジャパンの試合を観戦したり。 たぶん、今回はあかんやろうなぁ~と予想はしていたが、
嫌になるほど私のこういう予想は当たる。
前回より50点ダウンという。
それでも数学以外は平均的を上回っているてのは
あんたの周りあほばっかりか?というてもうた私。 いや~成績分布図を見る限り
2つ上の長男の学年と比べるとレベルが低いのは確かなんやけど。 そんなヤツがその成績分布図の下部にある
反省欄に
今回は50点落としたから次回は100点あげる!
と宣言している。 ん~~~~
目標高くはええねんけど
それは高すぎやと思う。 「あんた、100点アップって430点ぐらい取るってことやで。
それはちょっと厳しいものがあるかと・・・」と思わず口が勝手にしゃべる。 長男の430点は満足いかんかったが
ここは個々の個性もあるわけで、
次男には次男の道があって、
その点数はあんたのキャラにはないちゅうか・・・・・・ まぁ、計画だけは立てるねんけど
なかなか実行にうつせませんっていう
その他大勢、世間一般のタイプなので
その大きな志だけは聞き入れておこうというもの。” 12 選挙 “次男一押しのお方は残念なことに落選してはった。 ヤツが一押しなんは単にTVで見て知っているっていうもの。
投票所入場整理券が届いた日。
「それって中に何がはいっているん?」ていうから
「選挙しにきてくださいって用紙。」って応えると
興味津々の顔。 「開けてみる?」って開けてもらう。 「ボクのん、なかったわ。」って当たり前や。
選挙権ないやん・・・・
「ほんまぁ、残念やったなぁ。」
「母さん、誰に入れるん?」
「あんなぁ。誰に入れるか人にいうたら捕まるねん。」ってホンマか?
中2相手にしょうもないこと云うてまう。 てか、学校で習ったやろ?
選挙権。
忘れたか?スルーしたか?
それかもしかしてボクの名前もある?って期待?
っで、ヤツ一押しのお方の名前を出してきたわけです。 ん〜〜
「その人に入れるなら
自分の名前、フルネームで書く!」と云う私。 どこなとここなと
フルネームオンパレードでアピールする母を持つと
「それはちょっと・・・」と真顔で答えるヤツ。 書くわけないやろ。
書いたところで、だれやねんこれって捨てられる。 結局、私は昨日、
雨のせいにして
家から一歩も外にでず。 部活から戻った次男に
「母さん、行ったん?」って
「ううん。雨降ってるやろ?」
「それって絶対に行かなあかんことないの?」
「別に、行きたくなかったら行かんでもいい。
白紙投票もあるし」
「ふ〜ん。ほんだらやめとき」
「あんたが代わりに行ってきてくれたらなぁ」と。 そんなんでも選挙の行方が気になるので
夜はTVで選挙速報を見入る。 小泉さん家のご長男の人気ぶりにやたら食らいつく。
オトコマエやもんなぁ。
そりゃ〜どこに行っても人だかりやわ。 桝添さんの厳しい顔に切なくなりつつ、
小沢さんの地方周りの超小規模演説に
何がしたいねんと突っ込みつつ、
次男坊主一押しのお方の落選インタビューに胸を打たれ、
次男のいうようにこのお方に入れればよかったか・・・・と。 そういえば、今回の選挙。
あまり煩くなかったことに気づく。
選挙カーの声をあまり聞かなかった。
ご近所からの入れてやの声もなかった。
ふ〜〜ん。よ〜わからんけど、
そんなこんなでとりあえず、政治の動静は
社会科の時事問題に出るので
出そうなネタだけはチェック。” 11 10 09 そして三者懇談。 “小1の時から変わらず、同じことを云われる。
「授業中もまじめで生活面では云うことありません。」
見事におなじことを云われるとは、
悪いことでもないしええといえばええねんけど、
おもろないといえばおもろない。 「では、成績の話をしましょう。」と
先日、提出した志望校・2年次の文理選択の用紙を出し、
「お母さんもご存知ですか?」と聞かれる。
「はい、一緒に考えたので。」と応える。 先日の定期試験の結果一覧を並べながら、
「これもご覧になりましたか?」と聞かれ
「はい」と応える。
「うちの高校でこの順位だと第一志望の大学は十分狙えるとこにいてはります。」と
断定しはる。 ほんまかい?と心の中で突っ込みつつ
「そうなんですか・・・」と言葉を選ぶ。 なんせ、頭のいい子が集まっている高校やから
気使うねん。
しゃべるとき。
唯一、私が後悔するのかココ。
めちゃ場違いに思えてしまうねんもん。
私・・・ まぁ、わが長男は誰に似たのかボンボンにて
すっかりこの高校に馴染んでるから、ええねんけど。 「たいてい、一つや二つ穴があるもんなんですが、
穴もなく全部、きちんとできてはるので、
この順位をキープ、もしくは上げていけば
第一志望は大丈夫です。」と念押しされ、
最後に
「10番以内を狙おうか!
これだけきちんと学習習慣がついてるから10番以内に入れるで!」と
笑顔で断定される。 4階にある教室を出て、1階まで降りる間、
「10番以内ってなぁ、ちょっときついよなぁ」って私。
「キツイわぁ〜」と長男。
10番以内ってクラスで1番にならなあかんってことやん。
今までは、そうレベルの高くない、
いやはっきり言うてレベルが低い小中学校やったから
クラスで1番でいてたけど
高校はそうはいかんやん。 部活もしながら、帰って勉強して
時間いっぱいいっぱい使ってるのになぁ。
ええ加減しんどいわなぁ。 私もしんどい。 ていうか、
第一志望、どうする?どうする?で
とりあえず、目標高くの近場で選んだから
ほんまにそこでええの?
その学部でええの?ってのもあるねんけど。 それに、
勉強はおいといても
私はヤツの柔軟性に欠ける点を
制服もなく自由が売りのこの高校で
部活や文化祭やあれこれ楽しみつつ
養っていってほしいというのもあるねんけど。 最終的に
やっぱりもっている知識・教養を
その場その場で臨機応変に使える柔軟性が
これからの時代は必要やでと切に思うしな。 とにかくやね、青春はエンジョイしやなあかん。” 08 | 4月 12 | 3月 24 祝!合格! “24時間前の昨日の今頃、長男から
「受かったでぇ」と低い声。 ネクラか?と思うような声。
「ほんまか?写真撮って送って」と実物を見やな納得できん性格の私。 っで携帯から送られてきた写真に
受験番号47がある。
なんども見る。
確かにある。 電話して今後の打ち合わせをする。
出願時に持ち帰ったプリントに合格後の流れとして
個人写真撮影あり、
午後から保護者同伴説明会とのこと。 長男にしては段取りよく、
個人写真撮影を終えた様子。
午後の説明会まで時間はあるが
帰ってまたで直すには中途半端。
私がすぐに家を出て学校最寄の駅(上本町)でお昼を食べて
時間をつぶすことにする。 娘の高校は田んぼの中にある学校で
私にしては面白みがなかったが
長男は鶴橋か上本町が最寄り駅。
地下鉄なら谷九。
私のテリトリーが増えるちゅうもんでワクワクする。 私は地下鉄経由で向かい、
谷九の改札を出たあたりで
長男から"今どこ?"メール 電話をすると
「ハイハイタウンっていうとこの噴水のあるところにいてる」というので向かう。
そのハイハイタウンのうどん屋さんに入りお昼を食べたあと、
近鉄デパートの本屋さんで時間をつぶすことにする。 11階の本屋には、中学生の親子がわんさか。
みな考えることは同じやなぁ〜と
息子所望のバスケのコミック
「あひるの空」を探す。
20何巻まで出てるそれの17巻を取ろうとするので
「そこからここまで(最後まで)買ったろか?!」って太っ腹なことをいう私。 「えっ母さん、これ1冊400円やで」
「うん、わかってる!」
「2冊でええわ・・・」って息子。
買ったその2冊をもって喫茶店で時間をつぶす。
カフェラテを飲みながら、
じっくりと合格をかみ締める。
これでやっとチョコレートが食べれると密かにほくそえむ私。
合格を願って、チョコレート断ちが叶った! いやいや、息子の努力の成果か・・・” 16 最終決戦の日 “そんなおおげさな・・・
だが、まさにこの日のために部活引退後、勉学に勤しんできた長男。
卒業式の日、
担任の先生からクラス全員に配られた
その前日に撮ったクラス写真と先生からのそれぞれへのメッセージ。 わが息子の努力には頭のさがる・・・と
まじめにやること、努力することの大切さを
息子を通してあらためて学びました・・・と 我が子にとっては最大の褒め言葉を別れの言葉としていただき、
親の私はうるうるする。 本人はいたって飄々とマイペースに
机に向かっていただけなのだが・・・
最終の評価、過去問の点数をみて
思わず、もう一つ上のトップの高校を受けてみる?って聞いた私。
本人は
「あそこはええわ」と
遠足も阪大に行くらしいそこは高校生活を謳歌できる?って思うし、
最初の目標の高校でいいかと。 その受験が本日行なわれた。
雨の中、自転車で駅まで向かう姿に頑張れと声援。
して、4時過ぎに帰宅。 「どやった?」って聞く私に
「まぁまぁ」って。
どないやねん。出来たかどうかやん!って思うが
まあ、そっとしとく。 PCの前にすわり、YouTubeでワンピースを見だす。
数分後、
「せや、母さん、これもらってきた」と
23日の合格発表後の予定と合格したら提出する選択科目(音楽・美術・書道)の用紙。 「第一希望は書道で第二希望は音楽にしとくわ」とさら〜と云う。 えっ受かってるつもり?
いけてるん? あ〜〜もうよ〜わからん。
普段どおりの力なら余裕で受かるであろうとこまで実力をつけたのは確認ずみやしとは
思うが・・・・どやねん?
どっちにしても
23日の発表を待つしかない。
ほんま、落ち着かん・・・” 11 出願、倍率・・・そして明日は卒業式 “来週の火曜日、いよいよ、長男の高校受験。
月曜日に受験する高校に出願する。
受験番号をいただいて帰ってきた。
今朝の新聞に最終倍率が載っている。
1.25倍。
まぁ、例年通り。 本人は落ちる人数を数えて少々びびり、
最後の追い込みと机に向かっている。
わが息子ながら、最後まで努力を惜しまんところは上出来。 これまでの流れは
私が思い描いたとおりにことが進んでいるので
このあとも行くでと思うが
ドキドキもする。
23日の発表まで落ち着かない。
公立高校受験は
内申点と実力とで勝負なのだが、
内申点が高いわりに実力がともなわないという女子と
そのおかげで実力より内申点が低い男子という図式ができあがる。
まあなぁ、それはそれで仕方がないんやけど・・・・ 息子と同じ高校を受ける子が
「うちの中学は定期試験が簡単すぎる」と文句を云うてたらしい。
その彼は、
偏差値70の私立高を併願で合格してはるから
実力はしっかりとある。
内申がもう少しあれば、
もう一つ上のトップ高を受験したであろうに・・・・というところ。 たしかに、定期試験で数学満点が6人も7人もでるテストはあかんと思うわ。
それには息子も
「難しくしてくれたら点取れるのに」と云う。 ここの感覚がおもろいよなぁ。
そこそこの出来の娘や次男には
難しくしてくれたほうがいいなんて発想はない。 基準が変わると価値も変わるというのを実感した今回の受験。
娘のときに
○○高校(偏差値50)は賢いって思っていたのが
今回は、偏差値50も40も同じに思える。 子ども3人ともがそこそこの出来なら
偏差値65を越える高校なんて雲の上。
そんなとこに行く子の頭はどうなってるん?って思うやろうし、
3人ともが偏差値60を越えてたら
それはそれで鼻持ちならん考え方になってたやろうしなぁ。 いろんな基準で物事を見るべきやということ。
しかしながら、上には上がいてはる。
クラスで1番でも学年では5番6番やし。
これがよその学校と混ざるとさぁどうなるん?って話やしなぁ。
というて、勉強さえできたらいいってもんやなし。 出来るに越したことはないけれど、
それだけではなんらくその役にも立たんわけで、
それをどう活かすか、
活かせる能力をもっているかが
これからの時代は必要やと、
長男には
「勉強が出来たらいいってもんやないねんで。
それをその場その場で臨機応変にどう活かすが大事」と懇々と説く。 あ〜あと少し・・・・ そして、明日は卒業式。
その4日後に入試を迎える受験生には卒業式もあったもんやない。
それでも、前日の今日は
それを盛り上げるべくお別れ会。
マイペースな長男はとにかく受験のことだけ。
私は明日はいいお天気で暖かく・・・を願う。” 05 娘の卒業式。 “3年前の合格発表翌日の説明会と制服採寸が
この前のように思い出された今日の卒業式。
卒業生代表の答辞に涙する。 中学校よりも通うことが多かったように思う高校。
他の公立高校に比べると規律が厳しく、
本人はその点がおもしろくなかったようだけど、
ここに通った3年間はかなり有意義で内容の濃いものだったはず。 式終了後、体育館を出るときに部活副顧問の先生に会い
挨拶をさせていただいたが、
キャプテンをしていたときのしんどさを理解してくださっている言葉に
またも涙。 高校どこに行くよ?と散々悩んで、頑張って
受かったここはやっぱり誇りに思える場所であってほしいと・・・
副顧問の先生には
ここに入れてよかったと思っているんですと云った私。 あと10日後に高校入試を控えた長男。
やつもここに入れてよかったと思える高校生活を送れるよう、
まずは合格をと心から願うばかり。
先日の三者懇談以降、最後の追い込みといわんばかりに
モチベーションがぐっとあがり
机に向かう背中からは熱気を感じる。
が、ふと
「早く終わってほしい」と本心を漏らすあたり、
しんどいのやろうなぁと思うだけで何もでけへん私・・・
親は無力やなぁ。” 01 三者懇談にてGOサイン♪ “今月16日の公立高校受験の志望校決定の三者懇談。
最後の実力テストの国語で下手こいたのがちょっとネックではあったけど
内申は最終的に25ポイントアップという偉業を成し遂げたのもあって
どんなもんかと思いつつ先生の前に座る。 開口一番に
「よ〜がんばりました。自信もって受けておいで」と言っていただく。
5教科のみならず、副教科もきちんとこなす素直さを褒められ、
職員室でも話題にあがったと言われる。 国語で下手こいた実力テストも平均点が低かったので
偏差値的にはあがってるぐらいやから気にしなくて大丈夫とのことで
胸をなでおろす。 すでに評価10をもらってた2教科以外は全部、上げていったのを
ほんますばらしいとべた褒めされ、
長男は照れて、恥ずかしそうにしてる。
調子こいた私も
「わが息子ながら、上げれるとこは上げていけとは言うたものの
ここまでやるとは、よ〜がんばったと思います。」と褒めておく。
「これであかんかったら神様もなにもないもんですわ」というと
「いや、受かりますよ。」と太鼓判を押される。 そしてことの流れで
「お母さんもPTAの新聞で努力賞ですごいですね」といわれる。
いや、私一人の力でもらったわけではないので・・・・(^^ゞ 親子で褒めてもらい気分よく帰宅。
でも、ここでええ気になったらあかん。
「油断大敵やで!」と気を引き締め、ヤツは机に向かっている。 っで思うわけだ。
長男はええ。
職員室でもよ〜がんばる子と話題に上ったのはええ。
それと比較されがちな次男坊主や。 先日の学年末実力テストで
英語27点という・・・
ひさしぶりにこんな点数を拝んだ私。
2年後の高校受験を控え、
2ヵ年計画を立てることを宣言する。 兄ちゃんと同じことは望んでいない。
自分の中でベストを尽くそうやということで、
長男の高校受験サポートが終了を迎えつつあるが
1年早く次男の高校受験に向けて私はスタートラインに立つ。
あ〜ええ加減疲れる・・・” | 2月 28 PTA広報紙は努力賞をいただく “昨日の表彰式。
いや表彰式といってもそれはメインではなく
メインは現在フリーの乾龍介アナウンサーの講演と市PTAのあれこれ。
そのことのついでに表彰式って感じ。 選ばれた10校ほどの代表(たいていが委員長さん)が舞台にあがり
そこで努力賞、○○小学校、○○中学校って呼ばれる。
わが中学校は一番に呼ばれ、努力賞。
努力賞が6校ぐらいのあと
銅賞、銀賞、金賞と発表される。 三賞は大体常連さんだったりするようで
ぽこっと入賞した我が中学校なので
努力賞は妥当なところかと思うがちょっと残念。
表彰状授与が終わってから
各校の評価を読み上げられる。
わが中学校は
トップページが詰め込み過ぎとダメだしのあと、
特集記事(インターネットについて)は内容も記事のまとまりもよかったと
また、卒業生に取材した点は独自性があってよかったと評価をいただく。 記事と見出しの文字の大きさや
画像と記事のバランス、
画質の良し悪しやらを指摘されている学校もあり、
PTA広報紙といっても結構、厳しい審査にびっくりする。 他の学校(小中学校)の広報紙を見るのもええ勉強になる。
ただ、カラー印刷の学校が結構あってびっくり。
うちもカラー印刷やけど学校で印刷しているので
インクトナー代だけであとは手間がかかるってもの。
業者にカラー印刷をだすと結構ええ値段になるであろうから
その点でもびっくり。 でも、三賞をもらった学校はカラーではなくてモノクロ。
なので、カラー、モノクロより
ほんまに内容やら紙面づくり、記事、写真のバランスという新聞としての評価に
PTA広報紙としての意義を成しているかどうかが審査されるということを
初めて知る。
賞をもらっているところはほんまレベル高い。
まったくなにもわからず、PCで紙面づくりをしていた私は
次年度も引き続き、広報委員なので意識を変えやなと反省する。” 18 そしていよいよ公立高校出願準備! “前期入試の最終出願状況が今朝の新聞にでていたけれど、
わが長男は後期入試なのでこれから出願準備に入る。 前期の超難関高校の理数科の倍率5倍におののくわが長男。
過去問、その理数科のも手をつけてみたらしいが
難しい・・・・と。
まぁな、ここを受けるなら自学学習だけではちょっと無理があるような気がする。
長男の通う中学では
私が知るところ、ここ数年、この理数科へは誰も足を踏み入れていない。
受ける子はいてるが・・・
ここの普通科ならかろうじてトップ1,2名が行ってはる様子。
わが長男はそこには及ばず。 てなことで
昨日、出願書と受験料振込用紙をもって帰ってきた。
出願書の志望する高校はまだ未記入でおいておくという指導。
今年に入ってからの実テと定期の結果を踏まえて
明日、進路会議がおこなわれ
そこで学校側としての進路指導が決まる。
その後、3月最初の三者懇談で志望校決定となるてはず。 そないいうても
本人がココ受けたいねん!って強く言えば
先生も
「落ちるかもしれんで」と但し書きをして了承はしはる。 我が長男は
実テの国語で下手こいたが
定期の国語がほぼ満点(満点-1)。
私立も希望通りの結果を出しているので
油断はしたらあかんでって注意書きつきで志望校GOサインがでるであろうと
踏む私なのだ。 そして、さっき、いそいそと受験料2,200円を振り込んできた。
私立の1/10のお値段。
我が家でも右から左にでる金額。 入学金だって
先日の合格発表とともに入っていた案内によると
20万だと。
いや、振りこみ時は1期分の学費に制服代に教科書代にPTA会費にで
おおかた50万。
それを見た長男がひとこと。
「母さん、ボク、がんばるわ!」と。
こんな高いとこ行ってられへんと言う。
「頼むで!」と私。
ほんま頼むで。 なんせ、長男の志望校は制服がない。
入学時に買うものって体操服と教科書。
この差はとんでもなく大きいわなぁ。 さぁ、ここが分かれ目。
親孝行の息子になるか、否かって。
いやいや、今でも素直な孝行息子やねんけど。” 13 ダルマの片目入る・・・って感じ♪ “朝からドキドキの併願私立校の合否発表。
午前中に郵便屋さんが届けてくれるかと
勉強も手につかずの長男。
お昼回ってから、やっとこそさオレンジ色の封筒が届く。 とりあえず、希望の理数科合格とのこと
これで1カ月後の公立入試の景気づけになったと
油断大敵やほれ、頑張れって話。 なんせ、入学案内やら制服販売やらを見ると
えらい大金がいる。
私より本人が
「これは絶対に受からなあかんなぁ」とモチベーションがあがった様子。 私も切にそれを願う!” 11 明日は山に登れるのかなぁ・・・ “先週土曜日、有馬に行こうといつもどおりに家を出た。
阪神芦屋駅北側で病院の職員送迎バスを待っていた。
ものごっつい風が吹く寒い日ではあるけれどいいお天気やったのに
時間を少々すぎて目の前に止まったマイクロバスは空っぽ。
運転手さんのみ・・・・ あれ〜〜寒いからみな今日は行かはらへんの?と思ったら
運転席からドライバーが降りてきて
「今日は雪で山にはあがれません」と。
あらら・・・
いや、バス自体はあがれるのであろう。
働く職員の足にはなるが
その合間に無料で乗せてもらえる送迎バスは
なんか事故でもあったら・・・ということで
乗せてもらえないというところやと思う。
「路線バスは動いているかも・・・」とドライバーさんはいうけれど、
路線バスの乗り場まで行ったところで
1時間に1本のそれを待つのもなんだかなぁ〜と
おまけに前日から発熱の次男坊主を寝かせて
受験生の兄に任せてきたので
そのまま引き上げてきた。 それはいいのやけど、
絶対に私が現れるのを待っているであろう父の気持ちを思うと
なんだかなぁ・・・
家に着いたら病院に電話して
今日は行けないと伝えてもらうことにしたが、
私も何度となく入院生活を送っているが、
私はどちらかというと誰かが来てくれると嬉しいタイプなので
誰も来ない病室がつまらなく寂しいのを知っている。 そんな先週で
今週は明日、有馬に行く予定なのだ。
なんだか明日も寒そうで・・・・
山に登れるやろうかと心配。
明日は最初から路線バスで行ったほうがいいかもなぁ。” 祝!受賞!! “息子が通う中学校のPTA広報委員の私。
レイアウト担当さんからの記事と取材担当さんからの画像データをもとに
私がillustratorで紙面づくりをしている。
今年度から初の試みで学校のカラー印刷機を使って
B4カラー版をすでに2号発行。 1000部近くの数なので
印刷の日は朝から夕方まで教頭先生に奮闘してもらっている。
いや、私は印刷の日は免除してもらっているので
その様子はわからないけれど
かなり手間な作業の様子。 そんなこんなで作ってる広報紙が
市のPTA大会で入賞したとのニュースが入ってきた。
3,4つ賞があるそうで
どの賞だかはまだわからないそうだけど
入賞をしたとのこと。
応募した新聞は2学期につくったB4裏表2枚を冊子にしたもの。
文化祭・体育祭・特集記事(インターネットについて)・部活成績・PTA遠足などなど
内容もテンコ盛り。
読みごたえ、見ごたえありのかなり充実した紙面で
われながら賞をもらえるかも?とは思ってはいたのだけど
ほんまにもらえるとは・・・ 展示及び表彰は27日に行われる。
PCで紙面づくりにがんばったからって舞台に上がって〜といわれたが
「いや〜やっぱりここはキレイどころがあがってもらわな」と遠慮する。
「その日はええベベ着てきいや」と付け加える。 そしてこれに入賞すると
今度は府の大会へ応募する権利が与えらるそうで
その締め切りが3月後半。
それまでに今年度3号めも発行するので
3部合わせて応募するとのこと。
今から作る3号めはネタもそうないし
軽〜く流そうかって雰囲気やったのが
ここにきて一気に最後まで気ぬかれへんという状況。
府大会もいてこまそか・・・・” | 1月 28 1字違いで私の生まれ年 “26日に併願私立校へ願書を出しに行ってきた長男。
受験番号が私の生まれ年と一字違い。
受験番号をもらうといよいようやなぁ〜という感じ。
それにはってある証明写真の弟を見て娘が言う。
「かしこそうよなぁ」と
「いやいや、かしこいねん」と私。
まぁ、受かれば賢いねんってとこやねんけど。 年明けの実力試験で少々下手こいたから
たぶん、3月頭にある最後の公立高校決定の三者懇談では
難色を示されるであろうとふんでいる。
前回、前々回の実力ならOKやろうに・・・とはあとの祭り。 11月の三者懇談でええ感じやったのを調子こいたから
ちょいと気合入れ直さな的なものとモチベーションはあがっている。
来週早々からの最後の定期試験で
内申評定を落とすことなければ、合格圏内なので
まぁ、いけるやろうとは私の予想。
土壇場の底力は私譲りとは思うものの
まずは2月の私立高校でええ結果がでることが第一なので
受験番号を見るたびにドキドキや。 しかし、私の生まれ年1963の9が抜けて
ラッキーセブンの7に入れ替わったのが受験番号って
これってイケてるやん” 25 部活の勲章 “先週、金曜日、薬指に包帯を巻いて帰ってきた次男。
「クラブで突き指した」っていうから
ふ〜んと思っていた。 お弁当箱を洗うのに包帯を外したその指をもってきて
「母さん、なんかはれてきてる」って。
見ると、えらいはれてるやん。
「え〜〜ほんま突き指なん?」
「突き指やと思う・・・」
「骨折やとめちゃ痛いで。痛くないん?」
「ちょっと痛いような気がする」 時計を見ると19時半。
なんやかんやと私以外家族全員がお世話になっている近所の整形外科の診察券を見ると
受付19時半までって書いてある。
「今やったらまだ間に合うかもしれん。
病院に行ってき」と次男坊主をせかす。
で21時ごろ帰宅のヤツ。
成長期によ〜ある指の骨折。
長男も部活のとき2回ほどやったそれ。 まあ、部活をしていたら
なんやかんやと怪我をして上手くなっていくもんやろうし
まぁ、2週間はギブスしときなはれ・・・なのだ。 部活も手を使わん
柔軟とか走ったりはかまへんって言われたらしい。
なのに今朝
「骨折してるっていうて体育休もうかなぁ」とヤツ。
今、体育は長距離。
マラソンで別に手は使わん。走るだけやん。
走れっちゅうねん。 包帯を巻いた左手はちょいと勲章のごとく、
低い鼻をちょいと高くして登校した次男坊主。
あっちやこっちで
部活中に怪我したっていうソレにあこがれていたというヤツ。
怪我せんにこしたことないやろと思うのになぁ。 というか・・・
毎夕のヤツのお弁当箱洗い、私がせなあかんやん。
自分のお弁当箱は自分で洗うが鉄則やのに・・・
かなんなぁ。” 17 ドーナツで窒息しかけ・・・シャレならんで。 “昨日の有馬。
いや、最近は病院の職員送迎バスを利用させてもらって
阪神は芦屋駅前から芦有道路経由で有馬温泉病院まで行く。
送迎バスなので阪急バスの山田山から10分ちょっと山道を登るということもなく
病院入り口までバスが運んでくれる。
とてもラクなのだが、
この芦有道路がクセモノ。 初めて乗ったときは冬のお天気のいい日で
山を登りきったと思った瞬間、目の前に広がる景色に
仙人になったような気分を味わい
なかなか楽しいバス旅行だった。 それが昨日は、私の体調がイマイチやったのか
あのくねくね山道(キレイに舗装されている)にやられたようで
気分が悪くてしかたがない。
やっとの思いで病院についたが
そこから父のいる、3階までの階段で足元すくわれそうになる。
こんなとこで倒れたらシャレならんでと思いながら
昼食待ちの患者さんが集合しているディルーム、
父のそばにたどりついた。
「あかんわぁ、今日はめちゃバスの酔うたわ」というと
「体調わるいんか・・・」と父
自分が元気なら
「体調悪いのに来んかていい」というたところが
唯一面会にくる私が来なんだら
寂しぃ〜てかなん父は
体調が悪そうな私にも腹を立てている。 誰のせいやねんと思う私も
ここはぐっとこらえながらも
「私がおらんようになったら誰も来んで」と嫌味をいうてやる。
こんな嫌味が言えるのは親子ならではというとこで
お互い、何を言おうが大して堪えてへんし根にも持たんというところ。 そんなこんなで
父の昼食に付き合い、
有馬駅前のパン屋さんで買ったクリームパン(父用)とドーナツ(私のお昼)を食べようと
ディルームを出ていく。 父はディルームで食べたがるが
幼稚園児と化したジジババの集団の中
父一人、クリームパンをたべさせるわけにはいかない。
どこぞで
「わしも食べたい」とか
「わてにもちょうだい」とか
幼稚園児ごとくに泣かれてもかなん。 父は父とて
幼稚園児の精神状況で
ちょいと自慢しながら食べたろかという根性丸見え。
わが父ながら、聞き分けのないことぬかすなよと思うばかり。 てなことで車椅子を無理から押して部屋に戻って
クリームパンを持たせる。
介護病棟の昼食ときたら
私も遠慮しますといった感じで
白い御飯が大好きな父はいつも白い御飯だけパクついて
お箸をおいた瞬間
「お腹が減った」とのたまう。 なので最近はクリームパンを買っていく。
お昼を終えたばかりでも
「あんなんじゃ出るもんも出ん!」といいながら
クリームパンをぱくつく父。 「あんなぁ、芦屋のクリームパンやから高いねん。
もうちょっと味わって食べ」というのに
次から次へと口にほうりこむ。 まだ食べたりないような顔をしているから、
私のドーナツも半分持たせてやる。
ドーナツは咽喉にひっかかるから
「ゆっくり食べや。誰も取らへんねんし」というのに
ぱくつくもんやから
むせてヒィヒィ言い出し、私はびっくりや。 え〜〜
勝手にパンを食べさせて窒息でもされたら
シャレならんやん・・・と内心あせり
父の背中をとんとんたたきながら
お茶の用意をする。
口では
「死んだらあかんで」って。 ヒィヒィいいながらごっくんして
お茶飲んだらケロっとしている。
頼むわ。びっくりさせんといてや。 「だから言うたやろ!芦屋の高いパンや。
ゆっくり味わって食べって」と父にシャウト。 ほんま・・・頼むで・・・と
横を見ると
ディルームからまだ戻っていない
隣のベッドのおっちゃん。
たしか糖尿病とかってことやのに
サイドテーブルに蜂蜜が入った容器がおいてある。
ええんかいな・・・とよそごとながら心配する。 廊下からは毎度のことながら
軍艦マーチが聞こえてくる。
向かいの筋のおばちゃんがいつもかけてはる。
介護病棟はなんでもありか・・・と思いながら帰りのバスに乗る。
やんちゃな我が父が目立たんことに安堵する、やんちゃな娘の私・・・” 13 願書の清書 “鉛筆で下書きしたものを学校で確認してもらい本日持ち帰る。
鉛筆下書きの上からボールペンで清書をして
18日に提出するらしい。 誰も居ぬ間にと
せっせと清書ペンを走らせる長男。
これが嬢なら書き出すまでに
「緊張するぅ〜」とかヒャ〜ヒャ〜云うてなかなか書き出さないであろうが
女の子と男の子の違いなのか
単に性格の違いなのか
淡々と書き出し、清書し終える。 印鑑を押印する段になって、
「母さんがしよか?」と聞くが
「自分でする」というので
「練習しいや」と印鑑と印鑑下敷きと朱肉を渡す。 何度か練習したあと
心落ち着けて押印。
「これが一番緊張するわ」と長男。 高校受験もいよいよといった感じ。
3年前の娘のときは
今頃の時期、かなりナーバスになっていて
アトピーもひどくなり胸が痛かったのに
今回の長男は淡々と勉強をこなしていて
緊張してるのかどうだかわからん。 「母さん、私立って受験いつやった?」って聞くぐらいやし。
「2月の10日やん。発表は13日。」
「公立は?」
「3月の16日。卒業式が12日。」って
私は空で覚えているのに
当の本人は今頃なのだ。
これは緊張してへんのか?
ナーバスになってないのか?
慢心しているならそれはこれで怖いしなぁ〜と
あ〜〜よ〜わからん。” 08 受験料を振り込む。 “今日から新学期。
早々に実力テスト、受験生は大変やわ。 年末に友だちと私立高校に行き、
もらってきてた願書等一式を学校にもって行く日。
学校が書いてくれはる申告書を抜き取られまた持ち帰ってきた。
休み明けに鉛筆で下書きをした願書を
一旦提出して先生に見てもらってから
ボールペンで清書するという運び。
それを18日に提出。
そのときには受験料振込済みの用紙も添付しなければならず
いけるときに行っとくわと
さっき、駅前の某信用金庫に足を運ぶ。 高校の取引銀行が近くにあれば
支店がちがえどもそこに出向くのやけど
電車に乗らないといけない。
交通費と振り込み手数料をはかりにかけて
道中の時間を考えたら
ん〜〜近場ですまそとなった。
のだが・・・ ちょっと不安がよぎる。
大手銀行の行員に比べたら感度が鈍く、
え〜〜こういう学校関係の処理ってあんまり数をこなしてへんの?って
心配になる応対。 入学金なら受験番号を打ち込むなんて作業もあるし
当然収入印紙添付のあるのだが
20,000円の受験料にて
収入印紙は不要やし
願書に添付する振込控えに銀行の印があればいいようなので
大丈夫でしょう・・・ そう、この印ですら、
私が所望したから押してもらえたという感じで・・・ ATMコーナーにいてはるおっちゃんに
受験料振込用紙を見せて
「これはこのまま窓口でいいんですよね?」って聞いたのがまちがい。
おっちゃん
「これ、機械でできますよ」って
「いや、この3箇所にハンコを押してもらわなあきませんねんけど・・・」
「え〜どれどれ」って
この時点で私はここに来たことを間違えたかと思う。 わけわからんおっちゃんはその用紙をもって
窓口のお姉ちゃんに聞きに行くのやけど
このお姉ちゃんもどっか空気がぬけてる?ってしゃべり方やし、
語尾があがるし、感度鈍そう・・・ 私が言うたハンコ3箇所を
おっちゃんはおねえちゃんに確認するのだ。 私は内心、なんしか受領済みハンコさえあればいいねんしと
自分に言い聞かせる。
娘の高校受験のときは同じ銀行まで走った。
短大受験も同じ銀行の別支店で処理したのに・・・とちょっと悔いる。 とにかく処理はしてくれたのであろう、ハンコを押してもらった。
手数料630円を支払って帰宅。
てか、630円の手数料の領収書は発行されへんかってんけど、そいういうものか? 大手の銀行は銀行で融通がきかんかったりするねんけど
こういう地域に根付いた信用金庫というのはとっつきやすさはあるねんけど、
この感度の鈍さはいただけないなぁ。 次からこういう類のものはここはやめとこと誓う。” 07 03 あけましておめでとうございます。 “忙しいときってつぎからつぎへと忙しコトが起こるものだと思いつつ、
年末から新しい2010年へ突入いたしました。
今年もどうぞよろしくお願いします。 ここ数年、毎度のことながらの大掃除もそこそこに
あれま・・・「ガキ使」観てたら、年明けたやんで
もっと凛とした年明けを迎えるべきかもと反省。
明けてもうたもんはしゃ〜ない、とにかく2010年も走り出すしかないですわねぇ。 なんだかなぁ〜と思うしかないのは父。
元旦6時から9時までバイトの娘の帰宅を待ち、
一家で有馬まで行く。 正月だから自宅に戻っている人が結構いてるのかと思っていたが
父と同じく有馬で年を越す患者さんがよ〜さんいてはることに
ちょっと安心。
同室の父の相棒は大晦日に奥さんが迎えに来て
車椅子に乗って一時外出のようで
いつも薄暗い病室が明るくなっていることだけが救いかなぁ。 なんだかなぁ〜とどうしようもない状況に
いっこうに納得ができない父は
毎度の愚痴のオンパレード。
その気持ち、わからんでもない。よ〜わかるがどうしょうもない状況で
そこを真剣に聞き入ると私もつらくなるので
さら〜と受け流す処世術を身につけた私ってどうよ?って自問自答。
元旦早々、難しいことを考えるのはごめんこうむると
棚上げにしとく。 あれやこれやと気になることだらけの私。
なにはともあれ、いまのところは2月の私立併願校受験と
3月の公立高校受験を迎える長男に焦点を合わすことで
あとのことはぜ〜んぶ棚上げしとこかな・・・
そのうちホコリまみれでチャラにならへんか?” | |||
2009 | 12月 27 ケツメイシのライブに行く? “昨夜、娘と二人でユーチューブでケツメイシを楽しんでいた。
ケツメフリークの私は全アルバムを網羅しイントロクイズもばっちりよ!というぐらい
iPodShuffleで聴き入っている。 当初、ケツメイシのどこがいいん?なんていうていた中学生時代の娘。
中3の修学旅行バスの中で流れていた
"旅人"だけはお気に入りだったのだが、
ここにきて、なんやあれこれ気になる様子。 っで思わず、
「今度、大阪でライブがあったら一緒に行く?
母さん、奢ったるしぃ」と誘うと
「行く!行く!」とケツメイシサイトでライブ情報を探す。 前にも一緒に行く?って誘ったときは
ええわ・・・やったのにと思うが
私も一人で行くにはちょいと寂しいので
アンタの分のチケット買うしぃ〜で
商談成立。 なのに、ライブないし・・・
思えば、私が網膜はく離で入院していたとき、
その年以来、大阪でのライブ情報を目にしていない。
そのときにリリースされた
"出会いのかけら"以後、シングルリリースもしてはらへん。 リリースしたばかりだったので
日長FM802を聴くだけの私は何回も耳にした曲。
他にも清水翔太の"HOME"もあるが、
この2曲を聴くと
あのベッドのうつ伏せ生活を思い出す。 てなわけで、私は切に願う。
ライブに行きたいと・・・” 23 三者懇談で一喜一憂 “この月曜日に中学生の息子二人の三者懇談があった。
13時40分長男で14時次男という、すばらしいスケジュールを組んでいただく。
お昼ごろに帰宅の長男に昼食を食べさせたあと
二人で中学校へ向かう。 今回の懇談は
2月の私立併願校の決定と公立前期入試の決定。
長男は公立は後期入試なので私立を決める。
この三者懇談に先駆けて
管理職を含め3年生受け持ちの教員、1.2年の進路指導担当教員とで
一人一人の進路についての会議があったとのこと。
ひとりひとりったって
270名も居てるねんし
成績分布の上下少数派は個々の調整があったとしても
多数を占めるあたりは大まかになるのではと勝手に想像する。
それか、実力と志望校がちょいと厳しいあたりとかは
個々に対応の仕方を話し合われるのかと思ったり。
前回の定期も実力もその前より点数アップの長男は
うなぎのぼりに頑張っているので
私立の理数科も行けるでしょう。万が一だめでも特進は確実ですと云われる。
定期テストのがんばりがそのまま内申点に反映され18ポイントアップで
公立本命も合格圏内。
ここは素直に親子で喜ぶ。 冬休みは私立併願校の対策に重点をおくこと。
万が一、英語でわからないことがあれば部活で学校に出てきているので質問しにきたらいいと
英語担当の担任の先生はおっしゃる。
受験する私立校はかなりひねった問題を出すことなど
具体的アドバイスをいただく。
こう具体的に応援してもらうと
親としても嬉しいもので
本人もモチベーションがあがり、勉学に勤しむ。
わが息子ながら自学力はすばらしい。 成績表データや各模試結果データをもとに
私があれこれ示唆することに素直にうなずき、
今後の対策を二人で考え、それを実行に移すという姿勢が
それだけの結果を出す。
その結果にまたモチベーションがあがるという相乗効果をまのあたりにみると
勉強は本人のやる気以外にないと確信してしまう。 気分よく次男坊主の三者懇談に向かった私だが
ここは散々のテイタラク。
成績表はペーパーテストの点数から想像するところの妥当な評価で
予想通り。
良い悪いは別にここはあとあと私のもっていきようで
そこそこクリアできる余地があるのだが
問題は普段の授業態度。 わが次男坊主と同じようなイチビリと一緒になって授業中に気が緩みすぎの様子。
各教科の担当先生からの
注意事項を読み上げられる。
提出物が出ていないとか授業中に寝ているとか・・・ よっぽど目だって出来ていないからこその注意事項。
学生時代の私にしろ
娘・長男にしろ
こういう注意事項を受けたことがなく
アンタのおかげで母さんは初体験やという思い。
ふぅ〜〜疲れるわ。 ヤツにはヤツの個性があるので
長男と同じことは望まないが
塾に行ってる子は塾で勉強しているから授業中に遊んだりしよる。
アンタは塾に行ってないねん。どこで勉強するのや!と私はシャウトする。 学校
と小さくつぶやく次男坊主。 あんなぁ、学校の授業を100%真剣に聞いてたら
試験前ちょこちょこと勉強したら80点は取れるねん。
中学校の勉強はそんなもんや。
80点とれたら○○高校には行けるねん。
とシャウトする。 とりあえず、先が見えてきた長男への対応は
少々フェードダウンしたところで
自らの意思でやりぬくであろうと信頼できる。
ここからは次男坊主への対応へシフトを入れ替えやななぁ。 あんなぁ、アンタも姉ちゃんみたいに
部活引退したら盆もお正月もなく毎朝6時起きで1時間勉強してから学校やでとも云う。
え〜〜兄ちゃんはしてへんやん・・・って。
一人前なこと抜かすな。
兄ちゃんはそれまでに努力をしているねん。
その長男も朝食後学校に行くまでの30分ほどは英単語か漢字の勉強をしている。
コツコツと積み重ねたチカラは大きいものとなるねんちゅう話や。 ふ〜〜一喜一憂の三者懇談も20分で終了。” 17 師走やなぁ “あらら・・・と気づけば、12月も半分済んでるし。
今年も残すところ2週間になってもうてる。
山積み課題が山ほどあって、とりあえず優先順位をつけてこなしているって感じ。
週イチの有馬通いも欠かさず。 先週は、そろそろお正月やしなぁ、
髪の毛でも切っとく?てなことで
病院内の理容室に連れて行く。 理容室のおっちゃんは父に向かって
「お孫さん?」って私のことを聞く。
「いやいや、父ですわ」とこてこての大阪弁のおばちゃんの私。
どこから見てもおばちゃんやし。
どうみても孫には無理があるやろと心の中で突っ込む。
おっちゃんは云う。
「お父さん、髪の毛まっしろやのに
娘さん黒々してるから」って言い訳してはるが、
82才やん。
はげるか白髪かで、父は白髪ということで年相応ですやん。
私は、その父のおかげで白髪大量発生しているが
なんせ量が多いので表面上は隠れているだけ。
それに、これでも忘れたころに染めてるねん。
白いのは茶色に染まるのに
黒いのは持ち主に似て自我が強くて染まらんという状況ですわ。
なのでぱっと見ぃは黒々してる。 父を預けて、
ちょいとトイレとその場を離れる。
戻ってきたらおっちゃんが
「アンタぁ、東大阪から来てるんやてなぁ」と
父に聞いたらしくおっちゃんが言う。 「うん。めちゃ遠いねん」と私。
「どうやって来てるん?」
「地下鉄千日前線で野田まで出てそこからJR東西線で宝塚か
阪神で西宮。そこから阪急バスやで」
「アンタにええこと教えたるわ」
「何?何?」
「あんなぁ、芦屋からここのバスが出てるねん。
時間は決まってるねんけど朝は10時25分。
帰りはここを1時10分に出発や。
ここの職員の送迎バスで空のバスを走らすのをもったいないから
家族さんにも乗ってもらっているねん。それに乗ってきたらいいわ」って。 「うっそ!前に一回、その坂を上ってるときに拾ってもらったあの大きいバスやなぁ。
詳しい時間とはどこにあるん?」
「ここ出た掲示板に書いてあるやろ?」って
見に行く。 「おっちゃん、ほんまやん。ありがとう。
なんか乗車券がいるとかって書いてあるから
事務所に行ってくるわ。ちょっと父頼むわ」と私。 詳しく聞くと、
阪神・JR・阪急の各芦屋駅と
宝塚駅前からの2コースがあり、
朝は10時25分のみ。
帰りは13時10分か14時40分病院発で芦屋か宝塚に下ろしてくれる。
乗車券ももらって
乗車場所をコピーしてもらって理容室に戻る。 「おっちゃん、助かるわ。ええ情報ありがとう!」と私に
「そらぁアンタ、東大阪からやと交通費も高うつくやろ。
今度からそれに乗ってきたらいいわ。
その代わり、その時間を逃したらないで」とおっちゃん。 ほんま助かる。
バスだけで往復1,000円やもんなぁ。
てなことで今週の有馬行きはそのバスに初乗車の予定。” 10 こぞって塾通い。 “今月頭にあった定期試験が返ってきた。
私はおののく。
次男坊主や。
まぁ、予想していたが・・・ 一応、受験生の兄ちゃんと机並べて勉強はしていたが
いっこうに私にきいてこない。
わからんから教えて・・・ってこない。
100%わかっているわけがないのに
もくもくと机に向かっている。 わかったつもりで進めているなと黙認していたら
やっぱりそうやった。
結果に出ている。
今、ここでつまずいたらこの先どうするねんという話。
わかったつもり、
なんとなくわかった
で進めたらあかん。
と懇々と説き、冬休みは私が特訓するとお達しする。
いや、兄ちゃんのレベルは要求してへんが、
これじゃあかん。
同じくして定期試験が返ってきた長男は
前回より13点アップの高得点。
その差が270点。
かろうじて300点は越えた次男坊主なのだが、
娘ともども、心配する。 塾に行っている部活仲間は
塾で実力テストがあったそうで
一人の子は
兄ちゃんが第2志望にあげている公立高校を余裕の状況だとか。
次男坊主も我が点数にちょっと反省の色。 「なぁ、みんな塾に行ってるん?」と聞いてみる。
「中学生になりだしてから行きだしてるなぁ」と
仲良しメンバーのことをいう。 去年、小学生のときの懇談で
「勉強の嫌いなお友だちと仲良しやから」と次男の勉強に対する姿勢を指摘されたが
その勉強嫌いなお友だちらがみな塾に行きだしたらしい。
てか、勉強するせ〜へんは友だち関係ないし、
本人の問題やから
そこにお友だちを引き合いにだしてくる先生もどうかと思ったしだい。
なんせ、長男の担任でもあったので
そのあたりの思惑もあり
タイプの正反対な兄弟に先生も困惑な様子。 とまぁ、そんなお友だちがこぞって塾通いしていることに私はおののく。
思わず「うっそ〜」と叫ぶ。
「え〜○○もか?」と絶対塾に行かんやろって子のニックネームをいうと
「行ってる」 「でもな、塾に行く前と点数はかわらんねんて」って次男。 そやろなぁ、ほんま勉強嫌いそうやもん。
おもろいし可愛げのあるええ子やねんけど、
落ち着きないもんなぁ。 そんな状況で塾に行かず、低迷しているわが点数に
ちょっと不安を覚えたのか
「せめて次の試験では360点は取らなぁ」という私に
「400点取りたい」とのたまう次男。 すぐにその気になるねんけど持続せ〜へんのがあかん。
なんせこの前
学年便りにかかれていた
「継続は力なり」をダンゾクはちからなりとのたもうてたからなぁ。
あんなぁ、
ケ・イ・ゾ・ク やとシャウトしたが。 ここに来て、兄ちゃんの高校受験も展望が明るくなってきて
塾に行かずとも勉強はできるねんっていうのを
姉に続いて見せられた日にゃ〜
ボクも母さんの云うとおりにしたほうが身のためかもという気になったか?と
思う私。 娘が高校受験のときに
塾ジプシーをしていっこうに成績があがらん子を
塾代どぶに捨ててるようなもんと言い捨てた親御さんがいてたが、
私ならどぶに捨てるようなもんはすぐに辞めさせるのに、もったいなぁ〜というのを思い出す。
そりゃ〜塾は儲かるわなぁ。
塾に行ったら勉強ができると思っている親子がよ〜さんいてるねんもん。
塾に行ったら勉強ができるようになるなら
学校に行かんと塾に行ったらいいねん。
なんのための学校なんやと、
学校のあり方がおかしいのか塾がおかしいのか親がおかしいのか知らんけど、
勉強は自分でするもの。それだけやのに。
その方法として塾もひとつの手ではあるけれど、
あくまで勉強をするのは本人なのになぁ。 てなことで、低迷している次男坊主、どう料理するかやなぁ。 9月から我が家のテレビは娘の短大受験が終わるまでつけてなならず!だったのだが、
その後、息子2人が定期試験に入り、
そして今、娘が定期試験中というので
すでに3ヶ月、テレビがつかない生活を送っている。 テレビ!テレビ!というのは次男坊主だけで
姉ちゃんのせいでテレビが見られへんという状況から
今度はわが身のふがいなさでテレビ観覧権喪失となる。
人生、甘ないしなっ!” 来年の話をすると鬼が笑う? “先週、講習に行った奈良の某小学校。
そこに参加しておられた方からコンタクトがあり
午前中、生駒で打ち合せ。 久しぶりに出した、手作り名刺。
ん〜作り変えやなと思う。 打ち合せの内容は来秋の話。
隣の奈良県。
平城遷都1300年祭の催しのひとつである
緑化ならフェアで講座の話。 どこからどう繋がって仕事の話をいただけるか・・・
嬉しい限りで受けさせてもらう。
5月に参加した東急ハンズよりゆるい規定なのも有難い。
ここらあたりが、企業と行政のちがいかなぁ。
大阪と奈良の違いかなぁ。
なんて思うが
私のスタンスは変わない。 別件、ワークショップの話もあるので
ぼちぼちと活動のできるありがたさをひしと感じる。 てか、病気もやってられへんしぃ。
更年期もいまだ遠慮してはるのか姿みせず。
いちおう、いつもで来なはれと覚悟はしているねんけど、
なんや忙しそうにしてるしやめとくわと思われてるのかなぁ〜なんて。” 04 五ツ木模試 “毎度のコトながら、長男が封筒を開けるのがもどかしい。
塾にいっていないから
実力を試す機会がないのと
試験時の時間配分の不十分さがネックの長男。
五ツ木模試は9月から数えて3回目。 学校では習っていない単元がでたりで
なかなか振るわなかった五ツ木模試。
先日の学校三者懇談でも
その話をして
とりあえず、今は試験を受ける練習と時間配分のコツをつかむためで
結果はまだまだ3ヶ月あるので大丈夫と励ましているという私に
担任も
今はそれでいいですと後押ししてくださった。
で、この3回目が返却されてきた。
3回の中で最良で第一志望校もいい感じ。
公立第二志望校の判定も良好で余裕のよっちゃん。
「これだけの余裕やと、ここはええやろ。
もうひとがんばりでやっぱり第一志望で貫こな」と念押す。
この第一と第二の差がちょっとあって、
この中間があればいいのにと思うばかり。
まぁ、この調子で最後まで粘れば、
十分受かると確信した私。
モチベーションがぐっとあがるってもん。 私立第一志望も合格可能ラインではあるけれど
それをとりあえず確実にして
自信をつけて公立受験にもって行きたいところ。
最後まであきらめず、やりぬくことが大事ということ。 そして、今日が最終日の期末試験。
前回とおなじぐらいかそれ以上を取っていればと願うばかり。
しかしながら、
自分の高校受験はこんなにも必死にならずやったし
五ツ木模試も受けたことないし、
当然、塾にも行ったことない私。
併願私立校も受けず、公立1本のみやったことを考えると
私の時代って高校に行きやすかったのかと思ってみたり。
よ〜わからん。 とんかく、ちょっと展望明るく嬉しい本日なのだ。” | 11月 30 すっかりと秋色でした。 “先週の土曜日の有馬。
阪神西宮から夙川をぐんぐん上がっていくあたりから
かぶと山が赤や黄色に染まっていて
秋色満載。 夙川短大前のバス停には
椅子に座った大きなくまのプーさんのぬいぐるみか
着ぐるみがありおったまげる。 さすがにバスをおりると下界より寒い。
今日は私を拾ってくれる
マイクロバスも職員送迎バスもなく
病院玄関まで徒歩。
それでも寒く、マスク装着、消毒液で手をこすり
売店前の自販機でココアを買い、
ちょっと体を温めてから病室に向かう。
食堂でもあればいいのに、なにもないので
お昼時に到着しても
私のランチはまだまだ先。 お昼ごはんを終えて車椅子に座りながらテレビ視聴中の父は
とにかく、ストレスがたまっているし、
文句を言えるのは唯一面会に参上する私だけ。
遠路はるばる2時間かけて山を登ってきて
ぼろくそにいうかあ〜と腹立つ気持ちをぐっとおさえる。
介護とは忍の一字なのだと思うが
一緒に生活していない分、このときだけと我慢もできる。
これ一緒に生活してたらたまらんやろうなぁと思う。 怒鳴ってみたり
早く山をおりやなと私の帰路を心配したりの父。 「あんなぁ、私がここを出て、2時間はテレビみとかなあかんで。
万が一、山道でバスがどないかなったら
テレビのテロップに
東大阪市の○○さんって出るからな。
そうなったら私もチンや!」という。
「ほんまやなぁチンやなぁ」って父。
おいおい殺すなよって思う私。 そんなこんなで行くたびに同じ話の繰り返し。
しゃ〜ないわなぁ。
新しいネタなんて
病院にいてたらないわなぁ。 てなことで秋の山を降りてきたわけやけど、
あそこ雪が積もってバスが動かんって
そんな事態にはならんのやろか?と不安がよぎる。” PTA活動の一環〜講習会 “PTA行事で呼ばれると、同じような子を持つ親として
あれこれ聞いてみたくなる。 ○○先生と呼んでもらっているにもかかわらず
親目線で話をするので
最後はPTA仲間の感覚になるというおばはんな私。 今日は奈良の小学校だったが
懐かしい感じのする
私が小学生のときの制服と同じような制服の公立小学校。
(小学生後半3年間は尼崎の芦屋と呼ばれる武庫之荘の小学校で過ごしたのだ。
ちょっと高級住宅街にある小学校に通う、超一般市民の子の私) 聞くと、クラス数も各学年3,4クラスあるそうで
ちょっと山を登ったところにあるのに
児童数の多い小学校。
なかなか歴史を感じさせる校舎やけど
綺麗に掃除されているし教育環境はばっちりという感じ。
わが子が通った小学校のように
プレハブが正規の校舎扱いになっているのは
ちょっとなぁ。
市もどないかしやなと、よそ様の小学校のお邪魔して思う。 今回、私にお声をかけてくださったのは
企画部という委員会。
いろいろPTA行事を企画する委員会らしい。
そういえば、茨木の小学校に行ったときも
私がしらない委員会名で
学校や地域によっていろいろなのね。 講習が始まる前に
広報委員の方が写真を撮りますとこられる。
私も中学で広報やってますっていいそうになるが
ここはぐっとこらえる。 たいそうに駅まで送り迎えしてもらうという立場におかれると
どうも落ち着かない。
貫禄もへちゃちゃもなく
講習が始まるとこてこての大阪弁で
あちこち動き回りながらレクチャーする。 なんだか、前のほうに
先生の席なんてのをこしらえてもらっていたが
参加者が揃われるまではそこに鎮座していただけ。
身の置き場に困る。 予定の2時間半びっちりつかっての講習は
途中で
「これから給食の時間です」っていう放送委員の児童の声を聞きながら
終結に向かう。 給食を食べている1年生の教室を覗きながら
役員さんの車に向かったのだけど、
みんなちゃんとお行儀よく座っていて可愛かったなぁ。
これが中学生になるとああなるのかとわが息子を思うが
土地柄の違いもあるからなんともいえん。 王寺駅までの車の中
役員さんの中学生のご子息とすれ違ったが
スレたところなんてなかった。
「子どもの数だけ役員をしなくちゃいけないので
あと2回はしないと」とおっしゃる役員さんは6人のお母さん。
素晴らしい。
「PTA活動が盛んな方やと思います。うちの学校は」ともおっしゃられていたけど
今回お世話になった企画部の方々は
PTA活動に気持ちよく協力してはるようで
私も気持ちよく2時間半を過ごさせてもらった。 保護者の学校への関わりや意識って
学校の雰囲気に出るよなぁとは
茨木の小学校に行ったときも思ったが、今日も思う。 てなことで、無事に講習会、終了でやれやれ・・・” 27 行きまっせ!担当者会議 “昨日、夕方病院に電話して
あちらが指定した日にちで行ける日を連絡する。
「時間が11時か11時15分かになります。ちょっと今、まだ未定で」とおっしゃる。
10時10分の宝塚発のバスに乗るから
10時40分に着くし、
11時でも11時15分でもどっちでもいいがなと思う私。
このバスを逃すと1時間後やし。 神戸市運営の病院にて
医者や相談員の勤務は平日9時ー5時。
その間を狙って電話しやなあかんし
かかってくるのもその間。
なんだかなぁ〜
会議っていうぐらいやから
私もしゃべらせてもらえるのやろうか?
黙って座っとくだけなら
会議の様子を議事録にして
それをいただくだけでことは済むってもんやん。
わざわざ時間指定で呼ぶねんし、
云いたいことがあればどうぞおっしゃってくださいという趣旨と判断する。 先週の土曜日に娘と行ったとき
父が言う。
「インフルエンザ予防接種の申し込みしてくれたんか?」と 「入院の日に季節性も新型も両方、問診票を書いてだしてあるで、
帰りにナースステーションで聞いてみるわ」で
婦長さんに聞く。 婦長さんなぁ、
いつも言い訳っぽいしゃべり方をする。
もともとがそういうタイプなのか
びびってはるのかって感じ。
どっちなとええけど。 インフルエンザ、父が言うにはしてもらっている人がいてるらしい。
父の言うことなので思い込みがはいっていたりで
100%鵜呑みにするわけにもいかず
さら〜と婦長さんに聞いてみる。 まだ、ワクチンが入ってないという。
来週ぐらいには接種できるはずという。 ちょっと微妙な食い違いを感じつつ
「そうですよねぇ、私らなんて順番もまわってけ〜へんし」と
いうが、
内心、ちゃんとしろよと思いながら下山。 年寄りはわけがわからんとええ加減にしたらあかんでと
行くたびにナースステーションには顔を出し
私の存在をアピールして帰ってくる。
どうも私の見かけはくみし易くなめられる傾向にあるので、
何もしらんと思うなよという意思表示も欠かさない。” 25 担当者会議への出席要請 “担当者会議ってたいそうな。
父が入院している有馬の病院から昨日、電話でその会議に出席要請。 病院からの携帯への電話。
何ごとかと思ったら、
平日の11時からのソレに来いといわはる。 行楽地ゆえ、平日のほうがバスの運行本数が減る。
おまけに冬季(12月から)はもひとつ減るらしい。
それに11時って。 とりあえず、軽くお断りしてみる。
そうしたら
主治医とは話されたことはあるかと思うが
リハビリ担当医とはないのでぜひともとおっしゃる。
ん〜リハビリはええわと思う私。 名目はリハビリのためということで入院しているが
脳梗塞という病気は
発症して24時間以内の処置。
その後、早急なリハビリ。
そして回復期のリハビリ。
ここまでがある程度回復をのぞめる医療スケジュールであって
父もその回復期リハビリで
朝から夕方まで結構過酷な訓練をし、
とりあえずの医療スケジュールは終えている。 そこで過ごした数ヶ月で自分の足で歩けるようにはなったのだ。 その段階で
現在どういう状況でこれ以上の回復は
医学的には難しいという説明も聞いている。
加えて年齢も年齢なので今後はこれを維持するためぐらいのリハビリ程度になると。
また、左側へ注意をつかさどる脳の血管に梗塞があるので
左側の認識ができないというのも聞いている。 これは見事なのだ。
お茶碗に入ったご飯。
左半分だけ残して、全部食べた気でいてる。
なのでクルッとまわして右半分にご飯を持っていくと
「あらま、ご飯増えたなぁ」なのだ。
本人は私がマジックでもしたようなことを云う。 80をこえた年齢にて
これも笑い話で、おもろ〜って感心した私。
これが40代やとなんとかならんのって思うのだが。 それに、これから何かをしなければという目的もない。
とにかく、日長ゆるりと過ごせたらいいという状況の父に
リハビリでこれ以上の改善があるはずがなく
そんなものは期待もしていない。
まさか本人にはそんなことは云わないが
それでも今以上を望むようなことも云わない。 なのでリハビリ担当医とのお話も別にええねんけど・・・
が本心の私。
時間を指定されても
それに合うバスがありませんやんと泣きたくなってくる。 先週の土曜日、短大合格の報告を兼ねて
娘と2人で有馬くんだりまで行ってきたが
帰り道々、「なんか旅行に来たみたい」と娘。
うわ〜とバスの中から見える蓬莱峡に歓声を上げていた娘に
「蓬莱峡も1回でええやろ?
しょっちゅう見てたら、もうええちゅうねんやで」というと
「しょっちゅう、ここまではしんどいわ」と娘。
まぁ、私のしんどさをわかってくれただけでええわとその時は思うが、
時間指定で呼び出された日にゃ〜
え〜嫌やぁ〜〜〜
私の自由に行かせてやと叫びたくもなる。 なんせ、脳梗塞の後遺症なのか
年齢の賜物なのか、
面会の途中で会議やから姿を消すとかってすると
「なんやねん。なんやねん」って手がつけれなくなる。
そういうややこしいことはしたくない。
時間指定はかなんのだ。 とまぁ、我侭ばかりも云ってはおれず
結局、行く私やねんけど。” 20 三者懇談に行くの巻き “先日の高得点を取って喜んでた数学。
学年分布図によると90点以上が50人もいてるという
超簡単な問題やったらしい。
その反省を踏まえて12月あたまの期末試験は難しくなるそうなのだ。 それはさておき、夏休みの後の定期と実力試験の結果と
分布図をふまえての進路についての三者懇談。 とりあえず、志望校は変えず
この調子で頑張ってくださいと。
これからの頑張りで行けると思いますよという先生のお話。
そして、併願私立校の受験対策を講じてもらう。
近隣の超マンモス校の理数科を狙う。
その下の特進はいまのままでいけるでしょうと。
理数科は厳しいとのこと。
最初に塾には行かさず受験すると宣言したのもあって、
塾ではこういう対策をすると思うので
ご自宅でこうされてはとアドバイスもいただく。
公立高校と私立難関校とは試験内容も違うので
冬休みは私立対策をしてくださいといわれる。
まぁそのつもりの計画はたててあるのと
先生のアドバイスが
常日頃私が長男にいうてることと合致してるので
長男は安心した様子。 帰り道々、
「オレぐらいかなぁ、あそこ受けるのに塾に行ってないのって」って聞いてくる。
「たぶんな。
今まで塾に行ってなかった子もあのレベルの高校を受けるには塾に行きだす。
でもな、塾に行かずとも行けるで。」
とまぁ、
娘の短大合格に勢いづいて
なんの根拠もない自信満々のはったりをかます私。
いや、いちおうあれこれ調べているし、
返ってきた答案用紙には目を通して
状況も把握しつつ
分析して今後の対策も示唆している。 娘のときにも思ったが
下手な塾に行くより親がジックリ見極めるほうが何ぼか確かやと思う私なのである。” 18 ひとつクリア! “久しぶりにドキドキしました。
10時からネットで発表される娘の短大受験の結果。
そしてその1時間後に届いた
合格封筒と不合格はがき。
2日間で4回受験の一つに合格。
一つでも合格は合格やん♪
これでひとつクリア。この勢いに乗って長男の高校受験もいてこまそかと意気揚々な気分。 なんせ、高校受験ですら
奇跡の一発で合格した持ち主の娘。
今回も短大といえ、娘にとっては偏差値足らんやんていう
高嶺の花狙い。
PCルームでの三者懇談。
「高校受験も奇跡をおこしたから」という私に
担任は
「お母さん、高校受験といっしょにしたらあきません」と示唆されるが
内心、なにをぬかしとんねんと思った私。 心意気の話をしとんねんとシャウトしたろかと思ったが黙っとく。 なんやかんやいうても
努力は実る。
これで2回目の努力は実るを体験した娘は
ますます弟(次男坊主)にはっぱをかけるやろうなぁ。
只今、受験勉強真っ只中の長男も努力の人なので
ますます分が悪くなる次男坊主。そして、合格封筒の中に入っていた書類。
年内に入学金30万やと。
そのあと年明け早々に50万ちょいってかかれてある。
めまい起こしそうになる。
私よりええ短大行きやがってという気も起こしつつ、
云うとくが
そこは近すぎておもろないと蹴ったと何回も言う私なのだ。
なんせ、先出の担任は
短大ならココか京女とブランド志向でものをいい
第二希望にしていた私の出身短大を
行ってもしゃ~ないとおっしゃられた。 まぁ、別にココ出ましてんっていうほどの短大でもないが
私からしたら
短大なんてどこも一緒やん!てなもんで
そこで何を学んだか、学んだことをどういかすかってことですやん!なのだ。
とここで息巻いてもしかたがない。
ふぅ~ ” 目はまだまだ見えるはず。 “合格発表の本日、綾香のライブに直行の娘。
CDを買ったら無料招待っていう綾香のライブ。
聞くところによると20万人分の1万人だったそうやけど、
その1万人に入った娘は大阪城入りしたとメール。 前から7列めだとか。
弱視から遠視の状況の彼女の目なら
7列目はよく見えるだろう。
「母さんやと1列目でもさっぱりわやや」とメールを返す。 「母さんも見えるうちに何でも見とかななぁ」と返ってきた。 これがまぁ好かん相手ならそのうち失明するかのようなお言葉ですやんと怒るが
娘にてありがたく頂戴する。 確かに、この先何があるかわからんし
見たいもの、したいことはしとかなぁ。 合格封筒の中の冊子をぱらぱら見ていると
短大なのに制服があるのだ。
入学式だとかそういう行事に着る制服だそうで
35,000円だとか。
本人はこれで就活するらしいこともいうてたのでいいんやないやろか。” 16 成人式の着物 “思い出したように
「こんなとこに入ってもうて、年金使ってしまって
ちぃ〜ろ(娘のこと)に着物を買ってやろうと思ったのに、買われへん」と
泣きが入るわが父。 まぁな、初孫やし娘の娘やし
かわいい〜てしゃあないというところ。 思い出すのは
次男の出産時、予定日がまだまだだというのに
陣痛が始まった私は即入院の24時間点滴という過酷な夏をすごしていた。
そこは実家のほん近く、
去年父がリハビリ病棟に入院していたという関西ろうさい病院。
当然、娘は実家に預けられていた。 その2歳すぎの娘をベビーカーに乗せてやってくるわけだ父が。
私に会いたいやろうと、
私が会いたがっているやろうと思ってのことだが
会わずにいたらそれはそれですむのに
会うと別れがつらくなるというもので
病室から娘を連れてでた父だが
エレベーターに乗る段になった娘がおかあさ〜んと泣き出す。
こいつがまた大きい声で泣く。
ベッド上に座ることすら許されない私の耳にも聞こえてくる。
だから連れてくるなっていうたのにと
思っていたら
病棟婦長さんの声。
「おじいさん、お子さんは別れ際がつらくなるから
連れてきたらあきませんって
この前も云うたでしょ!!!」と
エクスクラメーションが3ツほどつくぐらい怒鳴られている。
ほれ、云わんこっちゃあれへんがな・・・とベッドの上の私。 そんな思い出がよみがえる。
じいと孫だったのだ。
そりゃ〜かわいいわなぁ。 成人式の着物なぁ。
おじいはアテにならへんということで
さてどうしたものか・・・” 14 07 03 01 すぐに帰れと言われるが・・・ “有馬に行く。 入院2週間経ち、ようようにその生活にも慣れた様子の父だが
早く家に帰りたくて仕方がない。 そやろうなぁ〜
身体のどこかが痛くて仕方がないのなら
病院に居てるのがいいと思うやろうが
特に痛いところもない状況なら帰りたいわなぁ。 なんどか入院生活をした経験のある私は
この"家に帰りたい"は、心に響く。
よ〜わかる。 しかし、誰も居ない家に帰れるわけもなく
諦めてもらうしかない現状。
「あ〜なんでこんな不幸なんやろか」とつぶやく父。
不幸なんて軽々しく口に出したらあかんと思うが
聞き流す。
マイナスの言葉は口に出さないほうがいい。
そうわかっていても思わず出てしまうんやけど・・・ 口に出すことで気持ちを吐き出している部分もあるので
まぁええか・・・
これ悶々と内にこめられて
なんやよ〜わからんけど
そのマイナスが脳へ悪影響を及ぼし
認知症が出てくるなんていうことになられてもかなんしなぁと
思うことにする。 遠路はるばる2時間かけて
山も登ってきたというのに
小一時間もせんうちに
「遠いから早く帰れ」と帰らされる。 早く帰りたいといいつつ、
来年の春に更新の市バス定期の切り替え作業を私に依頼する。
マンションの固定資産税を支払わなあかんとか
もろもろのことだけはしっかり頭に残っていて
それらを私に託す。 ふ〜ん。
家を持つ(家たって中古のマンションやけど)って大変なんよなぁと
借家住まいは思う。 遠路はるばる様子を見に来る娘がおるだけ
十分に幸せやと思わなあきまへんでと思いつつ
山を降りて帰路につく私なのだが・・・ 下界はまだまだ暖かなここ数日。
さすがに有馬は寒いやろうと思ったが
とんでもなく暖か。
これから山は紅葉の季節になる。
足元にころがっているどんぐりも
子どもが小さい頃ならお土産にもなったのに
今じゃあ、拾って持ち帰ったところで
「どうすんの?母さん」って云われるのがオチ。 なので、阪神西宮駅でパンを買って帰る。
いろいろ拓けて、あちらこちらがおもしろくて仕方がない。
ずっと昔、お正月に友だちと西宮戎さんに初詣に来たときには
阪神西宮駅は何もなかったのに、えらい拓けている。
いろいろ楽しいお店がある。
父のおかげでここにも来れるというわけで
家に帰って
買ってきたあれこれを並べて
「こんな楽しみもないと有馬くんだりまで行ってられへん」と私。 てなわけで、阪急西宮北口経由で有馬に行く経路も考え中・・・” | 10月 26 歯医者さんの日 “大ものの工事、2箇所はすでに終えたので
今日は何をするのかと向かう。
大ものはほんま大もので、会計だって5,000円を超えたんだぜ!
それを2回終えた私。
お医者さんになるなら歯科医やなと確信する。 今日は、右下犬歯の大きな虫歯があるっていうので
それを削ってもらう。
大きなっていうても麻酔をせずなので
大したことないやんっやわなぁ。 前回は前歯にちっちゃいのがあって
それはちょっといらうといいだけなので・・・って
歯科衛生士さんのお話やったが
今日は最初から最後まで先生がやってくれはって
前歯はスルーになってる。
帰りし、
今まで治療した歯(かぶせてある歯)がちょいとやばかったりするので
一ヵ月に1度ぐらい来てもらって診ていきましょう。
時間は11月で歯の掃除です。
とのこと。 とりあえず治療は一旦終わりってことか?と思う。
前歯のことを聞こうかと思ったが
まぁええか・・・と
突っ込んだ話はもうええやん・・・と
ハイハイと調子こいでうなずいて帰ってくる。 今日は私の好きな例のあの薬を塗る作業はなくて残念でございました。” 25 JR西宮からさくらやまなみバスに乗る “昨日の有馬行きは、JR西宮からさくらやまなみバスに乗ってみた。
これ、私が下車するバス停は山田山っていう
上から読んでも山田山
下から読んでも山田山という
海苔屋のごとくのバス停名なんうやけど
その山田山を通過するのは
2時間に1本という運行。 阪急西宮北口〜名来北を結ぶ路線の
途中、有馬温泉の二つ手前のバス停が山田山。 ここからだと地下鉄野田阪神からJR海老江か阪神野田利用になるので
JR西宮から乗車する。 JR西宮駅北側ロータリーのバス停には
関学生があふれかえり、
私が乗るさくらやまなみバスは同じ阪急バスなのに
ロータリーを出たはずれにぽつんとある。
寂しいやん・・・っていうバス停で20分ほど時間を持て余す。JR西宮の次が西宮戎神社前で
ここは阪神西宮のほん北側。
今度は阪神西宮から乗車するもよしかなぁと思う。
このバスはJRさくら夙川から阪急夙川を経て
住宅街の坂を上って行く まぁ、豪華なお家が並ぶ坂をぐんぐんと上っていくんやけど、
さすが、西宮。
尼崎とちやうわなぁと町並みの違い。
人種の違いに恐れ入る。 坂の途中にある夙川短大を過ぎ、
西宮甲山高校前ロータリーに止まったときには
冬はたまらんやろうなと思う。
甲山って
私が小学生のとき耐寒訓練で上ったかぶと山やん。
こんな山の中腹の高校は
そりゃ〜寒いやろうと
そこで下車した
クラブ行き風の女子高生の背中を見る。 ここ辺りまでは人家もちらほらでで人肌の温かさもありながら
ここからが一気に山となり、赤みがかりつつある木々と
山肌に寂しさが増す。
途中、有料道路を経て山田山到着となる。
50分のバスの旅。 この山田山のバス停は
有馬温泉病院の敷地のほん近くなので
その点はいいのやけど、
敷地に入ってからが大変。 ここから10分ほど山を登ったところに病院の入り口がある。
前回は早足で歩いたもんやから
途中で息が切れ、心臓バクバクで
ここで私が倒れたらシャレにならんでと
頑張った記憶ありなので
今回はゆっくりと上る。
後ろから上ってくる車が恨めしい。
行き先は病院しかないねんし
乗せてくれ〜と思いつつ、
一人黙々と上る。 数日前の流星群なんて
ここならどんだけキレイに見れたやろうと頭をよぎるが
息が切れてそれどころやおまへん。 やっとの思いで病院入り口付近にたどりつくと
先ほど、私を追い抜いていった車から
おばちゃんとおっちゃんが悠々と降りて行く。
ため息がでるわ。 私は鞄からマスクを出し
口につける。
入り口の消毒液を手につける。 父の病室に行く前に
相談員さんに相談ごとをして病室に行く。
いきなり父に怒鳴られる。
まぁなぁ、気持ち、わからんでもない。
何日ここに泊まったかを指折り数えている父は
今日が土曜日だとわかっている。
認知症の症状はないなぁと思う。 病室はというと
他の病室は明かりがついているのに
父の部屋は薄暗い。
同室のかたわれがどうも明るいのが苦手らしく
父はそれを愚痴る。 薄暗い中にいてると
ヘルパーさんがこれ見よがしに
「家族さんが来てるなら電気つけやな」という。
その後にきた婦長さんも
私にその薄暗さの言い訳をしはるが
私はかなり頭ぶち切れている。
顔では笑っているが・・・
なんせ、父は人質みたいなもんで
ここで私が文句たれるのは簡単やけどとぐっと堪える。 父はその部屋の薄暗さを訴える。
同室のおっさんはやたら咳払いする。
どう考えても、薄暗い部屋におらすほうがおかしいねんし
同室のおっさんになんで合わさんならんと
めちゃ腹立つ。 そのおっさんの奥さんとはこの前の日曜日顔を合わしたが
気安い人やったのに
このおっさんは話かけても返事をせんという。
まぁな、大人しくて文句をたれへんだけ
看護婦さんもヘルパーさんもやりやすいわなぁ。
その点、文句たれのお父ちゃんのほうが割りが悪く
なんだか、個室に移されそうな話がちらほら。 昼間、薄暗い病室にいてるほうが精神衛生上にも悪い。
なるべく明るく過ごさせるのが病院であるべきやと思う私は
この点は譲れんと思う。
部屋の暗さで文句をたれそれで個室へとなるならば
嫌味のひとつもいうて
神戸市に文句たれたろと決意する。
なんせここは神戸市運営の病院らしいので。 その隣のおっさんが個室に移れよと思う。
私が帰った途端、また薄暗い部屋になるやろうなと
今度平日に不意うちくらして行って様子みやなと思う。 ツメを切ってやって
泣き言を聞き
落ちついたところで
「はよ、帰れ。
道中が心配やから、もうええ帰れ」と
「お前に何かあったらワシは申し訳ないから
気をつけて帰れ」といわれるが
「バスの時間までおらしてぇやぁ」と私。 この辺り、ほんままともやんと思う。 最初の相談ごとは持ち帰って
兄にもふりつつ、尼崎の町ン中を私は走り回らないといけない。
ふぅ〜〜〜
まぁ、ボチボチやな。” 21 有馬くんだりまで行く “介護療養型医療施設としては平成23年3月末で終わりだと
父を入院させた日に聞かされる。
通常、父の現状であれば
脳梗塞が再発したわけもないので治療を要する状況の入院は不可。
リハビリも発症から時間がたちすぎていて
回復期リハビリは終えた中で
なんら進展を期待できるものでもない。 が、以前この有馬温泉病院でヘルパー勤めをしていた叔母の手引きで
なかなか入れないところをぽこっと入れてもらえたのはラッキーというもの。
その間に介護疲れの母は療養と検査をかねての入院となったのだが、
今後の課題を
父に関してはすべて私に・・とさじを投げられてしまい
ん〜困った・・・なのだ。
冒頭の介護療養型医療施設というシステムでの存続ができなくなるというのは
ここが終の棲家になるのかな〜という話は
ありえないってことだと
病院の介護担当者に聞かされた。 というか、病院サイドはこちらの終の棲家にするつもりで入院させたという趣旨に
かなりの驚きを示されて
私も困った。
と同時にその数日前にすべては私に任せるとさじを投げられた身として
めまいがする。 叔母がヘルパー勤めをしていたときとは
いろいろとシステムが変わり
叔母が思っていたような状況ではなく、
叔母の話に
物理的に考えてそれもいたしかないのかと
嫌々納得させられた私は
この先、どうすればいいのでしょうか?という状況。 おりしも南田洋子さんの訃報とともに
老老介護が取りざたされている。
その老老介護のしんどさは母の状況を見れば一目瞭然で
療養先の病院に様子を見に行くと
少しずつだが回復しているのをみても明らか。
なので、元気になったからといって
また老老介護をさせるのは酷な話。
私はそれを強行させることはできない。
よ〜しない。 となると父の行く末なのだ。
出来ることなら私が面倒みてやりたいが
物理的に考えてもそれはちょっと無理がある。
どないもこないも方法がなくての最終手段として
それもありかと頭に入れつつ
とりあえず別の方法を模索する。 これらすべて私のさじ加減というのは
なんともこの重責にめまいどころの話ではない。 ん〜父にかかりっきりの状況になれたら
なんぼでも動くが
受験生を2人抱えている今、
私も病院通いをしている身でもあるのになぁ。
というても
云うたらなんとかするやろうって頼られている空気感を肌で感じ
ほっとからへんやんという気持ちで動く。 とりあえずの方向を見い出さな落ち着かない気持ちで
有馬くんだりまで足を運ぶ。 「しゃ〜ない、有馬くんだりまで行ってくるわ」という私に
子どもらは
「有馬くんだりって変わった名前やなぁ」と地名だと思った様子。 「ちゃうやん。
くんだりってよ〜こんな遠くまでっていう意味で使うねん。」と 一人いてる兄は優しいだけで
まったくもって頼りにならない。
この点に関しては、
「お父ちゃん、お母ちゃんがしっかりした兄ちゃんになるように育てへんかった
そのつけを私に回すな」と密かに怒りはするが
いまさら50手前の兄と妹。
兄ぶって偉そうなことは一切云わない点は人の良さと思わなしゃ〜ない。 云うてもしゃ〜ないことはもうええ。
こうなることは子どものときから覚悟していたと・・・心決めるが、
しっかりものの妹って図式は
ほんまいらんで。
え〜私、そんなん無理・・・よ〜せんわぁって云えたらいいのに。
私の口からは
どこを押してもそんな言葉は出てこない。
てか出せない。 わかった。適当になんとかすると云うてしまう。 「母さんにはもう頼る人はおらんようになってしまった」とつぶやく私に
娘が
「何いうてるん。私ら3人がいてるやん」というてくれる。
その言葉を胸に有馬くんだりまで足を運ぶ私なのだ。 ちなみに有馬くんだりまでの道程は幾とおりかあり
これはこれでちょっとこれぐらい遊びもないとなぁと
寄り道しつつをもくろむ。” 11 涙するわぁ・・・ “感情を抜きにしたら、今回のこの苦渋の選択はベストなのだろうと思うが
娘としては切なくて・・・
我が家で受け容れられる状況であればそうするのに
それができない悔しさもあり、お父ちゃんかわいそう・・・と感情的には涙する。 高齢者が高齢者を介護するしんどさは計り知れないものだし
母に一人押し付ける状況を続けろとはいえないのも事実。 で、当然知らせておくべきと兄に電話で状況を説明する。
兄とて、引き取ってという状況でもないので
私の説明に反論もできない。
そりゃそうやわなぁ。自分が出来んのに人にしろと
そんな勝手なことは云えん。
仮に云うたら私が切れるちゅうねん。
ことのついでに兄に云う。
「兄ちゃんも酒とタバコ、控えや。
脳梗塞になったら知らんで。
夫婦は他人やし、嫁はんは面倒みてくれんで。」と云うてやる。
「すでにその状況や」と半分笑いながらの兄ちゃん。 こっちにふってくるなよと釘をさしておく。
「あんなぁ、娘2人いてるねんからせ〜だい娘を可愛がって
私みたいにお父ちゃんかわいそうやと泣くように育てとき」と忠告してやる。 お父ちゃん、かわいそうにと泣いても何も出来んという娘なんやけど。
そこが矛盾してる。 我が家だけに限った話ではなく
こんな話は山ほどのあふれている。
身内を介護するというのはほんとう大変なことなんだと思う。
そこに耐え切れず、自らの命を絶つという選択をする人もいてる。
先の見えないトンネルの中にいてる気分になるのだろうと想像はするが
現実、自分のものとしてはわからないから
頭でわかっているだけで感情では理解できないってシロモノ。 頭でわかっているだけで、
その気持ちがわかるでなんていうのは
なんの意味もない言葉。 病院に連れて行くだけやとなんら介護をしているうちにはいらんという私やったので
母のしんどさ(体力的もやし、精神的にはもっと)は想像を絶するから
今回の苦渋の選択は致し方ないというところなのと
頭でわかろうとするが
感情ではあかんなぁ。 男である兄はイマイチ母の気持ちが理解できていず、
男の立場でものをいう。
そんなことを云うてたら
ほんま捨てられまっせと兄に限ったことでないやろうと
世の男性に云いたくのなる私なのだ。 そして、わが息子たちを
嫁はんに捨てられんように育てるべきやという使命に燃え、
「アンタラもなぁ、料理ぐらいできんとあかんで」と云う。 勉強ができたらいいってもんでなく、
ええ会社に就職できたらいいってもんでなく、
手のかからん病気で逝くか
小奇麗で可愛げのあるおじいちゃんになるかが
息子たちの最終目的だと
そこまで考える母親の私なのだ。” 10 歯医者さん “昨夜は次男で今日は私と親子で歯医者さん通い。
注射嫌いな次男は麻酔拒否宣言をしている。
麻酔なしの治療の方が痛いやろうと思うのと、
歯医者さんが思う存分治療に専念できやんやと危惧する。 なので、さっき、私の治療を終えた時
「痛がってません?」と聞いてみる。
「最後のほうが痛そうな顔していますねぇ」と
「麻酔なしやと先生も思う存分治療できませんよねぇ?」
「はい、気を使いますからねぇ」と笑って正直に云わはる。 そして
「麻酔、痛くないんですがねぇ。痛くないですよねぇ?」と
今度は私に質問。
「ええ。私は全然平気なんですが、あの子は注射が嫌いなんで
歯茎に針を刺すって考えただけでフ〜となるらしいですわ。」
「そうなんですか・・・」
「麻酔するぐらいなら治療の痛みは耐えられると思ってるみたいで・・・・」
「痛みも気のものですからねぇ」と先生
「どうしても麻酔したほうが治療しやすかったら遠慮なく麻酔してやってください」と私 ほんま、迷惑な話やでと
治療やりにく〜うてしゃ〜ないやんと
わが息子ながら根性なしめと思う母の私。” 子ども5人持ちの気分 “わが子3人にプラス実家の両親で5人。
ようよう、末っ子坊主も中1となり子どもから手が離れつつあるというのもつかの間、
中3と高3の受験生となった息子と娘、
彼らの将来の展望を模索の今年。
脳梗塞の後遺症の父とその介護に疲れた母までもが加わり
子ども5人持ちとなったような私。 割と早くから精神的に親から自立していた私なのだが
こんなに頼られるとは予想外。
脳梗塞の後遺症というのは
これはなかなかやっかいなもの。
五臓六腑がしっかりしている父ゆえ、
いつ終るかわからんという介護は高齢者の母にとってはかなりの負担。 ここから電車とバスで最短で1時間半。
途中、JRが遅れると2時間かかるという実家なので
早々に足を運ぶこともできず
母への負担が増大。
年を重ねるにつれ衰えていくばかりの高齢者にとって
大変と口でいうのもはばかれるほどの大変さなのだと思うが、
もう少し頑張ってほしいという気持ちもあり
娘としてかなり複雑な心境。 とりあえず、2,3ヶ月ということで
有馬の温泉病院にリハビリ療養として父を入院させることになり
その後、母も検査入院する。 名ばかりの長男である兄には事後報告だけで
責任のすべてが私という状況に
え〜〜しんどいがな・・・なのだ。 2,3ヶ月のリハビリ療養も
実はそこが父の終の棲家になるであろうという流れなのだ。
それが一番ベストだろうという母方の叔母の意見もあり
とりあえずその一歩として入院させてみるという苦渋の選択。
それらすべて最終決断は私。
決断する以上、その重責は私にある。
まぁ、当然として兄にもその矛先はふるつもり。 今後のことはすべて私が取り仕切る流れに乗りつつある。
てか乗せられるという感が否めない。 高齢の両親を目の当たりにして私の老い先を案じる。
子どもたちに迷惑をかけることなく
一気にコテチンと逝きたいものだと切に願う。
そのためにも、子ども5人になったものと腹をくくり
出来ることはやらさせてもらおうと誓う。” 09 通行止めになった玄関先 “昨日の台風の朝、我が家の玄関先に置いてある
息子二人の自転車が横転し通行止め状態となっていた。
そんな中、玄関ドアポケットに放り込まれている朝刊。
自転車を起こさないと歩きようがないようなのに
そこを通過してはる。
さすがや・・・ 7時現在に警報発令にてとりあえず通常通りの登校でなくなった子供たち。
中学生の二人は7時をクリアしたら次は11時。
11時に何か警報が解除されてら午後からの授業はあり。
ここは微妙やな〜と思いつつ
問題は高校生の娘。 7時のつぎは8時、8時のつぎは9時と
1時間ごとに暴風警報状況を確認しやなあかん。
結局、8時だったか9時をクリアしたものの
そのあと暴風警報が解除され家を出た。
そういう状況になるであろうと
いつもどおりに起きてお弁当の用意。
お弁当箱には詰めずおかずだけ作っていたので
あとはおにぎりを握っておかずを詰めて持たせる。 息子二人は暴風にかぎらずということで11時には暴風警報は解除されたものの
大雨警報が発令中で臨時休校決定。
大雨警報といいながら雨のひと粒も降っていない状況なのに・・・・・・ 夏休みが明けた途端、インフルエンザで学年閉鎖や学級閉鎖。
まぁ、運動会は無事に済ませられたが
今度は台風で休校。
5月のインフル休校での穴をまだ消化しきれていない状況で
こう休みが続いて
何をやってるかわからんやんってこの秋。 プライベートでもあれこれ問題を抱えつつの私は
その場その場で絵を描いていく柔軟性の重要性が身に染みる。” 01 クレジットカードの不思議 “クレジットカード会社からの請求書を見て、長男が言う。
「母さん、これで30万円まで買い物ができるん?」
限度額を見て云うている。 「うん。出来るけど。あとでちゃんと支払わなあかんねんで。」 「えっこれってお母さんのお金やないの?」
「違う!!それは30万円まで借金できるってことで、
別にその金額をお母さんがクレジット会社に預けているってわけやないねん。わかる?」 これはTUTAYAのカードやったが・・・
「母さん、ミドちゃん(ミドリ電化)のカードも持ってるやろ?
ヨーカドーのカードも持ってるやろ。
それぞれにいくらかの限度額が設定されている。
それだけこの人は借金する可能性があるとみなされるねん。
だから、やたらとカードは作らんほうがいい。
使った分は、きちんとあとで銀行から引き落としされる。
だから、母さんみたいに家計簿にカードで使ったものがいついくら引き落とされるか
記入しとかな、えらいことになる。
お金で失った信用はなかなか取り戻されへん。」と懇々と説く。 目に見えへんお金(現金でないお金)での買い物は気をつけやなあかん。
我が家では個々にPiTaPaを持たせているが、それにしてもそう。
そのときは切符を買うこともせず電車に乗っている。
その電車代はいつ支払ってるねん?って話やん。 いずれクレジットカードを持つであろうから
便利さと怖さをしっかり覚えとけと思う。” | 9月 30 学級閉鎖〜インフルの脅威止まず・・・・・ “今度は中3の長男。
昨日、インフルで4人欠席。
インフルで5人欠席なら学級閉鎖だとかで
今日は危ないなぁ〜と云って出かけた今朝。 結局、インフル6人、その他風邪4人の10名で学級閉鎖で下校。
あちゃちゃ〜〜という感じ。
夏休み明けから部活関係で1,2年に広まったインフル。
すでに夏休み中に部活引退の3年生は
ちょこちょことだけで学級閉鎖まで行かず、無事に運動会を終えた途端のこと。
でも、わが息子のクラスだけらしい。
インフルは仲良しグループの女子で感染の様子。 今週いっぱい休みとなった。
校区内の小学校では
この日曜日に予定だった運動会をインフルで今日に延期になったのに
インフルと雨天で結局、運動会は中止となったらしい。
小学校生活、最後の運動会となる6年生は残念な思いであろうが
マンモス校にて
ひとところにようけの人が集まる運動会をこの際中止にするのも
仕方がないよなぁと思うが
クレーム続出だったらしい。 言うてもしゃ〜ないことは言わんでいいのにと
去年、散々あれこれ言うてた私が思う。
いや〜あれは言わなあかんかったことなのだ。” 29 運動会が終った。 “先週の土曜日は息子たちの運動会日。
中3の長男は中学校生活最後の運動会なのだが
男の子だからか
そんな感傷的なものもなくの様子。
次男坊主にいたっては、中学生活初めての運動会なのに
インフル影響で
ほとんど練習なしのぶっつけ本番。 PTA広報委員の私は新調したIXYを持って一日トラック内で過ごす。
一般保護者からしたらうらやましい立ち居地でカメラ撮影ができるわけだが
これ見よがしに我が子を撮れるなんて状況ではない。
なんせ、眼鏡をかけてもそこそこしか見えないので
とりあえずカメラを向けてシャッターを押すという。
進化したデジカメ性能にお任せ。
カメラマンとしての立ち居地的にはそこそこいけてたような気はする。 私が移動する場所に、反対側からプロのカメラマンがくるのだ。
兄ちゃん、邪魔と思う反面、
私のカメラ立ち居地はいけてるということかとほくそえむ。
IXYと立ち位置のおかげで
出来上がりはバツグン。
全く知らない子供がほとんどだが
バトンを渡す瞬間やら
カーブでの力走ぶりの表情やら、
スタートした瞬間やら
見事に写っている。
IXYさすがやと感動するわ。 唯一、我が子を激写できたのは
次男坊主出場の400メートルリレー。
第1走者のヤツを2,3枚激写。
その前に
トラック内に居る体育担当の担任から
「次、息子が走りますやん」といわれて気づいたのだが。
思わず
「最近どう?ちゃんと授業聞いてる?」とついでに聞くと
「ボ〜としてるんとちゃいますかぁ」とゴリラ先生
「あかんやん」って会話の直後、スタートやん。 ゴリラ先生は3年生男子の組体操も担当しはって
9月にはいってからはず〜と運動場にいてたぐらい忙しかった。
なので次男坊主が授業中ボ〜としてるっていうのは
ガセネタやん。
まぁ、ガセネタやけど実際そうやったんやろうとは想像できるのが怖い。 子供のキャラのせいか、
長男の担任とはなぜか堅苦しくなる。
どっちむいても私は同じなのだが
相手が堅苦しい。
次男の担任はまったくもって大阪弁のノリなのに、なんでや? そんな長男は
副顧問から走ると聞いていたクラブ対抗リレーなのに
他のメンバーの言うままにわが身を引き入場行進だけという謙虚さ。
ん〜〜〜切ない。
わざわざ自分の我を通すのも面倒くさいらしいが
身を引きすぎ。 まぁ、3年生男子全員による組体操は
顔が見れる位置に置かれたからええか。
本人いわく、たまたま、2年の時の担任と目があって
そこになったということらしい。
なのでそこはばっちりIXYに収めた。
これぐらいの特権はええやろ。 私も300枚以上も撮影した中でわが息子たちは5,6枚だけという謙虚さやん。
次男には
「なんでなぁ、僕のクラスの横におって、僕らを撮ってくれへんかったん?」と
団体競技の画像を見て云われる。
「え〜なんかやらしいやん」って私。 12月発行のPTA広報紙。
これからまた忙しくなりそう・・・・・” 25 遊びのお誘い “ずっと部活中心だった長男も夏休みに引退。
高校受験まっしぐという状況の中、
シルバーウィークからこっち、
ピンポ〜ンと友だちが誘いに来る。
お昼休みにサッカーをしているメンバーらしいが
遊ぶのは学校の休み時間だけでええやろ。 受験生やん。
勉強しようやぁ〜と思いつつ、
わが息子はどうするかと見る。 私の気持ちがわかっていると見えて
毎回、ごめん・・遊ばれへんと断っている。
せっかくのお誘いやけど、今は遠慮しとけと思う母。
塾に行っていないわが息子は
いつでも家に居てるわけで
いつでも時間はあるわけで
「塾やからあかんねん」も理由にならんねんなぁ。
ていうか、君らも勉強しようやとよそのお子さまながら
ええのか?とおばちゃん、心配するがな。 娘ほどやいやいいうこともなく、本人任せにしているが
ふらふら遊んで受かるような高校ではない。
塾に行っていない分、自分を律して自学しなければならないという
ある意味過酷な状況。 勉強がわからんという状況ではなく、
身につけた知識を確実に引き出して回答していく。
そこにかなりの精度さが要求される。
ほんの些細なことでの1点2点さが重いというレベル。
かなりの集中力が要求される。 本人のモチベーションを上げるため、
それを維持するため、
高校見学をと思っている。
高校のWebsiteでは、9月早々に各中学校に案内を配布している。
個人の参加申し込みは不可。必ず中学校を通すことと厳しく書かれてある。
にもかかわらず、いっこうに案内が配布されない。
なので、進路指導の先生に聞いてこいと命じる。
申し込み期限は今月末日厳禁と書かれてあるから。 昨日、やっとこ、その高校の説明会の案内を持ち帰った。
申し込み期日は25日と。
持ち帰った次の日が締め切りって
進路指導の先生、あかんわぁ。
娘の時から進路指導してはるねんし、段取りよ〜しようやと思う。
そのユルさは子どもらに影響するでと。 体験授業の申し込みもあり、第3希望まで明記と書かれてある。
夏休みに行った高校のオープンキャンパスでも体験授業があり
中学校ごとに班分けされたが、男子一人という状況にかなり嫌気をさしている息子。 今回も男子一人やったらかなんと思っていたら
申し込み時に同じクラスの男子も一緒やって
2人で第1希望から第3希望まで同じにしてきたらしい。
物理、古典、化学という順。
「え〜あんた、古典好きやったか?」と驚く。
理数系やんアンタと・・・
「ええやん。一緒に決めてん」
はは〜ん。古典はアンタが選らんだというわけでないのかと納得。 ツレがいたら、モチベーションも維持できるであろうとj願ったりやんと思う母。
そんなこんなで、勉学に勤しむべき立場やねんし、
遊びは春まで我慢やん。誘いにこやんとってと切に願う・・・・・” 22 秋分の日 “本日はめでたいことに我が次男坊主の誕生日。 いつもなら、誕生日は休日となっているのに
5月のインフル休校の穴埋めで
シルバーウィーク後半2日は通常通りの授業にて学校に行く。 今週末に運動会も控えているので
勉強より運動会の練習のためとなっている。 学校に行く前に
「いくつになった?」と聞くと
「12歳?え〜〜13やったっけ?」と
自分の年齢もイマイチわかっていない。 「母さん、いくつやったけボク?」と聞かれても
「悪い。人の年齢まで覚えてられへん。母さんも自分の年、忘れた・・・」
と親子で年齢不詳で笑ってごまかす。
アンタは13歳やと心の中で突っ込む。
こんなヤツにも心を寄せてくれていた女の子がいてた。
今年の始め。バレンタインデーのこと。
だが、なんせ末っ子で甘えたの小6の男子と
女子とじゃ
精神年齢に開きがある。
その年代の女の子があこがれるような行動に出れない我が息子は
卒業とともに・・・・・・ その女の子からヤツの誕生日にメッセージメールが届くかもしれないという
情報を
私はその女の子の母君から入手。 朝食のピザを食べるときにはいつもの寝ぼけ顔が
学校の準備をしつつ
携帯のランプに気づきメールを見たらしい、その後に
私のところにツ、ツ〜〜とやってきて
「今日、何の日か知ってる?」とのたまう。
っで冒頭の会話になったのだが。 ほんまわかりやすいヤツ。
そのメールがなければ自分の誕生日さえ忘れていたくせに・・・
学校に行くまでもやたらご機嫌よく
口もとがゆるい。 とまぁ、何よりのプレゼントということで
私からはとりたてて何もいらんやろと判断する。ラッキー” 18 欲ボケで反省 “
中3の長男、2回目の実力テストが返ってきた。
400点を20数点超えているというのは
褒めるべきなのだが叱ってしまう。
欲ボケの母と化した私。
反省・・・ 娘のときは雲の上の話やった点数を
そんなに必死な様子もなく取ってくる彼なのだが
手放しで万歳をしないというのはなかなかつらいところ。 失点を点検すると
もうちょっと集中しようやという箇所がある。
そこをきちんと押さえたら、あと20点は上げれると思うと
なんでやねんと叱ってしまう。 反省した私は
お風呂から上がってきた彼に
「この点でぼろくそ言われたら、あんたもやってられへんわなぁ」と
反省の意を表する。 その返ってきた答案用紙を私に見せる前に
すでに失点箇所のやり直しをすませている点も褒めるべきなのだが
そこすら、
「なんで間違ったかをキチンと理解しやな
また次も同じ間違いをするで」とコンコンと説く。 そんなことは
私に云われんでも百も承知のヤツに向かっていう。
私もたいがいやなと反省。 娘の時のように
朝6時に起きて7時までは勉強という受験勉強はさせていない。
部活を引退してからは
朝食後、学校に行くまでの3,40分を英単語と漢字の勉強をするということを
約束させ
それも真面目にやっている。
もともとが体力のない子やから
夜も23時には布団に入るという受験生なのだ。
それでも1,2年コツコツと身につけたものは失われていず
結果を出すからいいようなものの
あともう一歩というとこを厳しく要求してしまうのは
親の欲ボケ以外になにものでもないと反省。 そして、部活を終えて帰宅した次男。
おかんの剣幕にこれはいかんと
自ら机に向かうという要領のよさ。 てか、今、まさにその次男帰宅する。
学級閉鎖やと。
え~~学年閉鎖が解けたあと、単独で5日間も休み
2日学校に行っただけで
またも学級閉鎖って。
9月、いっこも勉強してへんやん。
” 12 新型インフルエンザってどんなん? “なんだかなぁ〜
昨日
「インフルエンザA型、まぁ、新型といっていいでしょう」
と診断された次男。 その時点で熱は36.2度って超平熱やし
顔もしんどそうでもない。 今年の2月ごろ、新型インフルが話題になる前
39度をこえめっちゃしんどそうで
インフルか?と受診したときには
インフル反応がでずやった。
あのときに比べたら
今回は軽症も軽症でほんまにインフルエンザなん?って疑いをもつ私。
医者は
「なるべくなら隔離してください。マスクはさせて
他の家族にうつさないように。
年齢的にも異常行動の心配があるので、夜はそばについててください」と
云わはったが、
いまさら、隔離もない。 家族にうつっているなら
すでももう感染済みであろうし
あとは個々の体力がウイルスを負かすが
ウイルスに負けて発症するか、
これは神のみぞ知るというもの。 異常行動も、
実際、2,3年前、タミフルによる異常行動?と新聞沙汰になる2,3日前
長男がインフルエンザで異常行動かと思われるような
夜中にむくっと起き上がるということがあった。 そのときはあまりのしんどがりかたが心配で
私はそばについて寝ていたのだが、
そのおかげで私もインフルになるという事態に陥り、
その二の舞になっては困ると。
「母さん、体力ないねんし、母さんがうつったらかなんし
異常行動はないやろ」と
娘と長男が云うから
「そうか・・・」と潔く身を引いた私。 まぁ、長男はもともと睡眠時にあれこれ行動をおこすタイプやし
次男は寝たら朝までぐっすりのタイプなので
大丈夫やろうという判断もありだが、
なんせインフルエンザと診断されてから
食欲が出てきて
微熱程度で元気なのだ。 リレンザのおかげかもしれんが。
このリレンザがまたおもろい薬。
へぇ〜これが噂のリレンザかと、吸入するときの作業を楽しむ。
次男坊主も前出のインフルでもない高熱のときに処方された
漢方薬の麻黄湯の
あの匂いと味に比べたら
リレンザはおちゃのこさいさいと吸入できてなんら問題がない。 こんな軽症の新型インフルエンザの弟のため
高校生の娘は1週間出席停止を食らった。
どことも高校は
家族にインフル感染者が出たら、本人が元気でも1週間の出席停止という処置をとるようで、
わが娘もその指令に従うこととなった。 中学生の長男はそんなこともなく
弟がインフルエンザやねんって周知の中
登校する。 この一貫性のない教育現場はどうなんだと思ってみたり・・・・・・
まぁ組織がちがうからしゃ〜ないねんやろうけど。
超軽症の新型インフルエンザ患者
(軽症すぎて、ほんまかという疑いは晴れず)の次男を見ると、
新型インフルエンザの悪ふざけかという気がする。 世間では感染力も強く
ウイルスが進化するからと恐怖と化しているのに
なんか次男坊主のインフル菌はフェイントをかましよったなぁと思えて仕方がない。
このままやと私は新型インフルを甘くみてまうやろうなぁ。 受験生を2人も抱えているからこそ
やたらどうなん?って気になるが
それがなければ、うつったらうつったときのことと思うし、
仮に持病があってどないかなったら
どないかなったときのこと。
そういう段取りになってたと思うしかないなということで片付ける。
こんなヤツのところには
インフルもあほらしいってやってこれんかも。
んな、ことはないか・・・・・・” 11 火災警報器設置 “午前中、火災警報器設置日となっているので
家を空けれない。 なのに、次男坊主が昨日から8度を越える発熱。
いや、月曜日から7度ちょいの微熱続きで学年閉鎖が解ける水曜日も微熱。
学校に電話すると
微熱のインフルエンザが流行ってるというので病院に行くが
A型もB型も反応でず。
なのに、その翌朝の昨日、8度3分。
それでも日中は6度8分やらになる。
今朝、一番も8度3分。
これは再受診やと
火災警報器設置会社に電話して事情を説明。
午前中の最後にしてもらう。
結局、次男はインフルエンザA型と診断される。
たぶん、新型でしょうと。
今日から1週間は学校への出席は停止ですと。 あらま・・・
すでに先週の金曜日から1週間学校休んでますやん。
前半は学年閉鎖とはいえ、昨日、今日は欠席。
そして今日からは出席扱いの停止となる。 でも、病院でも6度2分やし。
帰宅してリレンザを吸入したが
その後、ずっと6度後半。 インフルエンザの中、火災警報器の設置にきてもらっていいのやろうかと
うちはかまへんけど、
工事の人にうつしたらあかんやんと
朝、電話した工事会社に電話する。 「奥さん、かまいませんよ。
大丈夫でっせ。
まぁまぁ、気を使ってもうて・・・
お子さん、お大事に」とおっちゃん。
なので、つけてもらう。 てか、壁に取り付け具をつけて
警報機をつけて終わり。
ものの10分ほど。 あまりにも簡単につけて帰りはったので
ほんまに動作するのかと、
マスク姿の次男坊主とともに
警報機にスプレー殺虫剤を吹き飛ばす。 したら音が鳴り出す。
うぉ〜〜〜正常に動作してると
よかったよかったと実験終わり。 リレンザ吸入のおかげか
すでにヤツのインフルエンザは終焉に向かっていたのか
まったくしんどくもなく暇を持て余している。 これで今日から1週間、どうするん?” 09 図書だより “昨日、高校生の娘が持ち帰った図書だより。 村上春樹氏の著書について
プリント裏表を使って、お薦めドコロなんかを語ってくれてはる。
思わず読む。 たぶん、この先生はめっちゃ村上春樹氏の小説が
お好きなのであろうと思わせる語りなのが
伝わってきて
ノルウェーの森(上)で止まっている私は
(手元にあったのが上だけで下がなかった)
もう一回、ちゃんと読んでみようという気にさせられた。 今、ベストセラーになっている1Q84もそのうちという気になる。
高校生のお薦めとか
わが校図書室にあるとかとマークづけしてあるぐらいなので
子供たちに読んでほしいというので
切々と語ってはるのであろうそのプリントを見て
本来なら生徒たちが共感すべきなのだが
保護者である私が共感した。
そのことを伝えたいやんと娘に
「これ、おもろかったわぁ。
これ、書きはった先生、知ってる?
知ってたら、これおもろかったと云うてて」と云う。 「あの、昔、オトコマエやったやろっていう国語の先生やで。
でも、そんなことよ〜伝えんわ」と娘。 夏休み最終の日曜日に
難波であった某塾の高校合同説明会(公立私立とも)で
私がお話させてもらった先生を言う。 来春受験の中3の長男のため
その某塾に通ってもいないくせに
説明会だけ参加させてもらった。
いや、新聞折込チラシに入っていたその案内には
塾生やない一般の人もOKと書いてあったのだ。 長男は別の高校を狙っているが
娘の通う高校の厳しさと進路指導の熱心さは気にいっているので
ちょいと視野に入れて考えてみた。
その趣旨を話して
「こういうケースってあります?」て問うてみた。
それから
学校のレベルのよって教科書の違いは歴然としているので
それで大学を目指す場合ってどうなんでしょう?と 「僕の口からいうのはなんですが、
お子様のレベルに合った高校に行かれるのがベストだと思います」と
正直なところを話され
「うちの高校は英語が弱いから、万が一
うちに入られて上を目指すなら高度な英語演習を
独自にされるのがいいでしょう」とアドバイスも頂く。 なかなか的確な意見として受け止め、
印象もよかった。
帰ってから娘に言うと
「昔、オトコマエやったやろうなっていう先生やろ?
あんまり関わりはないけどええ先生やで。」 その昔、オトコマエやった先生が
その村上春樹氏の作品を語ってはる。
国語の先生だけあって文章もなかなか面白い。 そういえば、土曜日に行った文化祭。
その昔、オトコマエやった先生と廊下ですれ違い
挨拶をさせてもらったとき
「あ〜」とおっしゃり
私の後ろを歩く長男に目をやりはった。
はは〜〜ん。私のことを覚えているな。
そりゃそうやろうな。
あんな場所であんなことを云うた親は私ぐらいやろうし。 この図書便り、次号も村上春樹氏について語るらしいので
それを楽しみ待つ。” 07 風邪 “金曜日の明け方に咽喉が痛く目が覚める。
やばいなぁ・・・・・と思いつつ
その日の午後には
次男が学年閉鎖で早々の下校。 そういえば、5月のインフル騒ぎのときも
私は疲れからの鼻かぜ。咽喉のイガイガで始まる疲労、寝不足からくる風邪で
ややこしいときにって感じ。 通常の風邪ですら
心配性の人にはインフルエンザ?って敬遠されるであろうから。 そしたらまたもやん。 通常の風邪の症状からインフルエンザってなるねんでと
いう人もいてるので
様子みぃみぃで金曜日をやり過ごす。
土曜日は、娘の高校の文化祭。
最後の文化祭やし、
長男と行くつもりでいてたので行く。 かすかな咽喉の痛みで熱もないので行く。 600円のチケットであれこれ食べる。
(私は焼きそばとカキ氷だけ)
長男があれこれ食べる。 体育館でもクラス発表を楽しむ。
高校の文化祭ってこんなんよっていう
高校受験を控えたヤツに期待を持たせるべくのものなのだが
娘の高校はいろいろ制約ありで
こじんまりとしたもの。
たぶん、もっとおもろい文化祭を開催している高校のほうが
高校生活に期待を持てるかもと思うが
どうも長男はそういう視点はないようで
ひたすら、食べることだけ。 そんなこんなで15時半ごろ帰宅。
とにかく水分補給をして熱をはかる。
平熱が低い私にしては6度8分と
このしんどさでこれはちょっとやばいと
「晩御飯は無理」宣言をする。 で寝る。 後夜祭を終えて帰ってくるはずの娘が17時過ぎに帰宅。
聞くと
文化祭終了時にクラスの子がインフルエンザに感染が発覚。
後夜祭は中止で下校となったらしい。 風邪気味のところに
インフルエンザウイルスがうろうろしていたであろう中に数時間身をおき、
これはいよいよ私も感染しているかも?と
今更ながらマスクをする。
熱を測る。
7度4分。
さっきよりあがってる。
これでいっきに8度、9度となれば
まちがいなくインフルやと覚悟を決めるが
内心
へそ曲がりの私は
こういう流行ものにかからんような気がする。
かかっても沈静化したころに
場違いな感じで感染しそうな気がする。 っで結局。
私の発熱は7度4分とまり。
咽喉の痛みとセキのなんとなく体がだるい程度で
インフルエンザの高熱の体の節々が痛いって状況にはならず・・・・・・ だが、体力が弱っているのはたしか。
なのでここは体力復旧に努めようと
次の日曜日のお昼御飯も晩御飯も無理宣言をする。 長男と娘がなんやしてくれて私はず〜とごろごろと寝る。
日ごろの睡眠不足と疲労は回復した模様の本日、
咽喉の痛みはなく
セキと鼻声を残し復活 この際やから、今ここでインフルエンザにかかるのも
手かもしれんと
腹を括ったのに・・・・・・と思う反面
やっぱりしんどいめはせんにこしたことはない。
ワクチン接種の時期がきたらワクチンやなと誓う。” 04 新型インフルで学年閉鎖 “あらま・・・
中1の次男坊主が早々に帰宅。
「学年閉鎖になった」と。
マスクしてるしぃ。 「あんたもしんどいの?」
「ううん。俺のクラスはインフルエンザおらへんねん」
「なんで、マスクしてるん?」
「保健室の先生にもらってん」
「えっ全員に配りはったん?」
「ううん。保健室にもらいに行ってん」
「一人で?」
「ううん。友達と3人で」
「なんで?」
「だって、部活の子はみんなもらってる。
でもクラスでは俺らだけ!」
なんじゃそれ。
てか、部活中心のその思考回路はどないかならんか? 8日(火)まで休みだそうで。 「それまでクラブもないのやろ?」
「そりゃぁそうやん。」
「思う存分勉強できるなぁ」
「・・・・・・」無言のヤツ しかし、夏休みが終った途端やん。
5月のインフル休校で9月のシルバーウィーク後半は登校となっているが
また、どっかで帳尻あわさなあかんようになってもうて・・・ お上のほうでは政権交代でわさわさしているが
下々は新型インフルでっせ。
我が家には受験生2人いてまんねん。
ワクチンの手配、はよしておくんなはれと
子供手当てや高速道路無料や公立高校無料より
先にワクチン!を切に願う。” | 8月 26 歯 “月曜日に、ちょこちょこと応急処置。
神経の処置をしてもらったから
モノを食べるのがやたらすっきりした感じで噛める。
なんの支障もないという感じ。 右の下を処置してもらったのだが、
その前まではその対の右の上の歯や
まったく関係ない左側が
しみたり、うっとおしかったのだが
神経の処置をして応急手当て段階の
まだ完璧でない状況なのに、
モノを食べる時に快適さはうれしい。 こんなことなら、もうちょっと早くに受診したらよかったかも。 歯も浮いたりしなくなったら
目の疲れもましになったようで、
このあたりは繋がっている?っていうか、
目も歯も疲れからだそうなので
かなりお疲れがたまっているということか・・・・・・” 24 歯を食いしばりすぎ。 “デジカメで撮影したり
レントゲンを取ったり、
歯肉の具合を調べ、
歯茎からの出血の具合をしらべ
歯石付着具合も調べ、
やっとこ虫歯の状況検分となる。 歯の名称(右一番とか、)ごとに
上記の状況を
歯科用語というのかで書き記してはる。 今回、足を向けた理由の歯は
痛いくて我慢ならずでもなく、
なんか重い感じだが
そのあたりに風を当てるとしみる。
私の反応が歯の状況よりゆるいのが筋が通らんといった感じなのだが、
なんせ、
痛みに強い体質なので
お医者さんが期待する痛がり方や痛みの表現をしない。 あちらこちら、手を加える箇所の説明のあと
ココが痛い(痛いという表現を使っているが痛いではないのだが)って箇所の
神経を処置するらしい。
神経の際まで虫歯が進行しているから
もっと前から
もっと強く
痛かったであろうと云われても・・・
いや、大丈夫なのだ。 麻酔をしてなんや本日の処置を終えて帰宅したのが
お昼を大分回っていた。
お弁当持ちと同じ内容のものが今日のお昼なので
長男と一緒に食べようとするが
なんせ麻酔が効いていて
口が上手く動かない。 なんだか口の中の肉をかんでしまいそう・・・ 麻酔が切れるまで我慢すればいいのに
卑しい私は我慢できない。
だって、ようよう今、16時過ぎに麻酔が切れてきた。
ここまで待てんわ。 歯科衛生士さんには
「歯を食いしばりすぎ」と注意される。
食いしばるから、かぶせてあるのが磨耗してくる。
あとストレスも歯を痛めるとのこと。 歯に限らず
ストレス、疲労はあれこれ不調を呼び起こす。 今日から、私の長く続く歯科通いが始まるのだ。” 21 JR尼崎駅 “病院ヘルパーの昨日、
地下鉄野田阪神とつながっているJR東西線海老江駅経由で
実家最寄駅立花に行く。 立花の一つ手前が尼崎駅。
この尼崎駅は神戸線と福知山線との分岐点。
JR東西線は尼崎から神戸方面もしくは宝塚方面への電車が走っていて
私が下車する立花は神戸方面なので、
宝塚方面の電車にのれば
尼崎で乗り換えなければならない。 昨日、乗った電車は尼崎どまり。
あさの8時前という通勤時間真っ只中で
なぜに尼崎どまりという中途半端な電車を走らせるかなぁ〜と
私は思う。 オマケにその尼崎どまりは快速だったので
普通電車しか止まらない立花駅まで行く私は
階段を上がって
また下りるて隣のホームに移動しないといけない。
っで、いつものホームに立つとすぐに電車が入ってきたので
眼鏡をかけずの私は眼をこらし
車体に書かれている普通という文字を確認する。 前にこの確認を怠って快速に乗ってしまったことがあり
立花をす〜〜と通りこし
武庫川を渡り西宮市に突入したことがある。
立花の西隣、西宮市に入ってすぐの甲子園口(ここは甲子園と名がつくが
甲子園球場のホンそばの駅ではない。あくまで甲子園"口")
も快速はとまらず西宮まで行き、引き返すという
無駄なエネルギーを使ってしまった。 昨日も必死になってそれを確認しようとしたら
車体には"尼崎"と書かれてある。
書かれてあるというか電光なので点灯文字が尼崎。
つまり、尼崎どまりってことやん。
この電車は大阪、もしくはその先の京都ぐらいから尼崎どまりで
走っていたのだろうが、
この朝の忙しい時間帯に
またも尼崎どまりに
なんでやねんっという思い。 その尼崎どまりから出てきた人が
一斉に私を通りこし後ろに止まっている電車に乗る。
え〜〜後ろに電車止まってるん?と
私もそれに釣られて乗ったものの、
もしかして、これ快速?と一抹の不安がよぎる。 車内放送で発車を告げるアナウンス。
耳をすますと
普通で次の停車駅は立花と云わはったのでほっとする。 私が尼崎に住んでいるころは
東西線(京橋から延びてきた)なんてなかったので
こんなにややこしくなかったのだ。
いや、今でこそ東西線が出来たおかげで
私は一旦大阪まで出て乗り換えることなく
ラクにはなったのだけど。 高校生のころはこの近所に友達がいて、
尼崎駅周りは自転車で走り回ったが
ほんま何もなく
駅前すぐに大きな工場(確かキリンだったか・・・)で
まだ立花の駅前のほうが商店街があり活気があった。 それが東西線がここまで延び、
人の動きも活発になったようで
駅北側の開発が進められている。
この秋には阪神百貨店も出来るらしい。 そうなると、ちょっと尼崎で下車して
阪神百貨店にも寄ってみる楽しみができたってもん” 20 高齢化社会 “眼科の日。
いつもに増して、夏休みということで
満員御礼の眼科。 明らかに私よりはるかにご年配の方々の中、
最初に座っていた椅子は
検査で一旦席を外した時におばちゃんに陣取られている。 なので、まぁ、立って待つことにする。
本日、私は両目の眼底検査で
このあと、数回に分けて眼底を開く点眼と開き具合をスケールで測られる。
だから本当は椅子に座ってるほうが
看護婦さんもやりやすいはず。 次から次へと来はるご年配方を見つつ
立って本を読んでいた。
これも、あともう1回目薬をいれられるとぼやけて何も見えなくなるやろうと
それまでの時間を惜しみながら目を走らせる。
看護婦さんがスケールと目薬を持って
私を探している。
立っている私に、空いた席を指差し
「ココに座って」と
点眼するのにしやすさもあるし
だんだんと目が見えにくくなる私は座ってるほうがいいのだろうが、
これだけご年配の方が溢れかえってる中、
椅子に腰を下ろしているのも
気詰まりなもの。
だんだんと見えづらくなってくる目を理由に
(理由たって別にだれかれなしに説明するわけではなく
私の中で、ほらほら私も病人やから座っていたも大丈夫と
理由付け。)
目をつぶって小さくなる。 ホンマ、病院にはどこから集まってきたのかと思うぐらいの
おっちゃん、おばちゃんでいっぱい。 座ってるおっちゃん、おばちゃんは
検査で一旦呼ばれるとき
必ず、帽子だとか、本だとか、貴重品の入っていない鞄だとかを
自分が座っていた場所に置いて行くのだ。 場所取りをしている。 ん〜〜これだけは私は出来んなぁと横に置かれた
肩身が狭くなった本を見る。 そして、
そこまでして椅子に固守するおっちゃんおばちゃんの中で
私はますます小さくなる。
心の中で
たぶん、私の病気のほうが眼の病気としては重いしと叫ぶ。 いやはや、どこに行っても
おっちゃんおばちゃんで溢れていて
また、その方々は我がの場所のマーキングも堂々とし
高齢化社会をブイブイ云わしてはるようだ。 「年いくとあきまへんわぁ」
「毎日のように、今日は眼科、明日は整形、あさっては内科と病院通い」
「年いっても自分のことぐらいはゆっくりでもしやななぁ」と
パワー全開のおしゃべりが繰り広げられている。 私は、やっとこ自分の番の診察にホッとして、
まぶしさで開けていられない両目でボチボチと帰宅する。
明日は実家の父の病院ヘルパーの日。 高齢化社会真っ只中にどっぷり浸かる私。疲れた・・・・・・” 19 水漏れ “昨日、帰宅後、洗濯物を入れているとポタンと音がする。
ベランダの隅に、ポタンポタンと水が漏っている。 我が家のベランダには
商品撮影でもおなじみの人口芝生が敷いてあるのだが
その部分だけ濡れていることに気づく。 上の階のベランダを見ると
外壁部分にヒビがありそこから内側10㎝ほどからポタンポタンと落ちている。
それが先に進むとモロ洗濯物にかかるであろうという感じだが
今のところ実害はない。
でも、気づいてしまったものほっておくわけにはいかず
階上のお宅へ行き事情説明。
クーラーの水が落ちてきている。 本日、朝一に管理事務所に電話して修理依頼。
部屋の中ではないし今のところ実害はないのだが
ポタンポタンは
お互いに気になるのでなるべく早急にとお願いする。 家電の修理でもそうだが、
こちら側はこちら側本意ですぐにでも来てほしいと思うが
工事の人は
そういう行くべき箇所が他にもあり
仕事の順番や段取りがある。
なので、何時になるかわからないらしい。 実は、今月最初には我が家の階下。キッチンの天井から水漏れがあった。
当然、我が家にも影響があるわけで
結局のところ、我が家のお風呂場の排水の管。
それは、素人の私には目のつかない床の下。
階下との間。
そこの管からポタンポタンとしていて、
その床あたりは水溜りが出来ていた。 それに次ぐ、今回の水漏れ。 この建物の大方20年ぐらいにはなるであろうから
ぼちぼちあちらこちらに傷みがでてくるのかなぁ。 本来なら水曜日の今日は外勤日なんだけれども
お休みで午後から予定が入っていたが
それをキャンセルしなくてはならなくなった。 例えばこの夏の盛りに冷蔵庫が故障するとか
部活行きの息子の洗濯物がよ〜さんあるのに洗濯機が動かへんとか
それはもう
切羽詰って早急も早急、すぐに対処しなければ困るってもの。
ベランダの水漏れはそこまで早急性はないんだけど、
家の中の水関係はなるべく早く修理をしてもらわなければ落ち着かない。 こういうときの対処って
まぁたいていがどこのご家庭でも主婦がする。
いつも思うのは、
主婦って子供の病気もそうやけど
突然の出来事を上手くこなしてナンボの職業なんや。” 16 眼 “歯もだけども、眼もなかなか・・・・・・ 疲れがたまると弱いところに出るというが
まったくその通り。
眼頭の奥の方がうっとおしい、重い感じがする。
右目の強膜に巻いているシリコンバンドに
締め付けれられる思いがする。 まぁな、みんないろいろ抱えているので
仕方がないと諦める。 昨日はお盆やし実家に行ったが、
外出に介添えがいる状況の父を見ると
一人で自由に動けるのは本当幸せなことと思うわけで、
人間、贅沢を云うたらあかんという気になる。 父にいたっては
寝たきりでないだけ上出来だと。
毎日のように出かけるディサービスでは
リハビリを兼ねたあれこれ楽しい催しものがあるわけで
それに興じられるだけでも有難い話。
そんな折、
ニュースで山城新伍氏の訃報を聞く。
誤嚥による肺炎が原因だと。
この春にタンが絡む父をつれていった内科で
高齢者は誤嚥による肺炎で命を落とすということを初めて知った。
誤嚥による肺炎は本当に命を落とすのだと知らされたことに
心動かされた。
山城新悟氏のご冥福をお祈りします。 年老いて社会から離脱したような寂寥感。
ディサービスに通える状況の父はまだよろしいという感じ。 いろいろ不具合で出てくる身体であっても
精神的に健全であるのはまだ救われるなぁと、
歯や眼もいたわりつつ、
まぁ、ボチボチやなと思う今日このごろ。” 14 歯 “右目の手術をした時、
しばらくの間、なるべくなら歯科にはいかないほうがいい、
あの振動とか、
無造作に置く器具が右目に当たることもあるとか
今、固定させつつある網膜がその衝撃で剥がれる可能性があるらしく
ドクターストップってやつだった
私の歯。 それが、そんなことなんておかまいなしに
私の左下の歯の詰め物が取れてしまう。
取れたから支障があるっていうたらあるのだが
気にせずにおれるので
そのまま放置。
ココに来て、今度は右の下もなんだかあぶない。
何がどうあぶないかというと、
疲れがたまると歯が浮く感じがするのだが
それとともになんだか遠くのほうでうずく感じ。
あまりにも遠くのほうなので
苦になるほどではないのだが、
それでも無理すると
うずくというより
吐き気を催す。
そんな状況なのだが、
歯医者さんって通いだすと長い。
半年ぐらいはちょこちょこと通うはめになる。
それがなんとも面倒くさい。 わるいとこいっぺんにだ〜〜とが〜〜と
処置してくれはったらいいのにといつも思う。
歯医者さんのあのキ〜ンって音も
ガァガァ〜〜という工事現場風ドリルの音も
さして嫌なこともないのだが
なんしか面倒くさい。
歯医者さんに限らず、病院に行くのが面倒くさい。
唯一、定期的に通っている眼科は
半分癖のようなものだから足も運べる。 まぁ、そんなことも云うたられへん。
歯って大切っていや〜大切やし。
重い腰を上げていくべきよなぁ。” 13 ブログってのは、おもしろい。 “滅多にコメントのつかないこのブログ。
いや〜通りすがりの人からのコメントってのが
なかなかつかないこのブログかな。 さっき、2年半ほど前に書いたブログにコメントを残していただく。
ネット上にはブログ記事が氾濫しているわけで、
ある検索キーワードにひっかかると見つけられるという
インターネット。 お箸についての記事へのコメント。
そう、そのお箸を扱っている、お箸専門店の"箸久"さんが
コメントを残してくださった。
私はたまたま、プレゼント当選をしてその箸久さんのお箸を手にすることができ、
お箸専門店があるということ知った。
お箸専門店なんてそうなかなか足を踏み入れることもない。 昔の商いがそのままずっと続いている町に行くと
そういう専門店がある。
私が知っている数少ないそんなお店で一番に思い出すのが
京都の鳩居堂。
お香のお店。
お香を焚くという優雅なことはしたことはないが
ちりめんの小さな匂い袋は好きなのだ。 実家の母の母。
私のお祖母ちゃんがとてもハイカラな人で、
お琴や三味線を引いてみたり
内裏雛を作ったり、
蓄音機があって
昔のジャズのLP版があって
そんなお祖母ちゃんに小学生の私は京都に連れて行ってもらったりした。
京都出身だったのか
京都が好きなお祖母ちゃんだったのだ。 といっても気性はとてもはっきりしていて
はんなりなんて雰囲気でもない。
あ〜〜でもいつも着物を着てはった。
そのお祖母ちゃんにいくつか匂い袋をもらったりした。 ハイカラといえば、
おじいちゃんはしょっちゅうパチンコに行って、そのお土産のチョコレートが
おばあちゃん家には常備してあった。
おばあちゃん家にはとてもワクワクするものがいっぱい。
夏休みはバスに乗ってやってきては
朝から夕方までこの家にある本を読んでは
うつらうつらと畳みの上で転がっていた。 そんなことを思い出させてくれた本日のコメント。
ん〜〜なかなかネットはおもしろい。
いまさら何を云うかという感じだが。” 10 横着な私 “月曜日の10時過ぎは生協の共同購入日。
階下、エレベーター前まで降りていく。 子供のときから、決まった曜日の決まった時間に決まった場所に行く。
お習字とかオルガン教室とか。
そのもの自体は別になんとも思わないが
決まった行動をするということに
なぜかやたら憂鬱感を味わい、面倒くさくなる。
単に出不精なだけなんやけど・・・・・・ 今日もよ〜さんの食材を家に運びいれながら、
娘に手伝ってもらいながら、
「毎回、同じ曜日同じ時間って邪魔臭いわぁ」と云う。
「下までもってきてくれるねんし、贅沢いうたらあかんわ」と娘に叱咤される。
「ネットスーパーもええねんけど、もってきてもらったもの。
冷蔵庫にしまうのが邪魔臭い。
そこまでしてくれたら嬉しいねんけど」という私に
「そんなん、どこに何が入ってるかわからんようになるやん」と娘
「野菜室には野菜やろ。とんでもなく常識はずれなことをせんかぎりは
わかるやん」と。
ネットスーパーに限らず、
買い物に行ってもそれを所定場所にしまうというが邪魔くさいと思うのだ。 よくもまぁ、コツコツと手間のかかるバスケット作りなどをしていると人様に云われるが
それは全然平気。
私は自分勝手な横着こきってことか・・・・ ここだけの話。
子供達には
勉強っていうのは面倒くさいもんやねん。
面倒くさいものをどんだけ面倒くさく手をかけるかで身につく。
手間を惜しむな。
書いて覚えろ。
っと偉そうに云うてる。” 06 私の待ちうけ画像 “浴衣姿の娘と彼氏のプリクラ写真が
ただ今のところ、私の携帯、待ちうけ画像なのだ。 日曜日に花火大会に行くというので
長男の引退試合を観に行く前にと
朝の9時から浴衣と帯相手に奮闘する私。 娘にはずっと、くるっと回してついてる紐でくくる帯。
後ろがリボンの形になったのをピッと差し込んで出来上がりという
浴衣の帯をつけていた。 それもまぁ、ちょいと子供じめているし、
私のお下がりの浴衣に合う、半巾帯を買ってやる。
今年は巻くでというわけだ。 文庫結びは自分でしたことがあるが
さてさて人に着せるのに出来るか?っての
予行練習に2日ほど費やす。
このへん、ぶっつけ本番でいこかというタイプではなく
とりあえず段取りはつけとかな落ち着かない。 娘がユーチューブで見つけた帯の結び方ってのを見て勉強。
あとはわが身に帯を巻き、
こうかああかとやってみる。 なんせ、娘は体にボリュームがない着物体型でなく
丈も足らずときている。
お端折の処理や有り余る帯をどうするかという難題もある。 前日、娘と行った神戸の短大、オープンキャンパスの帰りに
三ノ宮駅界隈でみかけた浴衣姿の女の子たちは
たいていが上記の作りつけの帯で、
後ろのリボンが小さい。 娘は有り余る帯をすべてリボンにもってくると大きいものが出来上がる。
なんか、ちょいとセンスないよなぁと思いつつ、
ユーチューブのそれ、リボン2段重ねを真似てやろうと
1回見たきり頭の中にいれたそれを
思い出しつつ
わが身で結び。 半巾帯を買ったのはええが、
母さん、結べるん?って心配だった娘の手前、
やるときはやるねんってことで
練習。
てか、2回ほどで上出来のリボン2段結び(正式名はわからん)が出来たし てなことで、
浴衣を着せて(帯より浴衣に手間どう。汗だくやし)帯を巻く。
我ながら芸術的な出来の帯。
欲ボケの私は一つクリアできると
また別な結び方。
成人式の振袖姿の、あの横手にちょいと小さなリボンをつけた結び方とか
あんなのも出来そうな気がして
やってみたくなる。
振袖の帯は半巾帯やないからまた違うんやろうけど
やってやれんことはなさそうな気がする。 着物も、浴衣を着せれたんやからできるかも・・・なんて思っているし。
浴衣も我ながら可愛く着せれて帯も可愛く巻けて
今流行り(私の時なんてなかった)のプチ兵児帯でボリュームを出して
我ながら、やるなぁ〜〜と自画自賛。
まっそんな作品の写真なので待ち受け画像としてただ今
私の携帯を開けるとそこに鎮座してはる。” | 7月 30 お下がり “娘が浴衣を着るっていうから、浴衣を出したりしながら
小さい時に着ていて着物や浴衣。
捨てるのはもったいない。
思案する。 「そうや、あんたらが結婚して子供が出来たら
これ着てもらおう」と
お下がりの提案。 そしたら
次男坊主が即答で
「俺、ええわ。俺、買ってやるから」って
長男
「あ〜そやな。俺も」 娘は自分が着てたものやし
「私が着せる」
てか、女の子が生まれるかどうかって問題もある。 娘がぼそっと
「でも、お下がりは嫌っていうたらどうしょう〜
ううん、お下がりを着るように育てるわ」と うん、そうして・・・いずれ・・・ 娘は女の子一人。長子ということで
たいていが新しいもの。
長男は長男ではあるが、娘のお下がりでもOKなもの
例えば、中学の鞄とか。
2代目を使っている。 次男坊主。
長男のお下がりもあるが、2歳しか離れていないってことで
間に合わず、長男に比べたら結構新しいものを使ってる。 それでも、お下がりもある。
本人的にお下がりに不満があったのであろう、即答の拒否。 娘が着るっていう浴衣は私のお下がりっていうか、
1回ぐらいしか手を通していないもの。
今年はぞうりとバッグと帯とプチ兵児帯を新調したので
喜んでいる。
浴衣を着るのを楽しみにしているので
セール中の浴衣を買おうか?って云うが
持ってるからいいって。
よ〜出来た子や” 13 部活の見学 “土曜日に息子2人が入っている部活の練習試合が体育館であった。
っで、今年度一緒に広報委員の方のご子息も同じ部活なのもあって
試合、応援しにいくんですか?とメール。 えっ、応援しに行くもんなん・・・・と思うが
まぁ、18日のろうきんギャラリーかごバック講座の準備があったので
仕事なので・・・とお断り。 夕方、帰宅した長男に
「なぁ、練習試合のときってお母さん、よ〜さん来てはるん?」
「うん。」
「それってどこで見るん?」
「体育館の中やで。椅子も用意してる。」
「へぇ〜〜そうなん。なんで今まで言わんかったん?」ってか
私が聞かんかったらずっと云わんかったはず。
「別に云うこともないやん。お母さん、別に来んでいいし」
「3年生の親で今まで一回も来てないのって母さんぐらいなんちゃうん?」
「そんなことないやろ。他にもいてるやろ。よ〜知らんけど」 「お母さんらって見てるだけ?」
「そやで」 見てるだけか・・・・
私、バスケのルールもいまいちわかってないし。
練習試合でもわが息子が出たら応援してまうよなぁ 「母さん、来たら叫ぶやろ。だからええわ」やと・・・・ そうか、いらんか・・・ あ〜〜でもなぁ、
もう3年生。
この夏休みで引退。
運動神経がイマイチいやイマサンぐらいで
性格的にも人のボールを取るなんてバスケは無理と言われながら
3年間頑張って続けてきてるしなぁ
まぁ高校になっても続けるらしいが・・・ ほんまにちゃんとやってるのか見たいような気がする。 次男坊主は去年、ミニバスのお世話係をやらさせてもらったのもあり
ヤツの試合は見てる。 でも、めんどくさいよなぁ〜と思う私もいてる。
毎回、見に行くってほんまみんな子供可愛いねんやと妙に感心してみたり。
いやいや、私も可愛いねんけど、
何から何まで見やんでいいやん・・・とか
影ながら応援してるってのはどう?とか
なんやかんやと理由をつけてみたりするが
まぁ、一番はめんどくさい。 何がめんどくさいって
親同士の会話。
これがまぁ、なんかなぁ。
愛想の一つも云わんならん。
おばはん連中、苦手やし・・・
子供中心のネタなんて、何を話していいのかわからん。 それさえなければ見たいのよ。
彼の勇姿を見てみたい。 てなことで最後の最後ぐらい行こかいな・・・” 07 やっぱりな・・・・ “「えっそれって50点満点?」って
思わず聞いてもうた話。 期末試験が返ってきたらしい。 初めての定期試験だった前回の中間が
周りの予想を見事に裏切った高得点だった次男坊主。 今回の期末・・・・やっぱりなという感じ。 勉強は一生懸命していたのだが
どうもポイントがずれているし詰が甘い。
っで冒頭の
「国語、50点」っていうヤツへの私のリアクションとなる。
「何があかんかったん?」
「漢字・・出ると思わんかった」って 漢字が出〜へん国語の試験はないわ。 ヤツの悪い癖。
我がの都合のいいように勝手に解釈する。 「あんなぁ、漢字が出〜へん国語の試験はないねん。
計算問題の出〜へん数学の試験もない。
よ〜覚えときや。
漢字なんて勉強したら点が取れる問題や」と
半ばあきれつつ・・・・ 本人が豪語していた理科は90点を超えていたから
興味を持って勉強すれば確実に身につくのはわかってある。 まぁ、これはこれとして
ええ勉強になったと次に向けてがんばろうか。
だがお約束どおり、携帯は没収。
夏休み対策の仕方で携帯返却も考えるってもんよ。” 06 テレビ禁止令延長なんだぁ〜〜(>_<) “定期試験前に発令されるテレビ禁止令。
今年からはこれは定例ものとして定着させるつもり。 わが、次男坊主。
ヤツは暇ならTVをつけるというタイプ。
我が家は私の許可なしではTVをつけれないので
許可を得てからつけているのだが、
TVをつけながら本を読むとか、そういうタイプ。
本は好きで読むからTVをシャットアウトできるらしいが
勉強についてはそうはいかない。
なので試験1週間前になるとテレビ禁止令を発令。前回の新型インフルエンザ休校からテレビ禁止令を発令。
今までも単発で発令していたが
これからは定例よ。 今回、この期末試験は本日で終了だが
高3の娘が9日から16日まで試験。
さて、どうするか思案していた。 テレビ禁止令は次男坊主のために発令したので
ヤツの試験が終われば解いてやってもいいのだが、
云うなれば、
なぜ禁止令を発令するかという点において、
君たちが勉強に集中するため。
君たちも我慢するのと一緒に母さんも我慢するということ。
いや〜私は別にテレビはなくても平気なので我慢はしていないのだが。 いけずしてテレビ禁止なら即解除でもいいのだが
しいては君たちのため。
日ごろ、君らが勉強しようかしまいが母さんの人生にはなんら関係ない。
痛くも痒くもない。
誰のために勉強するのかよく考えろというてる手前、
テレビ禁止令は
君たちのことを思ってのことという図式になる。 こうなると、
今ここで解除命令を出すと
これから試験を迎える娘のことはどうでもいいのか?ということになる。 そんなことはないのだが、
すでに自ら勉強はすべしという気持ちを持っているので
テレビがついていようがいまいがするときはするはず。
なので解除命令を出してもいいと思うが、
そこは違うようで、
結局、娘の口から
「私の試験が終わるまでテレビ禁止のままな」と要求があり
16日まで延長となった。 次男坊主は
「え〜〜〜〜うっそぉ〜〜〜
2週間近く我慢して
まだ我慢しやなあかんのぉ〜〜〜」
とのたまう。 テレビ、なくても生きていけるやろ?!” 05 時事問題予想的中!! “子供の定期試験。
社会の問題にはかならず時事問題がでる。
なので時の総理大臣の名前は漢字でフルネーム書けるようには必須事項。 就任間じかなら100%出題される。 今回中1の次男坊主には
麻生さんの下の名前を漢字で書くという問題があったそうだ。
ちょっと時期を外している感があるが
適当な問題がなく苦肉の策かと思う。 あとはといえば
アメリカの有名なポップシンガーでスリラーという曲がどうのこうのの
そのアーティスト名は?というような内容の設問
もちろんマイケルジャクソンやんと。
これは完璧やったらしい。
その前日。
時事問題って何が出ると思う?って話。 マイケル・ジャクソンの有名な曲・・・スリラー
マイケル・ジャクソンの有名なダンス・・・ムーンウォーク
などなど彼がらみの問題を予想。 あとは、セブンイレブンの独占禁止法ネタ
菅谷さん
等々。 っで上記2つが中3の長男に出題された。 今回の予想は結構当たって子供らも大喜び。 とりあえず、毎朝、配られる新聞には
個々それぞれ目を通している様子。
ラテ面とコボチャン専門やった次男坊主も
ひととおり一周している。
おもしろそうな記事だけは読んでる風。
まぁそれでいいねんと。 今朝はうり坊がカワイイとやたら言う。
私が見逃していた記事で立ち止まって
うり坊を連呼している。
私は最初、また何かのキャラクターかCMの曲か?と・・・
うり坊とはイノシシの子供のことだそうで
神戸の川の迷い込んで戻れないとか・・・ こうやって目を通せる日は目を通していれば
次回、試験に向けて時事問題対策もバッチリ” 01 | 6月 30 ミドリ・キィ〜ロ野菜 “金曜日から期末試験の次男坊主。
家庭科の勉強をしている。
大きい声で
「ミドリ・キィ〜ロ野菜はにんじんとか色の濃い野菜」って 「それってリョクオウショク野菜って云うねん」って訂正。 なんというかぁ〜中学1年生ですわぁ。 そんなんで前回の中間テスト。
平均あればOKかとおもいきや、
例の新型インフルエンザでの休校のおかげで
予想をはるかに裏切って
450点に9点足らずという好成績。 やれば出きるやんってか、
中1の最初のテストって簡単。
この期末で同じ成果を出せるか
今後、3年間それを維持できるかってことですわ。
そんな中
「ミドリ・キィ〜ロ野菜」にドテっとこける。
とても蒸し暑かった昨夕。 「なぁ、なんかそうめんとか冷たいもんがええわ。晩御飯!」って長男の要望
急に言われたかて・・とごそごそ探すと
おそばがある。 「そばならあるけど、そばでええ?」 そのおそば・・・
機嫌よく茹で上がった途端、
「うわっ!おツユがない!」ということに気づく。
「どうすんの?母さん」って
私はめまい起こしそうになる。
いつも生協でめんつゆを買っていたので
今期になって買ってないもんあるはずがないわ。 「あかん、貧血おこすわ」と
「えっツユがなくてなんで貧血なん?」
「あまりのショックに・・・・」 「なぁ、ほんでどうするん?」ってミドリキィ〜ロ野菜が云う。
「え〜〜しゃ〜ない作るわ」って
「ほんだら僕が作るわ」って
テーブルの上に
おしょうゆとポン酢を並べる。
「作るって。これで作るん?」
「うん」
「ちょっとちゃうと思うけど。母さんが作るわ」と
小鍋にお水を入れて沸かす。 出しの素とおしょうゆとみりんとかつお削り節を適当に入れたら
出来た。
ただ、熱い。
めちゃ熱い。 冷たいものが食べたいから・・やったのにと
しゃ〜ないもう少し濃くして氷を入れて食べることにする。 微妙に薄まった頃のめちゃ美味しいこと。 やたら食にうるさい長男が
「なぁこれからは手作りのツユにせぇへん?」と
いいたいこと云うなぁ〜と思うが
おもいのほか美味しくできたので
「そやな、めちゃ簡単やったしそうしょう〜」 っで残ったおツユとおそば。
本日の私の昼食。
冷蔵庫で冷えたおツユは昨日よりもひとつ美味しいっ” 27 25 眼科の日 “いつもの眼底検査もあり、3時間眼科に缶詰。
ぼやぼやの右目で帰り道スーパーにより、
買い物をして帰宅。 ようよう目の機能が回復。 そうそう、昨日は実家の父の病院ヘルパー。
いつもは内科と泌尿器科のはしごだが
昨日はそこにプラス皮膚科。 なんだか、前回のとき
老人性乾皮症でとりあえず内科で処方してもらった薬があったが
昨日は頭も痒いと。
内科で見てもらうと
脂漏性湿疹だろうと。
処方できんこともないがやっぱり専門家に診てもらったほうがいいと
おっしゃるので
紹介状を書いてもらう。 脂漏性湿疹・・
そういえば、娘が赤ん坊のときに出来たなぁと
そのときはものごっつい小さくてかわいらしい手袋をはめ
頭を掻くのを防止した。 80を越えた父にそれはちょっと酷かと思いつつ・・・ その皮膚科の先生がおもろくって・・ 「痒いわなぁ〜掻いたら気持ちいいわなぁ〜
わかるで。その気持ちはよ〜わかる。
でもな、それが一番あかんねん」とか 「暇やろ。暇やと思わず手が掻いてまうねん。
な、暇にしたらあかん」とか 「たいてい、男の人は右半身がやられる(脳梗塞では)のに
左半身か。珍しいなぁ」といいながら
「まぁ痒いからってかける右手があってよかったやん」って。 なんか云わはったことに
私が大爆笑したら
「笑い事やないで」ってたしなめられるが、
いやはやほんまおもろい先生やった。 しやけど、めちゃ空いてる。 診察券はないと言う。
帰り際
「この薬の袋が診察券代わりなので今度はこれをもってきてください」と。
薬もココで処方してくれはる。
楽でええねんけど、
領収書の発行がないのがあかん。 靴をはかせるのにも、一苦労。
内科にしても泌尿器科にしても
高齢化社会に対応して
あちらこちらに手すりがついてあるし、
玄関には靴はき用の椅子がある。
なのに、この皮膚科はそういう対応が皆無。
皆無なのは設備だけではなく
看護婦意識もそうなのだ。
ある意味冷たいのだろうが、
世間が優しすぎるのかという気にさせる先生のおもしろさ。 まぁ、だから空いてるねんやろうな・・・・ 父なんてまだ介護人の私が付き添っているが
父より歩くのにおぼつかないおっちゃんが
一人で来てはった。
他の病院なら看護婦さんが手伝いにくるのに
ここではそんな甘やかしはせぇへんでという感じ。
まぁな、父にしても使わんかったら手も動かんようになる。
足も歩けんようになる。
本人のためにも
出来ることはなるべく自分でさせるのが一番。
時間がかかろうと自分でさせるのが一番と
まるで子育てと同じような状況。 そりゃ、トイレにいって
オシメとズボンを私がぴっと上げたらすぐ済むが
それは厳禁。
本人が出来るように助けてやるのはいいが
全て手を出すのはだめ。
出来ることはさせなければならない。
そんな意思表示の皮膚科。 しやけど、午前中いっぱいつかって
3つも回るのはほんましんどいわ。
一旦、実家に父を戻したあと
私は処方箋をもって薬局まで歩いて行く。
もらった薬を1週間分ピルケースに収め、
残りの数を数えて在庫日数を確認。
これでやっと一息つけるってもん。 思わず、横になって転寝したら
父に名前を連呼され、帰れと云われる。
早く帰らな子供らが帰ってくると。
そんな年代の子供とちゃうがなと思うが、
バスの時刻表に目をやる私。 最近は来るたびに
初孫であるわが娘の話になる。
3つ4つの頃の可愛さを絶賛しはる。
一番接触時間が長かったからな・・・
そんな時間をすごし
帰宅。
帰りの電車の中で爆睡の私・・・・” 22 広報誌を作る “今期、息子2人が通う中学校の広報委員をさせてもらっている。
PC要員としてお声をかけていただいき、
いったい何をすれば・・という話だった。 例年は、テキストの部分を打ち込んだものと写真やイラストカットを
はさみで切って貼って作ったものを
印刷屋さんに出すというものらしい。
そのテキスト部分が私の役目だったのだが、
今期、第一発目(一発目は例年学校で印刷)をカラー印刷するってことになり、
ならば、今までのように切って貼ってのアナログ作業ではなく
PCデータを学校の印刷機で出力する。
なので、私の出番となった。
画像データと記事下書きとを、作ってもらったレイアウトどおりに
PCの中で切って貼っての作業。
例年、委員が集まって皆でやっていた切って貼って作業が
私一人にかかってくる。
まぁ、しんどいといえばしんどいが
これがまぁ、おもしろくて・・・ 他のメンバーは
私一人の負担を案じてくれてはる。
何かお手伝いできることがあれば・・といってくれはる。
のだが、本当にPCに縁がないようなのでお気持ちだけありがたく頂戴する。 Illustratorで作るという。
私にしたら、おかげでIllustratorの勉強が出来るってもので
有難い。
ここ2,3日、夜中、2時ぐらいまで頑張ったから
ほぼ完成。
あとは目通しをしてもらって、誤字脱字、詳細確認を乞う。 やっぱり、こうやって何かを作るっていうものがなければ
テキストを見ながらの勉強もなかなかやわ。
今回のこれのおかげで1週間前よりか私は進化したもんね 長男には
「うちの中学校、よ〜さんお母さんいてるけど
こんなことが出来るのは母さんぐらいやで」と自画自賛する。
ここや。
こうやって、自分をアピールする私と
目立つことは極力さけたい、アピールするなんてとんでもないという長男。
人間、アピールすることも大事やでと教える。
アピールしたらそれなりの成果を出さなあかんというしんどさもあるねんけど・・・
でもそれも、勉強やん。 しかし、こういう作り物ってほんまおもしろ〜〜い そうそう、レイアウトと記事校正は別の人担当なのだが、
彼女が凄い。
記事校正の日本語力というか、文章力というか
校正されたものを見つつ、
ほぉ〜〜〜へぇ〜〜〜〜と
ここでも勉強させてもらう。
これだけの能力あるのになぜにPCに縁がないのであろうかと
それが不思議でならんというお方なのだ。” 13 11 ルーキーズを観る “先週の土曜日、クラブが午前中で終わった次男坊主と
布施に映画ルーキーズを観に行ってきた。 つい最近もTVで再放送をしていて
2人して涙ながらに感情移入しつつ見たルーキーズ。 イッチー、ほんまかっこええやんと思いつつ、
スクリーンの中の安仁屋くんことイッチーは
やっぱりかっこええやん 人気の映画やけど、布施の映画館やしと高をくくってたのが大間違い。
コンビニで買っていた前売りチケットを座席券に交換してもらうのに
それでも開演40分前に行って
一番前横一列か
二番目の両端。
もしくは上から見下ろすかたちの三階席と言われる。 前から二番目の右端に陣取ったが、スクリーンが迫って向こうの端がゆがむし、
それに開演前とはいえ、館内禁煙のランプがついているのに
タバコ臭いってどうなん? 映画はめっちゃよかったけど
この映画館はあかんと、
二度とくるかぁ〜と思う私。
愛用のなんばパークスではルーキーズはやってないからこんなことになってんと
矛先が変わってみたり。 ああいう映画を観るたびに思うが、
男の子っていいなぁ〜と。
男の子同士の仲間っていうのはほんまええわ。
わが息子たちにもああいう思いをして大人になってほしいものだと思いながらも
あ〜〜やっぱりイッチーかっこええとそこで〆る。” 01 気持ちのいい一日 “久しぶりにヨーカドーに行く。
ネットスーパーでは手に入れることができない文具品を買うために。 ネットスーパーというのは
店頭にある商品すべてを購入できるわけではないってのが
どうなん?って感じよなぁ。 食料品はお持ち帰りがしんどいので
ネットスーパーで注文し
ホッチキスやら小さいセロテープやら
修正ペンやらを買う。 なるべく小さいホッチキスがいいねんっていう長男の言葉どおり、
陳列台にぶら下がっているホッチキスの中から小さいのを探す。
小さいっていうのは
たぶん筆箱に入る大きさってことなんやろうけど、
丈が短いと横にでっぷりしている。 でも見た目に横でっぷりのほうが小さく見えると悩む。
横でっぷりはホッチキスの背中に予備の芯をストックできるというスグレモノ。
おまけに軽い力で20枚綴じれると書いてある。 通常のより100円ほど高いけど、
これいいよなぁ〜と500円もせんしと選ぶ。
へへ〜〜ん、最後の一個やしとほくそえむ。 私の家の筆箱に入っているホッチキスなんて
学生のときから使っているという、
30年選手やん。
壊れることもなくいまだ健在という、
ある意味スグレモノ。
重さも結構とある。無骨な感じ。
だから壊れんのか・・・
壊れたら新しいのも買うことも出来るが
壊れんのに買えんやん。
なんとなく、その健在ぶりが恨めしい。 今日長男に買った今風のモノは
謳い文句どおりあんまり力をいれずにパッチンできる。
ホッチキスも進歩してはるわ。 次男坊主が持っているのは
眼科が移転記念に配ってはった卵型のホッチキス。
これは子供だましなのだが
まぁ、十分にホッチキスの役目を果たす。
が、これを筆箱に入れて学校には行けんわなぁと
今日長男に買ったホッチキスを見て
僕も・・・って云うかもな。” 気持ちのいい一日 “久しぶりにヨーカドーに行く。
ネットスーパーでは手に入れることができない文具品を買うために。 ネットスーパーというのは
店頭にある商品すべてを購入できるわけではないってのが
どうなん?って感じよなぁ。 食料品はお持ち帰りがしんどいので
ネットスーパーで注文し
ホッチキスやら小さいセロテープやら
修正ペンやらを買う。 なるべく小さいホッチキスがいいねんっていう長男の言葉どおり、
陳列台にぶら下がっているホッチキスの中から小さいのを探す。
小さいっていうのは
たぶん筆箱に入る大きさってことなんやろうけど、
丈が短いと横にでっぷりしている。 でも見た目に横でっぷりのほうが小さく見えると悩む。
横でっぷりはホッチキスの背中に予備の芯をストックできるというスグレモノ。
おまけに軽い力で20枚綴じれると書いてある。 通常のより100円ほど高いけど、
これいいよなぁ〜と500円もせんしと選ぶ。
へへ〜〜ん、最後の一個やしとほくそえむ。 私の家の筆箱に入っているホッチキスなんて
学生のときから使っているという、
30年選手やん。
壊れることもなくいまだ健在という、
ある意味スグレモノ。
重さも結構とある。無骨な感じ。
だから壊れんのか・・・
壊れたら新しいのも買うことも出来るが
壊れんのに買えんやん。
なんとなく、その健在ぶりが恨めしい。 今日長男に買った今風のモノは
謳い文句どおりあんまり力をいれずにパッチンできる。
ホッチキスも進歩してはるわ。 次男坊主が持っているのは
眼科が移転記念に配ってはった卵型のホッチキス。
これは子供だましなのだが
まぁ、十分にホッチキスの役目を果たす。
が、これを筆箱に入れて学校には行けんわなぁと
今日長男に買ったホッチキスを見て
僕も・・・って云うかもな。” | 5月 29 シルバーアクセサリー “「大変なことになってしまった・・・」と
テンションの低い声で娘が仕事中の私のところにやってきた。
何事かと思えば、
シルバーのネックレスが黄色になってると・・ ん〜それは汗とかで硫化してるねんやん。
と
シルバー磨きクロスを箪笥から取り出し
磨いてみせる。 てかこの硫化がいぶし銀っていうやつで
それはそれでまた味があるってもん。 「うわっ綺麗になる」と喜ぶ娘。ほんま何も知らんねんなぁ〜と
コレもってもってきた娘のアクセサリーを
仕事の手を止め
磨く。 見事にピカピカになると嬉しいもんで磨く。
しばらく母娘でシルバー磨きに徹する。 そういえば、本物志向の知り合いがいて
「私は若い頃からアクセサリーは金かプラチナしか身につけない」と
シルバーアクセサリーを拒否する人がいてたが、
シルバーはシルバーで本物やし、
チープなカワイイモノや
シルバーアクセサリーが好きな私は
そういうこだわりはせっかくの楽しみも半減、
損やなって思ってしまったのを思い出す。 っでピカピカになったシルバーアクセサリーに嬉しくなる。
だが、これは娘のものやん。” 28 モノで釣れという。 “昨日から中間試験1週間前となった中学生坊主2人。
まぁ、一人は自分のペースで黙っていても勉学に勤しむ。
問題は次男坊主。
ヤツは気分にムラがあり集中力が続かない。
上2人ほど素直に私の言葉に耳を傾けないという強情なヤツ。
この強情さは私ゆずりゆえ、ん・・文句が云えない。 だが、隣同士に机を並べて兄弟仲良く、
お互い刺激を受けて勉強してくれたら・・というのは
甘い願望。 長男は我関せず、背中から湯気が出そうな勢いの集中力で黙々と打ち込む。
方や、次男坊主は
「ボクは兄ちゃんとは違う」と思っているのがまんま状況に現れる。
まっ確かに兄ちゃんとは違う。
兄ちゃんと比べて云々は言うてへんやん。
自分の中で自分の持ってる力を発揮しろとそれだけやん。
強行手段で
昨日から"テレビ禁止令"を発令。
なので、テレビを見るなんて思うなよって話。
なのにだ、10時手前、「母さん、テレビ見ていい?」と来た。
甘い!
うん、いいでとは云わん。
即却下。 でやつは、諦めて勉強再開するかと思いきや、
歯磨きをして寝る準備に入った。
なんじゃそれ・・・・ とりあえず何も云わない。
ふ〜〜んそうでるか・・と。 っでさっき、娘とその話。
娘が言うには
「アイツはモノで釣らなやる気がでんタイプやで。
私みたいに言葉の説得は無理かも」と モノで釣るなんてそんな不本意なことはするつもりないし。
それこそ本末転倒やん。
誰のために勉強するねんって話。 とりあえず、ちゃんと机に向かってるねんけど、
ええ加減な勉強でイマイチ頭に残こらないというヤツ。
それでもなぜか国語の読解力だけはあるという。
ここの感性を活かそうやと思うのになぁ。” 25 坊ちゃんは学校やん “いつもネットスーパーが商品をもってきてくれはった。
うちの商品をもってきてくれはる人(業者によって違うのか
同じ業者なのか不明)は3,4人。
今日のおっちゃんっていうか兄ちゃんっていうか
やっぱおっちゃんよなぁ。
私からしたら兄ちゃんなんやけど世間的にはおっちゃん。 ちょっと、女性的なのが気にかかるというタイプ。
昨年末、年賀状を予約した郵便局から
郵便ポスト(昔のベレー帽をかぶってるような街角に立ってたレトロな郵便ポスト)型のハンコ入れを貰った。
これがふたとなる足の部分の内側に朱肉スポンジがついているので
ポンとふたを開けると押印できるというもの。
ネットスーパーの商品受け取りに押印するとき、
このハンコをもって行くと
今日のこのおっちゃん。
「いや〜〜ポスト型のハンコ入れですかぁ?
すごいですねぇ」と女性的にテンション上がりはった。 そのおっちゃん。
今日、玄関ドアを開けると
「今日は坊ちゃんは?」と
どっちの坊ちゃんか知らんけど、
坊ちゃんが在宅のときにネットスーパーが来はると
荷物運びに出てくる。
それが今日は私一人やったもんやから
「坊ちゃんは?」となったんやろうが・・・・ うちの坊ちゃんは中学生やし、
今日から世間では学校始まってますやん。” それはちょっとイケズちゃうん? “昨夜、晩御飯の洗い物をしていたら
私の横にす〜と来た次男。
「明日、ボク6時半に起こしてな」
「なんで?」
「朝練やん」
「えっ朝練、ないんやろ?」
「ううん、友達にメールで聞いたらあるって」
「兄ちゃんはないっていうてるやん」
「そやかてあるっていうてるもん。知らんやん。」 先週、月曜日の朝練の途中で
例のインフルエンザで下校してきた次男。
そこには1年担任の顧問がいてはる。
っでその日の夜、沖縄修学旅行から帰宅した次男。
学校解散前に副顧問が
「休み明けは朝練はない」というてたと。
次男は交友関係には事欠かず、
なにかと携帯メールで連絡を取り合うツレがいてる。
長男は交友関係に事欠く。
かといって嫌われたり苛められたりはすることはなく
分け隔てなく人と接し先生からもクラスメートからも信頼があるのだが
特にこの子という仲のいい子(長男はツレというタイプではない)やグループに属さない。
なのでこういうときの連絡がもれる。
そこが娘も私も心配になるとこなのだが
本人はいたって平気。 長男は兄として
部活の先輩として
休み明けの朝練はないからと弟に言っているにもかかわらず
その弟は
友達から得たネタを兄には言わず
私にこそっと早く起こしてといいに来る。
なんちゅうヤツや! 兄ちゃんに
「友達がこういうてる」とかって会話せんか? 結局、私がその話を長男に言うて
「アンタは何時に起きるん?」って話になる。
っでなんか、納得が出来ん私は
「副顧問が朝練ないっていうてんから行く必要ないやん。
それでもしあったらならなんで連絡してけ〜へんねんって話やで。
3年生やねんし、3年生に連絡があって2年1年やろ。
朝練には行く必要なし」という私に
「ん〜〜〜ちょっと待って」と考える長男。 ここがヤツの優しいとこなんよなぁ。
この前の夜のTV。
お笑い芸人の誰が一番音痴かっていう番組で
次男は爆笑しながら見てたのを
長男は「可愛そうやなぁ」
とつぶやいていた。
音痴で笑いものになっているのが可愛そうだと。 自分だけ朝練に行こうとする弟に対しても
別に腹立つこともしない。
彼が腹立つことは明らかに理不尽なことをされたときだけ。
そんな彼を
私の母は「スマップのほれ、この間話題になった子」と
草磲くんに似てるっていう。
まぁ、人間のタイプは似てるかなとは思うが、
うちの長男はジャニーズにはなれんし。 しかし、朝練はあったんやろか?と
今日から通常通りの学校にほくそえむ私。
まぁ、あろうがなかろうがどっちなとええねんけど。
とりあえず普段どおりの日常に満足” 22 なんだかなぁ〜 “巷で大騒ぎの新型インフルエンザ。
用心に越したことはないとはいえ、
移った時は移ったとき。
それで命を落とすようなことになったら
そういう運命と思う私なのだが、
とりあえず、エチケットとして
鼻かぜで咳き込むのでマスク着用で家で過ごす。 回覧板をもってきはったご近所さんには
鼻かぜでもインフルエンザの可能性あるらしいでと言われる。 何が嫌って、
この新型インフルエンザに限らず、
いつもの冬に流行るインフルエンザでも
鼻かぜだけでも
インフルエンザかもよ?とそこに結びつける思考回路。
私にはそういう思考回路はない。 状態を診て大体の見当はつくやん。
それをちょっとの微熱やセキで
インフルエンザちゃう?と
過敏に反応されると、
ヘンコな私は、いやインフルエンザやないと意地になるちゅうねん。 昔、未熟児で生まれた長男が3歳までやたら病気しぃで
しょっちゅう病院通いをしていた。
そのときに主治医は
「僕ら医者よりいつもそばにいてるお母さんの診たてが一番信頼できるんですわ」とおっしゃり
こういうときはこうしたらいい、
こういうときにはここをみたらいいと
いろいろ教えてくださった。なんでもかんでも過敏に反応しすぎってどうなん?って。 医者にしても
インフルエンザが流行っている季節に
39度の熱があれば
「この時期にその熱なら・・」とインフルエンザ可能性大と検査をする。
が、私は子供の状況を診て
インフルエンザとちゃうでと思うが
医者でもない私なので云われるまま、
鼻に検査棒を突っ込まれる息子の体を押さえる。 結果は陰性。
ほれみてみいと内心ほくそえむ。
それでも医者は
「まだ、反応が出ないのかもしれない」とかと云って
リベンザと麻黄湯の説明をし
どっちにするか私に選択権をゆだねる。 そんなもん、副作用の少ない方に決まってるやん。
陰性なんやしで麻黄湯を選択。 私はヤツはインフルエンザではなく扁桃腺の熱やと確信やのに
周りはみな陰性でもインフルエンザの疑いを持つという。
どうなん? 長男が1歳半のとき
高熱が出た。
体温計が41.6度を越えたときに私は怖くなって
体温計を外した。
なので、その時の体温は定かではないが
あの勢いやと42度はいったな。 っでそのときの長男の全身状態は明らかにおかしかった。
これはあかんと即病院。
病院について数分後に熱性ケイレンを起こした。
あんなもん、家で起こされたら対応に困った。
結局、それはインフルエンザやった。 私は自分の診たてにはある程度自信がある。
わからなければPCで調べもする。
網膜はく離のときもそう。
明らかにおかしいと思ったが
そのときの最優先はお弁当作りだったのでそれを済ませてからPCを開けて
調べた。 状況からみて網膜はく離に違いないと思って病院に行ったから
医者に
「ん・・厳しいことを云いますが網膜はく離です」といわれても
「やっぱり」と返した私。
どういう処置をするかも調べて行ってるので
それについて動揺する必要もないわけで、
頭の中では確認作業と今後の段取りで忙しい。
いたって冷静。 なので、この新型インフルエンザの世間の反応が
なんだかなぁ。
かといって、
カラオケや繁華街に繰り出す高校生はアホやとは思うが。 鼻かぜでセキをするから
マスクはする。
自分が移るのはかまへんが
移すのはよくないし
世間の過敏な反応が面倒なのもあってマスクは着用。
常識的に考えてもそうすべきやろうし。 でも内心は、
こんな大騒ぎする必要があるのか?
過敏すぎへんか?
なのだ。 っで、四六時中一緒の中高生の我が子3人。
ええ加減、お互いに疲れるよなぁ。
来週の学校再開が待ち遠しい。” 20 新聞を読もうや。 “定期試験を控え、中学になると社会で時事問題が出るでと
次男に忠告。
時事問題って?ってことから
新聞を読もうやという話。 とりあえず、毎朝、新聞に手を出す次男。
ヤツの目的は、四コマ漫画のコポちゃん。
そのあと、テレビ欄に目を落とし、
本日の映画は何?ですわ。 まぁ、コポちゃんも社会情勢を捉えた内容やったりもするわけですが、
時事問題には事足りん。
今朝の新聞は読んだと豪語するから
「今朝のトップ記事は何?」と問う。 「ん・・・なんか、おっちゃん2人の写真があって、漢字のヤツ」と
当たってる。 当たってるが、内容を理解しやな意味がない。 「なぁ、知ってる。この面が1面やねんで。
この面で取り上げられてる大きい記事がトップ記事や。
テレビ欄が1面やと思ってやろ?
ここはドンケツや。」と云う。
にやける次男。
おいおい、頼むで。 「あんなぁ、まずはトップ面から目を通そうや。
時間がなかったら編集後記だけでも読む。ほんまは社説まで読まなあかんねんけど。
まずは編集後記や」と
3年前、高校受験を控え、読書量の少なさから国語力がイマイチの娘に
懇々と説いたことを次男に云う。 編集後記も社説も
新聞社によって偏りがあるからどやねんってとこやねんけどなぁ。
大体、組織というものは同じ方向を向いてやなあかんとこがあって
それがある種の思想を生み出しているかのようで
新聞も会社によって
偏りがあるのは否めない。 大きいとこを何誌か読んで、自分の中で消化するのが一番よろしいとは思うねんけどなぁ。
そういうわけにもいかず、
私の好みで我が家は某○売新聞なのだ。
紙面の内容より、紙面のつくり方が落ち着く。
一応、セールスマンが来るたびに、年ごとに
他紙もチャレンジし一通り取ってみたが、
やっぱりコレが一番落ち着く。 新聞記事が全てではなく、そこに疑問を抱くことも重要なんだと
説くが
まずは新聞記事を読むことから始めようやっていう段階かなぁ。” 19 18 休校 “部活朝練で7時前に家を出た次男。
7時過ぎに高校に向かった娘。
長男は土曜日早朝から沖縄へ修学旅行。
修学旅行に旅立った後に神戸でのインフルエンザ感染のニュース。
今夜、関空経由で帰宅なので
大阪入りのときには全員にマスクを着用という連絡が
中学校からは入る。 娘が家を出る直前のTVニュースでは
橋下知事が大阪府下の中高は休校とか云うたような
それがうちの子らの学校も入るのかどうか
いまいちはっきりしない状況ゆえ
とりあえず学校に向かわさせたが
駅に着いた頃に高校からの連絡メール。
休校のお知らせ。
早速、娘へ連絡。
帰りにコンビニでマスクを買ってきてもらうように頼むが
今更ながらマスクは売り切れで
2枚のみ購入。 次男は朝練途中で家に帰るようにと連絡があり、
帰宅。
子供達は今週1週間は休校となる。 小学校はといえば、
小学生がいてる友達に聞くと通常通りの授業だそうだ。
今のところ高校生を中心に流行ってるのと
急に休校になると勤めている保護者の対応も大変だということらしい。 このインフルエンザ、
TVニュースで見る街中はマスクをした人々で異様な雰囲気。
ただごとでない雰囲気なんやけど、
その雰囲気にのまれんようにしやななぁとふと思う。 私が子供のときに
休校というと冬場の風邪か
台風シーズンの強風警報発令ぐらい。
年度始めに休校の基準が書かれたプリントが配られるが
これからはウイルス感染病時の対応の記載も必要かもなぁ。” 16 最後の試合 “どちらかというと運動神経、イマイチな娘が
中学入学後に決めたクラブがバドミントン部。 中学3年間をなんとか続けて、高校入学。
どうするのかと思っていたら
高校でもバドミントン部に入部。 今日の試合が最後の試合。
これで引退となる。
最後の年、先輩の"クラブのことを一番考えている"という理由で
キャプテンに任命され、
わが娘ながらよ〜頑張ったと
本日、最後の試合を応援に行ってきた。
中高6年間で初めて、試合に足を運んだ私。
バドミントンの腕前はそんなに上手いとは云えないであろうが
でも始めた頃に比べたら上手くもなっている。
そりゃ〜6年もやってたら上手くもなる。 2日ほど前に
次のキャプテンを決めるのにってのであれこれ話を聞いていた。
キャプテンをやらさせてもらったがゆえにわかることもあるやろうし
他のメンバーが思うキャプテンの仕事とは違う点もあるというので
それはきちんと意思表示すべしと助言。 娘には重荷やないかと心配したキャプテンという役目。
「なんでも自分が1人でしたらあかんってことがわかった。
他の子にもふらなあかん。」と娘
「そやで、人をまとめるっていうのはなかなか難しい」と私 「母さんもミニバスの代表をやらさせてもらったけど
何でもかんでも自分ひとりでやったらあかん。
周りの人に割り振ってやってもらうことも必要や」
「うん、ほんま、それに全体を見て考えやなあかんしなぁ」
「そやで、みな好き放題云うけど、それをいちいち全部聞いてられへん。
全体を見て冷たく却下する必要もある」と
「ほんまそれ」と。
「ええ勉強できてよかったやん」と〆る。 1年間のキャプテンはいろいろストレスがたまることもあったが
誰もがやらさせてもらえるものではない。
しんどかったがやらさせてもらって、
いろいろ勉強になり成長させてもらえたと
感謝。
それも、本日の試合(1試合めは勝利。2試合めは残念ながら・・)が最後の試合。
ほんまよ〜がんばった、お疲れさま” 15 ブログ開設のお手伝い “数日前にご近所の友達からブログ開設の方法を伝授してと
頼まれたので
よっしゃと、FC2を利用してのブログ開設をお手伝い。 私のこれはCGIプログラムをサーバーに転送して構築していて
テンプレートもネットで探して
サイドバーのブログパーツやちょっとしたカスタマイズをして
私仕様にしている。 これはこれでなかなかおもろいのやけど、
初めてブログを開設するなら
やっぱり簡単にちょいちょいとできるものがいい。 テンプレートやあれこれカスタマイズもさることながら
やっぱり書く記事の内容に個性ができるもんやし、
なるべく毎日更新することに意味があるので
最初はまずは書くってことと、
がんばって書いてはる。 とまぁここでご紹介させていただきます。
ワクワク日記” 14 10 母の日 “4月末からばたばたしていて、すっかり忘れていたこどもの日。
+母の日。 そう本日は母の日でかつ実家の母の誕生日。
すっかり母の日プレを用意し忘れていた私。
お昼頃に電話だけ入れてみたが留守。 ん〜お天気もよろしく
きっと父がディサービスに行っている間
友達と散歩でも行っているのであろうと。
まぁそれならそれでいいねん
っで、私も母親のはしくれ。
おまけに私は明日が誕生日。
ゆえに、我が家のよ〜出来た子供達から
誕生日と母の日のプレゼントを二つ頂く。
嬉しい限り。 これで私もまた一つ年を重ねたしだいでございます。
本日は朝からバスケット製作に奮闘しつつ、
ささやかなシアワセをかみしめました。 自分だけ母の日を祝ってもらったという状況に
ちょっと罪の意識を感じながら・・・” | 4月 27 家庭訪問2連発 “品行方正な中3長男の担任は
おいくつぐらいなのか、英語の先生。
先日の参観での英語授業はスピード感があって
なかなかおもしろい授業をされる先生。 わが息子のことはべた褒め。
誠実で人柄もよくって褒められる中3でどうなん?
なんか怖いわぁ。
そんな出来のええやつはなんかしそうで怖い。 まぁ外でええ子やから
家では叱ることもするというと
え〜怒るようなことをするとは思えないとおっしゃる。
親に怒られんほどええ子なんて
ほんま怖いがな。あかんあかん。
以前、部活の副顧問の先生に
我が息子は毎日3時間勉強するって聞いて
さすがやなぁと思ったらしい。 そんな話は初耳や。
3時間なぁ、してる日もあるけどしてへん日もある。
それって試験前とかに
昨日何時間した?って会話で3時間って云うたのが
毎日3時間ってなったのとちがうのか?と。
そういう目で見られるとかなりのプレッシャーやん。 高校はどこを考えておられますか?って聞かれるから
高校に行ってもバスケはしたいと云うので
バスケ部があるところ。
で、ずっと考えてた高校よりワンランク上を狙うって本人が云うので
そのほうがその先を考えるときにええやろと、
ランクを落とすのはありえん。
ランクを上げて受験すべしやと思うのでと
2校の名前を返答。 どちらもバスケ部は盛んなのでいいと思いますよと云ってもらえる。
ということは、ワンランク上も可能性ありってことか?
まぁ、これはおいおいの三者懇談で詰めていく課題。 2時間後、次男坊主の担任が訪問。
入学して2週間、どうですか?と
バスケオンリーですと回答。
勉強のほうは?
ん・・・・て感じでしょうか。 勉強するために部活を辞めろとか云わんが
やることはやらなあかんと云うがなかなか。
調子に乗るととんでもないことをして謝りに行くことになりまんねん。
そんなヤツですというと おとなしそうやのに・・と。
はぁ、根は真面目なんやけどなんかした拍子にえってことをします。
学校から電話がかかってくるとドキッとするから
なるべくうちには電話かけないで下さいと笑い話で終わらす。 これで4月の学校行事は終了。 さぁ、連休のイベントに向けて奮起” 26 高校の進路説明会 “昨日、変な雨の中、遠路はるばる娘の高校の進路説明会に出席。
プロジェクタの文字が見えないと意味がない。
(遠路はるばる来てるねんし・・)
一番前のスクリーンまん前に座る。 ファイナンシャルプランナーの方、
ラジオやテレビにも出てはって著書もいくつかあるらしい方の
奨学金なんかの話が1時間ちょい。 ベネッセのお姉さんのお話が1時間ちょい。 進路指導の先生のお話が30分と
遠路はるばる雨の中足を運んで
おまけに帰りは学校を出てから駅まで
向かい雨にやられてジーンズびしょぬれになったが
なかなか意義のある3時間を過ごす。
今どきの大学受験状況などを聞くと
さすがに20年数年前とは違うわ。 ベネッセのお姉さんがおっしゃるには
センター試験は教科書から100%出題されると。
なので、予備校に行く必要はなし。
授業をしっかり聞く。
予習・復習をしっかりする。
家庭学習に勝るものはなしと。 このあたりの話は有難いとしっかり頭に入れておく。
私のポリシーを裏付けてくれる話だと嬉しい限り。 英語の単語を覚えるのにどうしたらいい?って娘に聞かれる。
そりゃ書いて覚えるしかないよなぁ。
単語カードなんて作っても
見るだけやしあれはあかんわ。 って私に上乗せして
長男が
書かな覚えん。最低5回は書かなあかん。とのたまう。
このあたりのコツコツと努力しまっせ感が
私と同じでさすがやな。 ベネッセのお姉さんも
コツコツと努力することが一番と、
予備校や塾に通っても勉強した気分になるだけと・・
まぁ、ベネッセという会社柄そう云わはるのかもしれんが。 わが長男も
塾も通信教育(ヤツがやってる、ベネッセのアレ)も勉強するのは自分やし。
勉強できへんヤツは塾に行ってないからって云うのもおかしい。
塾に行ったら勉強できるっていうけどそれは違うと
すっかり私にマインドコントロールされているかのようなことを云う。 ここまで勉強とはとわかってるならと
志望校をワンランク上げることで協議、議決された。
志望校選択の会議は息子と私だけやけど。
月曜日の家庭訪問では志望校の話が出るのか出ないのか。
目標は高くすべきだというのは
娘の高校受験で実証ずみ。 ベネッセのお姉さんが言うたはった
今から勉強を始めての結果が出るのに半年かかる。
それも娘の高校受験で実証ずみ。
確かに、本気で勉強し始めて半年後から成績が上がりだした。
目標を高くコツコツ努力すれば実るっていうのも実証ずみ。 担任の先生に
ぎりぎりに受かってもついて行くのがしんどいですよといわれたが
大丈夫です。入ったら入ったでついていきますと断言したがそれも実証。 結果、勉強はやっぱりコツコツと努力や。
これだけデジタル化が進んでも勉強はアナログ的にコツコツ書く。 ベネッセのお姉さんは
高校の3年間、3000時間勉強すれば京大に受かるといわれているとおっしゃる。
努力することが大切というお話。
京大はひとつの例としてやけど。 ただ、今時の子、
コツコツ努力するってのになかなか忍耐力が必要となってくるわけで
勉強は忍耐力やと最近思う私。 娘には勉強は二つのそうぞう力がいる。
想像と創造やと懇々と説教。
でもこれは、勉強することのとっかかりとして必要な力であって
それを継続するには忍耐力やなぁ。
平均以下の子を平均レベルに上げるには
想像力と創造力が、まずは必要。
そこから先、忍耐力。 そんなことを考えさせられた昨日の進路説明会。
こんな私にマインドコントロールさせられたかのような娘と長男は
よしとしてもや、
努力のドの字が皆無の次男。
さぁ、ココをどうするかが問題なのだ。
私に似た強情なところがええような悪いような・・・” 23 人ごとやないなぁと思うこと “ちょっとヘビーな話題やけど・・・
先週やったか、60代後半ご夫婦の事件。
脳梗塞で寝たきりのご主人の首に手をかけ自らの命も絶った事件。
そして昨日。
40代のタレントが80歳実母の介護疲れで命を絶った。 いやはや、実際、
70代後半と80の両親がいて
その80の父が脳梗塞で左半身に麻痺が残っている状況の私。
40代後半で80歳の実父の介護(というても病院行きヘルパー)中という私。 それぞれの状況。
身にしみて実感は出来るが
その現実から逃避したい気持ちもわかるが
自らの命を絶つというのはいただけない。 というても
私は介護すべき父と一緒には暮らしていないから
一緒に暮らす人間のつらさはわかっていないからえらそうには云えん。
周りを見渡させば高齢者があふれている。
こういう状況はそこら辺にころがっているのは確か。
その身近にいてる
ケアマネージャーさんにヘルパーさんにしろ、
医者にしろ
云うても人ごとなわけです。
ましてや行政の福祉担当者なんて、書類をみて
机上の話や。 去年の夏から以降、年末まで入院中の父のリハビリの手伝い
身の回りの世話と
週に何度も足を運んだが
あれも3ヶ月が限度。
あれが永遠に続くとなると気の遠くなる話。 父の首に手をかけようとは思わないが、
先日の3日おきの病院通いで、
誤嚥なり、タンがからんで窒息なり
そうなったらなったときのことと
そんなに神経質にならんかてええやんって医者に向かって
心の中でつぶやいた私。 医者は医者の立場で
いくつであろうと
どういう状況で生活してようと
患者に対してはきちんと対応すべきという点において
父の主治医は良心的なんやろう。
私よりはるかに顔色もよく心臓もバクバクと元気な父ですから、
こっちのほうが先に逝くでとふと思うのも正直な話で。 医学の発展により高齢者の五臓六腑は守られていくが
それ以外は確実に衰えていく。
特に脳。
ここはなかなかあきませんなぁ。 というてもうちの父は年相応のボケ具合で
ポジティブシンキングが幸いなのか
わが身の都合のいい解釈で生きてはる。
私自身は本質的な部分で似ているから
そこになんら違和感もなく可愛げさえ感じるが
マイナス思考の母とは食い違う。
ここが問題で
この2人の間で私はイラつくわけですねぇ。 とまぁ、高齢者社会にどっぷりつかっている私は
介護におけるいろんな問題もどないかなりませんの?って
どこに言うたらいいのや? おとついやったか
小6と中3対象の学力テストが行われ
該当の長男坊主が言う。
「屁みたいな問題やったと」
「点を取らそうと簡単にしたんやろか?」と思った私。
橋下さんも大変そうで、
学力テストの結果公表、別にかまへんがな。
今時の子、勉強せんやつはほんま勉強せ〜へんし。
今はええけどそのうちえらい目にあうでと
これから大人に向かう世代と
退化していく世代の狭間で
これやなぁ。
こういうなんとも云えん状況と体調の変化で
更年期というわけのわからん数年を過ごすことになるねんなぁ。
私は大変な時期の真っ只中なのだ。 大変な時期なんやなぁ〜と思うが
何時来るのやろ?私の更年期ちゃんっと待てど暮らせど・・・
てか更年期ってどうなるん?
子供のときから虚弱体質な私は
すぐにしんどがるし、
今でもすぐにしんどがるねんけど。
急に立ち上がるとくらっとなるのは
貧血やからか?
血圧が低いからか?
血糖血が低いからか?
それかこれがこれこそが更年期?
とうとう私も一人前のおばちゃん? あかんあかん。
そんなん待ってるほど暇ちゃうし・・・” 16 眼科にて “相変わらずの2時間缶詰状態で本も読めずただただ座っているだけって
ほんま無駄な時間の待合室。
眼底検査でなければ本も読めようが
毎回、眼底を開いて網膜の状態を診るという診察では
目をつぶって
周りのおばちゃん達の病気暦やらに耳を傾けるしかない。 しゃべってはるおばちゃん達の顔は当然見えずなので
声としゃべり方で
そのお方の性格やらを判断してしまう。 今日のおばちゃん。
庭にお花を植えて楽しんではるおばちゃんに
「わてはあかんわぁ〜そんなんしてるよりテレビ観てるほうがええわ」と
ガラガラ声で言うたはる。
おばちゃん、テレビばっかり観てたらあかんし、
花を植えたりするのがええって思うんやったら
それやってみたらいいのにと心の中でつぶやく。 日々、向上しようとする意気で生きやな。
別に大層なことをせんかて、花を植える。
小さいことでも日々向上やで。
花の名前一つ新しいのを覚える。それでええやんって。 高齢やからと老いて行くのを黙ってみてたらあきませんと
介護認定が4から3になった父を思うわけです。
4から3になるというのは
介護度が軽くなったのという認定で有難いと思うのか
使えるポイントが少なくなったと嘆くのか
どうなん?ってところ。 私は2になったらかなんなぁとは思っていたが
3は妥当な線やと思うねんけど。
この半年ほどの4はちょっと甘いという判断。
本人もいつか治ると思ってるふしがあり
(これ以上、ひどくなるのを遅くすることはできても治ることはありえない)
その前向きさ。
80歳であと10年は頑張るという意気込み。
正直、ええような悪いような・・・ 前向きっていう点だけは、
お父ちゃんナイスやでとは思うが
ただいまの私にとっては
子供が5人いてるようなものは結構と大変です。
我が子3人+実家の両親 しょうもない夫婦喧嘩をして
両方で私に我がの意見が正しいと主張するとこは
まるで子供の喧嘩。
思わず「あ〜〜もぅうるさい!」と怒鳴る私。
実家に行くたびにこれもどうなんって思うが、
年を重ねるということは切ないものだと、
眼科外待合でよその高齢者を見つつ
我が親をそこに重ねた本日。 私の右目網膜はとりあえず落ち着いているそうだ。
これもまぁ、今落ち着いていてもいつはがれるかわからん話やん。
実際そうやったし。
網膜に限らず、網膜がはがれんでも他の箇所が突然機能せんようになったり
感度悪くなることもありよな。
そう思うと、
高齢であろうとなかろうと日々向上する気持ちで生きるべきよな” 13 10 158㎝になりました。 “
中3の長男の新学期測定での身長。
クラスの男子の中で一番低い・・と嘆いてはいるが
着実に伸びていることに安心。 なんせ、未熟児で生まれ保育器の中で外の空気に耐えられるまで待機し、
1歳の誕生日までは入退院を繰り返し、
満1歳の誕生日1週間前に無事に退院。
初めてしゃべった言葉が「点滴」やった彼。 年少で入った幼稚園では夏休み前までは
週末になると発熱。
毎年11月になるとロタウイルスにやられ入院。 小学生になりスイミングを始めた頃からだんだんと丈夫になり、
いまでは皆勤もの。
中学では性格的に無理といわれたバスケ部で
初日に指骨折。
それでもバスケが好きというだけで
ずっと続けている根性は人並み以上。 自分の世界を持っているゆえ、
人に流されることないところの根性は
我が息子やと賞賛。 そんな彼がやっと私(150㎝)の身長を抜いて、
8㎝も差をつけたことは喜ばしいことですわぁ。 中1になった次男坊主は148㎝だという。
「え~~10㎝しか違わんやん」とショックしている。
「10㎝でええやん」
「20㎝は差がほしい」ってなんでやねん。 密かに私は心配している。
次男坊主は身長のわりの足のサイズがでかい。
いずれ、兄ちゃんは抜かされるのではと心配している。
弟より絶対に勝っているという勉学で兄の威厳を保つしかないかもね。
受験生やし頑張ろうか。” 08 クラス替え “悲喜こもごもってやつかなぁ。
娘はいろいろ思いがあるようで、
てか、毎回、クラス替えのあと悲喜こもごも、悲になりはる。 長男はというと、
妹・弟が同じクラスという組み合わせにやたら驚いていた。
よくよく考えると
中3と中1の兄弟が多いので
兄弟で同じクラスってそない驚くことではなく
それがいままでなかったことが不思議なぐらい。 私が席を置くクラスではないし、
メンバーを見てふ〜〜んって思うしかない。
気になるのは担任で、
娘は高1のときの担任やし。
どうなん?って感じやなぁ。 長男の担任はおばちゃん先生らしい。
本人いわくにいい先生やと云うからいいんやないやろか・・と。
他のクラスの担任になった男性の先生がいいかどうかもわからんし
おばちゃんでもいいやん。
2年の担任でなくてよかったやん。
なにが悪いってわけやないねんけど
私のほうがはるかにオトコらしいって思ってしまうタイプの男性教諭やったので
ちょっとご遠慮願いたい。
ん・・それを云うと
今回の娘の担任も
私のほうがオトコらしいよなぁ。 見渡せば、
小学校の男性教諭のほとんどが
私のほうがオトコらしいよなぁって思えてしまうのに
今さらながら気づいた。 娘が中3のときに担任(すでに異動でよその学校にいてはる)は
よかったんやけど。
ああいうタイプの先生はなかなかおらんな。
熱血ではなく自分の世界を持ってはる。
その世界観が私は好きやってんけどな。 新しい年度、まぁ、頑張ってと・・・” 07 サクラ咲く、入学式 “卒業式もいいお天気で暖かく、
今日の入学式もお天気よく暖かく無事に終了。 お下がりの制服のおかげか
他のお子様に比べたらダボダボ感がなく馴染んでる。
お下がりの制服を着ているお子様は他にもいてはるであろうが
さすがに通学鞄のお下がりはうちのボンぐらい。
すっかり中学になじんでるからいいやんと適当にごまかす。 30分ほどの入学式のあと、子供たちがクラス写真撮影の間
保護者は先生方からお話をきき、
その後、教室に移動。 プリント類と教科書の配布に30分かけ12時に終了。
背の高い子や小さい子やバラエティに飛んだクラスで
まぁ、うまいことやりすごすであろうと
クラス編成も担任の先生もまぁええんやないかと
早々に帰宅。 新学期というのは子供が山ほどのプリントを持ち帰り
あれこれ書き物をしなくてはいけない。
こんなこといつまでするのやろと思いつつ、
とりあえず、本日入学式の次男坊主の分を済ませておかなくては
明日は上2人が持ち帰る。 高2の娘に始まって中学の間は
ずっと男性の先生の我が家。
今日の次男の担任は保健体育の若い男の先生。
若いっていうても30を出たとこだという。
うちのボンは初めての男の先生。
20日から家庭訪問がはじまるらしい。 ゴールデンウィーク明けが家庭訪問と思ってた(これは小学校の話やった)私は
ちょっとあせる。
4月は息つく暇もないって感じ。
なんせ、その20日からの週って
中学の参観及びPTA総会(広報委員さんをするので出席しなくちゃいけない)に
高校の進路保護者説明会もあるぞ。
なんとかやりくりするしかないねんけど。 っで、やっぱり気になるのは明日の長男のクラス編成と担任。
特に担任は重大よなぁ。
適切な進路指導をしてくれはる担任がよろしいわなぁ。
経験豊富で厳しめな男性教諭がよろしいかと・・
クラス編成は私にはさして関係ないし、
ここの学年はわりと出来のいいお子様が多く
悪さしいも少ないからそんなに心配することもない。 いや〜しかし、明日から学校も開始と春本番ですわねぇ。
サクラも満開やし。
何があっても季節は巡ってサクラは咲く。
この普遍性にはほっとします” 04 入学式まじか。 “すっかり忘れていたが、来週の火曜日は入学式。
入学に備える制服等をほとんどお下がりで調達した次男なのだが、
ズボンのすそ上げの仕事を忘れていた。 これはいかんとズボンを穿かせ丈を見る。
昨年暮れまで長男が穿いていたズボンをお下がり。
一旦すそを解いて、洗濯したものの折り線は残ったまま。
長男入学時の寸法なのだが、
どうもそれでいけそうなので
結局、元の寸法に直す。 上着も長男のお下がりでOKやし
中のポロシャツだけは入学式用に1枚新品を調達。
洗い替えはお下がりという段取り。
長男の制服を次男に譲ったため
3年生になる長男も近所の人から貰い受けたお下がり制服に
身を包むことになる。 これがちょいとデカイ。
なので兄弟揃って、制服に占領された風で学校に行くことになる。
おまけに同じ部活に入るらしいし。
同じ部活に入るほど仲がいいわけでもなく
寄れば喧嘩やのに大丈夫か・・・ 卒業式のほうが重みがあるように思う私は
入学式はやっぱり行かなあかんか・・と云う気になりつつ
それが見えたか?
次男が
「入学式って何するん?母さん来るん?」
「教科書を貰う。行くつもり」と答える。
つもりやなくて行くねんけど。
ちょいと行ってこよかという感じよなぁ。 とはいえ、ジーンズってわけにはいかないので
これまたタンスから適当な洋服をピックアップして
アイロンがけ。
ようもまぁ、20年以上の前のワンピースを着て行くよなぁと
我ながら思う。 次男が
「母さん、どっか行くん?」って。
「入学式やん」
頼むで。 私は次男のクラス替えにはなんら心配することはない。
どこなとほいほい友達を作るというのは
これはもって生まれた技か?と。
それに比べて、新しい場所になじむのに時間がかかる長男の
クラス替えと
受験生になるゆえ担任が気になる。 なにはともあれ、来週半ばにやっとこ学校が始まるのが待ち遠しい
中学校に息子2人お世話になるので
今期は広報委員さんを受けさせてもらい、中学PTA新聞作りに精を出す。
PCがいらえるってのでお声をかけてもらったため、
私の担当さえこなせばあとは融通をきかせてもらえるということで
お引き受けさせてもらった” 03 気がつけば4月 “まだまだ、ダウンを着ている人がいてる中、
暦は4月。
桜の季節。 本日も実家の父の病院介護ヘルパーに行ってきた。
相変わらず白血球の数値が高いとこにひっかかる医者。
本人はいたって元気やし、
せきが出るっていうたかて
私のほうが出ている。 とりあえず、タンを取って調べるからということで
いつもどおり脳梗塞後遺症の薬を30日分処方してもらう。
高齢者はタンによる窒息死もあるそうで・・・
やや子(赤子)と一緒やとつくづく思う私。
院内の後期高齢者保険証の案内ポスターを見て
鞄の中の父のそれを見て
「へぇ〜これって75歳以上のものなんやなぁ」とつぶやくと
「そうか・・・」と
「らしいで。知らんかったん?」
「11月で1歳や。81歳」って
話かみ合ってへんがな。 1歳に食いつく私。
「ほんまやなぁ、1歳やなぁ」って1歳を強調する。 会計も終わり、いつもどおりにタクシーを呼んでもらう。
偶然にも行きで乗ったタクシーと同じタクシーが来てくれはる。
病院のドアを
父をつれて出ると朝のタクシーのおっちゃんが笑って立ってはる。 月曜日のタクシーのおっちゃんは行きも帰りもいまいち愛想なしやったのが
今日のタクシーのおっちゃんは愛想よしで
車に乗り込むと
「家まで?」と云って時計を見て
「だいたい1時間ぐらいやったなぁ」と。 左が不自由なので左側に右足から乗り降りしないと難しい父の状態を把握していて
帰りは降りやすい方向にとめてくれはる。
こういう気遣いはほんま有難い。
次もこのおっちゃんを指名したいぐらいやなぁと思う。 実家に戻って1週間朝昼夕夜と分かれたピルケースに
薬の分別をして、
いつまでたっても返事が来ない身障者手続きにしびれを切れして
尼崎の市役所にちょっときつい電話する。
尼崎の市役所じゃ話にならず兵庫県の福祉課に電話して
「仕事、遅すぎですわ」と云う。 ほんま、去年の年末に申請してるねん。
まだ手帳が発行されへんって、仕事が遅すぎやという文句。
おまけに
「失礼ですがお名前いただけますか?」と聞かんと名乗らんという失礼なヤツ。
こっちの名前を聞いた時点で名乗れちゅうねん とまぁ、今日は朝から血が上りやすくなっている私はぶち切れ。
血薄いし、血を流すポンプ役の心臓の力が弱いちゅうのに、
こういうときは一気に血が上るもんなやなぁ。
血の勢いもないし、肺活量もないのに気合だけで生きてるって怖いわ。 3月の次男のミニバス、お別れ会でのバスケ遊びのとき
笛を吹いたが、
そのときに私ってこんなに肺活量なかったか?というぐらい
弱々しい笛の音。
おまけに長く続けたいのに長く吹けない。
息が続かない。
この辺りがやられるとコテチンやな・・” 01 "すみません"やなくて"ごめんなさい"って云えんかぁ? “午前中、仕事で心斎橋に行った私は
遅い昼食用の菓子パンを買って帰宅。 春休み中の本日、
部活オフの長男は友達と映画。
長女はお昼前から部活。
一人暇な(影でぷ〜太郎と呼んでる)次男は
毎日のように午後からふら〜と遊びに出る。 で、鍵を開けて入った家の中がやたら暑い。 もしや・・とストーブに直行。
やっぱし・・・赤いランプが付いたままやし。
電源オンのままやん。
最後に家を出たのは次男。
即、次男の携帯に電話。 「ストーブ付けっ放しやんかぁ」と窘める。
「えっ・・あっ・・うん」って
「うんとちゃうやろ」って窘める
「すみません」って
はぁ
「すみませんとちゃうやろ他になんていうん」
「ごめんなさい」って やっと"ごめんなさい"やで。
ヤツは悪さしても
"ごめんなさい"とは云わず"すみません"と抜かす。
そのたびに
「すみませんとちゃうやろ」って窘める。 ネットで調べると
"ごめんなさい"というのは謝る相手より自分のほうが下という意識が働き
なかなか云えず"すみません"になるらしい。
ヤツは私の息子や。
当然、"ごめんなさい"やろと帰宅したらコンコンと説教や 人のフリ見て我がフリ直せやなぁ。
私も相手が誰であっても"ごめんなさい"って云わな・・と反省。
そういえば、とっても素直な長男は
自分に非があるときは"ごめんなさい"って云う。
自分に非があると云われても納得できんと謝らんけど。
なんで同じ兄弟でこうもちゃうか
親の顔が見たいわって思うが親は私やん。 なんかなぁ、強情さが私にそっくりな次男やから
ヤツが"ごめんなさい"って云わんのも
私が育て方が悪かったのかとこれもまた反省やん。” | 3月 30 初めて知った言葉『誤嚥』 “風邪ってので先週の金曜日に引き続き、
今日も尼崎まで出向き父を病院に連れて行ってきた。 念のための採血の結果、
細菌の値は正常値に戻っているにも関わらず
白血球の値が多い。
のどの赤みもましになっているので
風邪対策の抗生物質は一旦停止。 脳梗塞を患った高齢者は『誤嚥』による肺炎を
起こしやすいらしい。
『誤嚥』なんて初めて知った。
早速ネットで調べてみた。
脳梗塞を患った高齢者は
咽喉の動作が不安定で飲食物が気管に入りやすい。
そのときに飲食物の細菌が気管に
紛れ込み肺炎になったりする。
それを誤嚥による肺炎というらしい。 白血球の値は気管支炎や肺炎を
見つけるためのものでもあるらしく、
誤嚥によって白血球の値が高くなっているのでは
という主治医の診たて。
そういえば、食欲は一人前の父は
よ〜食べる。ってかあまりかまずに食べる。
お茶はよくむせる。
まさに誤嚥やんってことで
帰りのタクシーの中
「なぁ、ゆっくり噛んで食べやなあかんで」と言い含める。
「うん、うん」って
調子のいい返事してるがわかってるのか? お昼時に実家に戻り、
母が用意してくれたちらし寿司を食べたが
ほれ〜よ〜噛んでへんやんと窘める。
頼むでぇ。 肺炎というのは風邪ひきによるものだと思っていた私は
誤嚥による肺炎ってのもあるのを知る。
父のおかげであれこれ勉強できるわ。 子供のときからず〜と不思議やった血圧計。
水銀製の血圧計。
聴診器を当てて空気を入れて圧力をかけて・・って
昔ながらの血圧計。
あれはどうやって血圧がわかるわけ?って
不思議やった私。
昨年、入院中の父に付いてくれてはった実習生の看護士卵の女の子に
こっそりと教えてもらったのだ 東大阪から尼崎まで1時間半もかけて通って、
大変なばかりではなく、
あれこれ勉強することもある。
これもまぁ、父のおかげやな。
しやけど、今日の主治医の先生。
私が東大阪から来ていることを知っていながら
「じゃぁ、次は金曜日に連れてきてね」って簡単に云わはる。
まぁ、この先生は詳しくいろいろ説明してくれはるから
私は気に入っているのでいいねんけど。
神戸大学出でPCを駆使してはる。それもMacやし。
診察室には液晶モニター2台に
キーボードが一つは真っ白でおしゃれなPCや。
医院も清潔で苦にならん病院ってのもいいわ 昨年、12月に入院してた病院は
震災も乗り越えたと云わんばかりの古い病院で
建物中が消毒液の匂いに包まれていて、
そこに2時間でもいて帰宅するとセーターがその病院の匂いってので
私は苦痛で、
早くここから退院させたろともくろんだ。
それを思うと今日の医院はマイナスイオンの空気清浄機も常設で
トイレだって広々と清潔感いっぱい。
てなわけで金曜日も遠路はるばる尼崎やわ” 28 alookでめがね購入 “昨夕の眼科検診で、めがね買い替えのお達しを頂戴した次男坊主。
ずっとかけてきためがねは
子供用フレームだったので
中学生になる彼には小さくなってきているのもあるし、
中学生になったら本気で勉強頑張ってもらわな
3年後の高校受験が大変。
そのためにもめがねは必須とありがたく処方箋を持ち帰る。 今まではご近所にある大手メガネ屋さんがご用達となっていたが、
眼科医が言うには
「成長期にて背が伸びるのに比例して目が大きくなり
近眼は進むのでそんなに高いめがねでなくてもよい」とのこと。
っで電車賃はかかるが梅田のalookに行く。
レンズの指定がなければ5,000円で購入できるが
なんせ近眼度が中度とのことで
レンズが薄い非球面の真ん中ランクのものをチョイス。
それでも、いつものめがね屋さんなら3万円はいるであろうが
フレッシュマンフェアとかで20%OFF適応で1万円でお買い上げ。 1万円なら私もと思うが、フレームに悩み。
まぁええか・・と断念。
次男坊主の選択に付き合ってたら疲れてもうて
私のまで考えるエネルギーを消耗してしまった。
それに私は処方箋もないから
現存のこのめがねを参考に作ってもらう形になるし、
このめがねは左右の度数差が顕著でこのあたりの説明をするのが面倒になってきた。
やっぱり自分のめがねは自分のを買おうと思って出向かなあかんなぁ。 っで予算を大幅に安くで買えたので
めがね出来上がりの30分待ちの間、
茶屋町界隈を次男坊主と歩く。 したら、学校行き用にちょうどいいスニーカーが安くで売ってはるのに
食らいついた彼。
先日卒業式用にと買った靴があるが
あらくたなヤツはすぐにごてごてにするやろうし
この際やし
「ええで、買ったるわ」と気前のいい私。 次男もやけど長男もやんって
部活行く前の長男に電話。
靴のサイズと好みのメーカーと色を聞く。
学校行きは白を主体ということなので色っていうのはラインの色。
したら27センチっていうし。
私、21.5やのに。
とまぁ、Nikeの黒ラインの27センチのをお店の兄ちゃんに言う。 次男はadidasがいいらしく、その25センチを探すが
25センチというのがレアなサイズらしい。
24.5までならレディスで買えたものが
25はレディスにはないと言われ、
メンズは25が少ないと言われる。
商売上手な兄ちゃんは、
adidasの26をもって来て
「adidasはちょっと小さめやったりするんですわぁ」と
ほんまかい? っではかせるが指2本入るやん。
「あかんわぁ。指に2本はあかんわぁ」というと
ちょっとまって・・・と奥に引っ込み
「これはさっきのより小さめなんすわぁ〜」と
adidasの26センチをもってきはる。 兄ちゃんに言うとおり
指1本やん。
本人に聞くとこれでいいっていうし、
「ほな、これにするわ」と
スニーカー2足お買い上げ。太っ腹やわぁ〜〜 5月に修学旅行がある長男。
ヤツに服も買ってやらな・・・と
次男坊主の出来上がっためがねを受け取りuniqloへ。 本当はジーンズを買いたかったが
これは本人がいてないことにはあかんやろと
パーカーとTシャツ数枚をチョイス。
5月の沖縄って何を着るのやろと長袖と半そでとを買ったがいけるか?
まぁ、またそれまでに本人連れて買い物やね。
てか、この本人、素直ちゅうか、こちらの思うままの格好か
もしくは着ててしんどくないものでおしゃれゴコロが皆無。
いかんなぁ。
勉強できるのは嬉しいが、ちぃ〜とはおしゃれゴコロも持とうやと
今年はこやつを改造すると決めた。 次男坊主はチビのくせにおしゃれゴコロはお持ちで
それよかちょっと勉強してくれやぁ〜なのである。 とまぁ、散々した本日。
私のものなんて一つも買ってないやん。
母はつらし・・・” 風邪って・・・ “実家の父の介護ヘルパー(勝手にそう呼んでる)の昨日。 朝の7時前に自宅を出発し
近鉄〜地下鉄〜JR〜尼崎市バスと1時間半かけて
実家に到着。
診察券と後期高齢者保険証を手に
徒歩で内科と泌尿器科に診察券を出し
再び実家。 その後、タクシーを呼び、
父を連れてワンメーター範囲を巡る。
立派な介護ヘルパーやん。
外待合で決まって話しかけられる。
父は言うわけです。
「娘ですねん。よ〜やってくれて・・」って涙ぐむ。
もぅええって・・・・ その同じ口で
「お前も白髪が増えたなぁ。苦労してるねんなぁ」って
誰が苦労させてはりますんてな感じですわ。
まぁこれもええねんけど。 それが3,4日前からせきと鼻が出るって云うから
内科でそれをいうと
血液検査をされ
「白血球の値が少し多い。
たぶん風邪やろうが脳梗塞の人は(てか高齢者はとちゃうんか?)
免疫力が弱ってるので
抗生物質を出しておくが
それがきちんと効くかわからないので
来週の月曜日にもう一度連れてきてください」って え〜〜〜
熱もないしどうみても大したことないやん。
三寒四温の季節柄、風邪もひくやろ。
そない大層にせんかて・・・って思う私。 それに月曜日の午前中って生協やし。
時間的に無理やんかぁと思うが
春休み中にて生協は次男坊主に任せることもできる。 内科の先生は
「月曜日と金曜日」と来週2日も要求しはる。
しゃ〜ないと
「連れてきます」と云うたが。
ほんま、ただの風邪やん。
五臓六腑、めちゃ健康やのにコレぐらいのことでどないもこないもなりまへんって。
私のほうがどないかなりまっせと思う。 泌尿器科でも何回かに1回
エコーでおしっこの残り具合を診てくれはる。
昨日はついでに肝臓やら腎臓やらその辺の臓器も見てくれはって
「きれいなもんや」と
でしょ〜〜きれいなんすわ。
五臓六腑どないもなってまへんがな。
あんだけお酒を好み、タバコをガンガン吸うてて
「きれいなもん」やねんも恐れ入ります。
五臓六腑問題なしといわれる傍らで
心臓の力弱いし血糖値低いし貧血やしていう私のほうが
早く逝くかもよ・・・って
そのうちコテチンってなったらこの親父はどうなるねんやろって あかんあかん。
私はまだまだやりたいことがてんこ盛り。
頑張りまっせ” 27 阪神なんば線に乗ればいいのに・・・ “
娘が近所の友達と三ノ宮に遊びに行ったらしい。
私の感覚では
京都に行くのも三ノ宮に行くのも
阪急電鉄利用と真っ先に頭に浮かぶ。
っが、ココからだと阪急利用は一旦梅田に出やなあかん。 この際、阪神なんば線が開通したばかりやねんし
当然、それに乗って行ったもののと思っていたが・・・
なんと鶴橋でJR環状線~大阪駅乗換えでJR神戸線で行ったらしい。 なんでやねん。 「そやかて、わからんかってんもん」って
2番目に近い最寄駅からは
今までは難波行きだったのが
尼崎行き(阪神尼崎)が走ってるやん。
それに乗って、尼まで行って
そこから急行でも特急でもなんなと乗ったら
阪神の三ノ宮に着くやん。 私の実家がJR神戸線沿線。
なので、彼女の頭には
ばあちゃん家に行くのに西明石行きだとか
網干行きだとかに乗れば三ノ宮に行けるルートのみ。 1番目に近い最寄駅からでも
野田阪神から阪神電鉄乗換えで三ノ宮って手があるやん。
JRがあかんとは云わんが
PiTaPaで行ける路線を使おうや。
オートチャージ機能をつけてるから別にええちゃ~ええねんけど。 せっかく阪神なんば線が出来てんやし、
ここは当然、阪神なんば線利用やろ・・・ 女脳は地図が読めんという本があったが
あれもアテにならん。
女脳も男脳もないという話やし。
地図が読める読めんは男も女も関係ないやろ。
なんしか、うちの娘は地図が読めんわぁ~~” 26 最後のお稽古 “幼稚園の年中さんから高2の終わりまで習い続けてきたお習字を
本日をもって終了した娘。
一緒に習っていた友達も高校生になり辞めていったが
なかなか辞められずにいた。 途中、生徒さん減少で娘のみとなった時もあり、
そんなときも一人通い続け、
姉ちゃんに続けと長男・次男も習い始め
息子2人は今も継続。 教えてもらっている先生とも仲良しになっているだけで
なかなか辞める決心もつけずにいた。
高校生になって部活を終えてからのお稽古に
時間が間に合わず休むことが多くなってきたのと
とりあえず、この春から受験生になるので・・・という理由らしい。
中途半端に辞めるなら反対もするが
10年以上も続けたこと。
とりあえず、一旦休止として
また習いたくなったら始めたらいいと
私はとくに何も云わず、
先生からは長いこと習い続けてくれたと感謝のメールを頂く。
まだ息子2人がお世話になるので
今後もよろしくお願いしますとお願いする。 この桜の季節。
学生のときは別れと出会いの季節として
悲喜こもごもな気持ちになる。
大人になると
この桜の季節にそんな感情も薄れていく中、
今年は次男の卒業。
娘のお習字のお稽古終了。
別れと出会いの季節を子供に便乗して感じている。
いつまでも感受性豊かに過ごしたいしねっ。 てか、受験生たって短大進学志望。
短大進学ならそんなに必死に勉強せんかて行けるはずと思うが
そうも行かない現状の娘。
高校受験のときは一緒になって必死に頑張ったが
今回は自分で頑張ってと思うばかり。
なんせ、もう一人受験生を抱えている。 春から中3になる長男の高校受験。
こっちのほうが重大なわけです。
レベルの低い中学で常に450点以上は取っているのが
世間一般にどれほど通用するかってとこ。
娘に比べたら高校選択の幅は広い。
それがかえってプレッシャー。
周りの目がプレッシャーよなぁ。
娘のときよりしんどい1年になりそう・・・” 19 卒業式 “18日に無事、次男、小学校卒業
ん・・・小学校やし普通にしてたら誰でも卒業できるとは云え、
めでたいことには違いない。 娘、小学校入学から数えたら11年。
一昔ですわぁ。
前半は下2人が乳幼児時期であり、参観日以外に出向くことがなかったが
次男が1年生になったのを機に
身動きが自由になった私は
どっぷりとPTAに足を踏み入れる。 最後の1年なんて、
職員室で名前を知らない教員は居ないという状況。
職員室ならず、保護者間でも名前が一人歩きをするという状況。
おっそろしぃ〜〜 いやはや、別に悪いことをしたわけではないのだけど、
悪いことをした人に警鐘を鳴らし続けたという
これは昨夜、府教委の方に言われた言葉。
学校の為に警鐘を鳴らし続けられてと
表向きは感謝の言葉。
いや、ワンクッションをおける立場の府教委なのと
何度となくお話している中で真実味のある言葉をおっしゃられるので
額面どおり受け取ってもいいであろう。
そんなこんなで、
1年間どっぷりシャウトし続けたことは
とりあえずは年度末ということでのケジメをつけていただいた。 そんなことはさておき、
昨日の卒業式。
体育館が寒かったらあかんとワンピースの下に
半そでと長袖にTシャツを2枚も重ねていた。
長い長い式も終わり、
体育館を出て、教室に戻った子供達を中庭で待つ。
だんだんと汗がにじんでくる。
寒くなくよかったものの、ちょっと暑すぎやん。 あれこれと知った人と話をしつつ、
クラスごとに出てくる子供達が正門から巣立っていくのを
花道を作って見送る。 ミニバスの男子の顔が見えると
思わずニックネームで呼ぶとニヤっと笑って手を振ってくれる。
よその子ながら可愛いと手を振り返す。 そんなこんなで正門から出た子供達が通用門から戻って来て
撮影大会。
あちこちで写真を撮って
これで十分と帰宅したら13時。
ヘトヘトになった一日。 11年間のあれこれが思い出されるかとおもいきや、
そんなこともなくあっさりとしたもの。
23日にミニバスのお別れ会があるので
多分、そのときに最後、体育館でバスケをして夕方日暮れ時間帯まで
過ごすので
きっとその帰り道に寂しくなるのだろうな・・・と。 夕暮れ時というシチュエーションはあかんわぁ” 02 念願の一勝 “昨年夏の終わりに発足したミニバスクラブ。
28日の卒業大会をもって引退。 発足から半年。
練習試合ではことごとく負け(唯一、一つ下の学年での試合で勝利)
どうなることかとおもいきや、
本大会、念願の一勝を果たす トーナメント戦の対戦相手抽選に出向いたのは私。
最後の最後に学校名を呼ばれ、
最後の一枚が運良く、同じレベルの対戦相手となり、
大会一勝がぐんと近くなった。
大会一勝を目標に練習に励むも
1月末からインフルエンザ大流行で学級閉鎖が相次ぐ6年生。
最後の最後まではらはらしながらも
当日はなんとか全員揃い、いざ出陣。 先生も勝ちに行くとおっしゃられている。
わが息子は出してもらえるかもらえないかの際どいあたりをうろうろしている。
背が高ければそれなりに絵もかけるが低いし、
技術もめちゃくちゃ下手でもなければ上手くもない。
際どいあたりなので
出してもらえないと踏んでいたら、試合開始とともに出てるやん
うっそ〜と応援にも熱がはいる。
後で聞くと、
「お母さんの声、聞こえたでぇ」と云われる。
なんとかフリースローも決め、
シュートも決め、
出してもらってとりあえずの仕事はこなす。
1クオーターのみに出場ではあったが、だしてもらえただけで有難い。 我が息子のみなならず
他の子供たちも半年間でぐっと成長しているのが嬉しい。
練習にも立ち会ったりして、
ぐっと身近になった男の子たちは
コートの中で顔つきも変わり、オトコマエやん
念願の一勝に先生も保護者も歓喜。 この試合が事実上、引退試合でミニバス解散となるのは
本当に寂しいが仕方がないよな・・・
出会いと別れはセットものやもんな。” | 2月 25 懐かしの友 “先週末に短大の友達からメール。
月曜日に天王寺に出てくることがあり会えないか?と。
明石在住の彼女とは短大で出会い、
以後、独身時代はちょこちょこ遊び、
結婚後は娘が生まれた時に会ったきり、
年賀状のやりとりで、縁を繋いでいる。 子供も大きくなり動きが取れやすくなった私たち世代は
昔が懐かしくなるのか
今年の年賀状には
「面影があるうちに会いたいね」
なんてメッセージがあり、
みな、同じ思いなんやなぁと思った年初めだったよな・・・
とまぁ、無事におおかた15,6年ぶりの懐かしの友と再会。
その前に待ち合わせ場所の連絡に携帯でしゃべった声が
昔と全然、変わらない。
声ってほんま変わらんなぁと嬉しく待ち合わせ場所に向かう。 そうそう、私が学生だったころには携帯電話なんてなく、
仕事がはけた後、大阪駅前で待ち合わせたときなんて
どちらが先であっても来るまでただ待つって状況。
今なら、
ごめん、今、会社出たとこ
だとか
ちょっと遅れる
だとか
そんなメールも送れるが
その頃は、待ち合わせ時間に間に合うように行けるかと時計を見ながら
最後の仕事の手を動かしていたよなぁ。
そんなことを思い出しながら、
懐かしい彼女と会う。 電話の声もやけど、実物も変わらず。
話題こそ、子供のことや親のことやけどネタに尽きることがない。
そうそう、去年の夏、
私たち出身短大のオープンキャンパスに娘と足を運んだ時の話で、
「何か一つ役に立つことを身につけたらいいよな」って意見が一致。
いまどき、使わん英文タイプに奮闘したおかげで
その後、職場で役立ったという彼女。
私はこうやってPCキーボードを打つに役立っている。
英文タイプはよかったなぁ〜と納得。 夕方から小学校に行く予定がある私なので
昼食とその後のお茶の3時間ほどしゃべって
明石と東大阪に別れる。
また、会おうと約束をして・・・ いや〜ほんま、久しぶりで楽しかった” 17 なかなか下火にならないインフルエンザ “1月中旬以降から学級閉鎖が相次いでいる次男坊主の学年。
インフルエンザもそろそろ下火になってもよさそうなのに
A型、B型両方かかる子も続出で
相変わらず、インフルエンザの噂を聞く。 そんな中、今朝、やたらしんどそうな次男坊主。
熱をはかると37.9度
なので学校お休みですわぁ。 1月の終わりの発熱のときよりかは
頭が痛いとかもなく、元気そうな顔をしているが
周りはインフルエンザが蔓延しているので
夕方、病院に連れて行かな・・・ だから、学年閉鎖なりしたらいいのに、
5クラスある6年生、順番にくるくると学級閉鎖の連鎖を繰り返している。
規定とか決まりとかあるのか知らんけど、
そんなもん臨機応変に対応したらええやん。
だから、一向におさまらず、来週の最後の参観も欠席者続出とちゃうかぁ〜〜” 15 今年のバレンタイン “まさかなぁ〜と云う感じ。 次男坊主が本命チョコをもらってきた。
嘘やろと
「友チョコやなぁ」と親子で納得していたら、
いやいや、実はそれは本命チョコやったと
相手の女の子のお母さんから聞く。 っていうか、相手の女の子のお母さんもそんなこととは知らず、
私が
「お宅のお嬢から、友チョコもらったで」と云い、
どんなチョコやったかを云う。
「え〜それは本命チョコやで。
友チョコのラッピングは袋やもん」と。
「うっそ〜〜本命ってそれはありえんやろ」と私 だって、その女の子はめちゃ可愛いしお勉強もよ〜出来る。
おまけにわが坊主より10センチ以上も背が高いときてる。
ありえんわぁ〜
絶対ありえん話。 としばらくすると相手のお母さんからメール。
本命やと確認を取ったと。 世の中、わからんもんやわぁ。
うちの坊主のどこがええのか気になった私は
どこを気に入ってもらえたのか探ってもらう。 優しいとこらしい。
優しい男の子なんてよ〜さんいてるのになぁ。 っでわが息子には
「あんた、お返しちゃんと自分でしいや」とだけ云うておく。” 05 眼科の日〜術後丸1年 “今日はいつもにまして混んでいた。
毎回のごとくの眼底検査なので
15分おきの点眼を3,4回後、しばらくしてからの診察。
徐々に目の見え具合がぼやけてくるので
目を開けるのも面倒でつぶっている。 午前中の眼科なんて
私世代はほとんどおらず、ご高齢者さまばっかり。
そんななかで今日の混みようの中
いすに座っているのは申し訳ないと
最初のうちは席を譲っていたが
よくよく考えると私も病気やし
眼底検査のため
目もぼやけている。
足のご不自由なご高齢者さまならしかたないとはいえ
お口も達者な元気そうなご高齢者さまには
なにがなんでも席を譲らんでもいいやろと
思い、今日は座っていた。 本を読むにも目が見えないから無理やし、
目をつぶるしかない私。
9時から2時間経過して11時ごろにやっと受診。
特に変わったこともなくで
即終了です。 1年前の今日、手術をしたのを思い出す。
それより、今日は娘の誕生日。
セブンティーンですぜ。
青春真っ只中ですわ。
よろしいなぁ。
せえだい、楽しんでおくれやすと思う母です” | 1月 26 25 16 父の病院介護 “
昨日は父の病院付き添い介護。
私がしなくてもヘルパーさんを呼ぶって手もあるのやけど、
出来る時はと朝7時に家を出て尼崎に向かう。 この時期の7時って完全に朝になっていない空模様の中
地下鉄を乗り継ぎ
空が明るくなっているのを見たのは
JR尼崎の手前、JR東西線が地上に姿を現し、神戸線へと移行する手前。 JRを乗り捨てて市バスに乗り実家着。
のんびり、朝ごはんのおかゆさんを食べている父に
「えらい早くに何しにきたん?」って。
何しにきたんてぇ〜〜こけるわ。
「今日は病院やん」って云うと
「今日はデイサービスでぜんざいよばれるねん」って
話が交わらん。 とにかく、診察券を先に出してきとこと、
実家から徒歩5分ほどの内科、そこから5分ほどの泌尿器科とまわり
また5分かけて戻ってきた。
「爪が伸びてるねん」って父
「せやなぁ、大晦日に切ったきりやもんなぁ、そろそろ伸びるわな」と
爪を切ってやる。 「くその役にも立てへん左手、爪だけは一人前に伸びよるなぁ」と
毎回同じことを云う私。
「ほんまやなぁ」と同じ返事の父。
こんな憎まれ口の冗談は実の父やから云えること。 移動はすべてタクシー利用で実家〜内科〜泌尿器科〜実家で
お昼過ぎまでかかる。
途中、泌尿器科の待合の椅子に座るとき、足の運びがおかしくなり
倒れかけた父を抱き起こす私。
周りのおっちゃん、おばちゃんの注目の的ですわ。 待合室で長いこと待たされると辛抱しきず文句を言い出しそうになる父に
話題をふり、気をそらして平穏に待たさなければならず、
ほんま子供と同じ。 60歳を還暦というのも、いまは、80歳で還暦なんとちがうか?
いまどきの60歳は還暦ってイメージやないやん。
そんなことを思いつつ、80歳の父の相手をする私。 戻ってきて母が作ってくれたお好み焼きを食べ、
今度は薬局に処方箋を持って薬も貰いに行く。
そして、ピルケースに種分け。 その間、病院めぐりで疲れたのか、居眠りをこく父。
ほんま、子供と一緒やがな。
私はまた1時間半かけて子供の待つ自宅に帰らなあかんのに。 せやせや、
内科の待合で成人式の話をしてた時、
うちの娘、父にとっては初孫、
私によ〜似てるから可愛い〜てしゃ〜ない孫。
3年後の成人式の着物を買うとか買われへんとかって話。 「こんなんになってもうて、お金よ〜さん使ってもうて
着物買ってやられへんようになった。
成人式で着物着たいやろうに・・・」と泣き出す父。
「いや、泣かんでも。
そない高いもんでなかったら買えるで」と買ってもらう算段の私。 てか、まだ3年あるし、
てか、娘の成人式までご健在の心積もりか、
それって私の介護が続くってことか、
いや、早くにどないかなってほしいとは思わんけど
思わんけど、
どうなん?って複雑な心境が正直な私。 やっぱり、私は60歳ぐらいまで生きたらいいか、
それぐらいでケリをつけたいなと切に願う。” 11 寒い中、思い腰を上げました。 “次男坊主の制服(制服はお下がりなので小物)を申し込みに
中学校の図書室へ行ってきました。 娘のときは、制服申し込みは小学校の体育館だったのが
今は中学校で催されています。
といっても、今まで2回とも私は別の日に直接お店に出向き
個人的に申し込んできたので
今回初めて制服申し込み日に足を運んだわけです。 2日目の終了30分前ということもあり
2,3組の親子がいてはるだけやし
うちは体育館シューズと上履き(というてもスリッパ)の
サイズ合わせだけなので早々に終了。
これで末っ子も中学生になると
11年間通い続けた小学校とも縁が切れるってもん。 最後の最後になって、その小学校で
とんでもない問題が発生し、
いや、それを発覚したのが友人と私ということで
おかげで1年間、振り回され、いまだ解決されてへんっていうこの状況。 あきまへんで。
教育現場でのこと。
お金のこと。
きっちりしやなあきまへんで。
と思うのに、
自分に甘いちゅうか、ほんま大人ってずるいの一言に尽きる現状。 最後の最後にとんでもないことになってしまったが
私にしたら
この小学校にはどっぷり関わって
楽しいこともよ〜さんあったので
全体的には良かったかなぁ。
なんて、
末っ子の卒業式に私は泣くのかなぁ。
やれやれと嬉し泣きするかなぁ。 っていうか制服のない小学校。
彼はいったい何を着るのやろうか?
普段の格好で行くって云うやろうなぁ。
まぁ、彼ならそれもOKかと思う私。
ほんまは、彼の服まで考えるなんて面倒くさいこともういいやんなんですが。 私は何を着るのでしょうか?
やっぱりアレかなぁ。
と手持ちの服を想像する。
手持ちの服っていうても20年も前の服ですぜ。
まぁ、ええか・・・アレで。” 10 寒いから延期 “今日と明日は次男坊主の制服申し込みの日。
上着だとかズボンだとか通学鞄だとかは
お下がりで対応できるので不要。
ポロシャツを1枚新調と半そで体操服上下を2枚ずつ、
体育館シューズと上履きは買ってやらねばと
本日、中学図書室に申し込みに行こうかと予定したいた。 っが、あまりの寒さで明日に延期。 靴関係がなければ、こっちで勝手にサイズを書いて
申し込み用紙を子供に持たせるところが
靴は履いてみやななぁ。
あ〜〜面倒くさって思うわけです。 娘のときは、最初の子やし、女の子やし嬉々としてやったことが
3番めになると面倒くさっが先にくる。
私だけかしらと思う。
いや、別に末っ子が可愛くないわけではない。
娘曰くに
「お母さんがなぁ、そうやって甘いから悪いことばっかりするねん」とのこと。
可愛いのは可愛いねん。
一番小さいし、私に似て強情やし、おもろいし。
しやけど、面倒くさいのは正直な気持ち。 1月の末に参観があるらしい。
その後の懇談では、2月に行く、スキー学習の説明があるらしい。
っがそれ、火曜日。
私、その日は仕事ですもん。無理。 本人は「スキーの説明は聞いてほしいなぁ」と云うてる。
「説明って。姉ちゃんも兄ちゃんもスキーの説明は聞いたことない。
2人ともちゃんと自分で聞いてきて用意してたからあんたも出来るやろ?!」と
その日の参観・懇談はパスを決め込む。 その翌日は
中学校で入学説明会があると予定表に書いてある。
「ん・・この入学説明会も仕事やし、パスな!」と次男に云う。
「ええん?」
「うん。大丈夫。姉ちゃんも兄ちゃんも小中と入学説明会は行ってない。
なんら支障ない。
3月の卒業式は行くから」と
卒業式も私の仕事日とブッキングしてる。
これは、仕事の日を変えてもらうしかない。 3番めとなると、予防接種さえ娘のようにきちんと終えていないというのが現状。
その私の対応が反映されて今の彼(末っ子坊主)のええ加減さが形成されたのかもと
最近、思う私。” 09 PiTaPa認識されず・・・ “外をうろつくときってメガネをかけずに歩いたりする。
ずっとメガネをかけているのも疲れるので
どうしても必要(仕事やPCや料理やTVなど)以外は
外して過ごす。 外を歩くときって、知らないところに行く時は
案内表示を見る必要性があるからメガネ必須なんやけど
それ以外、知った場所なら別になくても歩ける。 そんなんで、今日、外出したとき、
駅の改札口でPiTaPaをかざした。
なんやいつもと違う音がなったような気がしたが、
一応音はなった。
なので、気にせず電車に乗った。
で今度、改札を出る時ですわ。 ピンポンピンポンって私を拒否しはる。
え〜なんでと思うが、
この、かざすやつって認識がきちんとできなかったりするって
新聞ネタになってたこともあるし、
駅員さんのとこに行く。 無愛想な駅のおっちゃん。
機械を操作して言うわけですわ。
「お客さん、乗車したことになってませんわ」って
改札口をきちんと通れていないって。
「え〜〜ちゃんと音鳴ってましたやん」って
機械のせいにしようとする私。 「もう一度、かざしてくださいってエラーメッセージが出たでしょ?」って
知らんがな!
見えんがな!
ってか、ちゃんとかざしたっていうか
ICって書かれてるとこに置いたし。
やっぱり機械が悪いのとちがうんかい!って思う私。
感度が鈍くなってるのとちがうか?と思う私。 かざさんと通ったんなら
無愛想なおっちゃんに無愛想に言われてもしゃ〜ないけど
ちゃんとかざしたがな。
とそんなこと云うてもしゃ〜ないし
「そしたらどうしたらいいんですか?」って聞く
「お金を払ってもらったらいいんですわ」っておっちゃん。
「いくらですか?」と現金で支払う。 今度からこれでもかってぐらい押し付けたるねん” 08 今日から学校 “それぞれに場所に出かけていきました。
私はまた、5時起きでお弁当作り再開。 小中学校は二期制なので、早々からお弁当&給食なのです。
これはありがたい話ですわぁ 今日は、父の生保請求の為の診断書を受け取りに武庫川の病院まで行く
途中の電車で本日から新学期だと思われる高校生に出くわす。
お昼前のことやから、この子たちの学校は三学期制なんやろうなぁ。
二期制やら三学期制やらほんまややこしいわ。
実家でみた新聞の地方版。
尼崎の市バスが経営難だと。
それで阪急バスに委託の話があったがそれがならずって記事。
そりゃ〜経営難にもなるで。
高齢者はただで乗れるってパスを配布して
お金を支払って乗ってる人ってほんま少数派やん。
マイノリティーってやつ?
私やん。 それもどこまで乗っても200円や。
尼崎の中、ぐるぐる回っても200円。
それだけでもココの近鉄バスに比べたら安いやん。
まぁ、近鉄バスは私営やからなぁ。 年末に障害者手帳申請用紙を持って尼崎に市役所に行った時もびっくらこいたわ。
ここ東大阪の市役所なんて
高層やし、屋上には展望フロアやレストランもある。
ものごっつい景気のええ市役所。
市の実情とは裏腹ってのがミソや
水道代高すぎやし
尼崎の市役所は古い建物やし、なんや薄暗い。
ぜんぜん違うやん。
そやのに、市バスは高齢者は無料バスが配布されてるって
そりゃ〜しんどいやろ。
経営難やろ。
どないなるのやろ?とよその市ながら心配しつつ、
その市バスに乗って
帰ってきた私でございます。 あ〜どことも不景気なんや・・・とあらためて実感。” 07 ドキドキした・・・part2 “昨日の夜。
晩御飯の後片付けをしていたら・・・
そう、一人黙々と後片付けするほどつまらないものはないので
iPodShuffleを買ってからは
Shuffleを耳につっこんで(Shuffle本体は耳には入らんけど・・・)
お気に入りを聴きながら洗い物をする。 そんな私の至極の時に
後ろから肩をたたく次男坊主。 真面目な顔で
「お母さん、あのなぁ・・」
と云う。 ここ最近、こやつが真面目な顔で
「お母さん、あのなぁ・・・」って云うた時には
よからぬことの告白続き。
私の心臓は一気に走り出す。
ドキドキ・・やん。
なんやねん。
今日から、ミニバスで学校に行きだして
またなにかやらかしたか?
止めてぇや〜
お正月早々・・・
ぐわ〜〜と私の頭は回る。 とにかくやなぁ。
話、聞かな・・・
と
「どしたん?」 「なぁ、お札って落書きしたら捕まるん?」
はぁ?
なんやそれ・・・ 「なんやの。いきなり。
誰がそんなこと云うてたん?」
「テレビで云うてた」
「え〜捕まるのとちゃうかぁ。よ〜知らんけど。
え〜〜あんた、もしかしてもらったお年玉に落書きしたん?」
「ううん。してへんで」
「ほんだら、今からしようかと思っててテレビでそんなんきいて
びっくりした?」
・・・・無言 頼むでぇ。 「もう。あんたが真面目な顔で何かいうたら
めちゃドキドキする」と私
「ほんだら、僕、ずっとふざけとくわ」
ん・・・・それも怖い。” 05 ドキドキした。 “
昨日の眼科。
息子二人は近視の進行度合いのチェック。
よ〜勉強している長男は、1年前とそう変わらず
今の眼鏡で大丈夫。
遊びほうけてる次男は、危うい状況。
なので春休みに再度チェックすることになる。
たぶん、ここで新しい眼鏡やろうなぁ。 っで娘。
私が網膜剥離を患ったのと、アトピーだというので
彼女自身、網膜剥離のリスクが高い。
なので、年に1回は眼底検査をしときましょってことでの
瞳孔を開いた。
約1年前、目の異常に気づき、ネットで調べたら
どうも網膜剥離らしいと思い、眼科医師の前に座った。
診断の結果を聞くときには、
なんら動じず、頭の中では私不在のときの段取りを考えていた。
ドキドキのかけらもなかったのに、
昨夕、娘の後ろに立ち、
念入りに眼底の状態を診ている先生を見ると
やたらドキドキしてきた。 娘にそれらしき兆候があったらと思うと
ドキドキもん。
この子は痛がりやし、あかん。
あんな手術は無理。
代わりに私の目でと願う。 結果、眼底はきれいですと。
まぁ、年に1回は検査しましょうと。 あかんわぁ。
自分の時は淡々とこなせるのに
子供はあかん。
私も親やねんなぁと思った瞬間。 で、会計待ちの間、
飛蚊症について娘に説明。
それらしき症状が出てくるのはたいしたことがない場合が多いが
稀に網膜剥離の始まりやったりするからと伝える。 ほんまあかんわ。
身近な人間が病気になられるのにとことん弱い。
自分の病気は平気やのに。” 年賀状 “
小中学校からの友達、高校の友達、短大の友達、働き出してからの友達からの
年賀状に
書かれてある
『今年こそ会いたいね』って言葉。 今までは、『元気?』と同じ意味ぐらいに感じてたのが
同じ言葉やのに
ほんま会いたいなぁと思う今年です。 自分がそう思うから
相手のその言葉も挨拶っぽいものではなく
ほんまにそう思ってくれてはると感じる。
いや、私の思い過ごしか勘違いかとは思うが、
いやいや、向こうもそう思ってはるにちがいない。 中でも
『面影のあるうちに会いたいね』なんて
ぐっとくるやん。
でも、これ、働き出してからの友達やから
小中学校の友達に比べたら、面影はまだ残ってるはず。
でも彼女は岐阜在住なわけで、
会うなら名古屋かななんて具体的なことを考える。 そういえば、去年早々の網膜はく離を経験したあと、
懐かしいの友達に会いたくて連絡を取った。
夏ごろにと思っていたら
父の具合が不安定になり、動けなくなった。
いや、動こうと思えれば動けたんやけど
そういう気分でなくなった。
それどころじゃなくなったってとこかなぁ。 状況は今も変わらずやけど、
この状況にも慣れたら、
やっぱり会いたいよなぁと
年賀状をめくりながら思う。 そういう年代になったってことなんやろうなぁ。” 感度鈍いぞ!! “
年明け早々、娘の眼科の日。
去年、部活でキャンセルした弟2人もついでに診てもらおうと
可能かどうか電話した。 予約をキャンセルするとかなり待たされる。
いや、予約をしていても最低1時間は待つ。
なので予約なしで受け入れ可能かどうか確認したく電話をした。
ついでに、部活から戻ってくるのに予約時間に遅れそうな娘のことも伝えた。 受付のお姉ちゃん。
めちゃ感度が鈍い。
っていうか、鈍いどころかトロイ。 話し方がのんびりしていても、ポイントをついたしゃべりなら許せるが
ポイントもずれてるがな。
めちゃいらつく私。
同じことを何回も云わせるし、
一回で理解しろっていうか、
お宅の眼科のシステムを熟知しているから
云うてることやねんから、
理解して当たり前やと思うが
理解できてるのかどうか?
「わかったはります?」って云いそうになるのをぐっとこらえ、
受話器を置く。 思わず、もっとちゃっちゃとした子を雇わな・・・と口から出る。 娘に伝えた予約時間と実際の時間が違うかったことにも気づき、
部活中の高校に電話する。 電話口に出た先生と思しき女性(おばちゃん)も
なんや感度が鈍い。
かなり待たされて、出てきた男の先生
(顧問の先生なんかなぁ。早口でよ〜わからん)も電話の応対がぱっとせん。
営業マンでないねんからしゃ〜ないとはいえ、
なんでこう高飛車なしゃべり方なんやろ? 学校の先生って、ほんま電話へたくそ。
社会人や。
電話の応対をまず習おうやと
学校に電話するたび思うねんけど。
人間相手のサービス業やんか、学校の先生っていうのは。 電話を切って一言、
社会人やろが・・・とシャウト” 04 年々お正月らしくないお正月 “
お節が登場せ〜へんのがあかんのかなぁ。
とは思うが。
いまだかつて、作ったことがないというこのお気楽な状況。
てか、私が食べたいと思うものがない=作りたいという気が起こらん。
それで済ませられるところに感謝です。 家族は私にはお節は作れないと思われているが、
悪いが、レシピとやる気さえあればそこそこのものは作れると自負している。 娘が云う。
お節のチラシを見ながら。
「修学旅行でこんなえび(頭のついたえび)が出てんけど
どうやって食べたらいいのかわからんかった。
こういうものも家で食べとかな、困る」と。
そんなものはおいおい社会に出つつ、
恥をかきつつ
よその人の食べ方を盗み見しつつ
身につけたらよろしい。
それに、知らないことは知らないと
正直に教えを乞えばいいねん。
もしくは、はったりをかます。 はったりをかますっていうても
まったくなにもないのはったりをかましてもあかん。
かます以上はそこそこ格好をつけやなあかん。
それが出来そうにないなら、
素直に聞く。 そんなことを思いつつも
ほんまお正月らしくないよなぁ。
特に今年は3日間ともお天気がいまいちやったし、
めちゃ寒かった。
テレビだって、毎年毎年、同じようなネタやし、
(この繰り返しがお正月らしいのかもとは思うが)
なんか、お正月〜〜〜って実感できることはないのかしら? やっぱりなぁ、お年玉よなぁ。
お年玉を貰える年代だけが
お正月をお正月とありがたく実感できるのね。 ていうか、次男坊主は書初めの宿題、まだしてへんやん。
お題は"希望"
それから、将来の夢の作文
これは卒業文集に載るらしい。
で、彼の将来の夢。今のところは"たこやき屋さん"やて。” 03 お正月3日目 “
ここ数年は兄一家と実家で年に一度の顔合わせという行事を
元日にこなしていたが、
去年の父の入院騒ぎから、
私一人、動き回っている状況が腑に落ちず
その正直な気持ちを隠して
笑顔で兄一家と会えるかあというので
私の独断で日をずらしてやった。 あったりまえじゃ〜〜
実家のことにおいて
何をするにも、決断も采配も動くのも私。
ならこれから先、実家に関しては私がイニシアティブを取ると決めた。
フンっ その代わり、責任もすべて私なので
まぁ、正直、しんどいですわぁ。
それもこれもええ経験をさせてもらってるということで
その折々、柔軟に対応しつつです。
ていうか、誰も私のやることに文句は云うなよが本心。 てなことで
実家に行く前に父の妹である叔母ちゃん家によって
父の様子などを報告。
親戚づきあいという営業活動もしつつ、
実家に到着と同時に
座ることも許されず昼食の支度。
後片付けから父の世話(トイレやリハビリ)
父の薬のチェック(1週間分をピルケースにセッティング)
オムツの在庫チェックなどしつつ、
晩御飯の支度〜後片付け。
我ながら、お正月早々、よ〜働くわ。
母も風邪で体調悪しという状況やったししゃ〜ないか・・・ ということで、
2009年も多忙になるんやろうなぁ。
こうなったら、なんでもするし、がんばるで
しゃ〜なしでするより
自ら進んでするほうが、
同じことをしても得るものがちがうはず。
どうせなら、ええモン得たいしなぁ。
もったいないから、がんばるで” 02 |
2008 “So far so good!” | 12月 29 おもろっ・・・ “父の病院に検査結果を聞きに行ったときのこと。
結果だけなので私一人でOKとのことで
待合室で小一時間ほど待つのも苦にならず、
備え付けの雑誌を読みふけっていた。 関西ウォーカーならず尼崎ウォーカーという雑誌。
尼崎のタウン誌です。
ここでも書いたが、兵庫県なのに電話番号は
大阪の06だというその理由とか、
来春3月に近鉄と阪神が乗り入れ、難波から阪神尼崎まで直通電車が走るだとか、
来秋にはJR尼崎駅前に阪神百貨店が出来るだとか。 内心、私がおらんようになってから
なんでこない開発が進むねんとちょっと腹立つ。
JR尼崎駅前なんて、高校時代、友達がこの近所で自転車で走ってたとこやん。
そん時とえらい違いや。
実家の父の介護に通いはじめて乗換えになれた、
このJR尼崎駅は神戸線と宝塚線とがクロスし
東西線へと姿を変えるということも
私が通勤で愛用していたときにはなかったがな。 小学校途中から高校までは阪急武庫之荘在住だった私には
武庫之荘駅前の発展もうらやましい限り。
悪いけど私がこの駅を愛用してたときには
駅の南側なんて田んぼだらけですぜ。
てか北側もちょっと歩けば田んぼだらけ。
なんせその武庫之荘の北側のずっと先、
田んぼのど真ん中に出来た中学校一期生ですもん。 そんなことを思い出しつつ、
読みふけっていたら
世界の街の中で街の名前を省略して呼ぶのは、
尼崎とロサンゼルスだけやと書いてある。 尼崎=アマ
ロサンゼルス=ロス
なんだと。
思わず心の中でほんまか?!と突っ込んだちゅうねん。 そうそう、実家の父が
ナースステーションに配ってほしねんって
何回もいうてる
アマセンデパートの60円の鯛焼きもことも書いてあった。 私が腑に落ちんかったのは、
この本を読んでるほん先にあるラーメン屋さん。
所在地説明が最寄り駅JR甲子園口って書いてある。
ちゃうやろ!
最寄り駅はどう考えても阪神武庫川かJR立花やって突っ込んだ私。
しやけど、西宮市にある甲子園口っていうほうが聞こえはええわなぁ。
なんせ武庫川渡ったら西宮市ですもん。
電話番号は06やのに
車は神戸ナンバーやというこの柔軟性がなせる業やなとひそかに思う。 この日の帰りは阪神電車を利用。
アマセンデパートのある尼崎駅から急行梅田行きに乗車。
私は野田で降りて大阪市営地下鉄に乗り換えるという経路。
そのアマで乗車したときのこと。
ドアのとこに立ち、電車が走り出した。
ほんだら、ほわ〜〜んとコンビニお弁当の匂いがしてくる。
座席をみたら、真ん中へんに座ってるおっちゃんや。
ちょいっとほっぺが赤い。
アルコールが入っている風。
センタープールで競艇でも楽しんできて儲けたか?ってなおっちゃん。
必死にお弁当を食べてはる。
とき折、お箸を止め天井を見上げて満足気ににやける。
おっちゃん、やっぱり儲けたか?って思うが
その左隣に座ってはる10㎝はあろうかというピンヒールパンプスを履いた
綺麗なおねえさん。
右手で鼻を押さえてはる。
せやろなぁ。
3メートルぐらい離れているココまでお弁当の匂いがするねんもん。
真隣のお姉さん、たまらんやろ。
おっちゃんはそんなこともおかまいなしに
おいしそうにお弁当を食べてはる。
私が降りる野田に着くころには梅干の種だけとなったお弁当箱や。
完食しはった。 こんなおっちゃんにも誰一人動じん阪神電車の中の人達ですわ。
電車の中でお弁当を食べるおっちゃんと
電車の中でお化粧をする女子高生。
どっちもどっちと思うが、
綺麗に完食したおっちゃんに拍手やな。 長距離を走る電車の中やとお弁当もありの話やもん。
ただ、横一列に並んでる座席のど真ん中に陣取り
お弁当に食らいつくおっちゃんのマイペースさまいった。
っで横に座ってはったおねえさん。
野田で一旦降車し、隣の車両に乗換えはった。
その気持ちもわかる。 しかし、おもろいなぁ、阪神電車。” 28 制服の洗濯 “
娘が高校の制服をクリーニングに出して・・と云うから
「学校の制服っていうもんは、家の洗濯機で
洗えるようになってるねん」って嘘かほんまか知らんけど、
はったりかまし、
プリーツの制服スカートともに洗濯機に放り込む。 午前中、末っ子坊主をインフルエンザの2回目接種
(日曜日だというのに、近所の接骨院は年末だというので
午前中だけ開けてはる)
に行った待合室で
『日経トレンディ』だとかいう雑誌を読みふけっていたんやけど。
今年の流行モノの中に入ってる
我が家愛用の柔軟材ダウニーを入れて
(長い前ふり・・)洗濯機を回す。 出来上がった制服からは
ダウニーのええ香り
ちょっと湿ったころあいのときに
アイロンをかけてしわを取り、
再度干すと後が楽やんと
少し時間を置いて、プリーツスカートのアイロンがけですわ。
これが、なぜだか、うちの娘はプリーツスカートのアイロンがけが
出けへん・・・とのたまう。
なんで出来へんのや?と思う私。
別になんら難しいことおまへんがな。
プリーツをきちんとあわせて3本ほどいっぺんにアイロンがけするってのを
繰り返して一周回ったら出来上がりやん せやせや、長男坊主の制服も洗ったろ・・って
持ってこさす。
ズボンの丈も短くなっているので
すそを解いて洗ってからすそ上げやなって思うが、
なんやウエストもきついねん・・って。 そういえば、次男坊主制服採寸の案内が来てたよなぁ。
来春、めでたく中学生(なれるんか?)ということで一斉に採寸ですわ。
っで、長男のズボンを次男にはかせてみた。
全体に大きいが長男の入学時と似たようなもん。
ついでに上着も着せてみた。
これもいけるやん。
てなことで、長男の制服は洗濯後、次男坊主に回すことに。
長男用の上着は前に近所の人から貰っていた上着(着せたがかなりでかい)
があるのでそれを着せるとして
ズボンをワンサイズ大きいのを買うことにする。 制服一式、新品でそろえるとなると大変やし、
使えるもんは使ったらいい。
その代わり、めでたくバスケ部に入部したのなら
新品のバッシュ、買いますやん。
その方が絶対嬉しいはず。 バスケ部だって、兄ちゃんと同じやと
何かと比べられるのになぁと思うのに入るらしい。
先日の個人懇談で
担任の先生に
「中学生になったらクラブは何?」って聞かれて
迷わず
「バスケ」と答えた次男。
続けて先生は
「途中で辞めたらあかんで。
兄ちゃんみたいに続けや」と 2年前、同じ質問を
同じ担任が長男にしたときには
遠慮がちに
「バスケットボール部」って答えた長男に
先生は
「性格的に厳しいのとちがうかなぁ。
人のもの(この場合ボールですわなぁ)を取るなんてこと
性格的にでけへんやろうし」って
心配そうやったのを
ひそかに思い出した私。 同じ兄弟でも
性格的に厳しいと心配され
方や、
辞めんと続けやと云われる。
まぁ、そういうタイプやからしゃ〜ないと思う母親です。 なんせ、
仲良く遊ぶ友達のタイプがぜんぜん違うんですもん。
類は類を呼ぶってことでしょうか。
担任は
「お勉強があまり好きでないお友達と仲いいから」と
次男の成績を云わはるねんけど。
そりゃ〜ちゃうやろ。
勉強できるでけへんは友達は関係ないと思うので、
「はぁ」と答えておく。
そんなこというその先生も
お勉強があまり好きでない子供の方と性が合うって感じやん。 っていうかな、
子供の担任って子供を見て、その親ってこんなんって決め付けてるとこがある。
長男の担任には
私はとても教育熱心な母親に思われがち。
これが窮屈でかなん。
前に、長男の担任をしたあと次男を受け持ってくれはった先生に
「いったいお母さんってどういう性格?」
って。
このまんまですやん。っていうか、
子供を通じてその親をイメージしたらあかんわぁ。
親は親、子は子。別モンですやん。” 27 14 3ヵ月半の入院生活に終止符 “
9月早々に入院した実家の父。
リハビリのおかげで寝たきりにはならず、
左手の麻痺とおぼつかない足はしかたがないとして、
自宅に戻って母との2人暮らしをなんとか再開できるであろうという
私の判断で明日退院の運びとなったのです。 母も70代後半ですから不安がないとはいえない状況やけど、
本人もお正月までには帰りたいと思っているであろうし、
通常の生活をすることもまたリハビリと思う私の苦渋の決断ですわ。
3ヶ月半の入院中、週2,3回多い時は4回の病院通いの私も
ええ加減疲れてきてます。
世間でいうところのこれが介護なのかなぁとは思うけど
本人との意思疎通が可能なだけに、
重く暗いトンネルのような介護というイメージが私にはない。
80歳の父のお尻を拭いてやる、ええ娘ですわ
って我ながら自画自賛ですわ。 ていうか、小6の末っ子とそう変わらん聞き分けの無さに
子供相手の気持ちになる私。
介護保険の認定が4という、5段階評価の重い方なんやけど、
私の認識やと3ぐらいのはず。
多分、病院の先生がゆるい看たてをしてくださったのだろうと感謝ですわ。
介護保険で使えるものがそれだけ多いってことで
次回更新までの春までは、点数分、しっかり使ってリハビリに精を出させるつもりの私。
厳しいでぇ〜お父ちゃん。
甘えたこと云うたらあかんしぃと80の父を叱咤ですわ。 退院したからといって、まったく知らん顔も出来ないので
週に1回ぐらいは様子を見に行ってやらななぁ。
この数ヶ月の風のように過ぎた日々が少しゆったり流れて
仕事に精を出したいと切に思う私でございます。” 03 一ヶ月ぶりの更新 “
父の病院通いに奮闘してます。 せっせと尼崎まで通っています。
尼の文化っていうんですか、独自のスタイルがあります。
そこにどっぷり漬かっていたら気づかんかったのに
別の土地に住み、そこからまた足を踏み入れると
せやせや、これこれと懐かしいことに出合う。 本心をいうと
やっぱり尼はええわ。
って今のとこ河内ですけれど。
20分ほどで大阪市内に足を踏み入れられます。
都会ですやん。
せやのに、閉鎖的な中途半端な田舎ぶりに私は辟易としています。
ここに生まれ育った人には失礼やと重々承知の上で、
私にはこの閉鎖感には反抗心を持つだけ。
みんながみんな、そうとは言いませんが
町全体そんな意識が根付いていて、
私たち世代もその意識を引き継いではるとこにびっくりこいた次第ですわ。 せやせや、ここの話はこっちにおいといて。
リハビリの先生の口ぶりに、懐かしくなったんですわ。
尼って電話番号は大阪の06やのに
兵庫県やし、車は神戸ナンバーやと
どっちつかずが独自の文化を生んでいると私はひそかに思っているのですが。
いや、私がひそかに思わんかて
みな世間でもそう思てはる。 前置き、長すぎやなぁ。
言葉の最後に、『とぉ』をつけてはったのを聞いて、
懐かしくなったんですわ。
神戸の友達もそうなんやけど、
尼は神戸ともちょっとちがうから
神戸の人より頻繁には使わんけど
『何しとぉ』とか云うんですわねぇ。
『とぉ』というより『とぉん』って感じ。
懐かしさと嬉しさが交差いたしました。” | 11月 03 DELLのPC、ええで! “WIN98のデスクトップの使命。
スキャナとプリンタ直結にてコピー機としてが
こやつの役割と化して数年。 起動さすたびに、どこぞがいかれてますぜとエラー表示が出るが
エンターを押すととりあえずコピーができるという状況。
私のこのサブマシンとしての元々ME(懐かしい〜〜)をXPに無理からアップさせたという
ノートPCはどうも液晶がいかれてる模様で静かに鎮座していて、
私のこのマシンを使おうとする子供達を阻止する為にも
ここで新たにデスクトップ欲しいよなぁ〜って
買いましたの。
というても、購入して1ヶ月ほど経ちます。
初の海外メーカーPCですぜ。
というても、サイトで申し込みするもちゃんと日本語サイトもあるし
新聞やTVでもCMが流れていてメジャーやし
支障なく、
我が家仕様にカスタマイズしつつでベース価格より多少アップでのご購入。
それでも私のこのマシンの1/3以下の値段で
これよりスペックも随分と良くて、どない?って感じですわ。 なにより、新しいってことで
起動するのがめちゃ早っ
びっくりするで。
これなんて、起動するのときにジーってエンジン音が聞こえる。
まぁ、5年選手やから仕方がない。 DELLのPCは黒いボディーでシンプルでよろしいわ。
不要なアプリケーションも入っておらずなのもなおよろしい。 で、ずっと気になってた、液晶があかんねんでってノートPCに
不要になったWIN98のモニターをつないでみたら・・使えるやん。
というて、このモニターやたらデカイし重い。
あかんあかん。
中古の液晶モニターでも購入してつないだら
まだまだいける私の初代相棒やん。
なんせ、こやつの修理代だけでもう一台デスクトップが買えますぜという位、お金をかけてるし、
液晶があかんって即廃棄はもったいない。
中古の液晶モニターをどこぞで仕入れなければ・・・ しやけど、DELLのPCは今の所、使いがってもよくて気に入っております” めっちゃハードな日々 “あっという間に1日が過ぎ、
あっという間に1週間が過ぎ、
あっという間に1ヶ月が過ぎていきます。 痛いやら、痒いやらと訴えられることがなく、
私が行くと嬉しそうにする父なので、せっせと病院通いの日々。 父親にとって娘というのはこういうものなんですかねぇ。
40代にどっぷり浸かっているおばはんつかまえて、
80直前の父にとっては
自慢の娘なんですわ・・・これが・・・ もっと近くならもっと行ってやれるのにと思いつつも、
なんせ、往復で3時間ですもん。
入院生活も2カ月を過ぎたら、もう帰りたいわなぁ。
最近は行くたびに帰りたいというたはりますわ。
その気持ち、よ〜わかります。
私もこの2月に1週間と3週間、合計で1ヵ月入院生活を送った身。
わかるでぇ。
帰りたいよなぁ。
予定では今月末までやし、あともうちょっとの辛抱となだめつつ、
退院後は母がきっと大変な思いをするであろうと思うと複雑ですわ。
退院してからとOKというわけでないからなぁ。 そんな話も
主治医の先生・リハビリの三人の先生から説明を受けたわけです。 人生とは・・・と哲学的な思考がちらほらする私の頭ん中ですわ。
家に戻ると、子供が成長している日々があって、
方や、老いていく両親を見ると、
さぁ〜どうする?って
もう〜しゃ〜ないやん。
ここで私が頑張らねば!と奮起ですわ。 なんや知らんけど、あれこれやることがてんこ盛り。
一日24時間では足りませんわ。
てんこ盛りのその中には、
別に私がしやんかていいんやけど・・・とか
正義感というか、ええ年して青いか?っていうのも振りかざしたり・・・
あるマスコミの記者は
『ずるくいうと大人的に処理しはる』というたはったんやけど、
大人的ってなんですのん? しやけど、おかげでいろいろ経験させてもらって
ええ勉強になりますわ。 そのうち、私、TVにうつるかも・・・よ(関西限定ですが)
とりあえず、TVカメラを前にしゃべくりましたのよ。
それをどういう切り口でどう番組にしはるかってことなんでしょうが、
いまいち、これという押しになるモノがないねんなぁ。
そんなことも、そないドキドキもせずこなせるとこに年の功を感じた私。
かわいくないよなぁ。
ふふん、まぁ、私のコメントがネットニュースで取り上げられているのは
嬉しくって
これ、私が云うたこと!と宣伝しまくりましたわ。 警察のおっちゃんも教育委員会のおっちゃんも怖い存在ではなく、
まして学校の先生なんて、その辺のおばちゃんとおっちゃん、
もしくは姉ちゃんと兄ちゃんの集まりと思う私は
いったい何が一番怖いのでしょう。
一番怖いのは・・・女性独特のあのねちこさです。
あとは子供の時から変わりない雷と黒い猫。 出る杭は打たれるって
たぶん、打たれまくってるであろうが、
それがあんまり耳に入ってこない状況の私。
ただ、面識のない人たちにも私の名前が知れ渡ってることを時々聞くと、
女は怖いなぁ〜とほんま思いますわ。
おまけに私と仲良くすると反私派ににらまれると忠告されたという方もいて。
へぇ〜〜反私はあるでしょうが、
私には派閥などございません。
派閥の大将になるほどの器量はございません。
政治家やないねんし。
宗教家でもないし。
私は"わが道を行くライオン"ですやん。
邪魔くさい!派閥なんて作らへんわ! 名前ばっかりが一人歩きして
実際の私を見たら
『へぇ〜こんな小さい人と思わんかった』といわれるぐらい
小さく生きてるちゅうねん! てんこ盛りの中、アメ☆パイの仕事をもっと・・・
そこにかなりジレンマで
1日30時間はほしいなっと切に願う日々です。” | 10月 14 リハビリ効果に驚く!! “一人で座ることさえままならなかった父が
リハビリのおかげで
ヨチヨチと歩けるようになっている。
週2日か3日は父の病院に行き(片道1時間ちょいかかります)
午後からのリハビリに付き合い帰ってきます。 このリハビリがへ〜〜こんなことをするねんやと
オモロ〜〜てな感じ。
意味がないようでも意味があるのやろうなぁと思いながら
横でじっと見ているのですが・・・
お父ちゃん、あかんわぁ。
リハビリ先生もあちこちの患者さんを見るから
一人の患者にじっとついてはらへん。
ちょっと席をはずしたすきに
お父ちゃん、ずるしよる。 色つきのホースを丸めた輪っかを右のスタンドから左のスタンドに移す。
麻痺している左手でそれをするわけですが、
ヨチヨチと歩けるまでなった進歩が見える体でも
細かい作業はなかなか。
指の先まではまだ力が入らない状況なので
輪っかを掴むのに苦労するわけですわ。
それに左半身がやられているので、
左側のものを認識する力も衰えている。
その辺でなかなか思うように掴めない輪っか。
先生が席をはずしたら周りを見て、他の先生の目がないのを確かめて
自由が利く右手で2,3本掴んで移す。 「うわっずるしよった!ずるしたらあかんやん!」と軽く叱咤するが
なんせいうても父親ですわ。
そないきつくも云えません。
まぁ、いらついてずるする気持ちもわからんでもないしなぁ。 2,3歳時が遊ぶような木のパズルをしたりもします。
これも左側に意識が及ばず、残っていくのです。
残っていくことにさえなかなか気づけずにいる。
それでも日に日に少しずつの改善が見受けられるので
午後からのリハビリ終了の15時までは
ずるしないかどうか監視する私でございます。 それが年をとったからか
まぁ何かにつけてよ〜泣きはるのですわぁ。 「リハビリ、つらいねん」って泣き
「ほんまお前はよ〜やってくれる」と泣き
「早く帰りたい」と泣き
孫をみて「えらい大きなって」と泣く。
大きなってってこの前、会うたばっかりやんと突っ込みそうになるが
「せやろ、大きなったやろ」と云うとく。 父の病院に行くには、地下鉄からJR東西線から神戸線に乗り換える。
JRを捨てたあとは尼崎の市バスです。
これがまぁ、いつも満員御礼。
満員御礼ではありますが、
正味お金を支払っているのは私だけやんってな感じの
乗客面々です。
70歳だか75歳だか以上の年嵩の諸先輩方は無料パスをお持ちでいらっしゃる。
無料なんですぜぇ。
尼崎ん中、市バスが網羅しているから園田の競馬場で馬と戯れるのも良し、
尼崎センタープールで競艇に見入るのも良し、
近松門左衛門のお墓のある広済寺(高校の先輩の自宅)や田能遺跡で
タイムスリップするも良し。
阪神尼崎の三和商店街でホルモン焼きを食べるも良しですわぁ。
いくらでも遊べますぜ。
無料パスさえあれば・・・
そして思うのです。
お父ちゃんもなぁ、また市バスの無料パスであちこち行けたらいいのになぁ・・と。” | 9月 28 22 ウォシュレットトイレで・・・ “父が病院を移ることになった。
病状的にはリハビリで身体を動かす訓練をするってことなので
リハビリに重点を置いている病院が
実家近所にあってそちらの移ることになり、
今日は受け入れ先の診察。 私は4時半に起きお弁当を作って、洗濯をして
出かける用意をして
7時にみな起こして、家を出た。
なんせ8時過ぎに兵庫医大に行かなあかん。 受け入れ先病院には9時半受付だが
あれこれして
親戚の叔父さんの協力で車を出してもらいいざ出陣。
紙おむつをあてがわれているが、それは間に合わなかった場合。
なるべくならトイレで用を足さなければならず、
待合室で待っている間にトイレって。 いつもは看護婦さんが連れて行ってくれるが
今は外来患者なので
母と私とで対処しなければならず、
車椅子対応のトイレに連れて行き、
おぼつかない足の父を立ち上がらせ、便座に据わらせと
必死ですわ。 用がすんだとき、
父の元気な右手が横のボタンを押したのを見たのやけど
私は水を流すボタンやと思って立ち上がらせ、
紙おむつをあてがおうと必死。
すると、トイレから水が飛び出しているわけですよ。
え〜〜〜おしっこしてるんか?って思いながら
何やろうって思い顔を近づけた私めがけてその水が飛んできた。
よく見るとウォシュレットの水やん。 「いらんボタン、押しなやぁ!」と
これがわが子なら
「いらんことすな!!」って怒鳴るところやけど
わが父親にはそうもいかず、
とりあえずはぐっとこらえて、叱咤する。 ほんま信じられへん。
まぁ、ちょっとだけかかっただけやし、しゃ〜ないわなぁ。 ズボンをはかせ、待合室に戻って
「やや子(大阪弁で赤ちゃん)といっしょやがな」と云うたら
「ほんま、やや子に戻ってもうた」と本人も。
「やや子は文句云わへん。やや子のほうがやりやすいがな」って
これも実の娘やから云えること。
「もう〜ほんまウォシュレットの水、顔にかぶるとは思ってもみなんだわ。
よ〜云わんわ」と。 まぁ、こんなこともおますわなぁ。
最初の頃より大分、言葉も聞き取れやすくなってきたから
突っ込みも入れれるようになってきた。
ええこっちゃ(^^)v” 21 平均90と60 “たまに父(父ってそんなご大層なもんでもないねん・・・)の病院から実家に寄る。
父(ええ年して公のこの場でお父ちゃんもないし・・・)の入院以来、
仮の一人暮らしとなっている母の様子も見に行きたいしと寄るわけですわ。
バスに乗って10分ほどなんやけど、
このバス、尼崎市営バスですわ。
よろしいでぇ〜〜尼崎。 わたしは生まれてからずっと、どこの町にも市営バスが走っているものと思っていたら、
現在住の東大阪にはおまへんねん。
近鉄バスが走ってるだけですわ。
尼崎は市営バスに阪神バスに阪急バスと3つも走ってまっせ。
っで実家によると敬老のお祝いで市からもらったという血圧計を借りて
血圧を測ります。 最近ばたばたと過ごす日々が多く、睡眠も不足がちの私。
気力のみで動いているという状況に陥りがち。
ちょっとした拍子に心臓の鼓動が速くなります。
そのたびに今、絶対血圧上がってるでっと内心思うわけですが、
先日、その心臓の鼓動が早くなったときに血圧計を借りて計ってみましたの。
そしたら、上が80前半で下が50台やと。
低っ 平常心のときは上が90で下が60ぐらいの私。
これでも十分低いが、心臓の鼓動が速くなっているときは
さらに低くなっているというのを知った私。
へぇ〜〜〜〜そうなんや・・・と妙に納得ですわ。 そういえば、網膜はく離の手術のときって
上は80切ってたし。
入院中、毎朝の血圧測定のあと
「ふらふらし〜ひん?」って看護婦さんに聞かれていた私。
低いのが常やし、いつもふらふらしてるっていうたらしてるとそれが当然になるわけで、
とりたててどないもこないも思わん。 そのうち、すっ・・・と血圧が下がったら、私、終わりやな。
それもいや!まだまだ生きまっせと思い直せば、息も絶え絶えながら復活しそうな気もする。
怖いわぁ〜なんにし、気のもんってことなんよなぁ。 お酒・タバコをがんがん口にしてたお父ちゃん。
五臓六腑と心臓は元気。
左半身の麻痺もマシになりつつあるも、車いす移動ですわ。
顔色だけはつややか。
私よかつややか。
昨日はやたら暑くて、ジュースが飲みたいと云う。
暑いし飲みたいわなぁ。
病室と病棟の中だけじゃおもろないやろと
車いすに乗せて、病院探察の旅に連れて行きました。
っで帰り、売店でジュースを買って、車椅子の後ろのポケットの隠して
ナースステーション前をそ知らぬ顔で通りすぎ
病室に戻って、飲ませてやりました。
「看護婦さんに云うたら怒られるかもしれんし内緒やで」って云うてるのに
おしっこ出る出るや。
あかんやん。ばれるやん・・・” 17 門のおっちゃん、ナイス!! “
役員でもないのに、やたら学校通いをしている私。
世間並みに正門通過時には、保護者証提示しなければならないが、
私・・・顔パス 門のところで子供たちの安全を見守ってくれてはるおっちゃんと仲良しの友達がいてて、
その繋がりで私もおっちゃんとしゃべるようになり、
おかげで顔パス
今年の暑い夏もおっちゃん、立ってくれてはったし、
せやせや今度学校に行くときは飴だまを2,3個ポケットに入れていって
おっちゃんにあげよう〜なんて考えてたら・・・・ 昨日、その友達が言うのです。
「門のとこのおっちゃんなぁ、あんたのこと云うてたでぇ〜」って
おっちゃん、私のことを32歳ぐらいやとか
めがねかけた別嬪さんとか云うてくれてはる。
お世辞でも嬉しいやん・・・ってか
おっちゃんも目悪いんちゃいまっか?っと思う私。 もう〜〜しゃないなぁ、おっちゃん、飴ちゃん、10個持っていくし、
待っててやぁ〜と思う私でございます。 おまけに巷(わが小学校区限定の小さい巷)では
総会で発言(いやいや、発言というよりシャウトですわ)した私は
怖い人と云われてるのに、
おっちゃん、優しげにしゃべりはる人と私のこと云うたはったと。 確かにおっちゃんには普通にしゃべってるし、
この前は小雨の中、傘もささずに門のとこをほうきで掃除してはったから
「おっちゃん、雨降ってるでぇ。濡れるやん。風邪引くから
やめとき、やめとき」というた私。 おっちゃんは、別に悪いことしてはらへんし、
いつもニコニコして門のとこにいてはる。
そういう人には、私も優しげにしゃべります。 なんぼのもんか知らんけど、しょうもない肩書きだけで中身もないくせに
えらそうにしている奴には食ってかかります。
その門を入って、ず〜〜と歩いたとこにいてるタヌキとチビには食ってかかってます。
税金の無駄遣いも甚だしい、教育委員会にも食ってかかります。 娘には
「母さん、やるなら負けたらあかんで!!」と今朝も励まされ、
行きまっせ!
とことん行きまっせ! まぁ、とりあえずはちょこっと父の病院にでも行ってこ” 11 父の入院 “
実は先週の火曜日に実家の父が入院ですわ。 まぁ、11月で80歳ですもん。そりゃ〜いろいろありますわ。
母も70の後半差しかかってるから
病院通いもしんどいはず。
なのでここは私の出番と兵庫医大まで通う日々です。 実家に行くより兵庫医大に行くほうが電車の乗り継ぎが楽なので助かってます。
最寄駅が阪神の武庫川駅なのですが
これがおもろいですぜ
ホームが武庫川の川の上にありますねん。
電車を降りて、東の改札口は尼崎、西の改札口は西宮ですわ。
兵庫医大は西の改札口を出て歩いて3,4分のとこにあるので
ほんま楽チン途中の乗り継ぎだって、地下鉄で阿波座経由、千日前線に乗り換え、
野田阪神から阪神電鉄。
梅田まで出て阪神電鉄という手もありますが、
歩く距離も多いし、それはちょっと遠回り。 当初の予定では3週間の入院だそうですが、それはまぁ本人次第やね。
脳梗塞ってやつ。
倒れて運ばれたわけでもないのはラッキーですわ。
ただ、現在は左半身が使えない。
てなことで、左の口、舌もひきつっていて
何いうてるかわからんやんって状況。
おとついから歩くリハビリが始まりましたが基本、紙おむつをしたはります。
人間、生まれた状況に戻るのでしょうか?としみじみ思う私です。 頭の中は80歳なりの物忘れぶり程度なので、
聞きづらい言葉でも云うてることはまともですわ。
云うてることはまともやけど内容はまともでない。
文句ばっかり云うたはります。
まぁなぁ、文句も云いたいわなぁ。
云いたい気持ちもわかるが、可愛げのあるおじいちゃんでいときなはれと
思う娘ですわ。 そのくせ、下の世話をしてもらって申し訳ないと
看護婦さんのことを云いながら、涙声ですわ
っで、
「元気なったらなぁ、アマセン(阪神尼崎の駅にあるショッピングセンター)でたい焼き買うて、
ナース(ナースステーション)に持っていくねん」
「ふ〜〜ん。そりゃ、リハビリがんばらななぁ」と私
「1個60円のを50個や」って
「え〜〜ここ(父の病棟の階)のナースステーションって50人も看護婦さんいてはるん?」
「ちゃうちゃう、24人や。この前、聞いたら24人ていうてた。
休憩のときたい焼き食べたらええやろ」って
「60円のん、50個買ったらいくらになるん?」って頭の体操や
「60円×50やろ?3,000円やがな」
「ピンポ〜〜ン。せや3,000円や」と。 私のお昼用にと売店で買っていったメロンパンを食べたいと云うて
看護婦さんに聞くと
あかんて。
そりゃ〜あかんわなぁ。五分がゆ食べてる人間にメロンパンはあかんとは思ったけど、
食べたいっていうから聞いたまで。
「まだあかんねんて。我慢しいよし」となだめる。
どっちが親やねん。 「家に帰りたい」と文句たれる。
「あんなぁ、私も3週間、入院しててん。おまけに手術してな
目玉くりぬいてシリコンバンド巻いてるねん。痛いのんこらえてん。
うつぶせで寝ててん。なぁどっか痛いとこあるのか?」
「痛いとこはない」
「ほな、ええやん。私よりぜんぜんましやん。我慢しいよし」
「せやけど、こんなんなって情けない」
「なんなとあるわな。しゃ〜ない」
80歳の親をなだめる40代の娘ですわ。 我が家の子供たちには
人間な、年を重ねるとこういう状況にもなるねんでということを知っておく必要があると
順番に個々のスケジュールに合わせて、連れて行く。
「じいちゃん、何いうてるかわからんやん。お母さん、よ〜わかるなぁ」って
実は1/3はわかってない。
適当に返事してまんねん。
残りは想像や。こう云うてるねんやろと想像ですやん。
単純明快な性格やからそこから出てくる言葉は察しがつきますやん。 忙しい時に忙しいことが重なるのねとは思うが、これもまた経験です。
こういうときのポジティブシンキングは助かります” 09 グーグルクローム “今、巷で話題のグーグルのWebブラウザ、chromeをPCに落としてみた。
"chrome"を私は当然のごとく、クロームと読むものと思っていたが
どうなんだ?
mixiでは、チョロメやら黒目やらって称してはる人がいてはるねんけど。
ほんまどう読むのでしょうか?
グーグルクロームで検索したら出てきたからやっぱクロームよなぁ。 Beta版なので、当然機能制限ありですわねぇ。
使い勝手は、今、落としたばっかりなのでわかりませんが、
巷で云われているよう速いですわねぇ。
ツールバーとかがすっきりして
ちょっと寂しかったりするわけですねぇ。 現在愛用のLunascapeをカスタマイズして使い勝手よろしいので
まぁ、気分転換にグーグルクロームも使ってみる?
私のブラウザ遍歴はとりあえず、Lunascapeで落ち着いているので・・・” | 8月 31 あっちゅう間の夏休み終了! “え〜〜うっそ〜〜っていうぐらい、
ばたばたと忙しい日々を送っているから
いつもなら、まだかまだかと待ち遠しい夏休み明けが
気がついたら明日ですやん やり残したことがあります。
長男の眼科と次男の歯科。
眼科は定期検査なのでまぁここははずしてもそのうちでええねんけど
次男の歯科はあきまへん。
虫歯がおまっせ!病院に行きなはれ!ってプリントを学校から持ち帰り、
冷蔵庫にマグネットでペタっとはられて
大方2ヵ月ですやん。
おまけに、夏休み前の個人懇談では
今更ながら九九の復習させます!なんていきまいていたのに
私が相手できるときに奴はミニバスの練習か自転車で遊び回わり
テレコテレコですがな。
夏休みの宿題の読書感想文だけは目を通して、
書き直しを命じましたがあとは本人の自己申告。
まぁ、ええか・・・ それよかこれよか、
奴が通う小学校とも今年度で縁が切れる私。
高2の娘が通い出してから11年ですわ。
その最後の年に新聞沙汰ですぜ。
おまけにそれ、私が関わっています。
というて私が悪いことをしたわけではございません。
私がその悪事を見つけたのでございます。
それから3ヶ月。
何回学校に足を運び、市の教育委員会にも足を運び、
一向に納得のいく終結を迎えることができない。 こんなことになった原因をちゃんと理解できないとはいかがなものか。
原因を理解して、反省してこそ改善ができるのに
原因を理解できずに改善の期待なんて無理ですやん。 理解できない人間は出て行ってもわらな困りますなぁ。” 22 ミニバス連絡網の文字化け “男女別に保護者代表がいる。
私は男子代表なんだけれども。
男女別で配信することもあるだろうし、
先生からの配信もあるだろうと
先生・代表にはメール配信システムのログイン情報を伝達している。
代表の私たちは、配信するときは最後、自分の名前をちゃんと書いているわけですよ。
なのに先生は書かれていない。
おまけに、件名が携帯キャリアによって文字化けする。
たぶん、半角文字を使われているのが原因であろうと思われる。 受け手側の保護者は、代表の私たちからのメールと思っているふしがあり、
ちゃうちゃう
文字化けメールは先生でっせと云いたいが、
そんな一斉メールも配信するわけにいかずなので
やんわりと件名の訂正をお願いしてみた。
次回配信が乞うご期待ですやん。 これだけ携帯が出回っていて
誰もが持っているので
誰もがそこそこ使えると思っている私は
今回の一斉メール配信にともなう登録作業でびっくらこいでしまったのです。 メールは受信できるが返信は出来ないってお母様。
私より若いはずやのに、そんなこと言うたらあかんわぁ〜。
PCからの受信拒否ならドメイン指定で受信設定してくださいってのも
なかなかうまく進まずです。 そして連絡網の鉄則。
一回のメールにはひとつの出来事のみにする。
一回のメールにあれこれ盛り込み、おまけに返事を要請すると
意図が読めない返事が返ってくる。
っで何度もメールのやり取りですわ。
こちらが問うてる答えがなかなか返ってこない。
ん〜〜なんでや
頭痛いぞ。 ほとんどの方を存じ上げていないお母様方であるのですが、
メールのやり取りだけで
どういうお方だかなんとなくわかり、
私の頭ん中でにデータとしてインプットされていくのありました。” 18 おかげさまで・・・です “ミニバスケットクラブ発足に伴い、連絡網打合せで
女子代表のお母様が我が家に来て下さった。
ミニバスの話はさておき、学校の話になったわけです。 PTA総会であれこれ発言した私。
名前が一人歩きしていて、まぁいろいろ噂されているわけで、
まぁ、それもいいやろ。
別に私が悪いことをしたわけでなし、云いたい人は勝手に云うとってもらっても
痛くも痒くもございませんし。
名前と実物の私が一致していない中での噂もあるし、世間の口はそりゃ〜おそろしや・・・なのでございますが。
ある種、傍観者の私としては、おもろいやおまへんかと思うところもありです。
そんな中、そのミニバスの女子のお母様。
わが末っ子坊主と同じクラス。
っであれこれ話の中で
「まぁ、あれこれ私も云われてるみたいやわ」と云うと
「ん・・・でも、○○(末っ子の愛称)のお母さんやし、
云うてはることまともやと私の周りの人は云うてるで」と。 あらま・・・
一番自由奔放に遊びほうけてる末っ子坊主はそない人格者でもなく、
世間受けはそこそこと思っていたら、
こやつも友達の保護者には受けがいいらしい。 上二人は、私よりはるかに人格者ぶりを発揮で
友達の保護者受け、先生受けがよろしく、
その親やからと私の評価もよろしくなるという
あなたたちのおかげで、親である私は助かってますということは実感していたが、
私に似ている末っ子坊主も
友達の保護者受けがよろしいとは・・・
そのおかげさまでを昨日実感いたしました。 それよか、オモロ〜〜ネタを聞いた。
末っ子坊主、そのお母様のお嬢さんとそのお友達、自分の友達。
男女2名ずつの4人で交換日記をしてるって。 いや、実はちょっと前、坊主のランドセルがどば〜と開いてるから
学校からのお手紙ないかいな?と手をやると
えらい可愛らしいノートが出てきた。
なんじゃこれ?と思った私は
いけないことと思いながらも、表紙をめくると、
交換日記ですやん。
最初のページ、自己紹介のページを見た。
うっそ〜〜と思いつつ、わが坊主のとこ見ると
あほや〜〜電話番号間違えてるしぃ〜〜
誰もいてない家で、一人
「女の子と交換日記するなら電話番号間違えたらあかんわぁ」と突っ込む。
その先を見たろと思ったが、
なんかその電話番号を間違えてるとこで
どうせたいしたこと書いてないとランドセルにしまったのですわ。 そしたら昨日、その話。
私は電話番号を間違えてるとこで、もうええと閉めたので
誰とやってたかまで見たと思うがすっかり頭から飛んでた。
聞くと、私がそれを発見するずっと前かららしい。
へぇ〜〜いつそんなん書いてるねんやろ?
ってか、たぶん、あんまり書いてないはずやと踏んでるし、
ランドセルを探ってまで覗いたろって気も起こらずですわ。
まぁ、自分の子供とはいえ、人の鞄を勝手に見るのはルール違反ってのもあるので
知〜らないっと。 でも私の口はうずうず。
「あんたなぁ、電話番号間違えてるで」って云いたくて、うずうずなのです。” 16 グーグル・ストリートビュー体験 “グーグルアースで世界旅行を楽しんだことがあるけれど、
今度はストリートビューですわ。
とりあえず、我が家が見えるかどうかって。
ベランダ側にそこそこの道路があるからそこからのストリートビューということで
見えましたわ 季節がねぇ、桜の季節なのですけれど。
とりあえず、我が家は洗濯物が干す前か取り入れた後かで
ベランダに洗濯物はございませんでした。
よかった・・と胸を撫で下ろす。 洗濯物まで見られるというのは
グーグルさん、これってどうなんですかぁって思いますわぁ。
水気をよく吸い取る使いこんだバスタオルを見られますやんかぁ
とまぁ、ここで暴露したら一緒ですが・・・ しかし、次から次へとグーグルさんは楽しませてくれますわねぇ。
ちょっと今から懐かしいの母校など見に行ってきましょうかねぇ。” 14 ミニバスの連絡網 “今までは6年生教育一環としての(たぶん・・)ミニバスだったので
練習試合や公式試合っていっても保護者への付き添い要請もなく
部費の徴収もなく、
公式試合に負けたら、そこで解散となっていた。 それが、夏休み前、公式試合に負けた子供たちが
まだまだミニバスを続けたいと先生に詰め寄り、
それに押された先生が、クラブとして発足するように動いてくださった。 ただクラブとなれば、部費(保険代とか登録料)も必要だし
練習試合、他校との合同練習などでの保護者の付き添い要請もある。
その説明会で、私は男子保護者の代表をさせてもらうことになったのです。
代表っていっても連絡網や引率当番表などが仕事と云うことだったので
軽〜く引き受けてしまった・・・・
隣の小学校ではずいぶん前から、クラブとしてのミニバスが運営されていて、
そこには多々問題があるという話を耳にしたのは
引き受けたあと。 バスケットをするのは子供たちであり、保護者はあくまでサポートと思う私なので
なんでそないに問題が発生するのかと思うわけです。 引率のお手伝いに出てこないとか、
保護者間で派閥が出来てとか、
そんなことどうでもいいやんかって思うことでもめるらしい。
子供が機嫌ようバスケットをやってたらそれでいいのとちがうん?って思うねんけどなぁ。 そんなことを思いながら、
まぁこっちは始まったばかりのクラブ。
保護者が力を要れずそこそこに関わってたら、問題もおこらんのんとちがうん?って
思うねんけど、どうなんでしょうかねぇ。 とりあえず、メール一斉連絡網の要請があったので、
サーバーにcgiプログラムを設置して体制は整えた。
私担当の男子分22名だけやし、すぐに登録できそうなもんやのに、
手書きの申し込み用紙のアドレスをエクセルに打ち込んでくれはった様子の
名簿は、不備だらけのアドレス。
ドメインがなかったり、明らかこれ間違ってるってアドレス。
まずはそこの確認作業からですやん。 一斉送信のシステムは出来上がっていて
その趣旨、担当先生に連絡したら
えらく喜んでくれはって、活用してくださるということで気をよくした私。 PCサーバー経由ってことなので
携帯の受信設定のお知らせなどは、携帯からメールをして
段取りは着々を進めている。 これを使えば、小学校で年間5,6万使っている連絡メールも
サーバー代数千円ですむのにと思う私。
無駄なお金を使わず勉強しはったらいいのにってほんま思うな。
まぁ、あのエクセル技じゃ無理ですわぁ” 12 究極のSEO対策テクニック!! “今朝の朝刊にも載っていた、ここ10年ほどで膨大に増えたWebサイトの数だそうです。
私のサイトもその数に含まれている?って思いながら、
その膨大なWebサイトの中で、埋もれることなく
訪問してくれはる人の数を増やす努力をしなければならないと。
SEO対策も3ヶ月ごとに新化していくので、
いたちごっこのごとくになっていると書かれたあった。 それでなくても、デジハリオンラインスクールで勉強中の中、
うそっ!そんなぁ〜私のサイトもイチからやり直ししやな・・・
なんて焦らされている。
おまけにSEO対策ですかぁと、
立ち止まっていては置いてけぼりを食らいます。
いや、すでにわがアメ☆パイは、
ずいぶんと置いてけぼりを食らっている感、ぬぐえません。 ここらで、ちょっとアクセスを増やすべく対策をとらなければ、
いや、とるべきだということでお知恵拝借です。
それがこの
『一夜にして10,000件のバックリンクを獲得する究極のSEOテクニック』 甘い話には罠がつきものですから、こういった情報商材ってどうなん?って
不審に思いつつも、
失敗してもまぁええかと思える価格(ここは重要です!!)やし、
ちょっとは努力しなさいと(ここがミソですわねぇ)云うたはる。 何もしない、もしくは簡単に思うようにことが運ぶって内容なら
クセモン。なんか恐い気がする。
それがこの商材は、少しの手間は惜しまないことと断言してはる。
だったら、その少しの手間、やってやるやん!って思うわけですねぇ。 まぁ、情報商材っていうもの自体にも興味があったのも手伝って、
ダメもとでダウンロード致しました。
さ〜と目を通してみました。英語の辞書片手かな?なんて箇所があるようですが、
なんとか自力で時間を見つけてやってみます。
乞うご期待!!って感じでしょうか。” 08 再び、戦闘開始!! “オモロ〜〜やん
もぉ〜〜ここで暴露したい衝動をぐっと堪えて、
小出しにしているけれど・・・ 子供の通う学校。昨夕の新聞から今朝の各社、地域版という限定ではあるけれど
過去の事件が取り上げられている。
これで勢いつけて、私が今抱えている問題も一気にいてこませぇ〜〜って
気持ちでございますぅ
大体、保護者をなめたらあかんわ。
馬鹿にしすぎやし。
嘘つくのもええ加減にしてもらわななぁ。
どの面さげてそんなこと言うかぁと云いたいですわねぇ。 一般企業だと、管理責任を問われ何のペナルティもなしで終わるなんてありえへん話やし。
ていうか、ほんまいくら考えても
人を見る目がなさすぎ、危機感なさすぎ、保護者を馬鹿にしすぎ、対処能力なさすぎ、
会計能力なさすぎ、公務員として意識なさすぎ。
こんなんで何もなく過ごせるなんて、そんなに世間は甘くはございません 私は戦闘再び開始でございます。
娘と次男には「母さん、モンスターペアレンツか」と云われるから
「ちゃう母さんは正しいことを云うてる。
向こうがモンスターティーチャーや」と。 私は信念貫いてるだけでございます。
相手が誰であろうと、自分がこうと思うことは異議申し立てるという姿勢ですわねぇ。
わが子らにもこの信念は受け継いでもらいたいものですわ。
母の背中を見て育てと、大げさな意義にも燃えている私でございます。” 07 巻き爪 “3,4日前、「足が痛いねん」って娘。 親指の爪のふちに膿をもって、その周辺が赤く腫れている。
「ひゃ〜〜それ痛いやろ?巻き爪やからなぁ。」
「病院に行ったほうがいいよなぁ」
「うん、行ったほうがいいで」
「行ったら何する」
「そこ切って膿を出す」
「え〜〜〜切るん」
「うん。メスで切る」 血マメやとげなら、マチ針を火であぶって
私が処置をするねんけど、
ちょっとなぁ、これは私はよ〜手を出さん。
いや、自分の足なら、マチ針で突いて膿を出して、マキロンで消毒するやろうな。
人の足やし、そこまで責任持つのも怖いから
「病院に行きやぁ〜」と云う。
次の日
「病院に行ってくるわ・・・」と っで、足、親指に包帯を巻いて帰宅。
「どやった」
「膿だしはった。爪も切ったらしい・・・」
「らしい・・って見てないの」
「そんなん怖〜て見てない・・」
「なんでなんで、見んの」
「お母さんとちゃう・・・」
「自分の体やでぇ〜何されるかちゃんと見とかなあかんやん」
「普通の人は見ん」 ふ〜〜〜〜ん。見んか・・・
膿出すとこ、見たくないんやろうか
私なら絶対見るな。
どんな感じのものか?どれぐらい出るか?
見たいやん。 「巻き爪はなぁ、遺伝性やから、家族の人も気をつけるようにって
云うたはったでぇ〜〜」と云うから
足の爪チェックをしたが、巻き爪の持ち主は皆無。
「巻き爪はあんただけ」
ってか、これって繰り返すかもしれんってことやん。
それはかなんなぁ。
こんな症状にならんように予防策はないものなんやろうか?
自分の足ならいいねんけど、子供の足やしなぁ。
二度と、同じ目に合わんようにしてやりたいなぁ。 そんな状態で部活に出ても何もできないが
キャプテンという立場上、休むことも出来ず、頑張って行っております。
わが娘ながらエライって褒めとく。
しやけどなぁ〜病院に行って膿出したその後、
花火見に行ってるしぃ、病人扱いはせんで。
花火も見たいやろ。見たい気持ちはよ〜わかる。
わかるから行くことには何も云わんが、その代わりそれを理由にうだうだはありえん話ですわ。
まぁ、何も云うてもないねんけど。” 04 不条理なことが通る世の中に怒り心頭ですわ “だから、大人は嫌いやねんって思う40代の私。 しょうもないことに首を突っ込んで3ヶ月も振り回されて、
その結果、これですかぁ!という状況で
はらわた煮えくり返る思いとはこのことです。 ココで暴露できたらどんなにか気持ちがいいかという衝動をぐっとこらえるところは
大人な私。 まぁ、ストレスがたまってはいけませんので
抽象的ではありますが、怒りのほどを綴らさせてもらいます
狭くて甘い世界で生きてるおっさん相手にほとほと疲れますわ。
私よか学歴が高いのは確かでしょうが、
私よかあほですやん
世の中、学歴が高くてもあほなヤツはよ〜さんいてるってことをつくづく実感いたします。
そして人を見る目がなさすぎ。
その結果、こんなことになってしまって、おまけに責任転嫁って
卑怯も甚だしい。
ずるい大人とはまさにこヤツらのこと
相応の傷を負ってもらわなあきまへんなぁ。” | 7月 27 河内のセミは河内弁? “昨日は娘と二人で夏休みの宿題でもあるオープンキャンパスに参加してきました。
とりあえず、進学希望ということなので・・・
ちょいと本人の実力では厳しいか?ってとこやけど
行くだけ行ってみましょ・・と朝11時に出発。 オープンキャンパス入り前に
梅田で買い物しよかってことでファイブにGO
娘には黒地に小花模様のパーカー付きのTシャツ。
この小花模様というのは、私が好きなんですわぁ。
基本的に洋服の好みが似てるとこがあるので
「これ、かわいいでぇ〜」という言葉に
「ほんまやなぁ」というから
「着るなら買うで!」と私。
「着る!」って云うからレジですわ。 私は隅っこに追いやられている22.5のサンダルが激安で、
「これええやん!」て即決即買い。
21.5の私には大きいサイズではあるけれど
細身デザインやしベルトで調整できるのでいいやん
ほんまは襟付きのTシャツが欲しくて、
Sサイズを扱っているINGNIを覗いてみたが、
Mサイズばっかりであかんやん・・・ お昼にぼてじゅうでイカ玉とえび玉を二人で頂いて阪神電車に乗って移動
ぼてじゅうでは、前日の売上金が合わへん話を店員がしてはってんけど、
そんな内々の話はお客さんの前では控えたほうがよろしいでと心の中でつぶやく。
息子と出かけるとお昼はマクドってなるねんけど、
まぁそれはそれで安くついていいねんけど、
娘と二人のときはマクドより高くついても通常のお食事処で食べたいと思う私。
それでも、お好み焼きやらうどんやらラーメンという安価なものをチョイスする。
まぁ、ぼてじゅうのお好み焼きはおいしゅうございました 何がおもろいって阪神電車。
昔から子供のときから思っていたけれど、
なんであないいがんでるねん?
いかにも阪神やなぁと納得はするねんけど、いがみすぎやろ。
ホームについて、転げそうになったやん。
とまぁ、無事に大学最寄駅に到着。
どこに行ったらいいものかと、図書館に行ってみたら、
学生さんが勉強してはる。
本も充実してるし、さすが私立
食堂にも行ってみやなってことで地下食堂に下りる。
自販機でアイスクリームを買い、入試説明会まで時間をつぶす。
今年度、受験するわけやないけれど、
オープンキャンパスに来て何か話を聞いて帰らな意味ないしとまぁ、
説明会場に入る。
クーラー効いてるし、めちゃいい感じ。
説明の合間に文化祭だか体育祭だかの様子をビデオ上映されていて
それがなかなかすごい
思わず「うわ〜」って声を出してまうぐらい、すばらしいものをみせてもらった。
なんやかんやと云いながらも、最近の大学生もやるときはやりはるねんと
やたら感動ですわ。 入試説明も終わり、バスを乗り継ぎ、実家のある尼崎へ
尼崎っていうても、西宮から二号線、武庫川を渡ってすぐそこってとこ。
この武庫川を境に町の雰囲気、人の趣きが見事に変わるところがオモロ〜ですわ。
武庫川自身も西宮側川辺と尼崎側川辺では姿を変えてはる。
私はどっちも好きではある。 とまぁ、西宮から武庫川を渡ってすぐのバス停で下車。
実家のマンションまで娘と歩きながら
「なんかセミのうるささが違うよなぁ」って娘
泣き声は同じやから同じ種類のセミやのに、土地柄があるのか?
尼も河内もそうかわらんと思うものの、
やっぱり隣が西宮っていうのは大きいのか、
セミのうるささがちがう。
「河内のセミはセミも河内弁なんやって」と阪神間をこよなく愛する私は云う。
最近、現住地の田舎くささに辟易としているからよけいいやみたらしくなる私。
町並み云々やなくて、住んではる人の心意気がなぁ。
閉鎖的でいやになってくる。
セミまでもそうなんか?と思ったわけで・・・” 24 19 15 次男坊主の個人懇談日 “14時50分からってことなので40分過ぎに教室前に到着。
そしたら一人お母様がいらっしゃる。
「こんにちは。あの何時からですか?」と問う
「40分からなんです。ちょっと押してるみたいですねぇ」と。 しばらくしたらドアが開き、40分からのお母様が入られる。
10分かからず、ドアが開き、私が入る。 「お母さん、ほんま細いなぁ〜肉、分けてあげたいわ」って
クーラーがんがんの教室で担任の先生に云われる。
へら〜と笑いながら内心、いらんしぃ〜〜と突っ込む。 4月からの3ヶ月経過の学校生活の反省一覧を見せられるが、
自己採点がめちゃ甘いちゅうか・・・
思わず
「甘っ・・笑ってまうわ」と私
先生、苦笑ですわ。
「っで、どうです?」ってふる。
「お兄ちゃんと比べたらあかんねんけど(元長男の担任なので)
同じように育ててはると思うねんけど、
お兄ちゃんのあの努力がぜんぜん、見られないというか、
えっなんでこんなことがわからんの?ってことがありますわ」と。 笑うしかない私。
だってなぁ、勉強のことなんて長男にやいやい云うてないし、
同じ様に育ててるも育ててないもないしなぁ。 「この前の参観も真横に立ってたから見てて、びっくりですわ。
あんたぁ〜こんなんわからんのんか!って心の中で突っ込んでましたわ」と
「いや、ほんま。何回も云うけど、お兄ちゃんと比べたらあかんねんけど、
こつこつとまじめに努力していたあのお兄ちゃんとまったくちがう」
だから、先生、比べたらあかんって。
長男は長男。次男は次男ですわぁ。 なので
「まぁ、努力っていう点では比べようもないところなんやけど、
歴史が好きちゅうか、坂本竜馬が好きで、伝記モンの本も好きで、
まぁ、人間が好きってことなんやろうなぁ。そこが良いとこやし」って
ホローをする私。 ほんまやしぃ。そんなもん、兄弟で同じやったらおもろないがな。
こっちはこっち、あっちはあっちで
個性があってええとこありの悪いとこもありで良しってことやん。 次男はどこに行っても比べられるから
どうもそれに反抗して勉強に関しては努力はせんって姿勢でいてるようなとこがある。
そやけどこの坊主、
毎日、朝は布団を上げて、ゴミももって降りて、
夕方は洗濯物をたたんで、お風呂の用意をしてくれてるねん。
お姉ちゃんもお兄ちゃんも部活で忙しくて家の手伝いでけへん分
一手に引き受けてくれてるねん。
ええやんと思うが・・・ あ〜〜やっぱり九九はさっと云えるようにはしとかなぁ。
後々、苦労するのは本人やし。
夏休み特訓やな。 眼鏡なしで学校に行ったものやから
すれ違う人が不明なまま。
私の目のことを認識してくれてはる人が3人ほど、
私の名前を呼んで、そして、ご自分の名前を云ってくれはる。
ほんま、ありがたいことですわ。 一人の方には
「自分の体を考えや。あんたの代わりはおらへんねんで」と
ここ数ヶ月首を突っ込んでいる、学校ゴトを云わはる。
「体育館でのあんたは別人やった」と この学校ゴト、ここで書けないのが辛いとこですわ。
ほんまええ加減にせえよ!
そこのバーコードとちびのチャラ男みたいなおっさん二人とだけ申しときます。” 09 靴の修理 “明日、ちょっと気合を入れて出かけないといけないことがあり、
いつものジーンズにTシャツでは具合が悪い。
てなことで、パンプスですわぁ〜 夏やし、白いパンプスって、出してきたのはいいんやけど、
なんせ20年以上も前の代物。
外側は健在なのでまだまだ履けると足を入れたらなんか変。
見たら、中敷がもろもろになって靴の中わやくちゃです。 うそやん!どないすんのん?!と
とりあえず、ヨーカドーの入り口んとこにある、
靴修理と合鍵を作ってくれはるお店に持って行った。
「古い靴やからかこんなんなってもうて・・・直る?」って聞いてみたら
「いけますよぉ〜」って兄ちゃん。
「ついでにかかとも頼むわ。」とお願いして一旦帰宅。 中敷、乾かすのに1時間かかるとかって云わはるし、
1人でヨーカドーの中で1時間は時間つぶせん。
洋服見るったって、私のサイズは売っていないので見てもしゃ〜ないやん。
靴だって21.5なんでおまへんやん。 一旦帰宅後、再度、ボチボチ歩いてヨーカドーへ。
兄ちゃん、1時間あったら大丈夫っていうたのに
1時間半ぐらい経って向かってるのに
「あと15分ぐらい」やて
また、ヨーカドーの入り口出たとこでタバコ吸うてたんとちがうん?って
突っ込みそうになったがな。
ほんま、しょっちゅう、自動ドアの外でタバコ吸うてる兄ちゃんやもん。 15分ぐらいならと本屋で時間をつぶす。
PC関連のコーナーであれこれ手に取るが、
いや〜高いわ。
欲しいと思った本、3,000円、4,000円やもん。
今、密かに勉強していることがあって、それの補助にと欲しいなって思ったが
棚に戻す。
っていうか、読めば読むほど、奥が深いぞと
立ち止まってたらあかんなぁとなんか奮起してもうたし。
というても、自分のペースでしやなな・・・と
20分ほど立ち読みして
靴修理の兄ちゃんのとこに向かう。 出来てますわぁ〜
キレイにしてくれてはる。
これも技術やなぁ。
合鍵やと500円ぐらいの売り上げが、
私の靴修理、時間もかかったでしょうが、中敷2足分、かかと1足分で
3800円やん。
さっきの本、買えた・・・
いや、安モンの靴なら新しいのが買えた・・・と思うが
これは、サイズがそうそう見つけられんしと諦める。
本・・・買えたやん。 せっかく、修理してもうてんから、
この際、履きつぶすつもりでがんがん履いたろって
玄関で靴クリームを塗りこめながら思う私。 でもね、洋服だって'80、靴も'80ですわ。
デザインはどうなん?って思うが、
肩パット取ったらいけるやん。
いけるいけるとわが身に言い聞かせる。
っていうか、20代で着てた服を倍の年齢になって着るってどうよ?って思うが、
今でも高校生の娘と貸し借りしてるねんしなぁ。
ええやん・・・って思うことにする。” 07 汗だくでカレーライス “いや〜暑いねんけど、PCに向かってる分には
じと〜とにじむ適度なので、扇風機も回さずにいる。
朝から家のあちこちで
「暑っ!」「アツイ・・」と声が聞こえるが、
内心、思うわけですわ。 夏やもん、暑いのは当たり前。
暑いって云うな!
暑いって思うから暑いねん! と。 なので、私は家の中では「暑っ!」とは云いません。
まぁ、外で人と出あったときには
挨拶のように「暑いねぇ」とは云いますが。
本日のお昼は
金曜日の残りのカレーでカレーライスですわ。
カレーの残りでカレーうどんとかってよく耳にしますが、
私はカレーうどんはあきません。
カレーパンもあきません。
カレーはカレーライスオンリーですわ。 大阪はナンバの自由軒っていうライスカレーが有名だと連れて行かれたことがありましたが、
あきませんでした。
生卵があきませんし、ライスカレーもあきません。 てなことで、カレーはカレーライスとかたくなな私は
2日でも3日でもはけるまで、お昼に1人カレーライスを頂きます。
てなことで今日もカレーライスを頂きましたが、
これがまぁ、日にちを置くとコクが深まり美味しくて、
やっぱりカレーはカレーライスやん。
それもチキンカレーやしってご満悦。
五臓六腑が動きだすと、即、汗が出るという、身体の内の動きに律儀な私の体の外では汗、汗、汗のつぶ。
暑いわ、辛いわで、大汗だく。 昔、働いていた事務所が南森町で、
たまに、お昼、カレーライスをご馳走になることがあった。
カレーライス専門店で、これがまぁ、チキンカレーが美味しいねん。
その近辺にこれまためちゃ美味しいうどん屋さんがあって、
そこにもご馳走してくれるっていうのでほいほいついて行ったわけですが、
私はもっぱら親子うどんですわ。
鶏肉、すきなんです。
ちなみにそこから泉の広場に行くまでの道すがらにあったお寿司屋さんにも
仕事がはけてから
ちょこちょこ連れて行ってもらい、
あなご好きという私のために、特注のあなご巻きですわ。
これもめちゃ美味しかった。
くるくる寿司とちゃいますぜ。白木のお寿司屋さん。
私は支払いの心配などせずに頂けるのでほいほい連れて行ってもらいました。
まぁ、食が細く、好き嫌いの多い私なので、しれてるとは思うのですが、
あちこちご馳走に連れて行ってもらったことを今更ながら感謝です。
曽根崎の常夜灯のおでんも美味しかったし
たこ梅のおでんも美味しかったですわ 汗だくのカレーライスからあれこれ思い出話が頭をよぎり・・・・ 昨夜、飛び込んできたニュース。
娘の同学年の男の子がバイク事故で亡くなったと。
今朝の新聞にも載っていました。
高校2年生です。
息子に先立たれる親御さんの気持ち、なんとも云えません。
娘は同じクラスにはなったことはないのでそんなに関わりもなかったんですが、
仲良くしてた男の子を知っていて
その子は親友を亡くした痛みに苦しんでいると。
人の人生なんて、ほんまはかないもの。
ご冥福をお祈りいたします。” 05 低血圧症やからか・・・ “昨日は朝からめちゃしんどい。
PCに向かっていても、息切れがする。
心臓の動きがしんどいって感じ。
いや〜もともと、心臓は弱い。
病院にかかるほどではないけれど、小学生の頃に
全速力で走った後の息切れが半端やなかったので
病院に連れて行かれた。
人より心臓の動きが元気でないという診断。
だからって何をどうするってこともなく、
強度の運動は避けたほうがいいでしょうとのこと。 生後1か月に手術もしているから
親戚のおばちゃんに云わすと
「身体にメスが入った子は弱いねん」って。
確かに弱かった。
なんしか、すぐにしんどくなる。だるくなる。
体力ないくせに、根性だけはあるから、
気力で動く。
それが、昨日は、その気力も出ん。
熱でもあるかんと体温計を出すが、平熱。
測りながら、身体熱くないし熱があるはずないよな・・・って思っていたが
熱が上がり際のしんどさで思わず体温計に手を伸ばした。 2,3日前から新聞の婦人欄に
低血圧症の記事がシリーズで載っている。
それを読んでいると、
上が100以下を低血圧症という。
私やん・・・
やたらしんどがる。
私やん・・・
耳鳴りがする。
耳は鳴らんけど、こもったような感じになるやん・・・
夏は特にあかん。
うんうん。あかん・・・ あ〜〜だからか、低血圧やからこんなにしんどいねん。
心臓が苦しいねん。 地球温暖化を実感する夏が来て、
暑さに対しては、気持ちは我慢できるねんけど、
身体がついていかれへんを
ここ数日で実感。
いや、ほんま暑さは我慢できるねんけど、
身体があかん” 04 冷却ファンの効果 “今日は、昨日と同様、暑いです
一日在宅の本日は、たまったPC作業をしようと朝から電源ON
昨日設置した冷却ファンも風を送ってくれていて、
今のところ、いきなり電源が落ちるって症状は出ていない。
たかだか、一日使用したぐらいで効果ありとはいえないけれど、
なんとはなく、冷却ファンを設置する以前に比べたら
PC動作にサクサク感を感じるのは気のせい? ” 次々ダウン・・・学校の対応の違い “昨日は朝から知人宅にて、ちょっとした問題での話し合い。 お昼回った頃に期末試験中にてお昼帰宅の長男からメール。
「次男が発熱で帰ってる」と。
小学校、次男の担任(2年前は長男の担任)から電話。
次男が8度の熱で保健室で寝てると。
迎えに来てくれと。
母親不在だったので、長男が卒業以来で小学校の門をくぐって迎えに行ってくれた。 久しぶりの小学校。
保健室はどこやったけ?と職員室前に行くと
これまた元担任(前出の担任とは別の先生)に出会い、
保健室の場所を教えてもらったらしい。
メールでは、
家に帰っておにぎりを食べて、熱を測ったら7度6分ということやったので
急いで帰ることもないと15時ごろ、私は帰宅。 熱中症ぽいなって思いつつ、次男を見ると
爆睡中。
熱を測るとすでに平熱。
なんじゃいな・・・
夜まで爆睡し、今朝は平熱でご機嫌よく起床なので登校ですわね。 昨夕、次男のクラスメートが連絡帳を届けてくれたのはいいねんけど、
担任の先生、言葉足らず。 7/1付けで学校始まって以来のちょっとした事件のお手紙が配布されいてる。
っが、わが次男坊主は7/2になってもそのお手紙を持ち帰らない。
前々から大雑把な次男の担任は
他のクラスより配布物が遅いねんけど、
なんせ、私が関わってることなので、世間と足並み揃えて持ち帰らないお手紙にいらつく。 個人懇談の日程を連絡するついでに
7/1付けで他クラスに配布のお手紙、まだ持ち帰りません。
わが子が紛失したのかと思いお尋ねしますと記入。
っで早引きした次男坊主の代わりにクラスの子が持ち帰った担任の返事は
「どうもすみません」とだけ。
いやいや、それはそれとして
とりあえず学校で8度の熱があって中学生の兄ちゃんが迎えに行ってるねん。
「お体の具合はどうですか?」とか
「4時間目にしんどそうやったので」とか
次男の発熱に対しての言葉、あってもええのやないかと
ムっとする私。 今朝、熱も下がり登校する次男。
水泳は休まそうと連絡帳に
「昨日はお世話かけました。ありがとうございました。
本日、熱は下がりましたので登校させますが、水泳は見学させてください。
よろしくお願いします」と書く。 小学校の先生なら、きちんと文章を書かなあきまへんでと思いながら持って行かす。 そしたら、さっき、中学生の長男がえらい早いご帰還。
「どないしたん?クラブは?」
「途中でしんどくなったから帰ってきた」と
体育館、暑かったのやろうなぁ、これぞ熱中症か・・と
寝かせる。 長男が帰宅して20分ほどしたら
中学校、副顧問の若いおねえちゃん先生から電話。
事情を説明して、心配のお言葉と明日のことを云わはって
最後にお大事にと。 小学校とえらい対応が違うやないの。
まぁ、小学校なぁ、先生方への指導をすべき管理職がなぁ・・・
いやいや、ここまでにしとこ。
次男の担任、私の受ける感触では、私のことを苦手としてはるねんなぁ。
特に長男の担任やった頃の個人懇談って硬かった。
まぁ、そんなことどうでもいいねんけど。
そんなことよりもっと大きな問題に直面しているし、
ほんま、どないかならんかなぁ。 私もダウン気味やし。朝からしんどい・・・” 03 冷却ファンを購入 “昨年の夏、私のこのPC、いきなり電源落ちるを何度も繰り返していた。
4年選手だったので、寿命なのかと思いつつ、
新しいPC購入も考えやなあかんかな・・と。
でも、秋になり、気温が下がってきたら
いきなり電源が落ちるって症状がでなくなり、無事に年を越し、
この6月で丸5年を迎えた。 ネットであれこれ検索すると
ノートPCって夏場にそんな状況におちいるらしい。
その対処方法として、冷却ファンでPCを冷やしてやるといいとか。
っで早速、おとつい、ネットにて
冷却ファンを購入。本日届き、早速、設置してみました。 本日のこのじめ〜とした蒸し暑い中、扇風機も回さずの作業。
扇風機は目が乾くからNGやし
といってエアコンは身体が冷えすぎてあまり好きではない。
夏は暑いものと思えば乗り切れるという私ではあるが
相棒のこのマシンとは末永く付き合って行きたいので
冷やしてやるさとファンを回す。
これから、気温が上昇していくであろう、1,2ヶ月
冷却ファンでスムーズに動いてくれることを切に願う私です。” 01 | 6月 19 眼科にて、おばちゃん達の席取り合戦 “眼底検査をするので、朝一からお昼かかるまで病院で過ごす。
眼科って
外待合にいながら、検査をしてもらって順番がきて
やっとお医者さんと対面で診察となる。 外待合で座っていると、順番に名前を呼ばれるわけですが、
おばちゃん(というても、70代〜)達って
自分が座っていたところに、鞄から帽子やらカーディガンやらを出して
置いていくのです。
席取りですわぁ。
どのおばちゃんもこれをするっていうか
これは当然のこととなっている。
1人のおばちゃんが呼ばれる。
慌てて鞄から帽子を出す。
立ちながら帽子を自分のお尻があった場所に置く。
隣のおばちゃんが、その帽子に手をやり
「わてが見ときまっさ。安心して行きなはれ」と目配せする。
すごいわ。この連携プレー。 というて、知り合いでもなんでもない。
本日初対面のおばちゃん達やん。
たまたま隣あわせに座って
「おたく、どないしはりましたん?白内障でっか?」
「2年前に手術しましてん・・」てな会話が聞こえてきていた。
初対面ながら、そのあと延々に眼科病歴から
接骨院通いの話など病気関係の話題で仲良くなり、
「わてが見ときまっせ」となる。 そして、大きなお尻(私の3倍はあるな)を重たそうに持ち上げて、
よっこらよっこら検査に向かう。
ん・・・パンツのサイズっていくつやろ?って素朴な疑問の私。 っていうか、
私はまだまだひよっこですわ。
席を取るなんて業、よ〜しませんわ。
跡形もなく席を立ちます。
席がなくなったらなくなったで別のとこ探すし、
なかったら立っとくし・・・
眼科では、私はお姉ちゃんの部類ですもん でもなぁ、たぶん、こん中で重症な眼科病歴は私やでって思っています。
知ったはりますかぁ?
白内障の手術は屁ですぜ。
私はランボーにもなれると思ったほどの痛みを伴う経験をしましたし、
目玉にバンド巻いてまんねんと・・・・
だから、どないやねんと云われれば、それまでですが・・・” 14 ほんま遠いわ “娘の高校。
10時からの進路説明会。
8時半に家を出て遠路はるばるですわ。
というても、9時半すぎに会場である会議室に2番目に入室。
当然、ど真ん中の一番前に座りました。
前に座らなスクリーンが見えん。
プロジェクター経由のパワーポイント作成の資料が映し出される。
でもこれ、手元に配布されている資料と同じ。 (パワーポイントでのプレゼンテーション資料の作り方っていうのを
この間、教えてもらったので、ちょっと興味津々。
思ってたより簡単に作れることを知り
やってみたいが、私にはそんな機会もなく残念ですわ。)
進路説明会の内容は
わが娘にはほとんど関係がないこと。
4年大学を希望していないし、成績も真ん中キープなので。 他の公立高校に行ってはる人にきくと
こんな進路説明会をしている学校はあまりないようやし、
中身もなかなか意義のあるもんなのですねぇ。
わが娘には関係ないのやけれども、
後に控える長男には大いに役立つであろう話をてんこもり聞いたし
資料ももらってきた。 高校のレベルによっても話の内容が違うであろうと思う面はあるのやけど、
正直なところの、本校レベルの進学状況の話もあって、
その正直さが気に入っている。
ってか、進路指導の先生が私は好きなのですわ。
なかなか個性豊かなキャラやけど嫌味はないし、
納得できることを云わはる。 帰り道、駅までの川沿い道をとぼとぼ歩いていると
向こうから部活に行く娘に出会う。
自転車に乗って、すっかり、のどかな雰囲気に馴染んでる様子に
1年ちょっと前、合格発表の次の日の説明会の帰り、
夕暮れの川沿いを2人で歩いた時のことを思い出した。 受かったのは嬉しかったのやけど、
ほんまほんそこに山があって田んぼの中にある高校。
こんな遠いところまで、これから3年間通うねんや・・って
複雑な気持ちになった私。
今ではすっかり馴染んで、自転車を走らせる娘を見て、
成長したなぁとしみじみ感じての帰宅。
あれやねぇ、自然満喫の中に身を置くと、人ってセンチになるもんなんや・・・” 11 はしかが流行ってるいるって・・ “昨夜、また9度の熱の娘は本日も学校を休む。
昨日の昼間は熱がなかったので病院に行かずにいたらこれやん。
今日は、いつもの内科が水曜休診って。
とりあえず、熱はぐっと下がっているので
様子見で、この後熱が上がるようなら即病院行きやなぁ。 朝8時過ぎに高校に欠席の電話。
1時間ほどしたら、担任の先生からわざわざお電話を頂く。
1年生の間ではしかが流行っていると云うたはる。
今朝、娘もそんなことを云うていたので
「予防接種はしてるで」って はしかならお口の中に発疹やし、ものごっついしんどい。
私、子供の時はしか経験済みで、めちゃくちゃしんどかったのを覚えている。
娘の全体的な様子はそれには該当せんからはしかではない。 私のこの診たてっていうか
医者より確かなものは母親の診たてやと、
乳幼児期、病弱やった長男のかかりつけのお医者さんが云うたはった。
なので、わが子に限って私の診たては大筋のところでええ線行ってるねんなぁ。
てなことで、今から熱がどうなるかってことの娘なんやけど・・・” 10 発熱にて欠席 “部長正式発表の日だった昨日、授業中からすでに9度の発熱だった娘。
どうしても部活を休むわけにはいかず、
しんどい身体を引きずって頑張ったらしい。 なので、本日は学校をお休みしております。
体育祭もあれこれがんばっていたし、部活もがんばっていたし、
小さい体(私と同じぐらい)でほんまよ〜がんばってたから
疲れがたまったのやろうなぁ。 中学からず〜と無欠席だったので残念やけど、
今朝は微熱になってたし、
ゆっくり寝て明日からまた元気に・・と願う母です。 しやけど、わが娘ながら、責任感と根性はりっぱなものと拍手ですわ。” 08 変とヘンコの違い “娘が友達の友達の話を聞かせてくれて、
「なぁ、母さん、○○ちゃんって子、ヘンコやろ?」って云う。 「え〜〜それはヘンコやなくて、タダの変!」
「なんでぇやぁ、ヘンコやん」
「ちゃうちゃう!ヘンコっていうのは、
独自の価値観があってそこには確固たる信念を持ってる、
そんな人のことを云うねん。
その○○ちゃんは、変っていう部類であってヘンコではない!」と声を大にして云う私。
なんせ、ヘンコを自称している私なので、
変とヘンコを一緒にされると困るわけです。
ヘンコにはヘンコとしてプライドがあるわけです。
っが、ここでいうヘンコってたぶん、大阪弁なので
ヘンコって関西にしか存在しないのか?なんてことも思ってみたりもするが
そんな大げさなことはこっちに置いといて。
私はプライドをもってヘンコとして生きているわけです。 まぁ、
おかげであちこちで頭をぶつけております。
ここ1ヶ月ほど関わった案件
(案件なんてかっちょええ〜そんなええモンでないけれど)のおかげで、
私はとてもハードな母親と思われているらしい。
ハードといえば聞こえはいいが、
なんというか、尋常でない母親というイメージだそうですわ。
おもろいやないですか・・・
私はいたって一般的だと思っているが、
とんでもない母親というイメージが先行しているようなので、驚き! っでしゃべると
「普通の人やった」って云われていると聞かされたりして。
おっそろしいですねぇ、世間の目って。 まぁ、我が家の子供を見てもらえれば、
私がどういう母親なのかは一目瞭然なので、
いちいち、弁解することもなく黙っています。” 07 とてもハードな1週間 “ほっとけばいいのに、首を突っ込んでしまった手前、
後に引けない状況で進んでいった件。
なんとか終結をむかえそうな状況になってき、
ほっとするも、正直複雑な心境な私です。 人生なんて、ちょっとしたボタンの掛け間違いでえらいことになるのやと
実感。
細かいことが気になって、数年前からボタンの掛け間違いを指摘していた私。
そんな細かいことって取り合ってもらえなかったようで
それが結局、こんな大事になってしまいましたという状況。
ものの価値観が違う、考え方が違うで済まされていたことが
結果として、あの時私の意見を真摯に受け止めてくれはったらと思うばかりですわ。
数年経って、出てきた結果は、
ほれ見てみって思う反面、
なんでこうなる前に対処せんかったん?って。 自分の立場に胡坐をかいてはいけません。
流れに乗るのではなく、疑問を持って仕事をしなくてはいけません。
と思う私でございます。 ただ、ほんま先日もここに書きましたが、
プチっとキレたら、言葉荒くなる私も反省でございます。
普段、100もない血圧が、あの時はきっと正常範囲になっていたであろうと
想像いたします。 でもねぇ、私、
何処にいても、何処に身を置かれても、
云うてる言葉、態度はありのままです。 自分の立場を守るために、ウソ偽りは申しませんし、
着飾った言葉も使いません。
そういう人がいることも、今回、再認識し、
そういうお方より人間として上出来だと自負しております。 ということで
明日からの新しい1週間。
気持ちを入れ替え、押してる予定をクリアすべき頑張りますわ” | 5月 31 転んでもタダでは起きません “KANの"愛は勝つ"やないけど、"正義は勝つ"ねん。
ナイチンゲールが言うたはったこともその通り
相変わらず、大人は嫌いって思っているけれど、
やっぱり信念は貫いて正解やと思う出来事があった。
しんどい思いをしても、
そのおかげで得たものもあるから、
まぁ、ほんま、転んでもタダでは起きまへんで
しかし、ほんま、周りに迷惑かけたらあかんわ。
言葉悪いですが、自分のケツは自分で拭きや!と思う私でございます。 外部の雑魚がうるさいのはかなんけど、
真実を見やんと、キチンと理解ができないあほと思ってスルーですわ。 ただ、今回のことでもやっぱり反省です。
私ってキレる(キレた瞬間は認識有り)と、お口が悪くなる。
もう、本当、情けない
い〜〜つも反省するねんけど、あきません。
ちょっとは学習しろよって思う反面、これが私って開きなおってみたり。
あかんなぁ。” 30 大人なんて嫌い “って実年齢は大人の域に達している私が云うのもなんなんですが・・・
ライ麦畑でつかまえてのホールデン少年の気持ちの私でございます。 久しぶりにライ麦畑でつかまえてを読もうかと思っておりますが、
そんな時間がないのです。
インチキはあかんよなぁ。
人を見て態度を変えるのはあかんわ。 でもこういう輩には何を云うても無駄なんよなぁ。
それもわかっているけれど、云わずにおれんとこが大人になりきれない私で、
だから、
大人なんて嫌いやねん。
大人はずるいねん。 ホンマ、疲れるわ・・・” 27 いろんな人がいてるってこと “基本的に、人って自分を基本に物事を判断、発言すると思うから
こちらが思いもよらぬことを云われると
うっそ!そんな風に考える?って思うことがある。 なるべく、自分の考えには固守せず、(価値観、信念は確固たるものを持っているのでそれはゆるぎないものですわ)
いろんな考え方があるのやということは
理解しようと、理解する柔軟性を持っていようと思うが、
どうしても、ほんまにどうしても理解不可能なことをしはる方がいらっしゃる。 これって人間の本質が違うってことなんやろうなぁってそのたびに思う。
若い頃はどんな人とも、心底、本気の言葉で話せば分かり合えると思っていたが
そんなことはとても甘いことと、この年になって気づくこと多々ありですわ。
この年になってですもん。遅すぎやん・・・情けな・・・ あと、すぐに人を信用してしまうとこ。
情にもろく甘いとこ。
ほんまあかんわ。” 部長ってそれは、ちょっと・・・ “重荷やん・・・・ わが娘、高校の部活でもうすぐ3年生が引退しはる。
その後の部長に・・・って云われたらしい。
たぶん、真面目に練習にでているところや、性格やらを加味してのチョイスのようだが、
ん〜〜〜重荷やん。 なんとはなく、副部長かななんて、本人も私も思っていたんやけど。
部長とは、ほんまに重荷。 その話を聞いて帰ってきた日は小一時間、娘の話を聞く。 技術面では娘より上手なお子さんがいらしゃる。
技術面だけで部長選出もないのやろうけど、
人をまとめる力があるかというとなぁ。どうなんやろ?
きっとこの1年、私は娘の愚痴を聞くことになるやろうと覚悟しとかな。
それでなくても、部活や学校の愚痴をたんまり聞いてる。 これが、彼女にとっていい経験となって
成長できることを願うだけしか出来ん母ですわ。
ほんま、ストレスがたまるとアトピーが出てくるから
それだけが心配やし、ほんま不憫。
代われるものなら、なんぼでも代わってやりたいと彼女のアトピーには
心底思っている
ストレスがたまるようなことは極力さけてやりたいのにな・・・” 26 22 二学期制と三学期制・・只今試験中です “100%二学期制だった娘の高校が今年度から三学期制に移行。
大学受験に対応するのに、三学期制のほうが具合がいいような
そんな理由やったように記憶している。
地域の小中学校は、二学期制となっているが、二学期制と三学期制の中間って色合い。
三学期制のままでいいやんとは思うねんけど・・・ 世間では三学期制から二学期制に移行する中、
娘の高校は逆行している感が否めない。
私は二学期制より三学期制のほうがいいと思うので、別にええねんけど、
生徒はちょっとええ迷惑って感じですかねぇ。
この辺りって、再来年、高校受験する長男の高校選択時に考慮しやなと今から思う。
只今、定期試験(三学期制なので中間試験)真っ只中の娘。
2年次からは選択科目が増えるので、試験教科数も増える。
大変ですわねぇ。
世界史に日本史Bやて。
日本史って中2で歴史を勉強する長男と社会の時間、歴史を勉強している次男。
3人そろって卑弥呼ですわ。
卑弥呼がお亡くなりになりはった原因が
3人、いうことが違う。
習っていることが違うのでここで喧嘩ですわ。
卑弥呼で姉弟が喧嘩せんかてええやんって思うねんけど。
邪馬台国がどうのこうのって話題も出てきたりしている。 娘には「母さんは地理Bをとったわぁ
おまけに源氏物語を選択しておもろかったでぇ」と
全く受験を意識しない教科選択の昔を思い出す。
源氏物語を解読していくっていう古典の授業。
教科書なんてないから、先生作のプリント(それもざらばんしってやつ)で
進めていくのですが、これがまぁ、おもろい。 選択科目が増えて、試験日数がトータル7日間という娘。
ず〜と試験勉強したはります。
勉強はしたはりますが、それがどう成果として表れるか・・・
難しいですわねぇ。
試験を終えて帰ってくるたびに
「勉強のやり方、間違えた」とのたまう。
結果、NGってことですかぁ・・・
勉強のやり方ってねぇ、中学までなら私もこうやでって云えたものの
高校となると自分で模索してもらわな、そこまで面倒はよ〜みませんわ。
勉強なんて体と頭を使ってやって頂戴やねんけど。
そんなこんなでここ数日、試験一色の娘。 それに比べたら、来週から始まる中学生の長男の1回目の定期試験
(二学期制なのに試験の回数は三学期制)は5教科のみ。
これがまぁ、得意教科はよろしいわ。
ちょっと苦手と思う英語。
数学に対しては、ものごっつい柔軟な考え方で対処するのに
英語にはやたらかたくな。
英語こそ柔軟に対応しやなあかんのに、対応できへんって大丈夫でっか?と思う母。頼むで! 娘よりこっちに神経が行く私でございます。
でも、娘の勉強内容はなかなかおもろいものがあります。
数学や化学や生物は無視するとしても
古典や日本史や英語なんて横手で見ててもおもろい。
英語の教科書は只今、ベッカムやもん。
おっとこ前のベッカムの写真(それも20代前半のころと思しき写真)が
載ってる教科書で勉強してはる。
よろしいわねぇ。
私もこんな教科書で勉強したかったわぁ。” 21 やっぱり友達ってええよなぁ。 “ご近所さんと元ご近所さんから立て続けに電話。
どちらも込み入った話ってこと。
その合間に生協で同じのおばちゃんが
「眼科のことで教えて」って来はる。
今日は午前中、電話に明け暮れましたの。 元ご近所さんは、ここ何年も年賀状だけのお付き合いやったから
「私のこともう忘れてるかと思って・・・」って遠慮がちに云わはる。
忘れるわけあらへんがな。
「何、云うてるん。毎年、年賀状くれるやん。」って
娘がお腹にいてるときに、保健所のプレママ講座でお知り合いになる。
たまたま家が近所ってことで
出産後も仲良くしてもらった。
年齢も同じぐらいで子供、うちの上2人と同じ年の子供有り。
途中、お互い引越しして年賀状だけの付き合いになったが
何かあったときにこうやって電話をかけてくれはるって
嬉しいわぁ。 そういえば、ちょっと前も末っ子坊主と同じ年のお子さんがいてる
元ご近所さん。
うちの坊主と同学の子が上の子ってことで
私とは年代が少々ずれる。
その彼女、サイト経由で電話番号を調べてかけてきてくれはった。 そして、短大の時の友達もこの前、久しぶりにメールのやり取りをして
近々、再会する約束をしている。
すっごい久しぶりになるので楽しみやなぁ。 そういえば、2月の入院中に
これはもっと古い幼馴染(私が幼稚園入園前からの・・)からメールで
体調が良くなったら再会しようという話もあった。
せやせや、連絡取らな・・・・” 19 消化不良やわぁ〜 “土曜日の午後、
「母さん、"グリーンマイル"観よか」って次男坊主。
TVでビデオ録画したのを一緒に観ようという。 「みよ!みよ!」ってスタンバイ。
坊主がビデオをオンしたら
途中からやん。
え〜〜うそやろって思いつつ、まあ、何回も観てるしええかと
2人で並んで観る。
そしたら、さぁ、いよいよクライマックスかってとこで
ブチってビデオ終了ですやん。 うっそ〜〜これからやん。
と思うがまぁストーリーは知ってるからええかと気を取り直す。
その夜
「母さん、今日の映画を録っとくわな」って
「何ていう映画?」
「さぁ、何やろ。でもおもしろそうやで」
「そうなん?まぁなんでもいいわ。録ってて」って頼む。
ええ加減な親子 っで昨日の日曜。
日曜っていうたかて、部活行きの長男ボンボンが6時起きなので
その後の流れも普段どおり。
おまけに人手があるから洗濯やら掃除もちゃっちゃと終わる。
9時過ぎには
「母さん、昨日の映画でも観る?」って 「観よかぁ〜」とこれまた私はクッションを枕に寝っころがってスタンバイOK。 「うわ〜もしかして、母さん、あかんわぁ。
バレーボールが延長してたみたい」って
ビデオを再生したらバレーボールをやってはる。
結局、これからってとこでまたビデオ終了となる。
観てたのは""デイ・アフタートゥモロー"
息子がいてるニューヨークに向かう父親一行の車が吹雪で身動きとれんようになった場面で
終了です。
これは初めて観るから、ストーリーわからんし、
この後、どうなるん?って消化不良のまま。
いずれ、レンタルして続きを観やなあかん。” 16 めざせチャラ男! “昨日の夕方、修学旅行から帰ってきた次男坊主。
学校からの"あと30分ほどで学校着"と云う連絡メールが届いたのに
その到着予定時刻より1時間も遅くご帰還。 へとへとですわぁ
なんかご機嫌もちょっと悪い。
「みんなお母さん、お迎えに来てはった?」
「うん」
「あんた、1人で帰ってきたん」
「うん」って
疲れが手伝って機嫌悪し。 これお土産って
どさっとテーブルの上に置く。
おせんべいとお饅頭と飴玉と兄ちゃんにバスケボールとシューズのキーホルダー。
っで坊主の首にはキラキラ光る、いるかのネックレス。
「それは自分のお土産なん?」
「そう」
「ふ〜〜ん。ネックレスなんて買ってる男の子なんてあんただけちゃうん?」
「ううん、これは○○とおそろやで」
「へぇ〜〜〜」
「他には勾玉のんとかを買ってたで」って わからんわぁ〜〜 「お小遣いは余ったん?」
「うん。たぶん、400円ぐらい」
「それ、ほんだらあんたにあげるわ。」
「うっそ!やったぁ〜」と
まぁ、誕生日のプレゼントにお金を使わしたらから・・・ 2年前の長男は、1700円ぐらいの返金があった。
家用のクッキーとかそんなんを2個買っただけで終わり。
優柔不断なんよなぁ。
ちゃちゃと決めたらいいのに、あれかこれかて迷ってる間に
買い物タイムが終わってしまったらしい。 次男は即決やもん。 それにしても、ネックレスってチャラ男になるつもりか?
3時間目から登校の今日もそのネックレスをして行くし。
学校ということで、Tシャツの中に入れてる。
首からかすかに見える鎖やけど、
どうみてもかぎっ子よろしく鍵をぶら下げる風。
何を考えてるのか、
オモロ〜〜や” 15 半日眼科で過ごす “眼底を診てもらうのに、一定期間置きに点眼をして
瞳孔を開く。
これに時間がかかるねんなぁ。
9時半予約で9時15分過ぎに診察券を出して、
家に戻ったのが12時やもん。 帰り道にあるスーパーでちょっと買い物でもって思っていたが
片目だけとはいえ、瞳孔を開くとまぶしくて眼を開けていられず、
結局、スーパーの前を素通り。
とりあえずの第一段階の術後3ヵ月は無事に通過ということらしい。
再発20%って云われていた3ヵ月を無事に終えたのでよかったわ。 前回、先生に
「再発って今、欠けている視野が広がってくるんでしょうか?」って問うてみた。
「手術した箇所が剥がれるというより、
全く別の箇所に穴が開いてって可能性のほうが高いので
朝起きたら何も見えないってことになっているってこともあります。
一度剥がれているので剥がれだすと速いです」と え〜〜朝起きて、目の前真っ暗ってそれはち〜ときついやん。
って思うが、
まぁ、そうなったらそうなったときのことと思うしかない。 しやけど、今日はご近所のおばちゃんもいてはって、
おしゃべりしてたから、いつもよりかは短く感じた待ち時間。
「眼の病気って見た目には元気やしなぁ。
口も元気やしなぁ。」って そのおばちゃんは眼底出血でのオペ後検診。
重たいものを持ったらいきなり眼の前真っ暗になりはったらしい。
「眼って普段は実感せんけど、力が入ってるもんなんよねぇ。
めちゃデリケートやなぁ」と2人でうなづく。 そしてあちこちの眼科評を聞く。
でもまぁ、眼科に限らず、
何処の病院も主治医の先生とウマが合うかどうかってとこよなぁって
ここも2人で納得。” 14 修学旅行やってん・・・・ “なんやかんやとばたばたしていて、
愛すべき次男坊主が本日から1泊2日で伊勢志摩への修学旅行ってこと
すっかり忘れておりました。 日曜日に、姉ちゃん、兄ちゃんが林間やスキーやって使ってきた
大きいバッグ。
スポーツバックの大きいのん。
それを押入れから出して渡してあったので、
自分でちゃっちゃとしおり片手に用意をしていた。 上2人も私が手をかけることなく準備をしてたので
当然、末っ子の坊主も自分でやるわけですが、
今朝、近所の子のお母さんが車で送ってくれるねんって
出かけていく後姿。
2年前の長男の時の荷物より少ないような気がするねんけど・・・
でも出しない、もう一回、荷物出して
しおり片手に
「最終、確認しとこ〜〜」ってしてやったしなぁ。
今更、思ってもしゃ〜ない。
修学旅行やし、何を忘れたっていうたかて
食べるもんには困らん。
女の子なら支障もあるかもしれんけど
男の子やし2日とも同じ服着てたかてまぁええやん。 3人目ともなると、親もええ加減になれるもんで、
そやからか、本人もおおらかに育ってるっていうか・・・
一番気楽でよろしいわ。 これが、娘のときなんて
近所の人が車で送ってくれるっていうたら
そこまでついていって
「すみません、ご迷惑おかけします」のご挨拶させていただいた。
っていうか、前もってそこの親御さんから電話があったりして、
なんやかんやと手続きが面倒。 長男の時は男の子やし。
我が足で歩いて行って、帰ってこ〜いとハナから突き放していた。
今回の次男は、
病み上がりの私ですので、当然、荷物持つためにお迎えなんてムリ。
そんなことは、当の本人も重々承知。
なので自分で行って、帰ってくるものって覚悟してたら
近所のクラスメートが
「うちの車に乗っていくか?」って誘ってくれたらしい。 子供同士の約束なので、私は知らんぷりを決め込んだ。
ここが男の子の親の気楽なとこ。
これが女の子の親なら、一言お礼言うとかな・・ってなる。
今回、車を出してくれはる親御さん、私、どんな方かも存じ上げていない。
まぁ失礼な話よなぁと思うが、
基本的に修学旅行やスキーやって送り迎えをすることに
あんまり必要性を感じていない。
たまたまその時間に余裕があれば、行ってもいいけど、
わざわざは・・・・ええんちゃう?って
面倒くさいし、ってここで出不精の私が頭をもたげる。 娘には
「私だけやで迎えがなかったん!」って云われたこともあるが、
「あんただけってことないやろ?
学年中の子に聞いたんか?」
「私の友達の中で私だけやんかぁ」って。 長男はハナから期待してない。
そういう態度やと、行ってやろって思うヘンコな私が出向くと
「お母さん、来たん?」って
「あんたなぁ、せっかく来てんから、もうちょっと喜んでくれんか?
精ないわぁ」 今回は私は行かんけど、
ちょうど定期試験前日で早々に帰宅するであろう娘に
軽〜く振ってみよかしらん。
「久しぶりに小学校に行きたいやろ?」って しやけど、朝から
トイレの中で♪羞恥心〜〜羞恥心〜〜♪ってご機嫌やった坊主
夕方の洗濯物をたたむって彼の仕事はいったい誰がするのでしょう?
当の本人も
「ボクがおらんかったら誰が洗濯物たたむん?」って心配しておりました。
1人欠けると、それぞれの役割分担の仕事があるので困るのです。” ナイチンゲールの名言 “ってのが、今、ラジオから流れてきた。 「明確な行動をしていれば、人は必ずわかってくれる」という内容の言葉を
ナイチンゲールが残していると。 リアルタイムに私に響く言葉ですわぁ。
幼稚園児のときにあこがれたナイチンゲールの言葉というので余計ですわねぇ。 っでネットで調べたら、
"人生とは戦いであり、不正との格闘である。"
(ナイチンゲール 『もうひとりのナイチンゲール』吉岡修一郎著 医学書院)
と云うてはる。 共鳴します・・・・ でも、実は私が一番好きな言葉は "笑う門には福来る"” 12 07 小学校のラグビー教室 “わが町は、ラグビーの町なんですねぇ。
実家は尼崎で甲子園球場がほんそこで、
高校球児の憧れの甲子園がそばにある環境で育った私なのですが、
今は、ラガーマン憧れの花園ラグビー場がほんそこに住んでおります。 なので、小学校からラグビー教室に通っている近所の子もよ〜さんいてるし、
地元の中学にはラグビー部が君臨しております。 っで我が息子2人はといえば、
長男は幼稚園時代、砂場遊びで砂がスモッグについただけで
払いのけるというボンボン(私の子なのになぜかボンボン)。
ラグビーは怖いと申して、バスケ部所属。 私に気性がよ〜似てる次男坊主はただただ兄ちゃんの影響でバスケに熱中しているけれど、
そこそこ運動神経があるので
ほかのことにもちょいちょい手を出す。
その坊主が在籍する小学校にラグビー日本代表(坊主が言うからよ〜わからん)の選手が来はって、
6年生相手にラグビー教室をしてくれはった。
その様子を町のケーブルテレビが取材に来てはって放送があるというので
「ボク、うつってるかもしれんでぇ〜〜〜」と能天気にビデオの録画用意で放送時間を待つ。 小学校からの連絡メールでも
何時に放送されるって連絡があったから、私も待機ですわ。
ほんだら、誤報やん。
連絡メールの時間には別のネタ。
しっかりしてくれよ〜〜って学校に文句云うたろかって思うが
まぁここは押さえておく。 っで翌日、次男坊主の友達情報で放送日を知り、テレビの前で待機。
「昨日と同じでまた全然違うネタとちゃうかぁ」ということで
ビデオの用意はせず。
ほんだら、こういうときに限って、お待ちかねの放送なわけで、
おまけに、うちの坊主、映ってますやん。
赤い体操帽のノビノビになったあごゴムがぶらぶらしてる真ん丸い顔は我が息子ですわ。
「え〜〜今のん、あんたやでぇ」
「そうよなぁ?あれボクよなぁ」
「うん。そや。ビデオは?」
「え〜〜撮ってない」
「うっそ〜〜〜」って 町のケーブルテレビは同じネタを一日に何回も流しはる。
「友達に聞いてみ。次は何時か?って」
で2回目の放送を無事にビデオに収める。
収めたけど、たぶん、これっきり見んやろうねぇ。 おまけに我が息子、その日本代表やっていうラガーマンにサインしてもらってんって
体操服にマジックで描かれた文字を指す。
「なんていう人に書いてもらったん?」
「知らん」
「知らんって。なぁこれなんて書いてあるん?」
「さぁ〜」って
だってそのサイン、漢字の名前やないようやし、
え〜〜あんた、落書きしたんか?って感じ。
本人は
「誰でもいいやん。なんしか、日本代表やねん」って。
そういうもんなんですかねぇ。
誰のサインともわからんのに、嬉しそうにその体操服を
今日も持って行きましたわ。
ケーブルテレビに映ってるラガーマンのどの人にサインしてもらったん?って
聞いても
「どの人も同じように見えてよ〜わからん」って。
あんたのほうがよ〜わからんわ。” 06 風邪をひいてしまいました “暑かったり涼しかったりについていかれへんのんか、
やっぱり体力ないわぁ〜って実感。 のどは痛いし、声はガラガラやし、
一人毛糸のカーディガンを着てる。
それでもなんやゾクゾクする。 右目、術後、3ヶ月経過し、
再発の危険性20%をクリアできたので喜んでいるのになぁ。
まぁ、まだあと9ヶ月は油断できんけど、
ぼちぼちですわねぇ。 う・・・しんど・・・ちょっと寝ます” 01 持ち上がりの家庭訪問 “5,6年同じクラス、同じ担任ということで
上二人が6年生のときははなから家庭訪問はなかった。
今回、末っ子坊主は、
家庭訪問希望します・希望しませんってプリントを持ち帰ってきた。 何も考えずっていうか
はなから家庭訪問はないものと思っていたし
希望しませんに大きく丸をして提出。
転入生が来たとか言うてたし、そこのお宅ぐらいに訪問しはるんやろな・・
なんて勝手に思っていた。
昨夜の次男との会話。
「家庭訪問のときはミニバス、夕連(夕方の練習)やなくて昼連(昼間の練習)やねん」って
夕連も昼連もそない大してかわらんように思う私は
「なぁ、夕連と昼連の違いって何?」
「え〜〜母さん、わからんの?」
「わからんから聞いてるねん」
「あんなぁ、夕方に練習するのが夕連。昼間に練習するのが昼連」
「いや、それは分かってる。
朝連と昼連だけでいいのとちがうん?
夕連も昼連もそない違いはないやん」
「ちゃうやん。家庭訪問のときは、学校、昼までやん。
その後に練習するから昼連やん」
ふ〜〜ん。 「家庭訪問って、6年生は家庭訪問ないやん」
「あるやん。」
「え〜でも、あんなんみんな希望しませんって出しはるやろ?
だからないやろ?」
「そんなことないで。
ほとんどの家に行く。
教室に家庭訪問に行く人の名前と時間が書いてあるで」
「うっそ〜〜〜
え〜〜ほとんどって何人ぐらい?」
「知らんわぁ。ほとんどっていうたらほとんどやん」
「え〜〜ほんだら、うちにも来てもらえばよかったような気になるやん」
「ええやん。別に」って次男坊主
「別に来てもらっても話ないねんけど・・・
ふ〜〜〜ん。ほとんどのうちに行きはるねんや・
ってか、ほとんどの人が希望しはってんやん。
ふ〜〜〜〜ん」 家庭訪問なんて邪魔くさいだけやのにって思う親は私だけみたい・・・って
ことに驚く。
ふ〜〜〜〜ん。” | 4月 30 キョロちゃん、銀のくちばし5枚!! “先日も銀のくちばしが5枚集まったので、
黄金のキョロちゃんを手に入れた我が家ですが、
冷蔵庫に銀のくちばしが5枚、マグネットでペッタンコされています。 キョロちゃんのおもちゃの缶詰、子供達が幼稚園時代にも
3人×2周りなので6個は手に入れました。
何年かに1回、おもちゃの缶詰がリニューアルされるので
ここ数年は網羅しております。
今回は黄金のキョロちゃんっていうので
早速、手に入れたんやけど・・・・
すでに上2人は、黄金のキョロちゃんを見ても
「あっ来たん」って感動ナッシングゥ〜〜ですわ。 (エドはるみ風で・・・
ってエドはるみさんって私と同世代。
使ってはるあの曲、ナックのマイシャローナですもん。
一発で消えていったナックとはいえ、あのキャッチーなフレーズは名曲です
あの選曲に親近感を持った私でございます)
さみしぃ〜〜
小5の坊主と2人で嬉々として箱を開けて
出てきた黄金のキョロちゃんに
「うゎ〜〜金色やぁ〜」って普段色のキョロちゃんと並べて喜んだというのに。 その昔、ボクの宝物って卒園時の作文で
キョロちゃんの缶詰って書いた長男も冷めたもんですわ。
子供は日々刻々と成長しているというのに、
私は、キョロちゃん缶詰に翻弄されております。 黄金のキョロちゃん、中身は今ひとつやってんなぁ。
次にリニューアルされるのを待つか
黄金のキョロちゃんを頂くか只今、検討中。
次男坊主に相談したら「どっちなと・・・」とつれない返事。 冷めた長男は
「ほんまに金のくちばしってあるんやろか?
金が見たいよなぁ」なんていうから
見たいよなぁ〜あるんやろか?
ないわけないよなぁ。
銀のくちばしが出る確立は結構高いであろう我が家やのに
金のくちばしに出合った事がない。
見たい! 見たいといえば、
冷蔵庫の自動製氷機。
水タンクから吸い上げられた水が製氷皿に入って出来上がったら
ウ〜〜〜ガッシャンって氷の部屋に落ちる。
私はこの氷が落ちるとこが見たいのよなぁ。
ウ〜〜ガッシャンの音のあとすぐに冷蔵庫を開けて、
水タンクから水を吸い上げてるところは確認してんけど、
氷が落ちるとこが見てみたい。 只今、私が見たいものベスト3に入っている2点ですわ” 29 "スパイダーウィックの謎"を観てきた “新聞屋さんにもらったチケットが2枚あったので
朝、8時半に家を出てなんばパークスシネマに向かう。 10時15分からの吹き替え版を観るための早出。
9時過ぎに到着したのはいいけど、
8階にあるシネマインフォメーションまでのエレベーター待ち。
エレベーターの始動が9時20分って云うから
結構の列の中に混じって待つ。 私は、吹き替え版より字幕の方がいいねんけど、
小5の坊主は洋画は吹き替え版専門やし、
とりあえず、本日、暇してる坊主と私の娯楽やから
彼のリクエスト優先やん。
ポップコーンとジュースも買ってやった。
映画は、まぁ、そこそこおもろかったけれど
「もうちょっとハラハラさせてほしかったよなぁ」で
意見が一致。
子供向けやからあれぐらいでちょうどいいのかも。 しやけど、予告でやってたゲ・ゲ・ゲの鬼太郎の
ウェンツはカッコいい。
男前過ぎる鬼太郎やん。 映画が終わったのが12時前やったので
これもまた、坊主のリクエストでマクドでランチ。
携帯クーポンを見せて購入。
お腹いっぱいになったところで
朝とは違うルートで帰ることにする。
娘と2人なら、心斎橋で遊んで帰るところやけど
小5の坊主と2人じゃ、洋服見てもせいがないので
まっすぐ帰宅。 気持ちのいいお天気の一日でした” 28 時間より早く来はって・・・・ “上がったものの早々に帰りはった。 「先生、上がりはる?」って問うと
「どうしょうかなぁ・・」って云わはる。
「上がってください」って云わなしゃ〜ないやん。 まだ、本人いてるし、
本人あわてて、部活に出て行ったわさ。 取り合えずなんか話さなあかんから
毎度同じのこと言う。
特に何の問題もないから、ほんま、わざわざご足労願わんでもいいのにと
思うのは私だけかしらん? 先生も早々に帰りはったからまあええやん。 中2やし、こんなもんやろ。
中3となれば、受験を意識した会話もなされたんであろうと・・・
やっぱり中3の担任は大事よなぁ。
娘の中3の担任はなかなかよかった。
進路指導の見解は的を得てたもん。 さぁ、お茶しょ・・・” 家庭訪問 “本日、15時前ぐらいに中学の先生が来はる予定。
小学校は、クラスも担任も変わりなしなので希望者のみ家庭訪問有りなので
"希望しません"とプリント提出済み。 今日、来はるのはタイガースファンのおっちゃん先生。
子供に
「なぁ、先生っていくつぐらいなん?」
「え〜〜30・・・ん・・・40代かなぁ」と
「家に上がりはるん?」
「お茶もお菓子もいらんっていうてはったから上がらんのとちがうかぁ?」
「ほんまかぁ?ほんだら玄関だけちょっと念入りに掃除でもしとくわ」と
さっき、ダスキンモップと掃除機で
とりあえず整える。
「っていうか、別にええか・・・
掃除してるかどうかなんて関係ないよなぁ?」と
自己満足で終わらせる。 長男はといえば、
先生が来はるであろうちょっと前に部活に行くらしい。
本人、いてないほうがいいよなぁ。
別に話、ないねんけどなぁ・・・ やっぱり、一言
「先生、上がりはる?」って聞いたほうがいいのやろか?
「先生、上がってください」ってお願いしたほうがいいのやろか?
って思ったり、
そや、お化粧どうしょう?
何処にも出かけん日は、ノーメイクやねんけど、
先生が来はるからってメイクするのもなぁ。
いや、礼儀としてすべきか・・・・
え〜〜邪魔臭い。
っで最初の先生の年齢確認ですわ。 おっちゃんやし、もうええか・・・
これが福山雅治系の30代とか、
妻夫木くん風20代の兄ちゃん先生やと
洋服まで着替えるちゅうねん!って思うが・・・・ 前に小学校の家庭訪問で
いつも学校ではジャージー姿のおばちゃん先生が
やたら可愛らしい高原の少女風ワンピースで来はったことがあってんけど。
女性の先生の家庭訪問は洋服の個性が出て
これはなかなか楽しみやねんなぁ。” 25 お楽しみの修学旅行 “バスに酔うらしい。
本人がそういうからそんなんやろう。
そういえば、スイミングスクールにスクールのマイクロバスで通っていた時
(今は自転車で行く)
毎回、「気分悪い」って帰って来てた。 林間学校のときも
「バスに酔う」って云いながら、一番後ろの席を仲間内で占領。
先生には
「一番後ろの席やけどいいんやろか?」って個人懇談で言われる。
「あれも気のもんやし。どうなんやろ?
酔うて吐いたことはねいねんけど・・・
吐く前にビニール袋をくわえるように云うときます」と私。
無事に吐くことなく帰宅。
連休明けに行く修学旅行も
事前調査のバス酔い欄は軽度のバス酔いに○。
軽度と重度の線引きはどこやろか?って思うが、まあええやん。
席はまだ決まっていないようやけど、
宿泊ホテルの部屋割りは決定すみ。
仲良し君と同室でハイテンションですわ。 昨日は、伊勢志摩の遊園地。スペイン村っていうたかなぁ?
そこで何に乗る?ってのを決めたらしい。
ピレネかペレネかいうてハードな乗り物があるらしいが、
普段、でかい口をたたく次男は
こういう乗り物が全くだめ。
コーヒーカップでひぃひぃ云う有様。
どないすんねんやろ?カッコ悪いやんって思ってたら
「女子は乗るけど男子はほとんどの子が乗らんねん」ってほんまか? 普段、大人しい長男はこういうハード系が大好き。
「○○くんと□□くんが乗らんっていうから1回しか乗れんかった」
と2年前、不服そうやった。
今回の次男はその○○くんですわねぇ。
きっと、他の子に「○○くんが怖いっていうて乗れんかってん」って
云われるにちがいない。 毎日のように、修学旅行ネタでもちきりやねんけど、勉強してるんやろか?
2,3日前は全国的に行われる小6の学力試験が行われた模様で
「テストあってんやろ?どやった?」って聞くと
「ん〜〜ちょっと出来た」って
ちょっと出来たってことは、ほとんど出来てないってことやんかぁ!
まぁええけど。” 18 携帯機種変につき・・・ “って私の携帯ではなく、娘の携帯。
やっと巷の流れに乗ってワンセグ携帯を手に入れたわけですが、
ショップのお兄ちゃん曰くに
「1時間半ぶっ続けで見たら電池なくなります」って。
テレビ観て、メールでけへん、電話でけへんってなったら
本末転倒ですやん。
テレビなんていらんやん。 ミュージックプレーヤーなるものもついてるねんけど
これも使うと電池がすぐになくなる。
少し前にお年玉でこれも遅まきながらのiPodを手に入れた娘なので
必要ないやん。
iPod、私も欲しい
とりあえず家にあるCDから落とし入れたが足らんで
You Tubeの音源を拡張子変換してダウンロードして
iPodに落とせるってブラウザをネットで探し
その作業をせっせとする私。
恩着せがましく
「こんな作業をする母親なんてそうおらんと思うで。」と云う。 そしたら娘の不要となった携帯を譲りうけた次男。
譲りうけたっていうても、携帯機能(電話とメール)は不可なので
タイマー機能とミュージックプレーヤー機能を使うのみ。
PCのSDジュークボックスからminiSDに落としたら聴けるからって
「母さんのお薦めの曲でええから入れて」って
お薦めの曲ってぇ〜〜〜
「ケツメイシやでぇ?ええの?」
「ええで」っていいつつ
姉ちゃんのCDラックから
コブクロとオレンジレンジを持ってき
私のCDラックからレミオロメンを持ってき
♪こなぁ〜〜ゆきぃ♪を入れる。
粉雪ってめちゃ懐かしい・・・てか、すでに桜の季節も終わってるっていうのに。
そやけど、電話とメール機能不可の携帯を嬉しそうに持ってる次男が
不憫でせっせと入れてやる。 こんなことして遊んでる場合やないのに、私・・・・” 16 お見舞いのお礼 “快気しているわけでもなく、こういう場合はどうするのやろうか?と
ネットで調べたら
通院が必要な場合は"快気の内祝い"ってなるらしい。 ネットで注文して、ご近所さんに持って行った。
どこぞの大阪のおばちゃん的やり取りですわぁ。
「そんなん、あんたぁ〜ええのに。そんなつもりやないのに・・」って
押し返される。
「気持ちだけやし・・・」って押し戻す。
2,3度そんなやり取りのあと、やっとこさ受け入れてもらう。 いやはや、ほんま気持ちだけで、
おまけに退院して大方2ヶ月もほったらかしやったし
恐縮の思い。
しやけど品物選びって悩みます。
病気のことなので消えモノがいいらしいので
食べ物とか飲み物かあとは洗剤とか・・・
結局、自分の好みのものを選びましたが・・・ いやはや、実年齢は便宜上必要なものって認識の私やけれども、
世間並みに格好だけはつけとかなと
大人やなぁ〜なんて・・・ 病人でありながら、気持ちだけはタフな私は
お見舞いに来てもらうのは嬉しいタイプ。
弱っている姿やパジャマ姿を見られるのが嫌がる人もいてるが
私は嬉しがるタイプ。 24の時、お見舞いに来る人、来る人に
「いや〜来てくれたん?!」って嬉々としている私に
同じ病室のおばちゃん達に
「アンタぁ、見舞い甲斐があるなぁ」って云われたりもした。
見舞い甲斐ってなんじゃいって思ったが、
えらい遠くから会社の同僚やら上司やら来てくれはって
歓迎しますやん。
歓迎できるほど元気やってこともあるのかもしれないけれど・・・
同病の人と比べたら気だけやたら元気な私なので・・・
それに、基本的にありのままの私。
いつでもどこでも一緒なので、
パジャマ姿で髪の毛ぼさぼさでも
病人やねんし、しゃ〜ないやん。格好つけてもしゃ〜ないって思うと、
「いや〜来てくれたん?!」となる。 なので、お見舞いのお礼は
ほんま、気持ちだけ込めさせてもらいましたという品。
感謝の気持ちだけ。 しやけど、あれやわぁ。
あんなこんなも遠い昔。
過ぎし日々ですわねぇ。
前進あるのみ” 09 新学期〜クラス替え “末っ子は5,6年と同じクラス、同じ担任なので
何の変化もなく、
山ほどのプリント(あれこれ記入しやなあかん)を持って帰ってきた。
毎年、描かされる学校から家までの地図。
タテ、タテ、ヨコ、ヨコ、マルかいてチョンのごとく、
タテ、タテ、ヨコ、ヨコの線(電車路線と主要道路)と
駅、小学校、角のコンビニは7で目印のスーパーはIYと我が家
で終わり。
シャ〜シャ〜と描いて終わり 「え〜母さん、こんなんでいいん?」
「ええねん。今年は家庭訪問もないねんし、これでええねん」と
持って行かす。
本人の性格欄も大きい字で"明朗"とだけ。
なんでか、毎回、書かされる、出身幼稚園と在籍年数。
入学当初はこれも参考資料になるかもしれんけど
6年生になってどこの幼稚園出身もないやろ?って思うねんけど・・・・
極めつけは、親の生年月日、まあこれはええわ。
そのあとに満 才って欄。
いらんやろぉ〜〜
まぁ、正直に書いたけど。
なんで必要なん?
今度から、個人情報云々ってケチつけて書かんとくって手もあるよなぁ〜
なんて思ったり。
そんなんしたら、ものごっついヘンコな親やん。
や〜めた。 そんなこんなでぶつぶつ文句云いつつ、記入すべきコトを書き終えた。 っでクラス替えがあった長男のクラスメンバーを見る。
知っている子の名前が半分ぐらいある。
だからってどやねんってことやけど。
私のクラスとちゃうしなぁ。
本人はクラスより、部活で新1年生が入ってくることに落ち着かん様子。
なんせ、彼より背が高い1年生はごろごろいてるやろうし、
バスケが上手い子もいてるやろう。
先輩としての威厳を保てるかどうかってとこ。
威厳なんて最初からないねんから、それを保つっていうよりか
1年生にバカにされんようにしやなってプレッシャー。
切ないなぁ。
体が小さくて運動神経ももひとつやのに運動部で頑張るって。 担任の先生が書いて配布してくれはったクラスのプリント。
この先生、タイガースファンなんです。
こんなプリントにタイガースのマークを描いてはる。
土地柄っていうか、学校の先生にタイガースファンって結構いてはって
前夜の試合の結果が翌日の授業に反映される。
次男の担任(女性っていうよりおばちゃん)もタイガースファン。 娘はといえば、今回のクラス替えはめずらしくご満悦で私も安心ですわ。
こちらも部活にどんな後輩が入るかが目下の気になるところ。 大人になってクラス替えもなく、
ドキドキハラハラの春を過ごすことがないのは嬉しいやら寂しいやら
なので
子供のクラス替えに共鳴しようとするねんけど、
今年はなんや、ふ〜〜んそうなんや・・・何も残らへん。 余談です。
昨日、お笑い好き次男坊主
「母さん、大阪弁を教えて」って
「アンタ、しゃべってるやん」
「もっと大阪弁って大阪弁」
「ふ〜〜ん。なら
この犬、ちゃうちゃうとちゃうんちゃう?
はどう?」
って、
「ちゃうちゃうって犬がいてるやん。
この犬、そのちゃうちゃうって犬とちがうんとちがう?っていうのを
大阪弁でいうとやねぇ
ちゃうちゃうとちゃうんちゃう?ってなるねん。
わかる?
初歩的大阪弁ですわねぇ。
あとは、朝でも昼でも、挨拶はまいどって云うねん」
「ふ〜〜ん」
「ゆで卵のことはにぬきって云うし、鶏肉はかしわって云うねん。
あとなぁ、神戸弁は〜〜しとぉって最後にとぉをつけるねん。
何しとぉ〜とかってな、
ほら、母さん、尼やん。尼って神戸弁と大阪弁のハーフっていうのかなぁ。
カッコええやろ?」って
「よ〜わからん」
チャンチャン・・・” 07 春休み最後の日やので “次男と2人、
新しく運行が開始されたバスに揺られて
さくら通りを堪能してきました。
といってもあいにくの雨模様で、桜の花びらが舞っていましたが、
それでも両側に延々に続く桜並木は見ごたえがありました
この通りは結構の見所でしょうねぇ。 到着した駅のロータリーは
駅前開発で大きなマンションが建ち、その中にスーパー(まだ開店前)や
CDレンタル屋さんなんかが入っている。
そのCDレンタル屋さんで
お笑い好きの次男と一緒に見ようとR-1グランプリのDVDを借りてきました。 2人でそのDVDを見て大笑い。
平和な一日を過ごしましたとさ・・・ 上2人は部活で忙しくて一人暇な次男の相手は必然的に私でございます。
明日から学校がはじまって私の時間が確保される。
嬉しいな〜〜” 02 花冷えの本日・・・ “ヨーカドーからずっと向こうにある駅までの道はさくら通りと名づけられ、
ボンボリ提灯がぶら下げられ盛り上がりつつある桜の季節。
そのさくら通りのおこぼれのごとくの我が家からヨーカドーまでの道の桜並木。
毎年のことながら、わざわざ遠出しなくてもお花見気分で買い物に行けるのです。 今年は買い物に行くこともせず、もっぱらネットスーパー愛用の私なので
桜並木を通ることもなく・・・
ちょっと寂しいです。 気がつけば今日は4月も3日。
昨日の朝、ベランダの下を走る路線バスを発見。
我が家の最寄駅から桜並木を通ってヨーカドーの前から
さくら通り経由でその先の駅までの路線バス。
洗濯物を干す時間には満席のバスの中が見える。
1年間の試験的運行で、利用者が多ければ継続されるらしい。
私も乗ってみたいが、乗る理由がない。
ん・・・娘の高校に行く用事があればこのバスに乗ってみようかと思うけど。
そんな花冷えの本日、2週間ぶりの眼科。
今日は両目の眼底を診てもらった。
眼底を診るのに、黒目を開く、瞳孔を開く。
両目ともこれをしてもらうと、帰り道がとても怖い。
まぶしくて目を開けていられない中、とぼとぼと帰ってきた。
夕方になってようよう普段の目の状況になる。
それまでは、見えにくくて仕方がない。
眼科の検査って痛くも痒くもないけれど、あとあと見えづらいってのがかなんねぇ。 術後の右目も落ち着いているし、
左目は網膜剥離が起こるような兆候はないと安心材料を仕入れた本日でした。
mixiの網膜剥離コミュニティーでは、
片目が剥離するともう片方も剥離しやすいだとか、
剥離体質だとかあったのでとりあえずは安心ですわねぇ。 このコミュを読んでいると、
私は自分の病気に対してポジティブなんやと実感する。
眼球をシリコンバンドで一周ぐる〜〜と固定しているのが
痛いらしいが、
私は痛くない。
先生も「皆さん、なんかした拍子に痛いって云わはるので痛みを感じるかもしれませんがそういうものです」って云うたはったけど、
最初の頃こそ痛かったような気がするが、
最近、全く痛みがないねんけど・・・
ゆがみもあるし、フラッシュもあるけど、
そない気にならん。
脳が慣れたってことなんやろうなぁ。
なかなか優秀な脳やん。
何事にも柔軟に対応できる脳ってのが一番ですわねぇ。
いつやったかの新聞広告の新刊の宣伝文句に
「病気になってよかったって思える人は病気が治る」ってコピー
まさにこれです。私・・
おかげさんで、子供達も成長しましたし・・・ それよか、眼科の先生(手術した病院とは別)が
「確かに大きな穴やけどレーザーでいけたと思うねんなぁ」と
行くたびに云う。
そんなん今更云うてもらっても、手術してんからもうええやん。
済んだことがたがた抜かすなっと思う私。
私はラジカルであろうと、メス入れるほうが確実なら
そっちのほうがええねんって思う性質やから、
そんなんより、
レーザーせんと最初っから手術してくれはったほうがよかったのにって思うわ。 何事も経験。
もうそれでいいやんって思った本日。
視力だってそこそこ戻ってるし、
まあええんやないって思うねんけどなぁ。 そんなことより、桜やん
春やん
私、あれこれ忙しいねん” | 3月 23 予定外のハプニング有り・・・無事、ご帰還 “往復の電車の時間を調べて行ったので
それに乗りさえすれば問題がなかったんやけど。
近鉄奈良駅は初めての場所。
ホームの数も多い(JR大阪駅ほどではないけれど、最寄駅より多い)から
乗るべき電車を見つけられず不安になり
持たせた私の携帯から電話。 その時点で乗るべき電車の時間やん。
すでに駅を出てるか出ようとしているかって時やから
あせらせても仕方ない。
「駅の人に聞いてみ」って云うと
携帯電話、通話状態のまま、誰かに聞いてる。
会話の様子が聞こえてくる。
姉弟と私の実家までなんどか行かせているが
いつも姉ちゃんか兄ちゃんの後をついていくだけなので
よそ様の人にお尋ねするってことは
学校以外では初体験のはず。 通話状態の携帯から聞こえてくる話し振りは
思ってたよりしっかりとしゃべってるやん。
なんやかんやいいながらも小5やもんなぁ。
結局、乗り継ぎなしで簡単に帰れるようにって計画はゼロ。
奈良駅で2,30分、待つ覚悟ならそれも可能やったようやけど。
途中、生駒駅で一旦下車、難波行き区間準急に乗って
無事にご帰還。 奈良駅前で買ったというミニカステラのお土産付き。
電車賃はスルッとKANSAI使用なので
お金は渡さずだったので、ボクのお小遣いからのお土産500円也
末っ子やから、実年齢よりどうしても幼く見てしまうが
ちゃんと成長してるねんやん。
かっこええぞ〜〜って思った母でした” 22 奈良までひとり旅~鹿に会いに行くねん! “
影響されやすいっていうか
調子ノリっていうか
そんなとこのある次男坊主は
お昼ご飯のあと、奈良公園までひとり旅に出かけました。
鹿に会いに・・・・ TVドラマの鹿男どうのこうのっていう番組で
奈良の平城京跡や若草山やら、
たぶん、西大寺駅やと思う、駅の場面とあとは鹿ですわ。
鹿に会いに行くと言い出した。 ちょっと前に娘が通学で利用している近鉄奈良線、
そのドラマ専用列車を走らせ
中に玉木宏が乗ってたとかっていうのを友達から聞いて帰ってきた。
でも、最終回の電車はあれはどうも京都行きやと思うねんけどなぁ。 「○○ちゃんなぁ、奈良に遊びに行って撮影現場を見てんて
玉木宏に会ってんてぇ~~」って
そんな大騒ぎするほど、玉木宏のファンやったか?って思う私。
「ふ~~ん、母さんなぁ昔、なんば花月の前の喫茶店に入ったら
池乃めだかがおってん。
ほんま小さかったでぇ」って云うと
「玉木宏と池乃めだかはちゃうやん」
うん・・ちゃうなぁ・・・ お金を持たすのあれなんで
関西私鉄沿線一円で使える磁気カード"スルッとKANSAI"の小人用を渡す。
電車通学するお姉ちゃんの定期にちょっとあこがれていた坊主の心を
ぐっとつかむ代物ですわ。 末っ子で誰かの後についてコトを済ますという技を身につけてる彼
さみしがりやで甘えたの彼
出発間じかまで
「ほんまに行くん?」って聞く。
「いくでぇ~」って云うて
万が一の安心のために私の携帯をレンタルさせてやって
見送った次第です。 今頃、奈良に着いてるはず。
云うても、普通に乗ったら、乗り換えることなく35分で着く。
奈良は終点やし、行きは大丈夫。
問題は帰り。
奈良駅は初めてやからそこで迷わず、難波行きの普通に乗ったらOK。 奈良まで行ったって証拠の写真をとってくるというから
私は昨日、インスタントカメラだけ買いにヨーカドーまで行ってきた。
インスタントカメラって今、安いねんなぁ。
びっくりしてもうた。
1000円ぐらいかなと思ってたら
27枚撮り298円やて。 して、無事に着いたか、今電話したら、
着いたというてる。
「今、どこ?駅の中か?」
「さぁ・・・わからん。」
「奈良公園まで行けるん?」
「たぶん・・」
「まぁ、がんばって」って切る。 行けるんかぁ~~?!
鹿に会いに行くっていうても、
ほんまは鹿っていうか動物全般(動物に限らず、虫もやん)苦手なくせに、
鹿の写真なんて撮って帰ってこれるんかなぁ。” 愛用のネットスーパー “去年、オープンしたヨーカドーのネットスーパー。
年内まで配送料サービスってのがこの3月末までって延び、
病み上がりの私はかなりの頻度で愛用 なんせ、網膜がしっかり固定される術後1年は
いろんな制約有りで、
重たいものを持ったらあかんってことなので、
食料品や日用雑貨はネットスーパーと生協の2本立てで購入。
まぁ、どうしてもこの2つで手にはいらんモノは
買いに行ってもらうか、しゃ〜なし買いに行く。
てなわけで、
3月までって配送料サービス、なんやかんやいいながら
ちょこちょこ延期でエンドレスになるんやない?と密かに期待。 このヨーカドーのネットスーパーがとてもご丁寧なんですねぇ。
ネットで注文したあとになにかと電話がかかってくる。
まぁ注文の品がなく代品とかが多いねんけど、
私はあんまりこだわらんから適当に入れ替えてもらっても
値段が同じながら商品届け時にメモがあればOKやねんけど
お断りの電話がある。 さっきも注文した大根が表示金額より10円安くなっているらしく、
表示金額との相違を侘びてはる。
10円高くなってたら電話くれても
安くなってたらメモでいいのにって
「わざわざご丁寧にありがとうございます」と私が恐縮やん。 それにお届け時、ポン酢なんかのビンものや
バナナとか卵は
必ず、プチプチでご丁寧に包んでくれてはる。
私がお店で買う時はそんなん無しで自転車に揺られるのに。
揺られるだけならまだしも下手こいたら自転車こかしてもうて
たまねぎが転がっているなんてことも・・・・
ネットスーパーのお届けは
コンテナの中に入れられ、台車に乗って玄関までやってくる。
そやから、プチプチ包装はいらんねん。 しやけど、このサービスがあってほんま助かってると実感するこのごろですわ。
唯一、希望を申すと、
ヨーカドーのポイントがお店で買うときに半分ってのが
どないかなりまへんか?
半分ってちょっと切なくなるねんもん。
持ってきてもらう労力を思うとしゃ〜ないのかもしれんが・・・
あとは、お店の商品100%網羅してもらえたらと懇願ですかねぇ
私・・・
ちくわがほしいですわ。
お店やと98円で売ってるあのちくわ。
あれがネットスーパーでは常時、買えないんです。” 21 テストの山 “なんでか空き缶にせっせと返ってきたテストの山を整理している。
たまたま、そばを通って見てしまった。
「え〜そんなにテスト返ってきてるんや。母さん、見てへんで」って
云うが内心、入院してたもんなぁ・・・ 「見せなあかんの?見たい?見る?」って
え〜どっちなといいけど・・・と思いつつ
手に取った一枚。 点数が書いてない。
先生の赤いペンらしきものでの○が数個。
あとは、黄色と緑の色鉛筆で○がある。
(やり直ししての○らしい)
国語の答案用紙。
「なぁ、これってつけれるほどの点数がないから点数ないの?」
「そう」
「そうってぇ〜〜あかんやん」って云うが、
その下には100点の国語の答案用紙。 けっして勉強ができないってわけではないねんなぁ。
どうも気分にムラがあって
集中でけへん時はとんでもないことになっていて、
調子が乗ってる時は100点を取ったりしてる。
担任の先生も
「100点を取ったりするからねぇ・・・」と とまあ、
「間違ってるとこはちゃんとやり直ししときや。
わからんかったら聞いて」とだけ云う。 ええねん。ええねん。
ものごっついおもろいこと考えるから。 ” 塾のチラシ〜こんな塾に行っても無駄やん! “昨日の新聞に入っていた塾のチラシ。
"当塾の場所"としての地図。
これがおかしい。 学校では地図での方位は北を上にして描くか
北方向が上でない場合は方位表示をすると教わった。
こう習うのは私の時代だけかと思い
小5の次男に確認。
私と同じ認識ですわ。
ところどころボケをかます彼さえ、同じ認識をしているってことは
普遍的なものと捉えて間違いないはず。
なのに、この塾の地図。
東を上に書いてはって方位表示がない。
そんなチラシを配布する塾って期待でけへんやん。
思わず、次男に
「この塾、行ってもしゃ〜ないで。そう思うやろ?」って
同意を求める。
別に彼はそこの塾に通いたいっていうてるわけやないねんけど。 塾のチラシ愛読者の私としては、
こんなチラシを配布する塾はもってのほかですわねぇ。
この塾に限らず、チラシ内容ももうちょっと変化を持たせてくれはらな
読み手としてはおもろない。
塾に行かすために愛読しているわけではないねんけど・・
スーパーマーケットのチラシより塾のチラシを熟読している。 余談です。
地図の常識やと思っている、北方向を上にして描くとか、
そうでない場合は方位表示ってこと。
小5の次男は認識しているのに
高1の娘は「へ〜そうなん?!」って初めて聞いたようにぬかしはった。
うそやろぉ〜〜〜
少し前、流行った"地図が読めない女と話を聞けない男"の
地図が読めない女まんまの娘です。
娘より勉強ができる中学時代のお友達でさえ
地図が読めないってのを先日知りったので
わが娘が特別ふっとぼけてるわけではないでちょっと安心。” 19 診察日 “退院1ヶ月の診察日。
3月一杯で、私の大好きな別嬪な女医先生は他所の病院に変わられるし、
私自身も以前から通ってる眼科に戻るので
今回が最後の診察。 約2ヶ月前の初診から
入院中の毎日の診察、退院後の診察と
ず〜とお世話になった先生。
(実際手術は別の先生やけど・・・)
ここで何回も書いてるけど
ほんま嫌味のない可愛らしい別嬪なお顔立ちやのに
コテコテの大阪弁と大阪のおばちゃん気質で
めっちゃ好きな先生。
なので今日の診察の最後
「先生、ほんまお世話になりました。ありがとうございました」って云うと
「いえいえ、お元気でねぇ」って
手を振ってくれはった。
手を振るって〜先生、可愛らしいことしはるから
診察室から出ようとする私は目がうるうるしてもうた。 お医者さんに対して、
別れるからってうるうるするほど、さみしくなったのは
今回が初めて・・・
なんやかんやいうて、
心の奥底では、今回のことは結構大ごとで自分の中で堪えてるのかなぁ、
そんな中、女医先生の存在は頼りになってたのやろうなぁって
そんなことを考えて雨の中、帰宅いたしました。 診察の結果、網膜も綺麗にくっついていますと言うことでひと安心” 12 近頃の小5 “末っ子の仲良し君が3,4日前にブログを開設した。
っで親子で見てみた。
同じ5年生とは思えないしっかりした文章を書いてはる。
わが息子はコメントを書こうとするが
「なぁ、なんて書いたらいい?」って云う。
私が云うた通りに書いてる。 毎日、そのブログを携帯でチェックしているねんけど、
5年生にして競馬ファンというその仲良し君。
競馬ネタが多い。
競馬予想なんかしてるし・・・
未成年やから馬券は買えないけれど・・ってお断りしての予想。
それが当たってるからすごい!
難しい言葉も知ってるし、なんか笑える。
このしっかり仲良し君と2人で
先週の土曜日、電車に乗って映画『L change the world』を観に行っていた。
映画館やから所在地はちょっと繁華街。
梅田やなんばって繁華街やないけど、
わが町の一番の繁華街になるのかなぁ。
校区外やし、子供だけで映画って
ほんまは「行ったらあかん」って云わなあかんねんやろうけど。 男の子やし、これぐらいの冒険もありやろ。
自分のお小遣いで行くっていうし、
何事も経験と
映画館の場所、映画の時間、電車の時間を調べてOKを出す。 当日はペットボトルのジュースとかっぱえびせんを
ナップサックに入れて
遠足気分なので
「しょうもない中学生に絡まれんようにしいや」とだけ云うて見送る。
本人らはしょうもないことをせんやろうから
外部からのちょっかいがちょっと心配。
そんなこともなく、
帰りにちょっとゲーセンに寄ったものの
どちらも余分にお金を持ってこなかったので
ひと回りして17時半前に帰宅。 自分らだけで電車に乗って行って来たってので
ちょっと大人になった気分の様子。
今時の子は車移動が当たり前で電車に乗れない子が多い中、
上出来やん。
なんせ、中学の遠足で電車に乗る練習を兼ねての
大阪市内めぐりなんてのがあるぐらいやもん。” 08 なんやかんや云いながらも、幸せな者 “心配してくれる人があちこちにいて、
幸せやなぁ〜と。
こういうときに人の有難みを感じるもんなんですねぇ。
人間、1人では生きていないってことですわねぇ。
そんなことを実感いたしました。 時々、こういうアクシデントに出くわすことは
日々の生活をもっと大切にしやなあかんでって
示唆されているような気になります。 今日は春を感じるお天気でなおさら気分上々
それはええねんけど、
木曜日にいつもの眼科の先生に診てもらってきて、
「今は網膜がくっつくのをまっている状態。
例えたら、ノリが乾いて完全にくっつのをまっているとこです」と
「それっていつぐらいになったら、とりあえずは完全にくっつくのですか」
「目安として手術して1年やと思ってください。
その間は無理はしないように・・」と注意された。
そやけど、すっかり元気になると
そんなことを忘れて
イラチな私は、家の中でも小走りになってしまったり・・・
怖っ・・・
あかんやん。 歯医者さんに行っても右の上の歯の治療はせんほうがいいって。
歯医者さんのあの振動が網膜にはあかんらしい。
自転車も絶対とは云わんけど乗らんほうがいいって
自転車の振動もNGらしい。
なんしか目にモノがあたる、これは一番あかん!
とまぁ、あれこれと注意事項を抱えつつやのに、
春の日差しにええ気分の私。 しやけど、1ヶ月経つのに
切られたまつげはまだ完全に伸びていない。
特に下のまつげはない。
アイラインでごまかせそうやけど
目の周りを触るのは、さすがの私も怖くてよ〜せん。
なんせ、まぶたの上を触ると痛みがある。
眼球の周りをぐる〜と巻いてるバンドがあるからなんだと思うが。
目玉にバンドって
鬼太郎の目玉親父にバンドが巻かれているってことやん。
眼科の診察室にある眼球の模型。
あれを見る度に鬼太郎の目玉親父を思い出し、
目玉親父の人形をお愛想で飾ったらいいのに・・と思う。
この話を娘にしたら
「そんなん思うの、母さんだけ。他の人はふざけてるって思うで」って
云われた。 その娘には
「いまやから言うけど、手術の後、見舞いに来たときなぁ。
母さん、ほほこけてるし青白いし、ムンクの叫びやったで」って
通学に1時間ちょいかかるのに
部活を終え、見舞いに来てくれ、
帰ってからは晩御飯の支度と
彼女がいてからこそ、安心してうつぶせになれてた私。
他の家族もみな、
娘を頼りにしていたし、
私も娘を頼りにしていたし、
実家の父と母も高校生の孫(娘)を頼りにしていた。
なので、退院してこそっと臨時のお小遣いをあげた。
たぶん、この先も彼女の世話になることがあるやろうと・・・
女の子を産んでてよかったとつくづく思った次第です。” 肯定的に受け止めているねんけど・・・ “実家の母に云われた言葉は堪えたなぁ。
「アンタばっかりこんな目にあわせて責任感じる」と・・
なんやかんやと手術するような身体に生んだことを云うてるらしい。
「お母ちゃんが責任感じることあらへんがな」と云うたが、
母親として、そう思う気持ちは、私も母親なのでよ〜わかる。 でも私はそんなこと全く考えていない。
私の思考には
なんで私ばっかり・・という否定的なものはないねんもん。
っていうか、これぐらいですんでよかったと思っている。
貴重な経験がまた増えたって思っている。
入院中、大部屋に移った時、向かいのベッドの妊婦さん。
カーテン越しに涙ぐみながら
「なんで私ばっかり・・・」ってつぶやきはった声が聞こえてきた。
小学生の男の子がいて、3回目の妊娠で入院しているらしいが、
妊婦さんやし精神的に不安定なんもわかるけど、
お腹の赤ちゃんが聞いてる、そんなん云うたらあかんって
うつぶせ寝の私は心の中で叱咤する。 私のお見舞いに来てくれはった近所のおばちゃんが云う。
「白内障の手術をしてまた今回、こんなことになって・・・」と
母と同年代のおばちゃんが云うてくれはる。
それはそれ、これはこれで一緒くたにせんでいいのにと笑う私。 いや確かに、白内障の手術をした人も網膜剥離の原因一覧に入っている。
でも、近視の人、40歳を越えた人ってのも要因リストで
私はそれらが合わさって、
そこに疲労によって誘発されたと思っているので、
それはそれ、これはこれやん。 それになんで私ばっかりこんな目に合うん?なんて
考えもしないことで、
向かいの妊婦さんの言葉、
「なんで私ばっかり」ってのは私は思わんなぁって。
そういう思考がない。
こうなるべくしてなってんやろうし、
ちゃんと向き合おうと思うだけ。 たぶん、そんな大したことのないことばっかりが起きてるわけで、
もっと大変なことが私の身の上に起きたなら
こんなことも云うてられへんかもしれんとは思うが
まぁ、そのときはそのときで、
なるようにしかならへんし・・・ しやけど、ええ年して、年老いた親に心配をかけるって
親不孝もええとこやなぁ。” 06 再発の心配と制約有りの生活 “術後の説明では
「術後3ヵ月の間に再発する可能性が20%あります。
それを越えたらほぼ大丈夫でしょう」と・・・ 年齢的に硝子体が網膜をひっぱる力が強いらしい。
もっと年齢が上ならそれもないらしいが・・・
なので再発の可能性有り。 退院時には
「激しい運動、目や頭に物が当たる可能性のある
テニスやバレーボールなどのスポーツはしないでください。
頭に強い振動を与えたり、重たいものを持ったりもダメです。
走るのもやめてください。
まだまだ網膜は弱い状態なので危険です」と云われる。
「先生、PCはどうですか?」
「物を見ることには変わりないのでPCは影響ありません。
ただ、退院してしばらくは長時間のPCはしんどいと思うので
自分で目の調子をみてください。」と。 退院後の生活をあれこれ制限されたので
網膜剥離ってどんなん?と今更ではあったけど
携帯ネットで検索。
体験者のブログチェックやmixiのコミュニティーに参加して
調べてみた。 ほんま今更ながら、
網膜剥離って重症な目の病気ってことを知らされる。
ちょっとおののく。
再発して何回もあの痛い手術をしてはる人もいてはる。
密かに退院したら生保の掛け金を上げてもしもの時に備えようと思ったが、
網膜剥離を煩ったら3年は生保に入れないってのを知る。
ってことは掛け金を上げることも不可なんやろう。
まあ、とりあえずは生保加入済みやからまぁええかとは思うが残念。 いやはや、再発してはる人が多いのには
ほんまちょっと怖〜なって、しばらくは入院中と同じ安静生活を送った私。
まずは3ヵ月の壁を事無く越えたいものですわ。 再発なぁ・・・っと
ふと、若いころやった卵巣のう種はどうなん?って気になる。
こっちもネットであれこれ経験者談を読むと
再発するねんや・・・・・
あ〜そういえば、妊娠のたびに産科の先生は
「卵巣は再発していませんね、いまのとこ大丈夫です」って云うたはったのを思い出す。
こっちも定期的に検査しやなあかんやん。
こっちはこっちで当時、一歩間違えたら命落としたかもって事態やったのに、
土壇場に強いという所以はこれやねんけど、
まぁ、誰も予想せんかったその後の3回のお産があって
私もすっかりええ気になってる。
あかんわ。初心を忘れたら・・
私は50歳まで生きれたらいいと本気で考えた24歳のときの気持ち。
私・・・とりあえず、75歳までは生きたいし、
目が落ち着いたら検査に行こう。” 術後1ヶ月経過〜何事も経験やわねぇ “昨日、手術後1ヶ月、退院2週間目の診察。 網膜も綺麗についているし異常はなしとのこと。 「目、ごろごろしますか?」
「ん・・するといえばするし
せんといえばせんって感じです」
「そんな感じでしょうねぇ。
まだ糸が残っていてそれでごろごろ感を感じると思います。
気になって仕方ないようでしたら抜糸しますが・・・」
そないごろごろ感も気にならんから
「別に大して気にもなりません」
「どうしても気になるようであれば云うてくださいね」と。
そして
「書類(保険請求のための診断書)は書いておきましたので
帰るときにもらって帰ってくださいね」と先生。
「よかった。先週、先生に言うのを忘れてて・・・
1回目の入院のことも書いてもらえました?」
「はい、書きましたよ。
1月23日に入院して・・・」って云いかけはって
「あっもうこんなことは・・・ちゃんと書きましたから」って なんやかんやと結局、初診から2回目の退院まで丸1ヶ月、
うだうだとしていた。
そんな嫌なことはもう思い出さんとこねって顔で
途中で言葉を切ってくれはった様子。
なんかちょっとした言葉の端はしに気にかけてくれてはった様子があって
嬉しいなぁ。 「お子さん達もお母さんがいなくて試練やったでしょうねえ」と
「ええまぁ、でも、ええ経験したと思っています」と笑っていうと
「笑って話せる状況になってほんまによかったと思っています」と先生。
心配してくれてはったんやと思う私。 執刀してくれはった先生に対しても感謝の気持ちはあるけれど
主治医のこの別嬪な女医先生のほうに感謝の気持ちを持っている私。
入院中の毎日の診察で先生に会えるのは楽しみやったもんなぁ。
ほんま嫌味のない綺麗な可愛らしいお顔立ちやのに
こてこての大阪弁で、ハードなことも云わはるけど、
ポロポロと優しいことも云うてくれはる。
その別嬪先生、3月一杯で他所の病院に変わりはるらしい・・
他の患者さんに云うてはるのを耳にして知っている私。 「実は私、3月いっぱいで他所に移るんです」と先生
「そうらしいですね。他の患者さんに言うてはるのが聞こえてました。
私、先生のこと好きやったのに・・・」と私
「いや、ありがとう」って嬉しそうな笑顔の先生。
ほんま別嬪さんやとつくづく思う私。
どこの病院に移りはるのか聞きたかったけど、やめた。
いずれずっとかかっている眼科に変わりたいと思っているし
初診のときにその話もしている。 別嬪先生を始めとして
手術後の嘔吐で苦しむ私の背中をさすってくれていた看護婦さん
ちょっとファンキーでアンジェラ・アキのしゃべり方に似ている看護婦さん
...and more
いろんな人に出会った1ヶ月。
ほんまええ経験をさせてもらったわ。 嘔吐で苦しむ私に優しかった看護婦さんは
ほんま白衣の天使に見えた。
元気になったとき
「あの時はこれこそ白衣の天使やと思いましたわ」とその看護婦さんに云うたら、
看護婦さん、嬉しそうに笑ってはった。
ええ看護婦さんになりはったらいいのにって
若い彼女を応援する。
ずっと昔、幼稚園の卒園アルバムに
将来の夢:看護婦さんって書いたのを思い出しつつ・・・” 05 忍の一字のうつぶせ寝2週間生活 “術後、目に入れたガスによって網膜を固定させるためのうつぶせ寝。
食事、トイレも下向き。
なので、入院5日目に大部屋に移ったときも
同室の患者さんと顔を合わして話すことができない私は
コミュニケーションがとれない。
いや、別に無理に取る必要もないねんけど、
朝の挨拶ぐらいしやなとは思うが、
眼帯のない左目も近視で見えないとこに
下向きなので、
なんとも陰気なヤツと化してる私。
毎日の眼科外来までの診察も車椅子に座って
下向き状態でつれていってもらう。
トイレも、大部屋に移る前は
トイレまでの道中にこけたりしたら網膜が剥がれるからとベッド横で
ポータブルトイレに用を足す。
身体は元気やし、
トイレまでの距離を歩くことが目に害があるってわけでなく、
ただただ、万が一こけたらってことで禁止されている。
個室にいてるときも
あまり頻繁にトイレのことで看護婦さんの手を煩わすのは申し訳ないと
こそっとトイレまで歩いていた。
なので大部屋に移ったら、なおさらポータブルトイレは使いにくく
トイレまでこそと歩く。 目は眼帯しているけれど、
身体はほんま健康やからほんま気を使う。
まして眼科患者の中で一番若い私が一番重症。
ほかのわたしよりぐっと年配の白内障のおばちゃん達は
手術後1時間もして点滴が取れたら歩行OKやし、
毎日の診察も眼科外来まで歩いて行きはる。
私は退院前日まで車椅子でつれて行ってもらって
診察後又、迎えに来てもらう。
看護婦さんの手を煩わす。
そういう病気やから仕方ないことで
看護婦さんに甘えておけばいいねんけど、
ほんま身体は元気っていうので気を使う。 この身体は元気っていう網膜剥離患者が一番つらい云うのが
術後のうつぶせ寝。
術後、1週間ほど経った診察で
「うつぶせ根、根気よく頑張ってはると思います。
目を見たら、がんばってはるのがわかります」と先生に褒めてもらう。
「私は網膜剥離を煩ったことがないからその辛さは
申し訳ないけどわかりませんが、想像してもずっとうつぶせ寝ってしんどいと思います。
網膜剥離の患者さんは皆さん、ずっとうつぶせ寝はしんどいって云わはるますわ」って。 そうなんや・・・
いや、確かにしんどいねんけど、
うつぶせ寝をするのが治療の一環なら文句いうても仕方ないしなぁ。
そないしんどいって訴えるほどのこともないとは思うねんけど・・・
うつぶせ寝のしんどさを訴えることのない私。 それよか、私は大部屋でのポータブルトイレのほうがかなん。
っでそれを訴えた。
大部屋に移る前にも一度、
「看護婦さんの手を煩わすのが申し訳ないからトイレまで歩きたい」と訴えたが
「万が一こけてせっかく手術したのが意味のないことになっては困るから
そんな気は使わず看護婦さんに甘えてください」と云われた。 その後、大部屋に移動になってやっぱりトイレはかなんと
再度、訴えた。
普通にしゃべっていたのが
先生が「そんなに思い詰めていたんやねぇ」って優しく云わはるから
涙もろい私は、うるうるしてきた。
それでなくても術後、瞬きをしても涙が出る右目やから
ポロポロ涙が流れて、わたしよりかずっと若い綺麗な別嬪な女医先生に
コットンで涙を拭かれると始末。
「ごめん、先生、私、涙もろいから・・・」って云うのが精一杯。 うつぶせ寝がしんどいとは一言も云わないし、
網膜剥離って病気への不安も一切、口にせず、
黙々とうつぶせ寝で過ごす私からの訴えやから
先生も真剣に受けてくれはったのやろうと・・・勝手に思っている。
先生は
「お気持ちはよくわかります。
それなら、トイレまで歩いてもらっていいですけど、
ナースコールで看護婦さんを呼んで手を繋いでつれていってもらってください。
こけることがないように・・」と せっかくの先生のお言葉やったけど、
私はナースコールすることなく
頭をもたげて、壁沿いにそろそろとトイレまで歩いていく。 看護婦さんもいろいろいて
網膜剥離の病状をしっかり理解してはる人とそうでない人がいる。
なので私も気を使う。
いろいろ気にかけてくれはる看護婦さんが
トイレのことを心配してくれはる。
「遠慮せんとトイレのときはナースコールしてね」って
朝夕の検温のときに云うてくれはるが、入院中、ナースコールを押すことがなかった私。
こけることなく無事に退院できたからよかった。 先生に根気よ〜うつぶせ寝を頑張ってると褒めてもらったのが嬉しかった私。
食事とトイレと面会人の前以外は
ず〜とうつぶせ寝をしていた。
ラジオのイヤホンを耳に突っ込んで、ず〜〜〜とうつぶせ寝の私。
退院間じか、入れ替わりに来る看護婦さん達に
「ほんま先生の言いつけを守ってうつぶせ寝をがんばってはったねぇ」や
「いつ見てもうつぶせ寝やったもんねぇ」と。 網膜剥離患者の辛いとこは
身体は元気やのに、テレビも見れず、本も読めず、
お風呂もシャンプーもダメ、当然、洗顔もNG
ただただうつぶせに寝るという、めちゃくちゃストイックな生活に
どれだけ耐えれるかってとこ。
ラジオが好きな私やから、黙々と淡々と時間をつぶせていたけど
これラジオがあまり好みでない人は
かなり辛いやろうと思う。 ストイックな生活も期限つきやから我慢も出来るってもん。
網膜の固定を助けるためやったら、これでもかってうつぶせ寝をしたると
密かに闘志を燃やしていた私。
まだまだしたいことも見たいものもあるねんし、
治すために必要なことなら、完全完璧にうつぶせ寝に徹しやなって気合。
忍の一字ですわ。 忍耐力があるからそない辛いとは思わんですんでよかった。
忍耐力のない人にはとても辛い病気です。” 目が見えるってことの大切さを痛感 “手術翌日・・・
「昨日の手術は大変やったねぇ」と
顔を合わす看護婦さんに云われ
眼科外来の看護婦さんに云われ
主治医の別嬪女医先生に云われた。
引継ぎがされてるねんや・・・かなんわぁ・・・
手術が大変やったというより
その後の嘔吐に苦しんだことを云われているのがかなん。 車椅子でつれて行かれた眼科外来診察でのこと。
眼圧検査で眼帯を外してもらう。
検査器械にあごを乗せて覗き込むが真っ暗。
目を開けて覗きこんでいるのに
見えるはずの柿色と黄色の円が見えない。
うわっ何も見えへんやん。
私、目開けてるのに、え〜〜〜
でも、まぁ、昨日の今日やしなととりあえず
自分を納得させる。 次の日の診察の眼圧検査でも真っ暗のまま。
眼圧検査で目を開ける。
自然に涙がぼろぼろ流れる。
それがピンク色っていうか血の混じった涙。
眼圧検査って目に風が当たる。
その風によって血の涙が飛び散る。
検査機器についた雫を見て、涙の色を知る。
この日は私の主治医はお休みの日で
執刀医の眼科部長が診察してくれはる。
「順調です」って云うてくれはる。 順調なんや・・・でも見えん。
見えんやん・・って思いつつ、その日はやり過ごす。 次の日の診察でも
眼圧検査機器の前で眼帯を外されて、
やっぱり何も見えない。
目を開けてるの真っ黒。
この真っ黒ってホンマの闇。
左の見える目をつぶって感じる暗さとは違う。 術前の説明で
「手術後、しばらくは見えません」って云うたはったけど、
それってこの闇を云うのやろか?
見えへんっていうても明かりは感じる程度のものとちがうん?
と思うと
この闇って・・・・
失明?って胸が締め付けられる。
口では上手く説明できない、なんとも云えない気持ち。 診察で名前が呼ばれ
先生の前に座って恐る恐る聞いてみた。
「先生、右目、何も見えないんですけど・・・真っ暗闇です」って
「今日で3日目やねぇ。血の涙が出ている間は何も見えないよ。
手術前の説明でも云うたけど、ちゃんと見えるようになるには
10日ぐらいかかるから」って。
「はい、そういうてはったけど、なんか怖〜なって・・・」って。
「大丈夫、ちょっとずつ見えてくるから」と云うてもらい
ほっとする。 先生の言葉どおり、
次の日の診察で眼帯を外してもらうと、
うっすらと明かりを感じる。
一筋の光って感じ。 診察以外、眼帯をつけている右目は
左目を動かす、左目で物を見る、それだけでも
右目に電気が走るような痛みがあって、
用(食事やトイレ)がない限りは両目ともつぶっている。
目全体も殴れたような鈍痛もあるので
視力回復まで時間がかかるのもうなづける。
それでも闇は恐怖。 私は自分の目が外から見て、どういう状態かは知らずにいた。
退院前日の夜、看護婦さんと一緒に眼軟膏を入れる練習で
鏡を見て、うわっ・・・と思う。
術後からずっと私の目に点眼してくれてはった看護婦さんに聞くと
大分、綺麗になったらしい。
最初は目の周りも腫れ、目全体も腫れ、
白めはぶよぶよで充血、ウサギの目のようになってたらしい。 そんな目でも少しずつ、物の存在がわかるようになった、
一筋の光から4,5日経った、
なんとはなく物体があるのがわかるって状態になった診察の時。
別嬪女医先生は
「目の腫れはそのうち治まるから、目は見えてナンボやし」って云う。
そや、目は見えてナンボのもん。
あのまま手術をせずにいたら100%失明してたのが
手術することでじょじょに見えてきてる。
見えてナンボやと慰められる。 この別嬪女医先生は
手術しなあかんって決まったとき
「生きるか死ぬかの手術やないねんし」とも云わはって、
そうや、生きるか死ぬかやないねんしって慰められた。
とてもかわいらしいお顔の別嬪な先生やねんけど
こういう励ましをしてくれはるとこ、ええわぁ〜と思う私。
人によっては、そんな言い方ってないやろって思うタイプの人もいてるやろうけど、
私にはこういう慰められ方が嬉しいしぴったり。 目の方は退院前日の視力検査で
矯正レンズを使って0.9まで回復。
でも、眼球をぐる〜と一周、バンドで括りつけていることによって
屈折率が変わる。
手術前の視力までは望めないとのこと。
見えるものが歪むという弊害もある。
バンドに締め付けられていることで、何かした拍子に目に痛みを感じることもある。
まぁしゃ〜ないわなぁ。
見えるだけラッキーやもんなぁ。
あの暗闇が続くことを思ったらと
見えることの大切さを痛感。 何らかの障害で目が見えなくなってもちゃんと生きてはる人って
ほんま、すごいと、
私にはそんな強さはないかも。
目に限らず、いろんな病を抱えながら生きてはる人、
ほんますごいと思った今回の出来事。
私の網膜剥離は、生きるか死ぬかの病でないし、
視力は落ちたとはいえ見える。
もっと大変な病と闘ってはる人に比べたら屁みたいなもんよなぁと思う。” 第2ラウンドのゴング鳴る “オペ終了と同時に
看護婦さんが血圧計やらを外し始めはる。
心電図を外しにかかった看護婦さん
「うわっえらい汗かいてはる」って。 そりゃぁそうやん。
どんだけ痛かったかぁ!
汗だくで堪えたちゅうねんって頭で叫ぶが
吐き気を抑えるのに必死な私。 病室に戻るためのストレッチャーが手術台に横付けされ
「こっちに移れる?うつぶせになってね」と
「はい」と身体を動かしうつぶせに寝る。
あの網膜剥離患者用のU字型枕の上に・・・
私のおへそ辺りまでくる大きなU字型枕に
圧迫されたお腹。
うっあかん・・・ 「すみません、気分悪いんです。吐きそうです」と弱々しく云う私。
「えっ気分悪いの?吐くの?」って看護婦さん。
うなずく私。 「吐くって云うたはるう!!」って大慌てで
嘔吐用のビーンズ型容器を取りに走る看護婦さん。
「えっ吐くってぇ?!」って別の看護婦さん
「先生に指示を仰がなあかん」って大慌て。 目の手術の後で嘔吐する患者というのはいてないのか、
想定外のことにえらい大慌ての看護婦さんの様子を感じながらも
お腹の中のもの、一気に吐く私。
あ〜〜しんど・・・・ これが一回吐いたら楽になるってもんではなく、
吐き気はその後、夜中まで続く。 病室に戻っても吐き気は治まらず
術後の説明に来はった先生の話も
吐き気と戦いながら聞いた。 「稀に眼圧があがると嘔吐する患者さんがいます」と云うたはるけど
確かに眼圧はあがってるらしいが
それだけとちゃうでぇ〜〜と内心叫ぶ。
あの痛みに堪えてしんどなってもうてんから!と頭の中で叫びながら
嘔吐。 嘔吐っていうても
すでにお腹の中はからっぽやから胃液だけ。
これがどんだけしんどいか・・・・ 点滴の中に眼圧を下げる薬と吐き気を抑える薬を入れてくれはった看護婦さん
「1時間ぐらいで吐き気は治まると思います。
目は痛くないですかぁ?
痛かったら痛み止めもありますから、
痛み止めは内服と座薬の二種類やから、どっちか言うてね」って こんだけ吐き気に襲われているのに内服は無理や。
座薬もかなん。
っていうか、痛み止めが要るほどの痛みはないからいらん。
それより吐き気をどないかしてくれよぉ〜〜と又も頭の中で叫ぶ。 しまに胃液に血が混じってるのが出てくるし、
U字枕にも血がついてる。
眼帯からの血やん。
嘔吐のたびに目に力が入る。
背中をさすってくれはる看護婦さんに
「血が出てる・・・」という私
「お腹の中がからっぽやから食道が切れているのかもしれんけど
大丈夫よ」って
「目に力がはいるねんけど・・・」と私
「目から血は涙やから」と
修羅場ですわ。 そんなこんなで1時間たっても嘔吐はおさまらず
結局、明け方まで嘔吐に苦しむ。
やっと吐き気がおさまり、うとうとする。
朝になって私、へとへと・・・
第2ランド終了ですわ。 戦いの後の昼食にラーメンって・・・・って思いながら
平らげる。
眼科患者の私は成人普通食。
昼食は結構とボリュームがある。
ラーメンっていうてもラーメン定食やん。
ご飯にラーメンにサラダやもん。
その後、お好み焼き定食の日もあって
こんなん、大阪の病院しかないやろ?って思った私。
お好み焼きにご飯にお味噌汁にお漬物って組み合わせやもん。
普段から淡白な味好みの私には
充分な味付けの病院食でございました。” まさに痛みとの戦い・・・疲れた・・・ “自分の身体に起こることをちゃんと確かめておきたいって思う気持ちと
こんな経験はそうそうできないという気持ちで
一部始終、ちゃんと覚きたい。
全身麻酔でわからないうちに終わってて欲しいって方が怖い。
何をどうしてこうしてはるって想像しながら
手術を受けたいと思う私は頭の中はいたって冷静。 手術が始まった。
麻酔が効いて痛くないはずの手術が痛い。
え〜〜麻酔、効いてないの?って思いつつ
麻酔をしてもらった時のことを思い返す。
手術開始前
執刀医が麻酔をしはった女医さんに
「麻酔は?」って確認しはったら
「2本半」って云いはった。 2本半ってどれを云うたはるのやろ?って痛みを堪えながら考える。
術前の説明では、右耳下に1本とほほに2本。
そのほほに2本の1本目に不手際があって
私の記憶ではほほは1本とちょっと。
ってことは、女医さん勘違いしてる?
いや私の勘違い?
え〜〜うっそお〜〜麻酔、効いてないってこと?
でも1本はしてるし、全く効いてないことはないやろ?
と顔の痺れ具合を確かめる。
やっぱり左唇下の麻痺しかわからん。 そう思ってる最中もオペは進められている。
っで先生がつぶやく。
「もちあげようか・・・
うわっ元気やなぁ〜」と。
これがとんでもなく痛い。
奥歯をぐ〜〜とかみ締めて堪える。
そして、私は思う。
先生が元気って思うことはそれだけ抵抗があるってことやん。
抵抗を感じるってことはそれだけ私は痛いってことやんかぁ! 「今のとこは痛みを感じたと思います」って先生、私に言いはる。
今のとこって最初からずっと痛いやん。
「あの〜最初っからずっと痛いんですけど・・」と弱々しく答える私。
「今のとこがこの手術で大変なとこで、あとは楽ですからねぇ」って先生。
後から思えば、これはバックル手術。
眼球にバンドを巻くって下りやん。 っで思う。
私は麻酔の効き具合に半信半疑。
先生は100%効いてはるって思ってはる。
今のとこは麻酔が効いてても痛みを感じるらしい。
え〜〜でも私は最初っからず〜〜〜と痛くて
今のとこはとんでもなく痛かった。
それに、後は楽って云わはったけど、手術最後まで痛みはず〜と感じていた。 あかん、麻酔が効いてないか、効きが弱いかしらんけど、
今からでも麻酔を追加してもらわれけへんやろか・・・・
と
「先生・・・」とつぶやいてみた。
先生、麻酔効いてないって云いたいのに
痛みを堪えるのにエネルギー消耗している私は
先生って呼ぶしかできない。 「堪えて堪えて」って返される。
これを2,3回繰り返す。 堪えてってめちゃ堪えてるちゅうねんって思うが
何回いうても堪えてって云わはるし、
これって麻酔が効いてるのに気持ちで痛がってるだけって思われてるかも、
なら云うだけ無駄やん。
それに、オペ中にやいやい言うて先生の集中を欠けさせん方がいいよなぁ。
術前の説明で
「目の手術ですし、万が一失明ということもあります。」と念押しされたのを
思い出し、
ここは大人しくしているのが賢明と思う。 さっきのとこが一番痛いっていうてはったから
あれ以上の痛みはこの先ないってことやなぁ。
あの痛みに耐えられたからこの先の痛みも堪えられる。
大丈夫!大丈夫!と自分を励ます。
我ながら健気や・・・
それに麻酔も多少なりとも効いてるやろし・・・って思ったのも束の間、
痺れを感じていた唇左下の痺れがなくなりすっきり。
え〜〜痺れてないと
布で覆われている下で口を開け閉めしてみる。
普段と変わりない感覚。
うっそお〜〜〜って思っている時
「洗浄」って先生。
その洗浄、水で洗い流してくれてはるその感覚。
今まで何度か外来で洗浄してもらったその感覚と全く同じ。
水の質感もちゃんと感じる。流れ落ちるのも感じる。
うわぁ〜〜麻酔、100%切れてるってことやんかぁ!と確信。
さっき堪えようと腹をすえたのにぐらつく。 顕微鏡を使いながら目の中を見てはるのやろうなぁ。
女医さんが「網膜があれですねぇ」って。
網膜があれってどないやねん!って思う私。
「1回、レーザーを当ててるからなぁ。」って執刀医。
後で知るが網膜は再生機能がないから
レーザーで焼かれたとこはぼろぼろのままってこと。
それを今回の手術でも再度レーザーで貼り付ける。
それがまぁ、外来でレーザーを当ててもらったときより
熱い痛みを感じる。
っでガス投入。 痛みは堪えようと決めたものの
途中で先生の
「えっもうこんな時間や」って言葉に
予定の2時間を越えそうなんか
越えたのかって知り、
やたら気分が悪くなる。
痛みはもう堪えるしかない、しゃ〜ないと思ったら、
気分悪さが戻ってきて、
先生の手が目から離れたと思ったら頭を動かす私。
「もうちょっとやから堪えて」って先生。
散々堪えてるやん・・って
全身全霊で痛みに耐えている私の体力は限界やん。
気分悪いちゅうねん!! っでやっと、ほんまにやっと、
「もう仕上げに入ってるからね」って先生。
仕上げか・・・もう終わりやねんなぁ・・・と思う。
ほんだら、ほんまに仕上げしてはるやん。
説明であった白目に三箇所切れ目を入れてってその切ったとこ
縫うたはる。
縫うて括って糸切ってって素で感じるけど
そない痛くもない。
もっと痛いのを経験したあとじゃ屁よなぁって思う私。 でも、そんな根性がなく
途中で失神でもして気を失えたら楽やったかもって思ったほど
痛かったのは確かで、
今後手術っていうたら全身麻酔を懇願するかもと弱気になった。 結局、予定より30分オーバーの2時間半の戦いを終えた私は
ここから嘔吐に苦しむ数時間を過ごすことなる。
もともとの体力がないってほんまあかんわ・・・” | 2月 29 手術〜いざ出陣!! “云うたはったことがよ〜わかった。
レーザーで済むならそれに越したことはないって云うほど、
網膜剥離の手術はラジカルやった。 今までの
手術=麻酔する=痛くない=平気って図式が崩れもうたがな。
手術=え〜〜麻酔効いてないやん=うっそ〜〜痛い!めちゃ痛い=汗だくやん=疲れた・・・・(>_” 再入院 “網膜の剥離ってこうなるねんや・・を実感した私は
右目、左下2/3の視野欠損状態で
タクシーに乗って病院に向かう。 前の週、金曜日の診察時に次回診察は水曜日と予約したのを
変更電話を入れてからの外来診察。 眼科はお医者さんの診察前に
あれこれ検査をしてからとなっている。
病院に向かう動作で
すでに右目は左下3/4が視野欠損状態。
眼圧検査はまあ、受けれるわなぁ。
この状態で視力検査って無理やん。
外から見た感じでは
視野欠損状態がわからんから仕方ないなぁと
「すみません、網膜剥離で左下3/4がすでに見えないんですけど」って云うと
「1/4見えてるとこで見れませんか?」って
見えんがなぁ。
物体はわかるけど、検査器のC自体を探せんちゅうねん。
「物は見えるけど、見れません」と云う。
視力が残っているかどうかを調べたいようなんやけど・・
視力はまだ残っているでと思うが
「見えへんから無理です」って云う。
「それじゃ、あちらの椅子で診察を待っていて下さいね
今日は1診です」って。
診察ブースが3つほどあって
私の主治医の別嬪女医先生は1診ってことなのでその前辺りの椅子に座る。
とりあえずの入院準備としてパジャマとお箸と水筒とラジオを入れた
紙袋を抱えて・・・・ 名前を呼ばれて、診察室に入って開口一番
「先生、あきませんわぁ」と私。
「あきませんでしたか・・・とりあえず診せてくださいね」と
診察をしてもらう。 「剥離、進んでいますねぇ。入院して手術になります。」
「はい、そう思って、入院の用意を持ってきてます」
「ちょっと待ってくださいね。」と奥に行き
眼科部長の男の先生と一緒に戻ってきはる。 「手術は明日の夕方です。
先生(男の先生を見て)がして下さいます」と女医先生。
眼科部長の先生が私の前に座って診察。
2人で何やら話した後、
眼科部長が簡単な手術の説明をしてくれて、自分の診察に戻りはって
私の主治医の女医先生が再度、詳しく手術の説明をしてくれはる。 診察室にある眼球の模型を目の前に説明してくれはる。
外からは眼球にバンドを巻いて、
中からはガスを入れて網膜を固定させるという。
ガスを入れるから術後はうつぶせ寝。
硝子体手術とバックル手術で時間は2時間。
状況によって2時間オーバーする。
麻酔は局所で右ほほ骨のとこに2本と右耳下に1本。
「ココ(右ほほ骨)の麻酔はちょっと痛いです」と女医先生。
「白内障の時にもそこに麻酔したから大丈夫です。
それに私、痛みに強いので平気です」とニヤっと笑う私。 「じゃ、入院準備と手術前の検査に行ってください。
車椅子移動になるのでちょっと待ってください」と
車椅子に乗せられ、看護婦さんに病院の中を連れまわされる。
術前検査っていうても
血液検査は前回の入院時に済ませているので
抗生剤のアレルギー検査とレントゲンと心電図をして
入院手続きをして病室に入る。 大部屋希望やのに連れて行かれたのは個室。
え〜〜個室ってあかんやん。室料が別にいるやんと心配にあって
看護婦さんに
「あのぉ〜〜大部屋希望なんですけど」
「空がないからとりあえずココに入ってて。」
「はい、部屋代ってどうなります?」
「大部屋希望やから大部屋扱いになるよ」ってことで
安心してパジャマに着替える。
個室っていうても2人部屋を1人で使う。
前回は内科病棟やったけど
今回は産婦人科病棟なので、雰囲気が全然違う。 手術開始は翌日16時15分開始。
ただ、その前の白内障の手術の人の進み具合で
手術時間は前後する。
手術開始前に点眼と点滴を開始する。その前に手術着に着替えること。
明日のお昼は絶食。
それまでは安静に過ごしてくださいといわれる。 又もラジオを聞いて過ごす日々。
右目は4/5の視野欠損。
網膜が剥離しても全く痛くない。
身体は元気なのに安静に過ごすというのも忍耐がいる。 看護婦さんが持って来てくれた、網膜剥離の術後枕が
やけにデカイ。
U字型枕を試しに当てて見た。
私の身体ではおへそ辺りまで来て、
おなかを圧迫される。
これきついわぁ〜〜と一瞬うつぶせ寝2週間という指示に
息が詰まる思いがする。” 再発の可能性大の退院〜再発 “私として、再発の可能性があるなら一気に手術して
確実に治したいねんけど・・・と レーザー当てて、入院3日目。
相変わらず、右目の左下の視野欠損はあるし
飛蚊症はひどい。
昨日の診察では、
「レーザーで持てばラッキー。これで剥がれてきたら
手術になります」と云うたはったし・・・
レーザーだけでは無理なんちゃうん?
いっそ、手術したほうがええのとちがうん?
手術するなら一日でも早くしてもらったほうが
早く退院できるよなぁ。 主治医の女医先生がお休みで代わりに診てくれはった
眼科部長の男の先生に
「家のことも気になるし、レーザーで持ちそうにないなら
いっそ手術してもらったほうがいいんですけど。
長いこと入院するのもかなんし」と
手術を懇願してみた。
「いや、いきなりそんなラジカルなことはせんほうがいいんです。
手術はリスクが大きすぎるんです。」と
あれこれリスクを説明してくれはる。
実際、この後、手術をして
網膜剥離の手術のラジカルさを実感することになるねんなぁ。 網膜剥離の手術で懸念される水晶体に関しては
すでに私は白内障で人工レンズが搭載されているので
このリスクはクリアされているが
手術事態の大変さとあとあとのリスクは
レーザー手術よりはるかに大きいらしい。 とりあえずは納得してんけど、
危うい状態なら潔く手術してくれたほうが・・という思いを抱きつつ
引き続き安静の日々。 レーザーを当ててから1週間は安静。
安静に過ごすことによってレーザーで網膜を固定するのを助けるという。
1週間目、28日の診察で
「今のところはレーザーで落ち着いているので明日退院しましょう。
ただ、本当に大きい穴で、
よ〜この大きい穴がレーザーで持っているのが不思議なぐらい。
10人の医者診たら10人ともがよ〜持ってるというぐらいなものなので
退院してもすぐに再入院って可能性があります」と え〜〜そんなややこしいねんやったら
手術してくれよ〜〜って思う私。 火曜日に退院して金曜日の外来診察では異常なしやったのが
日曜日の昼ごろから
視野欠損がひどくなってきた。 黒茶色のセロファンのようなものが左下1/3を覆いだす。
うわ〜〜剥離してると実感。
「あかんわ。剥離してきた。明日病院行くわ。手術すると思う」と
入院段取りをする。 次男には「明日学校から帰って来て、母さんがおらんかったら
入院してるってことやから
この紙袋(入院準備のもろもろ)を病室まで持って来て。
病室がわかったら、留守電に入れておくから、それを聞いて
持ってきてな」って頼む。 その時点で身体を動かしたから
左下1/2が覆われ、視野欠損がますます広がる。
網膜が剥離するってこうなんや・・・って
まじまじと観察。
観察っていうても目の中のこと。
なんというか、へぇ〜〜〜って感じ。 我ながらなんでか手術するってことに恐怖心を感じないから助かっている。
レーザーも一応、手術の部類に入るらしいから
今までに4回手術をしてもらっているが、
お医者さんに
「手術します」と云われても
「あ、そうですか。いつですか?」って
ご飯食べる?いつ食べるっていうのと同じぐらいの会話をする私。
手術する=怖いってのが全くなく、
手術する=え〜〜ややこしいなぁ。段取り狂うやん。
痛みに強いっていうのもあるし
土壇場に強い、強運の持ち主やと、何の根拠もないのに思っている
ポジティブシンキングな性質が手伝っている。
根性あるし忍耐強いのが売りの私やもん。 なので、周りの人間には私の病気は軽症と思われる。
本人もそんなに重症とは思っていない。
でも同じ病気を闘病という表現をしはる人もいるから
今回も今までの病気もそこそこ大変な病気なのかも・・・
気持ちの持ち方って大きいなぁ。” 私の既往症歴に追加された網膜剥離 “又も貴重な体験をしてまいりました。 1月22日の朝、
右目(2年前に外傷性白内障オペをやった目)の左下がな〜んやうっとおしい。
今年から働き出した週一の仕事の日やったので
気になりながら一日過ごし、
まぁ、疲れ目やろ、寝たら治ってるかも・・・と寝る。 23日の朝、4時半に起きてお弁当を作り始めるが
昨日のソレ、
うっとおしい影がなんや大きくなってる。
おかしい。
緑内障か?と思いつつ、とにかくお弁当やと
せっせと作る
お弁当が出来たのでPCを開けて
目の病気を検索。
っであれこれ見たら、
原因、症状的に網膜剥離やん・・って気づく。 網膜剥離か・・・・
網膜剥離やと、いつもの眼科じゃ無理やん。
入院して手術よなぁ。
働き出したばっかりやのに、かなんなぁ。
まずはいつもの眼科で診てもらって紹介状を書いてもらおう。
っと次回診察予約券を見ると
18日から23日まで休診って書いてある。
え〜〜〜うっそ〜〜〜
どうするねん?
何処の病院に行こうかと電話帳を出す。 私が入院すると家の事も気になる。
それはなんとか頑張ってもらうとして、
洗濯物の持ち帰りをしてもらうのに家から近い病院がいいよなぁと
段取りを考えて、近場の総合病院に決める。 目やから身体は元気。
外はちょっと雨模様。
自転車で行こうか電車(隣駅)に乗ろうかと迷うが、
網膜剥離やと即手術って可能性があるし、
タクシーでええやと電話して配車を頼む。 子供が小さい時、夜中の救急で何度かお世話になっただけの病院やから
システムがわからん。
総合受付に行くと予約制になっていると云われたが
眼科受付に確認を取ってもらって
受診OKで診てもらえることになる。 眼圧検査と視力検査の後、診察。
状況を説明して診てもらったら
「網膜が弱くなっているようやから写真撮ってみましょう」っで
カメラブースで取ってもらう。 「ん・・・網膜に穴が開いています。
結構大きい穴ですねぇ。網膜剥離です。」と
「やっぱり・・・朝、ネットで調べてたぶん網膜剥離かなって思って・・・」
って私。 「上の方に穴が開いているので、身体を起こしていると
どんどん剥離が進みます。
これだけの穴で剥離が進まず持っているのは年齢的若いから
周りの筋肉によって支えられているようですが・・・
レーザーを当てて、1週間絶対安静になります。
入院をお薦めしますが・・・」
「入院ですか・・・」とちょっと渋る 「網膜剥離は絶対安静が鉄則なんです」と
若くてとても綺麗な別嬪な女医先生が言う。
「わかりました。入院します。」
「じゃあ、まず入院手続きをしてレーザーを当てましょう」となる。
血液検査と入院手続きの合間に
娘の高校に電話して、部活はせずに下校するように伝言をお願いする。
私が入院して一番頼りになるのは娘やもんなぁ。
いろいろ段取りを言うとかなあかん。 「穴の周りにレーザーを当てて、剥がれるのを食い止めます。
網膜をやけどさせてひっつけるんです。
云うたらやいとみたいなんですわ」って
めちゃ別嬪な女医先生が大阪弁で言わはる。
やいとってぇ〜〜〜
今時、やいとなんてあんまり云わんやん。
別嬪な顔立ちに似合わんその発言に一気に親近感が沸く。 レーザー初体験ですわぁ。
目薬の麻酔液を点眼してもらって目にレーザー光線。
どんだけ撃つねんってぐらい撃たれる。
涙が止まらんやん。
別嬪な先生は
「もうちょっとがんばってね」と云いつつ
上、もっと上、右上、右、もっと右を見てと
指示しはる。 途中でちょっと休憩。
「ちょっとチクと痛いと思いますが我慢してくださいね」と云わはるから
「チクというより、頭の奥の方を殴られてる感じです」と私。
やいとと云わはるだけあって、
確かに熱い痛みを感じるけれど、
我慢できんってモンでないし、
私の中で痛いってカテゴリに入るほどの痛みではない。
それより同じ姿勢を保つことがしんどいし
まぶしくて涙と鼻水が出てくるのがかなん。
早く終わってくれんか?って思う。 その後、車椅子移動で病室へ。
入院の準備をしに帰宅許可をもらって一旦家に帰る。
入院準備とともに
生協に電話、注文したもののストップをかけ、
共済保険請求のための必要書類を郵送してもらう手配をする。
会社にメールで状況を説明、お休みをもらう。
とりあえず、家の中が回るように段取りだけしとかな入院も出来ん。 1週間の入院はトイレと洗顔のみ徒歩許可で
毎日の眼科診察は眼科外来まで車椅子に乗せられ連れて行かれる。
食事以外は寝ておくこと。
目の疾患なのでテレビ、本をダメ。
トランジスタラジオで四六時中、FM802を聴く日々。
同室(6人部屋)私以外は糖尿病とかのおばちゃん(内科病棟にほうりこまれた)やし
絶対安静と云われてるので
会話することなくベッド上の私。 おばちゃん5人の内、2人は動きまわってはるけど
3人は寝たきり状態。
っで動きまわってはるおばちゃんの会話。
カーテン越しに聞こえてくる会話によると
私は学生になっている。
トイレに歩いてる姿は別に何処が悪いってわけでなく
一日一回車椅子で出て行く。
検査入院と思われているらしく、
娘のフード付き柿色のカーディガンを着てトイレに行く姿が
学生風なのか、
実年齢の半分ぐらいに思われている風。 カーテン越しに噴出しそうになるやん。
夜中には
身動きの出来んちょいと我侭なおばちゃんは
何べん呼んでも来てくれへん看護婦さんの代わりに
私のことを呼ぶ。
「そこのおねえちゃん。柿色の服を着たおねえちゃん」と。
私は一番奥のベッド。
おばちゃん達の前を通ってトレイに行くから、
柿色の服のおねえちゃんとなる。 この我侭おばちゃんは
入院生活の寂しさで、理不尽なことを云うて看護婦さんを困らしはる。
おまけに、向かいのベッドのおばちゃんの面会に来た
家族の人をも困らしはる。
病人に見えない私としてつらい立場なんやけど、
れっきとした病人なんやし
絶対安静と云われてるから、心を鬼して相手せずに過ごす。 寂しいのはわかるけど、我慢しやなって心の中で云う。
3歳の子やないねんし・・・と思うが
70を超えたおばちゃんは3歳児よりやりにくい。
私はあんなおばちゃんにだけにはならんとこと誓う。
ええ勉強になるわ・・・・” 09 再入院 “膜の剥離ってこうなるねんや・・を実感した私は
右目、左下2/3の視野欠損状態で
タクシーに乗って病院に向かう。前の週、金曜日の診察時に次回診察は水曜日と予約したのを
変更電話を入れてからの外来診察。 眼科はお医者さんの診察前に
あれこれ検査をしてからとなっている。
病院に向かう動作で
すでに右目は左下3/4が視野欠損状態。
眼圧検査はまあ、受けれるわなぁ。
この状態で視力検査って無理やん。
外から見た感じでは
視野欠損状態がわからんから仕方ないなぁと
「すみません、網膜剥離で左下3/4がすでに見えないんですけど」って云うと
「1/4見えてるとこで見れませんか?」って
見えんがなぁ。
物体はわかるけど、検査器のC自体を探せんちゅうねん。
「物は見えるけど、見れません」と云う。
視力が残っているかどうかを調べたいようなんやけど・・
視力はまだ残っているでと思うが
「見えへんから無理です」って云う。
「それじゃ、あちらの椅子で診察を待っていて下さいね
今日は1診です」って。 診察ブースが3つほどあって
私の主治医の別嬪女医先生は1診ってことなのでその前辺りの椅子に座る。
とりあえずの入院準備としてパジャマとお箸と水筒とラジオを入れた
紙袋を抱えて・・・・名前を呼ばれて、診察室に入って開口一番
「先生、あきませんわぁ」と私。
「あきませんでしたか・・・とりあえず診せてくださいね」と
診察をしてもらう。 「剥離、進んでいますねぇ。入院して手術になります。」
「はい、そう思って、入院の用意を持ってきてます」
「ちょっと待ってくださいね。」と奥に行き
眼科部長の男の先生と一緒に戻ってきはる。 「手術は明日の夕方です。
先生(男の先生を見て)がして下さいます」と女医先生。
眼科部長の先生が私の前に座って診察。
2人で何やら話した後、
眼科部長が簡単な手術の説明をしてくれて、自分の診察に戻りはって
私の主治医の女医先生が再度、詳しく手術の説明をしてくれはる。 診察室にある眼球の模型を目の前に説明してくれはる。
外からは眼球にバンドを巻いて、
中からはガスを入れて網膜を固定させるという。
ガスを入れるから術後はうつぶせ寝。
硝子体手術とバックル手術で時間は2時間。
状況によって2時間オーバーする。
麻酔は局所で右ほほ骨のとこに2本と右耳下に1本。
「ココ(右ほほ骨)の麻酔はちょっと痛いです」と女医先生。
「白内障の時にもそこに麻酔したから大丈夫です。
それに私、痛みに強いので平気です」とニヤっと笑う私。 「じゃ、入院準備と手術前の検査に行ってください。
車椅子移動になるのでちょっと待ってください」と
車椅子に乗せられ、看護婦さんに病院の中を連れまわされる。
術前検査っていうても
血液検査は前回の入院時に済ませているので
抗生剤のアレルギー検査とレントゲンと心電図をして
入院手続きをして病室に入る。 大部屋希望やのに連れて行かれたのは個室。
え~~個室ってあかんやん。室料が別にいるやんと心配にあって
看護婦さんに
「あのぉ~~大部屋希望なんですけど」
「空がないからとりあえずココに入ってて。」
「はい、部屋代ってどうなります?」
「大部屋希望やから大部屋扱いになるよ」ってことで
安心してパジャマに着替える。
個室っていうても2人部屋を1人で使う。
前回は内科病棟やったけど
今回は産婦人科病棟なので、雰囲気が全然違う。 手術開始は翌日16時15分開始。
ただ、その前の白内障の手術の人の進み具合で
手術時間は前後する。
手術開始前に点眼と点滴を開始する。その前に手術着に着替えること。
明日のお昼は絶食。
それまでは安静に過ごしてくださいといわれる。 又もラジオを聞いて過ごす日々。
右目は4/5の視野欠損。
網膜が剥離しても全く痛くない。
身体は元気なのに安静に過ごすというのも忍耐がいる。 看護婦さんが持って来てくれた、網膜剥離の術後枕が
やけにデカイ。
U字型枕を試しに当てて見た。
私の身体ではおへそ辺りまで来て、
おなかを圧迫される。
これきついわぁ~~と一瞬うつぶせ寝2週間という指示に
息が詰まる思いがする。 ” | 1月 21 雪景色 “う〜〜さぶっ・・・・と思いながら
洗濯物を干すのにベランダに出た。 我が家のベランダ、東に見える生駒山。
雪景色です。
真ん中辺りから上が白くなってる。
そりゃ〜寒いわ。 雪化粧の山を遠目に見るは
うわ〜綺麗なぁやけど、これその中に身を置くとそうはいかんやろうなぁ。 昔、尼崎に住んで居た頃に見える山は甲山から六甲山。
小学校〜高校までの校歌に必ず出てくる六甲山ですわ。
冬の耐寒訓練山登りは甲山が定番。
私の中で山といえば、甲山から六甲山。 我が家の子供達の小中の校歌には生駒山、
娘の高校の校歌には高安山が出てくる。
これが大阪市内なら山は出てこないのやろうか? え〜〜大阪市内の校歌って何が出てくるのやろ?
川かなぁ?堂島川とか?
ほんで御堂筋とか新世界とか・・
まさか、学校の校歌に新世界は出てこんやろ・・・
あ〜大阪城はあるかもなぁ。
何が出てくるのやろか?知りたいわぁ。 とまぁ、本に寒い一日です” 18 誰も買わへんと思うねんけどな・・・ “さっき、集荷に来た郵便事業株式会社のおっちゃん。
売れ残った年賀状を20日までにさばかなあかんノルマがあるらしい。 「え〜〜そんなん、今更売れんでぇ。
誰も買わんと思うで。
私も余った分、抽選の結果がでてから切手かハガキに交換してもらおうって
思ってるのに。」って おっちゃんは
「わしも誰も買わんし、しゃ〜ないからみな、自分で買うてますわ」って
厳しいなぁ。
ってか、上の人間ってほんまむちゃ云いすぎ。
誰が考えても売れんで。 おっちゃんは
「抽選目当てで買う人もいてるとは思うねんけど」って云うたはった。
確かにそんな人もいてるかもしれんけど
少ないでぇ。
余りハガキに必ず当たりがあるなら別やけど
それもわからん話やん。 企業は権力を盾に無茶を云う人間が上に立ったらあきまへん。
権力を持ったなら謙虚になってもらわなと
つくづく思う小市民の私。” お天気はいいけど・・・・ “寒いから、火曜日に外に出たきり
ず〜〜〜〜と
お買い物はネットスーパーを利用して、
ゴミを捨てるのに出ただけやん。
外というかベランダには出てるけれど。 そして、私のお昼は3日連続、残り物カレーライスですわぁ。
まぁ、好きやからええねんけど。
友達なんかは、
カレーライスの後は、残ったカレーでカレーうどんを晩御飯メニューにするって
云うねんけど、
カレーはカレーライス以外はあかんのですわ。
カレーパンもあかんのですわ。
うどんはきつねうどんか親子うどんに限る。
ということで、
残ったカレーはせっせと私の昼食です。 昨日は雪がちらほらしてたらしい大阪。
そんなこともしらんの?って
皆に突っ込まれる。 念願のミニバスの練習が始まって、17時回って下校の次男。
今までにない遅い時間の下校に
ちょっと大人になった気分になってはる。
すぐにその気になるところがほんま飽きへんわ。
昨日、練習の最後に
「バッシュを持ってる子は持ってきてもいい」って先生が云うたはったと
兄ちゃんにお古の臭〜〜〜いバッシュを嬉しそうに抱えて行きはりました。 「早く人数が減ってくれたら試合に出れるチャンスがあるかもしれん」と
ぶつぶつ云うてる。
人数が減ってもそこそこ上手くないとなぁ。
おまけに身体は小さいときている。
ちょこまかしぃで邪魔する、ドリブル突破で突っ込んでいく。
これやでアンタの持ち味。
頑張れ〜〜〜
兄ちゃんには無かった人を押しのけるって根性だけはあるから
期待してまっせ。” 14 次は色鉛筆画 “娘が通信教育のボールペン字を習いたいとか・・・
週に1回の書道は筆。
ノートに書く字が綺麗になりたいと言う。
タイミングよく新聞折り込み広告に通信教育のチラシがあり、
早速資料請求。 真似したがりの次男が
「ボクも絵を習いたい」と
はぁ・・と。
どこから絵が出てくるねんって感じやん。 まぁ最近、ドラゴンボールのマンガ本を見ながら
べジータやら悟空やらを描いてはる。
ここでも真似るのが上手い性格がでて、
迫力満点に上手いこと描いてる。
暇があったら、それしてる。 そこから派生しての絵がならいたいか。
絵の具は道具を出すのが邪魔臭いから
色鉛筆画がいいと云うから 「あんなぁ、コレは高校生以上じゃないと申し込みでけへんねん」って
適当なことを云うてやった。
「ほんだら、お母さんが申し込んでそれをボクがやったらいいやん」って
「そんなうそっぱちをして、見つかったらつかまるからあかん」って拒否。
諦めきれなずこれみよがしに
昨日は一日、色鉛筆で何やから書いてはった。
我が家の3人の中では確かに一番上手いが、それだけやん。 待ちに待ったミニバスの練習が本日から開始。
それに向けて体力づくりと先週末から
朝6時20分(中途半端な時間やぁ〜〜)に起こして・・って
それからおにぎり2個食べて、ランニングに行く。
どこをどう走ってるのか知らんけど、
バスケ部の兄ちゃんに
「体力がないとあかん」と聞かされてるから。
これもいつまで続くやら・・・ ” 13 スタメンやて・・・ “1年生大会ってデビュー戦ですやん。 まぁ、部活1年の中で身体も小さいし、自他とも認める下手っぴな長男。
それを補おうと努力だけは惜しまずがんばっているが
おっつかないない、厳しい現実。 なので年末から1年生大会に向けての
練習試合に出してもらうのも憂鬱。
足をひっぱってしまうってのが一番の憂い事。 なので1年生大会も
あ〜とうとう1年生大会や・・・ってかなんなぁって表情で
雨の中、出かけていきました。
まぁ、私も補欠でもなんでも、初の公式試合。
ちょこっとでも出してもらえたら
よかったなぁ〜って云うたらなって思っていた。 夕方帰宅の長男。
「どうやった?」
「うん。何番(ゼッケンの番号)もらったと思う?」
そんなん云われてもわからんし
「え〜何番なん?」
「8番」
8番って1から始まって8番目ってことか、
やっぱり一番下手っぴ(1年生は8人)か・・って思うが、
疲れて帰ってきてるし
「ふ〜〜ん。そうなん」って 実は8番ってスタメンのぎりぎり番号らしい。
あとで娘に聞いたら、
「4番がキャプテン番号でそれから5,6,7,8やから
8をもらったってすごいで」 そんなん知らんから、ふ〜んって云うただけ。
そのときに、8番もらえるってすごいねんでって
自らアピールする性格でない控えめな長男。
これが次男なら、8番やで!8番!って開口一番にアピールやろうけど 長男との会話の続き・・・
「ほんで、試合には出してもらえたん?」
「うん。1年生大会やから全員、出してくれはる」
まぁ、人数が少ないからなぁ・・
っていうか
ここで8番の意味を教えてくれてもいいのに・・・
云うてくれんから、
ふっとぼけた私の質問やん。 「そうなんや」
「それがなぁ」
「うん、どしたん?」
「スタメンやってん」
「え〜〜〜アンタ、スタメンで出たん?うっそ〜〜〜」
「ほんま」
「それっていつ云われたん?誰が決めるん?」
「試合前に顧問の先生が云いはった」
「ほんまぁ。どうしょう〜〜って思ったやろ?」
「うん」
「かなんなぁって思ったやろ?」
「うん、思った」
「ドキドキしたやろ?」
「うん」
とまぁ、本人も予想外のスタメンやん。
まあ途中で交代させられてるけど。
それでも一番下手っぴなはずやのに・・・ スタメンの他のメンバーの名前を聞くと
日ごろから長男が上手いねんっていうてる子の名前。
ってことは、うちの息子だけ
真面目に朝練も休むことなくがんばってるって努力を認めてなんやろうか?って
どうしても、そう思ってしまう私。 娘には
「母さん、そんなん思ったりなや。上達して選んでもらえたってことやで」
って叱られる。 っで、その試合の結果は
10何点対60何点でぼろ負け。
勝てば、本日2回戦のはず、それはなくなりました。 かなんと思いつつもスタメンで選んでもらえたことは
励みになったようで
今朝も早起きし学校に向かった長男。 未熟児で生まれ、
乳幼児期には病院通いの日々。
「小学校に上がったら、体育の時間はいつも見学って子になるかもしれません」って
云われたぐらい虚弱やったから、
本人の気力、やる気、努力の賜物です。
息切れせんように、ボチボチと願う私。 そして・・・
息切れするぐらい、がんばってみぃと次男に思うねんなぁ。
ほんまそこそこがんばってそこそこの形になるやつは
努力をせんからあかん。” 体調不良・・・(>_<) “昨日の土曜日はなんでかなぁ〜
胃というか腸というか、
何か食べるとク〜〜と痛い。 なので、お昼はちょっとぞうすいの素で
ぞうすいを頂き、
夜は鏡開きのお餅で水菜餅のお餅抜きを食べて、
早々に寝た。 熱もないのに、
なんや身体がしんどい。
かすかに吐き気もあるし、軽い胃腸にくる風邪やろうなぁと
そういうときは休養をとるに限る。
今朝は昨日のしんどさはなく、まぁ、ぼちぼちですわ 身体がえらいと
メガネをかけるとめっちゃ重くてしんどくなるってのを昨日実感。
やっぱり弱いところに影響がでてくるもんなんやわ。 それから、身体がしんどいと気力も萎える。
熱の風邪のときは、熱が上がりきるとやたら気力が出てくるとこがあって
寝てるがもったいないってなるねんけど。
熱もなくなんや〜身体がだるい。
食べるのがしんどいと気力も一緒に萎え萎え。
そういうときにこのブログを書こうと気にはなれないってのも発見です。
熱があっても携帯から書いたりできるのに・・・
熱があるなしはさして重要でないってことです。
まぁ、重要なこともあるでしょうが・・・ とそんな昨日、わが長男は初の公式戦、1年生大会でございました。” 07 散髪!! “昨日の昼間
「母さん、髪の毛、伸びたなぁ〜すいたろかぁ」って
ことでご飯の後片付けの後、
娘に髪の毛をすいてもらった。 かなりいっぱいすいてもらってすっきり。
そういえば、去年の夏前に美容院に行ったきりの私の頭。
前髪は伸びてきたら娘にカットしてもらっていたが
昨夜は後も横もすいてもらって、
全体にカットしてもらった風になった。 いや〜はっきり云うて、上手いです。
弟2人の頭も上手いこと段をつけてカットしていたけど
私の頭もこない上手いことしてくれるとは・・・
カットの後は、白髪染めもしてもらって
さっぱりの私。 美容院って予約して行くってのがおっくうやし、
ココをもうちょっと切ってほしいって思っても
あかんタレの私は
「もうちょっとこうして」って云えない。
なんでかこういうとこは気が弱い。 娘なら、
「ここ、これがうっとおしいねん、もうちょっと頼むわ」って云える。
ほんま、娘がおってよかったと思う瞬間” 雨の中、買い物へ “生協を終えてから、娘と2人で自転車に乗ってGO ヨーカドーで鞄を買った私。
嬉しいなぁ〜嬉しいなぁ〜〜
久しぶりに自分のモノのお買い物は嬉しいなぁ〜〜〜
鞄を持ってどこに行くかと云うと、
今月から週1回、修行の旅に出ます。
修行の旅っていうのは、お仕事です。
17年ぶりに外に働きに出ます。
街に出ます。
オフィス街です。
OLならず、OO(オフィスおばさん)ですわ。
てなことで、鞄を買いました。 その後、雨の中、ちょっと走って、
百均ショップで
お弁当箱とお箸セットも購入。
やる気満々ですわ。 事務兼雑務という、得意分野なので頑張ります。
さび付いてる分、失敗もするやろうし、一種の修行です。
アメ☆パイも継続しながらでの外勤。
どちらも力は抜けまへん。
頑張りまっ てなことで、今年はいろいろ頑張るねん!って年です。” 05 どら焼きいっぱい!! “生協で5個注文したつもりが5袋注文してもうた・・って
実家の母から電話。
しゃ〜ない、それを引き取りに昨日、また実家に行く。 一袋5個入りのどら焼き5袋のうち、
4袋を引き取って帰ってきたのはええけど、
20個やん。
我が家にドラえもんが居たら、大喜びやろうなあと思いつつ、
半分、冷凍室に放りこんでやりましたわ。 もみじ饅頭は、冷凍して保存可。
レンジで温めてお召し上がりくださいって書いてあるから
どら焼きもいけるやろって。 お正月に実家に行くと、
あれやこれやと食べるものを持って帰らされる。
当分、お菓子、買わんでいい位。
有り難い親心に感謝です。
感謝の気持ちを表さなって
じいちゃんに公開された、ばあちゃん秘密の携帯待ち受けに我が家の子供の写真を
ムリから設定してやった
待ち受け画像の押し売りやね” 久しぶりの5時起き “昨日は娘の部活が朝一からで、
今朝は長男が練習試合遠征で、
久しぶりの5時起き。 いや〜お弁当作りが一旦休憩に入って、
4時半に目は覚めるが起き上がる必要がないので
そのまま、うとうと・・・
その後、5時、6時半と2回、目が覚め、またうとうと・・・
で7時起床の年末年始。 休みでも7時には起きやな、なんや時間がもったいないって思うケチな私。 昨日からは、5時に布団から出るという難行がまた開始ですわ。
いや〜ひさしぶりは身体にこたえる。
動きが鈍い。
昨日は別に何もすることなく、娘の朝食準備をするだけ。
準備ていうたかて、お湯を沸かすだけ。
彼女の朝食はシリアルとココア。 今朝は、長男の昼食用おにぎりを3個作って、
ついでに、次男の朝食用おにぎりを2個作るとい作業だけ。
今週からお弁当作りが再開やのに大丈夫かと
微かな不安がよぎってもうた今朝でした。” 秘密の初携帯 “お正月に実家に行ったら、
うちのばあちゃん(私の母)はじいちゃんに内緒で携帯を所持。 いや〜携帯を買ったっていうのは
去年から聞いていて、
「じいちゃんにはまだ云うてへん」って云うから
隠れて、その携帯に
娘と私の携帯番号とアドレスの登録作業と
短縮番号1発で我が家の電話にかけられる作業をしてやった。 ばあちゃん曰く
「使いこなせるようになってからじいちゃんに云う」とのこと。
でないと、わけもわからず触って、
後の対処が困るかららしい。
それはわかる。
じいちゃんなぁ〜力まかせの思いのままやもん。
私は本質的性格はじいちゃん似やけど
あれこれチャレンジ精神はばあちゃん似。
ばあちゃんというか、母の母、私のおばあちゃんに
一番似ている。
隔世遺伝ってやつですわねぇ。
うちの父は昭和一桁生まれやし、保守的すぎ。
それに反発して私が出来上がったわけですわねぇ。 そんなこんなで、
内緒にしてはる携帯やので、
我が家の面々にも「携帯の話はしたらあかん」と口止め。 普段は電源もOFFにしていて、じいちゃんが寝てるとき、
外出(病院か買い物)時に携帯操作を勉強するばあちゃんなので、
なかなか、進まんわねぇ。
元旦の夜、帰宅してから娘がメールを送ったが
その返事が来ず。
昨日電話で「返事送ったけど、届いた?」って
届いてへんがな。 聞いたら電話帳から娘のアドレスを出して送ったというが
どうもその操作で手違いをしている模様。
「あんなぁ、メールはそのまま返信ってのを押して
返してくれたらいいねんで」って云う。
それでやっとばあちゃんから返信メールが届く。 したら、さっき、
じいちゃんから携帯を使って私の携帯へ電話。
「え〜どっから電話してんの?」ってわかりきってることを聞く私
「携帯やぁ」ってご機嫌やから
携帯を公開して、じいちゃんの反応上々なんや。 70代高齢夫婦が1つの携帯に目下奮闘中です。
70代であろうと80代であろうと、前進あるのみで過ごしてくれ〜と願う娘の私。” 04 始動! “昨日から部活開始の娘。
久しぶりの制服姿で自転車に乗って登校。
1日遅れで本日から部活の長男は、
百人一首の宿題ですわ。 百人一首って私が学生の頃にも宿題やって、
必死に覚えた。
あんだけ必死に覚えたのに
完璧に覚えているのは
山部赤人の田子の浦〜で始まる一句のみ。
あとはちょこちょこうら覚え
まぁ、こんなもんやわねぇ。
中1の長男のみならず、
高1の娘も百人一首が宿題なんやけど、
2人とも上の句、下の句がわかってない。
2人ともが、
「そんな説明なしに、これ、覚えなさいってプリント配られた」って。
ほんまか?って思うが、
そういうねんからそうなんやろ。
ほんだら、学校、あかんやん。
宿題に出す前にちょこっとでも、
上の句、下の句の説明ぐらいしたってぇや〜と思う。
しゃ〜ない、私が説明して
百人一首のカルタ取りの実演やん。 とまぁ、そんなこんなで、お正月気分もそろそろ排除していかな・・・
てなことで
今朝は、7時に家を出る娘のために
5時半に起きて、ストーブ点火やん。
来週から、また4時半起きのお弁当作りが始まるから
身体慣らしです。 毎年のことながら、
年が明けると、なんやええことありそうやってワクワクして嬉しいねんなぁ。
日はまた昇るって感じがなんとも云えん” 03 バーゲン! “って云っても私のモノは買わず、娘のモノだけ。 去年、新聞屋さんでもらった映画の券を持ってなんばパークスへ。
息子2人を映画館にほうりこんで、
娘と買い物。 パークスから離れんとこって思ったが
思うようなモノがないので
結局、戎橋へ。 ものごっつい人ごみの中、映画終了までのタイムリミット内で買い物って、
めちゃせわしい。
体型は似たようやのに、娘はMサイズが着れる。
靴だってMでOK。
なのでバーゲンで買い物も出来るわねぇ。 何が違うって手の長さと肩幅やねんなぁ。
この年明けのバーゲンって
ほんま私のサイズは探すのに疲れる。
なので、結局、今日も買わず。
娘のモノを探して2時間歩きまわってあ〜疲れた・・・ なんやかんや云うて、服の好みが似てるので
一緒に買い物してても苦にならんからいい。
ただ、絶対に私が手を出さん紫に目がいく娘。
私はどちらかというと、赤とかピンクとかに目がいく。 あ〜私も何か買えばよかった・・・” 02 ぎりぎり合格やん(^^)v “結局、娘のニット帽のボンボリはまだ手付かず。
本日、お昼のたこ焼きパーティ(家族でやでぇ)のあと、
漢検のお勉強。 娘の学校から配布、準2級過去問(わら半紙のプリントやん)を1枚、
やってみた。
準2級は200点満点で70%で合格。
っで私の得点、143点。
ぎりぎりセーフ。
さして勉強もせず、これは上出来ですやんっと大満足。
ちなみに娘は70点ってぜんぜんあかんやん。 でもなぁ、準2級でぎりぎりやと2級は厳しいわぁ。
200点満点で80%で合格の2級やし、
問題の質もちょいと高度になってる。
これは本気でやらなあきまへんと気合を入れなおし。 しやけど、あれやこれやと
やることよ〜さんで今年はほんま忙しいわぁ。
ぼ〜としてられまへん。 隙間の時間にちょこちょこテキストを開く私に次男が言う。
「母さん、勉強、がんばるなぁ」
「うん、おもろいもん」
「え〜勉強、おもろいか
それは母さん、わかるからやん。
ボクもわかるのはおもろいけど、わからんのはおもろない」
「何いうてるん。ほれ見てみ」と
私の大学ノートを見せる
「こんだけ間違えてるねんで」って赤ペンの訂正箇所を見せる。 「間違ったとこを次は間違えんとこって思うとこがおもろいねん。わかる
アンタもがんばりやぁ〜」って云うが、
わかってんのんかなぁ・・・” 明けましておめでとうございます!! “相も変わらずのうだうだゴトを綴って行きます。
今年もお付き合いの程、どうぞよろしくお願いいたします 年末からばたばたと日が過ぎて
気づけばすでに2008年も2日目です。 ひゃ〜ぼ〜としてたら、あっという間に1年が終わってまうやんって
始まって2日目にして焦っております。 なんや〜忘れてるでぇ〜〜って
せやせや、プチ☆ログ、更新してませんやんって今ですわぁ。 な〜〜んと、ニット帽は大晦日の夜に完成しております。
つなビィに画像アップ
ボンボンがちょ〜と大きいすぎ?って感は否めませんが
これがまぁ、触り心地良く、上手くできました。
手芸屋さんにボンボンが上手に作れる道具セットが売っているのは知っているのですが、
それは使わず、画用紙を使って作るという原始的な作業。
毛糸玉、ほぼ1玉使ってくるくる巻き、
まん丸に形を整えていくという地味〜な作業。
黒いマリモのごとくに出来上がったボンボンが
また可愛〜て・・・
早速、昨日の元旦、次男坊主はこれをかぶって
我が実家、じぃちゃん家に行きました。
ばぁちゃんが開口一番
「ボンボン、ちょっと大きすぎちゃう?」にちょっとめげましたが、
後の
「マメによ〜そんなん作るなぁ」のとりあえずの褒め言葉(と受け取る)に
満足 すでに、生成り(真っ白より生成りのほうが可愛い)の毛糸玉で
娘のニット帽の製作にかかっており、
そのやりかけを持参の実家だったので
せっせ、せっせと編む。
大晦日の夜から編み始め、1日で帽子の形。
後は今からボンボンを作って取り付けたら完成の運び。 ニット帽に暮れ、ニット帽に明けたという私のお正月 いや〜それが、年末ぎりぎりに
ご近所でご不幸があり、
なんやかんやと大忙しで
結局、大掃除はほとんどせずにお正月を迎えました。
ニット帽、編んでる場合やおまへんでぇって思いつつ、
誰も突っ込まへんし、
ばたばた事を理由に、
「あ〜大掃除できんかったぁ」で済ました私。
なんちゅうヤツや。 ニット帽編みの合間に、漢字の勉強もしております。
実は、娘がこの2月に学校で漢検準2級を受験する(授業の一環で必須)ので
それに刺激された私は、
6月の検定で2級を受けると宣言。
年末にテキストを買ってきて只今、勉強中。 それがまぁ、難しいですわ。
娘が準2級やからそれより上の2級。
高校卒業程度ってことやからいけるやろって思ったが
テキストで勉強する漢字、え〜〜知らんやんってのもあり、
大学ノートに必死になって書いております。 半年あるし、必死のぱっちで勉強して合格するでぇって娘に宣言した以上、
合格しやな・・・
ていうか、漢検のサイトを見てたら
個人受験は開催場所に10名以上の申し込みがないとあかんとか書いてある。
基本、学生対象なんやろかって。
まあ、それは申し込みの5月になってから考えるとして
とりあえずは勉強よ。
2級のテキストを一通り終えたら、
準2級以下をおさらえしとかなって思ったら
時間足るかぁ?とちょっと不安。
まぁ、あかんかったら、秋にまた受けたらいいやんと気楽に・・・ てなことで、今年は勉強するねんが目標です
でも、仕事も頑張ってします。
年末からオーダーや問い合わせやら頂いたので、
がんばりまっせです。” |
2007 | 12月 28 今、書初めの宿題ってぇ〜〜 “ええん
それは書初めやなくて、ただのお習字の宿題ですやん 「新聞、新聞」って新聞を持って行くから
「何するん?」
「えっお習字やん」
「へぇ〜汚さんとってや」
「だから、新聞持って行ってるやん」
「あっそれで・・・まぁ、がんばって」って
云うたが、 「なぁそれって何?」
「書初めの宿題やん」 え〜〜〜〜書初めの意味知ってるん
おまけに書いてる字が『出発』やて
2007年はあと3日で終わり、終点やっていうのに・・・
それが昨日の夕方、
2つだけ年上というだけの兄ちゃんが
次男に4000円近いヘ赤外線リモコンで動くヘリコプターを買ってやっていた。 中1の長男、あんまりお金を使うことなく
3人の中では比べモンにならんぐらいのお金持ち。 娘は友達と遊びに行ったりでお小遣い使うし、
次男は貯まったら、ゲームソフトを買う。
長男は今年のお年玉+毎月のお小遣いが貯まっていき
たまに使うのは部活練習試合で遠征したときのコンビニジュースぐらい。
なのであるわなぁ。 っでどういう話からか、
次男がず〜と欲しがっていた
ぺりコプターのラジコン。
赤外線リモコンで動く、世界最小ヘリコプターという15センチほどの
可愛らしいソレ。
小さいから値段も4000円でお釣りがあるぐらいで手に入る。
それを買ってもらった。 「欲しいなぁっていうたら兄ちゃんが買ってくれるって云うてん」って次男
兄ちゃんも同じこと云うてるからそうなんやろう。
まあ、自分の小遣いやし、
変なことに使うならたしなめなあかんが、
兄弟のことやし、
弟が欲しがって泣きついたわけでもないし
私は何も云えんやん。 兄ちゃん風をふかせたかったのか、
よ〜わからんわ。
娘も
「よ〜そんな高いもの買うわ」って そのヘリコプター、30分充電して5分間だけ飛ばせるって云うもの。
床を走るラジコンカーとちがって
空中を飛ばすとこに面白さがあるねんなぁ。
私もやらせてもらったけど、これが結構難しい。 なんやかんや云いながら、
この末っ子、ほんま、ええ思いをしてるわ。
私も2人兄妹の末っ子やけど。
うちの末っ子は姉と兄はその恩恵を預かって、
ほんまええ思いしてるわ。” 年末に雨はいらんわぁ〜 “昨日はええお天気の大掃除日和やったのに、
今日は雨やて。
JAに買い物に行って、レンジ周りの掃除をするつもりの本日の予定。
この冷たい雨の中、買い物はええわぁ〜と
ヨーカドーのネットスーパーで注文。
すっかりネットスーパーの常連となり、
配達のおっちゃんには名前を覚えられて、
ちょこっと世間話して帰らはる。
私の中では年内の配送料無料期間だけの利用と思っているねんけど、
なんか、配送料有りでもたまには利用しやなって気になるやん。
昨日、あれだけ頑張ってお風呂場、ピカピカにしたのに誰も何も言うてくれんって精ないわぁ。
まぁ、みな、お風呂に入るときは眼鏡を外すして見えにくいってのもあるから
しゃ〜ないねんけど。
つまり、汚れていてもそれにも気づかずにいてもらえるって利点もある。 唯一、眼鏡を外して1.0見えるって娘がお風呂に入ったときに
ドアの外から、
「なぁ、お風呂、何か気づかん」って云うてみた。
「えっ」
えってぇ〜〜〜
「掃除してんやんかぁ。きれなったやろ」
「うん、綺麗」って
ムリから言わす。 ほんまぁ、つくづく思うけれど、
主婦が日々、頑張ってる家事って精ないわ。
黙ってたら、誰も何も言うてくれんねんもん。
だから、自分でアピールやん。
どや綺麗なったやろがんばったやろ・・・って。 あ〜そやけど、ほんま、今日の雨はKYやで” 27 とりあえずお風呂掃除だけ “午前中、買い物に出て、お風呂のカビ取り洗剤を買ってきた。
お昼ご飯の後、
お風呂掃除に取り掛かかり、
ついでに、換気扇も油汚れ用洗剤に付けて・・って
キッチンとお風呂場を行ったり来たり。 本当はガスレンジもしかけたんやけど、
時間が足りんと
明日に回すことにして、途中で元に戻したり・・・
おやつの時間になって、お茶を飲むのに
ガスレンジでお湯を沸かさなあかん。
このままやと、お湯、沸かされんやん・・っで
途中までで元に戻して、明日や。
昨日は夕方から年賀状印刷を半分までしたので
残り半分を午前中、買い物に行っている間、印刷。
印刷だけや寂しいから
一言コメントを書いて、本日、ポスト投函予定やったのに、
まだ、コメント書いてへんやん なんでやろ
頭の中の時間配分やと、夕方にはポスト投函のはずやったのに、
途中で1時間ほど、漢字の勉強をしてたからやわ。 昨日の夜は、ニット帽の続きを頑張って、
とりあえず、形にはなった
あとはボンボンを作ってくっつけたら完成
も〜〜どうする〜〜めちゃ可愛いしぃ。
今日、買い物に行って、白の毛糸を買うつもりでIYの2階に上がったのに
子供の靴下やら娘の毛〜パンやら買って
何かあったよなぁ、買うモンって思い出すことが出来ず(情けな・・・)
家に帰ってから思い出した。 まぁ、毛糸が側にあったら、
お風呂掃除も換気扇も手につけられずやったから
まぁ、ええか・・
とりあえず、お風呂場だけはピカピカ。
いつでも来てやぁ〜2008年って感じ。
年明けまでのあと数日、お風呂場、汚さんようにしてや” 26 ニット帽!! “ちょっと可愛い出来で、編み棒が進む進む。
つなビィに画像アップ
これ、昨夜というか今朝の2時まで編んでおりました。
年末の押し迫ったこの忙しい時期に
徹夜して編み物ですわ。
2時に寝ても4時半には目が覚めるという、狂うことない体内時計。 いちおう、次男坊主が所望したし
久しぶりに編み物もしたいやんで編み出したのはいいけど、
云うだけの坊主はきっとかぶらんやろうと踏んでいる。
まぁこういうモノは作る過程がおもろいからええねん。 ほんま、おもろうて、かっぱえびせんごとく、編み始めると止めれんのですわ。 模様編みも目の数を数えて、こんなもんやと適当に始めたのに
これが、え〜〜かわいいやん
てなことで、娘が
「真っ白で同じのん、私にも作ってぇ〜」とリクエスト。
これ、白やともひとつ可愛いでぇと思う私は、
作る気満々 毛糸、買いに行かな あっ・・・年賀状、まだやし、
大掃除、どうするねんやろ・・・
まっ、寝て起きたら2008年はやってくる。
大掃除はしてもせんでも年は明けるってことですわねぇ” 25 クリスマスという気がしません “なんというか、次男坊主は去年、
クラスのませガキから
「サンタクロースはなぁ、おとんとおかんやねんでぇ」って聞かされた。
我が家にサンタクロースが来なくなって2年。 あほやでぇ。
中学生の姉ちゃんも2つ上の兄ちゃんも
信じてるフリしてくれたのに、
「え〜知らんの?姉ちゃんも兄ちゃんもあほちゃう」って
アンタがあほちゃうやで。 信じるものは救われるっていうやん。
信じてたら、なんやかんやととりあえずは
出来る限りのことはさせてもらおうという気はあったものの
信じてないねんやったら、必要なしという結論やん。
てなことで、すっかりクリスマスムードがない我が家。 それぞれ部活で居てないし、
一番下も、昼ごろにクラスメートからお誘いの電話。
「誰やの?」
って聞くといつものメンバーと違う。 「アンタ、友達何人いてるん?」
「さあ、50人ぐらいとちがうか?」
っていうて出ていったけど
その50人。
悪さしぃタイプばっかやんか。
まあ、そこに呼ばれるってことは
アンタも同じタイプってことですわねぇ。 見事に長男の友達のタイプと正反対のタイプのお友達。 とりあえず
「悪いこと、しなやぁ」と送り出す。 1人になったし、
朝からがんばった仕事もひと段落で
いつものお決まり、定番バウンドケーキを焼きました。
やっぱりクリスマスにはケーキがいるもんねぇ。 でも昨日
「うわ〜〜えらいこっちゃやってもうたぁ」と
大騒ぎの娘
2キロ太ったんやって。
そりゃ〜えらいことやわ。
「私って顔には出んけど、下半身に出るよなぁ」
「うん。出るなぁ、その太もも」って云うてやった。
見事ですもん。
私も真っ青
なんせ私のジーンズがぴちぴちというご立派な太もも。
まぁ、私は年相応にお腹&腰周りが娘に負けてるってのが
悔しいやん
云うてもなぁ、3人も子供生んでるねんもんなぁ。
3回もお腹が膨らんで縮んでってやってるねんもん。
地球の引力の影響を長年受けてるから
引っ張られてるってのもあるし、
しゃ〜ないとはいえ、娘の太ももには勝ったと喜ぶ私。 クリスマスといえばチキン。
あの足付きのは、胸焼けるし、
いつものチキンカツでお茶濁す今夜のクリスマス御飯です” 23 クリスマス・イヴイヴ “子供2人は部活に行きました。
1人はおにぎり5つ持って、練習試合。
というても、試合に出るのは2年生なので、
応援と荷物持ちです。
来年早々に1年生大会がありまして、
1年生は8名。
バスケの試合は5名。
まぁ、一番下手っぴの息子はスタメンは無理としても、
ちょこっとでも試合に出してもらえた・・というのが親心。
本人は下手さ加減を120分に自覚しているので
試合には出たくないらしいが・・・ 娘も早々のお昼ご飯を食べて、電車に乗って部活。 1人、暇を持て余す次男。
赤ちゃん時代愛用のふわふわボールで室内1人サッカー、1人バスケ、
1人キャッチボールと遊んだはります。 私は、今年最後のお仕事。
年内、発送なのでがんばっております” 22 We wish you a Merry Christmas♪ “昔、短大生だったとき、
ちょっと変わった学科専攻だったので、
サービス業とか実用英語とか英文タイプ(今時、使わんよなぁ)を勉強。
その中で、英会話の授業での試験で
いくつかのクリスマスソングの中から1曲、選択して歌うってテストがあり、
私が選んだのが
"We wish you a Merry Christmas" ラジオではクリスマスソングが一日流れていて、
まぁ、この局は選曲されずかからんけど、
ふと思い出した ♪We wish a Merry Christmas
We wish a Merry Christmas
and Happy ...” 21 ランドセルがあるやん!! “掃除してたら、椅子の下(ランドセル収納位置)に
緑のランドセルがあるやん。
放課後、遊びに行く時愛用のナップサックで行たんや・・・ 「行ってきま〜す」ってご機嫌で出て行った時、
私はお風呂場で靴下やら体操服やらの手洗い中。
えらい今日は早いなぁ〜って思いながら
「気付けて行きやぁ〜」って声だけ答えたんやけど。 たぶん、今日は集会と大掃除ぐらいやとは思うけどや、
あるとかないとかわからん給食ナプキン袋は
ランドセルにぶら下がったままやし・・・ 受け持つ先生によっては、
大掃除だけの日でも
ランドセルで登校しなさいって云わはる。
去年の担任はそうやって、
ちゃらんぽらんな次男は窮屈でしかたなかった。
今の担任は、あんまり細かいことは云わない。
なので、次男は水を得た魚のごとく、教室で過ごしている。
そりゃぁ、学校、楽しいわなぁ。 上2人のときには気がかりやった友達関係もすいすいこなしてて、
別の意味で心配や。
どこぞで悪さしてないかと・・・ ” 20 給食、あるのか?ないのか? “二期制になってから、
夏冬の大きな休みの前日まで6時間授業。
なので当然、給食有りやねんけど。 昨日、給食エプロンを持って帰ってきている。
「え〜〜〜明日、給食ないん?」
「知らん。あるんちゃう」
(知らんって・・・・
あるんちゃうってどっちやねん) 「エプロン、持って帰ってきてるやん。」
勝手に持って帰ってきよったんやろか?って思う私
「なぁ、先生が持って帰りって云わはったん」
「うん、持って帰りって云うた」
せや、学年便りを見たらいいねん。
21日:集団下校、給食終了って書いてある。
給食あるんや・・・ 「エプロンなしで給食当番するん」
「エプロンないねんから、そうちゃうかぁ」って次男。 本年度の最後の登校日の本日に
エプロン洗って持ってこさすために昨日、持って帰らせたのか?って
思うやん。
まさかなぁ、半日で洗って持ってこいってそんな殺生な・・・やで。 結局、今、洗濯機の中で回ってるけど、
給食エプロン、我が家で年越すってことやん。
こんなん初めて。
学校の共有所有物を手元に置きつつ、年越すなんてかなんわぁ。 ほんま二期制になれんわ。
しやけど、ほんまに今日、給食有りなんやろか
なんや、昨日、いつもちがった給食を食べたようなことを云うてた。
クリスマスバージョンの給食。
それって今年最後の給食ってこととちゃうん 学校からのプリントもよ〜間違ってるから不信感。
先生の話、聞いてるようで聞いてない次男にも不信感。
お昼ご飯、いるのかいらんのか、どっちやねん” もうちょっとやなぁ “って昨日の長男の懇談で担任に云われて、
私は考えた。 何がもうちょっとなんや?
我が子の中で、一番勉強できる長男。
他の2人から比べたら、上出来やねんけどなぁ。
でもうちょっとやなぁって云われても・・・
もうちょっとがんばったらどうなん?どないなん?おっさんって
担任につっこんだろかって思った私。
9教科平均90点って特上やん。
まぁ、中1でこのレベルはまだ3,40人いてる(1年生280人ぐらい)ねんけど。
中学校自体のレベルも低いってのもあるねんけど。
それでも、我が家の中では特上の成績やちゅうねん 長男に比べたら娘の中学時代の成績(今もやけど)は
ぐ〜〜と下がって平均ラインやったりちょっと下回ったり。
それを授業態度、提出物で平均ラインよりちょい上に評価を上げてる。
懇談では
「部活もがんばってるし、よ〜やってます」ってどの先生も言われる。 それに比べたら
提出物も授業態度も満点に近くて、試験の点数も平均よりかなり上の長男。
ものごっついよ〜がんばってるってもんやと思うねんけど。 もうちょっとやなぁって。
このレベルは、ちょっとしたことで評価(4か5)が変わるからって。
云うたはった。 確かに長男レベルの子は
提出物一回出し忘れただけで、5が4になるやろう。
ちょっとしたことで評価がかわるってことなんやと実感。
相対評価にせんと絶対評価でみてくれや〜
とりあえず懇談ではって思う母の私。 このレベルの母は初体験の私。めちゃ疲れるわ。
上や下の懇談の方がはるかに気が楽。 前日の次男の懇談のときに
「ええねん、勉強できるのは1人でいいから。
shunは毎日、元気に楽しそうにしてるからそれで充分ですわ」って帰ってこれる。
親としては、勉強はできるにこしたことはないねんけど、
出来る子は出来る子でそのレベルを維持しやなってプレッシャーを
周りから与えられる。
私も本人に与えてしまっているかもなぁって思うしなぁ。
出来たら出来たでしんどいねんや。 周りの子が練習がきついからって敬遠する男バスで
朝練も休まず行ってて
自宅学習だけで
この成績、これ以上何も云うことおまへんねん云えばよかった。
次回は言うたる” 19 連絡メール “
中学校ではこのシステムは導入してはらへん。
おとどし、役員をしている時に
「今度、小学校で連絡メールが開始される」って委員会で
雑談のごとく話したとき
1人のお父様が
「メールが来ても仕事中なら見られへんし意味ないよなぁ」と
そんなんでか、中学校ではない。
まぁ、それだけやなくて、
以前、学校のHPがあったがその掲示板へのいたずら書きの対処に困って
閉鎖したといういきさつもあってのことかもしれん。 昨日、次男が云う。
「6年生でなぁ、金八先生でやってた闇サイトみたいなんの書き込みがあったって」
っで
昨日の懇談時、廊下の机の上にあった配布物"インターネットに関するお願い"って
趣旨のプリントなわけか。小学校高学年から中学生の間で
ネット掲示版で悪口を書くというのが相変わらず蔓延しているってことなんや。
一昔前は交換日記ってのがそんな道具やったのが
今は携帯サイトですわねぇ。 まあ、それはさておき、
連絡メールというものの捉え方が学校によって違うねんよなぁ。 小学校ははっきりいうて発信者のきまぐれみたいで、
この程度の情報が流れてくるの?ってこともあれば
なんでこれは流れてこんの?って
基準があいまい。
それに高いお金を使って
クラス別配信可能ってしてはるわりに
クラス別どころか学年のメールもここんとこありませんなぁ。 去年は長男の修学旅行時には宿についたとか、
遊園地に着いたらお天気がはれてきたとか
もうすぐ学校に着くとかあったのに、
今年の次男の林間学校では
もうすぐ学校に着くって1回だけ。
これには、保護者は文句たれてた。
うちの長男と次男の年の差兄弟が多いから
上の子のときは頻繁にあったメールがなんで?ってなるわなぁ。
その辺の基準って
発信者側の都合のようで、それってどう?
役員でもしてたら、委員会で突っ込んでしまうであろうネタですわ。 高校はといえば、
これがまぁ、毎日のように流れてくる。
今なんて定期試験も終わって、短縮授業のため
時間割が変則ときている。
その時間割の連絡が流れてくる。
そんなん私、いらんがなぁ。
高校生になって時間割をちゃんと合わせてるかチェックしろってことやろか?
まさかなぁ〜
連絡網を流すことで子供に目をやってほしいって趣旨があるってのは
入学式のとき言うたはった。
連絡網の登録をする親は子供に目をやる親やと思うねんけど・・・ 定期試験中は毎夕方、明日の試験は○○と△△ですって
知らんがなぁ〜
勉強してるか確認しろってことなん?って思ったわ。
まぁ、高校はメール配信担当教諭らしき人物がいてはる。
高校のメールは全て学年別メールとなっている。
たぶん、Yahooのメーリングリストを利用している様子。
お金かかってません。
(いや、Yahoo登録で多少の出費ありやけど、ほんま微々たるものやわねぇ) 高校の連絡網の趣旨は最初に聞かされているから、
まぁこの頻度、この内容、そういう趣旨なら仕方ないのかとも思えるけれど、
小学校は最初の趣旨とは段々とかけ離れていってるような気がしてならんのよなぁ。” 18 懇談 “比べるなっていうても比べるわぁ。
去年、兄ちゃんを受け持ってもらった先生が今年、担任やもん。
先生もわかってはるから
本人に向かって兄ちゃんと比べたことは云うてはらへん。
本人に
「先生、兄ちゃんのこと、何か云わはる?」ってきいたら
「うん。元気してるか?って」
「兄ちゃんは勉強よ〜出来たのに、アンタはなぁってのは云わへんやろ?」
「そんなんは云わへん。
そやけど、先生と母さんが2人でしゃべるときは云うてるのやろ?」
「そりゃ〜云うやろ。そりゃ〜しゃないわ」と
やっぱり今日も云うた・・・
云うわなぁ。
見事に違うねんもん。
先生も
「本人には云うたらあかんって思うから云うてないけど、
頭の中では比べてしまいますわ」って正直なコメント。
そりゃそうやろ。
私もそうやもん。 友達のタイプも全然ちがうから、
クラスでの様子も全然違う。
「体育はよ〜がんばってる」って云うたはったし。
人それぞれ、持ち味ってのがあるもんやと
息子2人を見て、ほんま思うなぁ。” 17 頼まれ年賀状作成 “毎年、頼まれる友達の年賀状作成。
とりあえず、昨日、サンプル2種作成。
ファックスで確認してもらって、選んでもらった。 ご主人の会社用なので、
おちゃらけなモノはあかん。
おちゃらけたいとこをぐっとこらえると、
超おもろないモノになる。
それでちょいと色気を出したものも作ってファックスする。 毎年、こっち(おちゃらけてない方)を選びはるやろうなぁって方を選びはる。
まぁ、そうやわなぁ。
ほな、今から印刷でもしよ・・・ もう1つ、実家の父と母の年賀状は確認することなく私の作るものでOK
そやけど、父用、母用と2種作成です。
まぁこちらはおちゃらけでもいいから、いろいろ遊ぶ。
何年か前のおサルさんの年。
お猪口やら徳利を足元に飲んだくれたおサルさんの絵柄を
これぞ父!と選んだ私。
えらい喜んでた
今年はシンプルにした。
母のは優しげな色合いでまとめてみた。
こちらは、毎年、数が減っていくのです。
ちょっと切ないなぁ・・・ とりあえず、頼まれ賀状作成がかたついてほっと一息。
ほんで、我が家のはぎりぎりになってしまうねんなぁ。
まあ、29日前後にポストの放り込んでも近場やと元旦に届けてくれてはるし、
ええや・・・” 15 内緒のランチ “お昼前に部活に向かう長女と長男は
11時前に仲良く、昨夜の残りのお赤飯で昼食。
次男坊主はスイミング。
今朝、スイミングに出る前の次男にこそっと
「お昼、ヨーカドーで食べる?」って誘っていた。
「内緒やで」って念押しして。 次男に限らず、内緒やでって2人でランチってのは
娘とも長男ともやっている。
よ〜考えたら、どの組み合わせでも私は必須なので
私が一番ええ目してるってことやん
スイミングから帰宅する次男を待ちわびてヨーカドーに向かう。
たこ焼きとかお好み焼きとかドーナツとかハンバーガーとかの
フードスペースで
2人でハンバーガーを食べる。 その後、本屋をうろつき、2階の手芸品コーナーへ。
久しぶりの毛糸玉を購入。
次男所望のニット帽製作のためですわ。
作るのはええねんけど、作ってほんまにかぶってくれるのやろうかって
不安。
作って〜作って〜って云いながら
作ったらそれをかぶるって気がどこぞになくなるであろうと想像するからやん。
たぶん、彼は
"お母さんに作ってもらったニット帽"ってとこに憧れてはるようなんよなぁ。
まぁ、それやったらそれでええねんけど。
久しぶりに編み物したいから
ええ理由ができたと思っとくし” 14 お米作り “5年生はお米作りをするって行事があって、
最後、その出来たお米でお餅つきをする。 そのお餅つきが先週行われて、
今まで、娘も長男も2つほど、お餅を持ち帰ってきてくれたが、
次男はなし。
「人数が多いから持って帰る分はないねんて」って
確かに、娘の学年に比べたら一クラス半ぐらい児童数が多い。 そしたら、昨日
「母さん、これ2合半やて」ってお米の入ったビニール袋を
ランドセルから出してきた。
「これって作ったお米」
「うん、そう、2合半やで」
(2合半はさっき聞いたがな、わかってるちゅうねん)
「これってもち米」
「え〜さぁ、なんしか2合半やねん」って
(だから2合半はわかってるちゅうねん
先生が2合半って言うやでって何回も云わはったんやろか) ビニール袋の中の米粒を見るが
白米のような、でももち米ぽいのも混ざってるねんなぁ。 「ほんだら、これにもち米足して、明日はお赤飯にするわ」って
云うたら
お赤飯が苦手な次男のほっぺがつってる。
あ〜〜つると云えば・・・ 昨夜、下校の娘
「あ〜〜数Ⅰ、やっぱりけつったぁ〜〜」
けつった欠る欠点をとる けつった〜けつった〜って云うから
「なぁ、けつったって何?」って次男
「ん・・それはなあ、お尻のかたっぽがつることやで。
けつ(お尻のことですわ)がつったがけつったやねん。
いまどきの高校生はそう云うねん」
って次男をからかう
「へぇ〜ねえちゃん、お尻、つったん?」
「そうちゃうかぁ〜〜部活でつったんとちゃうかぁ」
「つるってどうなるん?」
「ケイレンみたいなもんやと思っとき」と適当なことを云う そしたら
子供部屋から
「明日は現社(現代社会)が返ってくる。絶対、けつってるわ」って娘の声
「姉ちゃん、もう1つのお尻もつるらしいわ
両方つったら、歩かれへんで」って次男に云う。 次男、両手でお尻押さえてるし・・・
おもろ・・・・ しやけど、今回はけつったはりますやん。
大丈夫でっか?
本人は
普段の評点と試験の点を足して、いくらかで割るって計算するねん。
それやと大丈夫。
これぐらいのけつり具合は大丈夫だそうですわ。
まぁ、私に似て、留年するなんて根性はないからと思ってる。” 13 今朝は2時間、がんばったわ(^^)v “4時前に目が覚めて、携帯で時間を確かめた。
半分寝てる頭の中では
「もうちょっとで起きやな・・」
で、また眠りの世界に戻る。 しばらくして
「ア〜寝過ごした」と思い
慌てて携帯を見た。
4時20分の表示。 私の起床時間は4時半やから寝過ごしてないねんけど、
寝過ごしたと思ってみた4時20分が
頭の中のアナログ時計は5時10分前に針がある。
(私の頭の中はデジタル表示をアナログに変換しやな認識できん) っで慌てて起きて、お弁当作りを開始。
そしたら、携帯アラームがなる。
そう、4時半のアラームやん。
そこで初めて
「え〜今、4時半なんや。寝過ごしてないやん」って気づく。 まぁ、今日はハンバーグをこねて焼くし、
昨夜の残り焼きそばでオムそば朝食3人分の注文もある。
お弁当のおかず以外に
オムそば作って、おにぎりも握って、
ボールやらフライパンやら洗い終えたのが
起床から2時間後やん。
朝の早くからよ〜働くで私・・・ 今朝の子供らの朝食は
おにぎり、オムそば、お弁当のおかず残りのハンバーグに
ニラとえのきを卵でちぢみ風、ちくわの磯辺あげと
てんこ盛り。
娘はこのメニューにココアも飲むから
「お腹の中がなんか変・・」って学校に行く。 学校に行く前に
「これ」って出してきた
高校の"進路指導課通信"
笑ったわ。
おもろいでぇ先生って突っ込んだ。 一応、生徒に向けての内容やからか、
ところどころに混じる大阪弁表現が
大阪のおっちゃんやんって突っ込みたくなる。 なんか知らんかってんけど
防寒具(上着の上に着るモノや手袋、マフラー)は校舎内では着用あかんって。
見つかったら携帯電話と同じ預かり指導があるらしい。 へぇ〜〜やるなぁ。
おもろ・・・って 読み進めていくと、
「化粧、ピアスは防寒具とちゃうぞ」って一文。
寒くなって化粧する女子が増えたとか?
化粧が濃くなったとか?
って想像するやん。
おもろ・・・ それに私に知らんことも書いてある。
ピューラー(この言葉を知ってるってことはこのプリント書いたのは女性?)を
ライターで温めると効果が増すということで高校生の中で流行ってると云うたはる。 へぇ〜そうなんや。
まぁ、私には関係ないけど。
熱でまつげを上げたろかってことか。
でも、ビューラー傷みそうと
下に目をやると え〜〜スカジャーって云うん? スカートを短くしてその中にジャージをはくスタイルをスカジャーって云うねんて。
初耳やん。 ってか、中学校でもスカートの下にジャージをはいてる女子
よ〜さんいてるけど、
ぶさいくな・・・って思うのはおばはんの感覚?
どっから見てもぶさいくやん。
可愛げが小指の先もないって格好やん。
うちの娘はしてへんからええねんけど、
したら学校のお金払わんし。 娘は
「うちの学校、おかしいで。
こんなこまごまと、厳しすぎやで」って云う
「そうかぁ、当たり前のこと云うたはるやん。
おもろいやん。スカジャー」って私。 私は娘の高校の方針は大賛成やしええやんって応援する。
っていうか
いまどきの高校生にここまで細かい指導をするって
エネルギー要るやろなってねぎらいの心境。 とまぁ、朝からよ〜働く私は
家庭ごみの日やからゴミを下に持って下りたら、
隣筋の2階のおばちゃんと会う。 「アンタぁ〜えらい早くから起きてるねんなぁ」
「そやで、4時半」って声を大にして云う
「私が5時半に起きたら、もう灯りが着いてるから、5時半と思ってた」
「ちゃうちゃう4時半やで」って強調やん。
「せやなぁお姉ちゃん(娘のこと)7時過ぎに出てるもんなぁ。」
「そやねん。真ん中は部活の朝練でそれより早いねん」って 前も違う階のおばちゃんに
「あんたぁ、えらい早く起きてるねんなぁ。
早から電気、ついてるからびっくりしたわ」って
どこで誰が見てるかわかりまへんなぁ。
子供らも真っ当な行動させやなって朝から思う私でした。” 11 買い物に行ったら・・・帰りは雨(>_<) “出かけは小ぶりやったし、大丈夫やろっと思って
自転車を走らせた。
自転車に乗っての傘は、怖い
特に買い物に行って、荷物いっぱいで傘はよ〜ささん。
傘をさして走るより、濡れるほうがまだいい。
というので強行。 ネットスーパーでは買えないものを買いたいので、
雨でも行かなあかんのんです・・・ なんやかんやと、買って、
自転車置き場に向かう出口で
「ひゃ〜〜アンタぁ〜えらい降ってるでぇ」って
2人連れの大阪のおばちゃんの会話。
「うわ〜〜ほんまやん。
アンタぁ〜傘、持ってきたん?」
「持ってへんがな」って
もろ大阪のおばちゃんやん。 私も内心、
「ほんまやぁ〜えらい降ってるやん。げっ」と叫ぶ。 いうても、しゃ〜ない。
雨の中、傘もささず、頭は芯までびしょぬれやん。
ひゃ〜〜〜さぶっ” 10 07 |
archive
